ある魔女の独白

明里 好奇

いけにえの魔女


この村は小さい。

特産物も少なく、労働しようにも働く場所が限られている。

人々は疲弊していた。つまらない戦争が世界で起こっているようだ。その波は私たちの町にもやってきた。

大人から召集され、次第に若い世代をむしばんでいく。戦場に赴く者ばかりが、犠牲となったのではない。村に残った人間たちも困窮にあえぐこととなる。

戦争において利益を得るのは、国の偉い人たちだけだ。それ以外の人間は魂ごと食い殺されて行ってしまう。わずかに残った人間も、心をゆっくりと病んでいく。

病んだ心は、はけ口を求める。己の精神を何とか維持し、バランスを取ろうと躍起になる。


「魔女め!」

「悪魔の使いめ!」

村の子供たちがどうやって見つけたのかはわからないが、結界の穴を潜り抜けて私の店のドアを乱暴に叩いている。騒がしい子供たちの声に起こされてしまい、私はうんざりしながら玄関のドアへと向かう。

この声はリズとマイレイだ。二人の兄弟はとても仲がいい。一緒に遊んでいる姿をよく見るが、開店前のドアを乱暴に叩くとは、いただけない。

「なんだ、朝も早くから何の用だ」

 ドアの隙間から朝の強い日差しが目を射るように刺さってくる。ゆっくりとドアを開け放つと、リズとマイレイは少し肩を震わせたのが分かった。

 魔女と罵りながら、当人が現れれば尻込みしてしまうなら、どうして乱暴に起こすようなことをするのか、今の私にはわからない。苦笑しながら、演技は忘れない。

「私を魔女と知っての愚弄か、貴様ら」

寝起きの魔女は、機嫌が悪いんだ。とって食ってしまうぞ。


 少女と少年は嬌声を上げながら一目散に走って逃げて行った。逃走経路もばっちりだ。迷うこともなく、一目散で村の中に紛れていった。彼らはただ遊んでいるのかもしれない。

 店先の庭の角に仕込んでいた結界の依り代が壊されているのを発見する。きっとあの子たちが壊したのだろう。多分遊び半分で。その姿が目に浮かぶようで、腹の底から暖かい熱がじんわりと広がっていくのがわかった。

 実はこれが初めてではない。以前から何度かこうやって人目を拒んで生活するための結界を、村の子供たちに壊されている。あまり大きなまじないをかけると彼らに危害を加えてしまうから、今は「安眠妨害予防」程度の弱いまじないをかけている。それが彼らに向いたとしても、少々日常生活に困る程度の不眠や過眠くらいの弊害にしかならないだろうと、踏んでいる。

「また、やりやがったか、小僧どもめ」

 小さく毒を吐きながら、私はまじない程度の結界の残骸を手にして、店に戻った。彼らが何をしたかったのかはわからないが、こんな日だから早めに店を開いてもいいだろう。


 店先のドアにOPENの札を吊り下げる。裏を向ければCLOSEとなる、便利な代物だ。製作費もローコスト。便利なものだ。

 村の人間は私のことを「魔女」と呼ぶ。やっていることと言えば、薬の調合、薬草や鉱物の知識、医療の手ほどき、そして簡単なまじないだ。どちらかと言うと「薬師」なのだが、彼らには「魔女」に見えるらしい。

 

 薬草を乾燥させ、揉んだものをパイプの先に詰めて火をつける。そっと息を吸って煙が上がったのを確認して、それを肺まで吸い込んで吐き出した。

 木造の小屋のような私の店は、白く煙り草花の匂いに満たされる。戦争が各地で始まって物資の流通が乏しくなった。この村も例外ではない。しかし、人間はしぶといのだ。自分たちで作れるものは作ってしまう。ない知識は、知識を持つ者に聞きに行き、理解してさらに作り出す。そうやって、なんとか工夫して生活を送ってきた。

 私の元に知識を得ようとする者も、少なからず居る。この村は貧しい。だから私は対価として「一番きれいな記憶」を要求する。

 金にはならないが、タダで教えてやるのも癪だし、タダで教えてもらう方も気兼ねせずに教えを乞うことができるようで、私と彼らのルールになりつつあった。


 戦争は、時間をも奪う。私たちの穏やかでささやかな時間を、あいつらは奪っていった。

少しずつ村の人間が減っていく。その代わりに子供たちが増えた。食料も物資も、足りているわけではないが、大きな街に比べれば多少安全ということで疎開してきているのは、世間に疎い私でもわかった。

