14(完)

「きりーつ。れー。ありがとうござましたー」

「はーい。みんな気をつけて帰れよぉ」

部活や帰り道の相談でガヤガヤうるさい教室に、背中を向けて廊下を歩く。教師になって五年が過ぎ、余裕が出てきたせいか、最近は言うことを聞かない生徒すらかわいく思えてくる。

廊下に続く窓からは、桜の花が見えた。風に吹かれてちらちらと舞う姿は、ぽかぽか陽気も相まって、穏やかな日々の象徴のように思えてくる。

「ふえっくしゅん!」

背後から聞こえて来る盛大なくしゃみに振り返ると、白衣を絵の具まみれにしたアシスタントが歩いていた。

「え、なに。花粉症?」

「かなりひどい。アレルバリアしたのになぁ」

両手いっぱいの画材を抱え直して、まだむずがゆそうにずるずるやっている。

「早く島に戻りたいなぁ。あっち、杉ないじゃん」

「そっか。うわぁいいな、早く復活してぇ!」

大きな木などほとんどない、無機質な街並みを思い出す。

「お前、どっか行くの?」

落とした絵の具を拾って、筆洗いに入れてやる。

「あぁ、うん。久しぶりに外で描こうかと思って。あったかくなってきたしね」

凛はあれから半年ほど眠っていた。外的要因はわからず、結局精神的なものということで収められたらしい。

目覚めた瞬間だって、あっけないものだった。

凛のお母さんが眠っている横でお弁当を食べていると、いつの間にか目を覚ましていたらしい。第一声は「おなかすいた」だ。

凛の目覚めにボロボロと涙を流す母親を見て、凛は何が起こったのかわからなかったそうだ。九ヶ月も眠っていたのに、本人としては休みの日に午後まで寝てしまったくらいの感覚だったらしい。いつもより長い夢を見ていた記憶はあるものの、それがまさか九ヶ月にも及ぶものだとは思わなかった、と凛は言っていた。

そこからは、筋肉の衰えもあって、リハビリをしばらくしたあと、天財誠の下で修行をしながら、天空島高校で美術教師のアシスタントをして生計を立てている。

父親は、天空島復活のために研究所の新施設で日夜奮闘しているらしい。凛も家を出て、天財家に居候しているから、本当にたまにしか顔を合わせていない。

「家を出て正解だったよ。わたしとパパには、ある程度距離が必要だったんだよね。今でもぐちぐち言うことはあるけど、昔に比べたら全然。一応天空島界隈にいるしね」

と、凛は笑った。

「ねぇ、今日、月一飲み会だよね? 栄、大丈夫なの? もうすぐテストじゃん」

「大丈夫。もう問題作った」

「そ、まぁ保健体育だしね」

「お前、保健体育なめんなよ?」

「はいはい!」

ケラケラ笑って玄関を出て行く凛の後ろ姿を見て、あぁ良かったなぁとしみじみ思った。さくらの下で笑う凛は、あの頃とは全然違う。

駅前の飲み屋に集合したのは、午後八時を回った頃だった。悠真には最近ちょっとだけ遅刻する癖がついた。特に研究所が忙しくなるとその時間は倍増する。

「ごめん、お待たせ」

「マジ待った!」

「いや、もう飲んでるから待ってないでしょ」

凛が栄の、半分ほどに減ったジョッキを指差して言う。

「だってただ座ってるだけなんてお店に失礼だろ?」

「わかったわかった。飲もう!」

天空島研究所が再建され、悠真はすぐに入所した。配属されたのは開発部。今は、雪彦の部下として働いている。

入所当初、凛は会うたびに何か嫌なことをされていないか心配したが、悠真曰く、すっかり丸くなり、今は研究の虫なんだそうだ。もしかしたら、天空島が一度ダメになったことで、彼の中の何かがリセットされたのかもしれない。

天空島は今、もう一度相模湾の空に浮かぼうとしている。崩れた建物をすべて取りさらったので、島本体と研究所しかないが、十年後を目処にまた島民が暮らせる島に戻そうという計画も進んでいるようだ。

茅ヶ崎の仮校舎からは、今の天空島が良く見える。外から見る天空島は、なんだか健気に見えた。すべてを知ったような口ぶりで批判されて、心にたくさんの傷を負いながらも、ただ必死に自立しようとしている。大丈夫かと支えてあげたくなるような、心ない言葉から守ってやりたくなるような、そんな存在に見えた。

それを思うたび、栄はあの頃の凛や悠真を思い出した。やりたいことがあって、輝いて見えたふたりは、今の天空島と同じで、自分を傷つける親や偏見と戦っていたんだなぁ、と。

「あのさ、今日はお祝いだから」

悠真がにやりと笑う。

「え、何の?」

「俺の」

「どういうこと?」

「ないしょ!」

「はぁ? それじゃあ祝えないじゃん!」

凛が悠真のほっぺを全力で引っ張り、悠真がいへぇ! と叫んだ。

俺はそれを見ながら、ビール片手に笑い声を上げた。



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空の孤島《完結》 雨飴えも @candy_rain_emo

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