 ある夜半、店のドアを乱暴に叩く音に目を覚ます。時刻を確認する前に、ドアの向こうの気配が多く、普段の子供やひいきにしてくれている薬を求める人間ではないことは直感でわかった。

 昼間に、マイレイがやってきたことを思い出して、私はゆっくりとほほ笑んだ。


 普段の彼とは全く違う雰囲気をしていたから、あっけにとられたのを覚えている。夕暮れ時に、静かにドアをノックする音。すでにドアは開け放していたのに、律儀にドアをノックしたのだ。普段なら元気よく飛び込んでくるくせに、消沈しているのが一目でわかった。

「どうした、マイレイ、何かあったのか」

 私は努めて静かに言った。落ち着いて、ゆっくりと。マイレイは服の裾を両手で握りしめて、話すのをためらっているように見えた。苦痛そうにゆがめられた表情は、見ているこっちが息苦しくなるくらいだ。

 彼を客人として招き入れ、店の奥のソファに座らせる。暖かいお茶を淹れてやると、指先を温めるようにカップを両手で包んだ。上る湯気に息を吹きかけて、一口だけ口をつける。

 庭先で作っている薬草で入れた茶は、リラックス効果を持っている。喧嘩して泣いた子供や取り乱して暴れる婦人に提供することが多い。

 彼は一つ大きなため息をこぼした。それは子どもとは思えない大人の深刻なそれに似ていた。


「大人たちが、あんたを魔女だって」

 マイレイは息をつくと静かに話し始めた。声が、吐く息が少し震えているのが分かる。彼の薄くて小さな肩に手のひらを置いて、熱を送る。安心して、彼が話せるように。少しでも震えが止まるように。

 マイレイの小さな手が握っていた服の裾を、ゆっくりと放した。麻の生地にしわが波打っている。彼の手は震えながら、肩に載せていた私の手の甲に添えられた。震える指先は凍えるように冷え切って白い。

 私はそっと手のひらを翻してその手を包んだ。守るようにそっと。

 彼の伏せられていたまつ毛から、水滴が張り詰めて落ちた。しわになった布地に簡単に沁み込んで色を変える。音もなく彼は泣きながら、こぼすように話し始めた。

「あんたが、魔女だから、ころす、って」

 悔しさや怒りよりも先に、彼を泣かせてしまっていることが悲しく、そして愛おしく感じた。長引く戦争に終止符を打つため、カミサマの怒りを鎮めるために大人たちは話し合っていたそうだ。すべての災いの元となっている魔女を殺す代わりに戦争を終わらせようと算段を立てているのを彼は聞いてしまったようだった。

 その悔しさや悲しみをそのままに彼は私に知らせに来たようだった。きっと、走ることもできず、かといって私に知らせぬこともできず。その小さな胸をいっぱいにして、泣くまいとしながら、一歩一歩歩いてきたに違いない。

 私はひとつため息をついた。少年の肩がこわばるのが目の端に映る。そうだ、そうやって恐れていてくれ。そうすれば君を守ることくらいはできるだろうから。

 慣れた手つきでパイプに薬草を小さく丸めて詰める。そこに火を入れて数回燻らしてから、大きく息を吸った。紫煙が天井辺りに白く溜まる。水の中の澱のように不明瞭に、汚らしく。

「そんなことをわざわざ私に伝えに来たのか、少年」

 できる限り平坦に、できる限り冷たく。

 少年が顔を上げた。瞬間、目が合う。悲しみと怒りが混じった重たく鋭い視線だった。そうだ、それでいい。

 君は来るべきではなかった。だから、私は追い返すのだ。

「お前は馬鹿だな。ここに来て私にそれを伝えてしまえば、私は逃げおおせてしまうのかもしれないのに」

「ぼくは」

 必死に追いすがるように、彼は言葉を発する。それを言わせないように私も、言葉を用いて覆いかぶさった。

「私が逃げてしまえば、次の矛先はどこに向かうと思う? お前の友人や家族が安全でいられる保証はどこにもないだろう」

 きっと、少年も危惧しているはずだ。どちらを獲ることもできない、だからきっと私に伝えに来た。家族や友人、私。その間で揺れるように少年は揺らめいている。それが手に取るように分かった。だからけしかける。私は、魔女だから。

「さあ、話は終わりだ、少年。ここで君は私に会わなかった。だから私もこの話を知らない。私がここから逃げることは、ない」

 蝶の羽根を、捥ぐような感覚だ。羽根を失くして、肢を失くし、触覚も、胴も。一つずつ、丁寧に捥いでいくイメージが容易に浮かんでしまった。痛くないように、一思いに。ためらいは苦痛をいたずらに助長するだけだ。

 力が抜けて腑抜けたままの少年に向けてまじないをかける。パイプの煙を一層強く吸い込んでその勢いのまま彼に向けて吐き出した。小さな彼の体はすぐに煙に覆われて隠されてしまう。彼を煙に包んで宙に浮かせ、「深く眠れ」と唱えて、空いた手を横一線に薙いだ。

 彼を包んだままの煙は、一瞬にしてこの空間から姿を消す。少しの煙を名残として宙を漂っているのみ。


 少年を煙に巻いて暖かい自宅へ帰した。きっと自宅のベッドで眠っていることだろう。彼は次に目が覚めた時、今の出来事を夢として認識しているだろう。その朝に私がいけにえとして処刑されることになっても、予知夢のように感じるだけだろう。そのように、まじないをかけたのだ。そうなってくれていないと魔女の名に恥じてしまう。

 パイプを掃除して、新しい火を入れる。カップに残った冷めてしまったハーブティーを煽るように飲み干す。風味はかすんでいるが、芯まで熱を持っている頭を冷やすのにはちょうどいい。

 これは言いがかりのようなものだ。戦争が招いた、もしくは人間が持っている身勝手な理不尽だ。だとしたらもう、私は逃げることは許されないだろう。彼らが信じる神様とやらの代わりに彼らに裁かれるようだ。実に馬鹿馬鹿しい。

 

 その日の夜半過ぎ、急ごしらえの馬鹿げた書簡を持った町の使者が私を連れだした。住居と店舗を兼ねた私の小さな部屋に、きっともう二度と戻ることはないのだろう。この場所での暮らしは悪くはなかった。感慨に浸るというよりは、この町の緩やかな雰囲気の中に二度と触れることは叶わないのだということが、ひとえにむなしさを連れてきた。もう彼らに医術を教えることは叶わない。薬を調合してやることも、まじないをかけてやることも、植物を教えてやることも、あの小さな客人たちをもてなすことも、追い返すことも。どれ一つ、叶わなくなってしまった。

 私の刑は決まっていた。日の出とともに決行される。取り消しはない。もう決定してしまったことだから、許してくれと大人たちは少しだけ曇った、しかし決意を固めた顔を揃えて言った。この決断が何一つ間違っていないとでも言うように。もしくは、そう思い込んでいなければ手を下すことができないように、私には見えた。

 魔女だと言われて刑に処されるのだから、火あぶりとでも言い渡されるかと思ったら、どうやら違うらしい。絞首だと告げられた。少しだけ、安心した。火刑は体表をぐずぐずと焼かれながら喉を熱の煙で潰されると聞く。自分が焼かれているのを認識したまま、なかなか意識を手放すことは許されないようだから、長い時間ただただ苦しいはずだ。焼け爛れた喉では、悲鳴も上げられない。絞首であれば運が良ければ一瞬で済むだろう。死体をさらすのは気が引けるが、苦痛はごく短い。

 カミサマとやらに捧げるいけにえになるならば、きっとそれなりの敬意を払って処されるだろう。意識が体から離れた後のことは、私はもうあずかり知らぬことではあるのだが、少々気がかりでもあった。せめて一輪の花を、添えてほしい。看守にそう告げるとそれは約束された。それだけでも、気が少し軽くなった気がした。この町に咲く花はどれも美しい。鮮やかではないし大輪でもない。それでも華麗に咲き誇っている。だから、この町の花がいい。

 憎たらしくなるほど晴れ渡った空の下、人の焼かれる匂いがする。戦場で、町の中で、遠い村で、砂漠で、野原で、市街で、どれもすべて人間の手によって。人間が狩られていく。同じ人間の手によって。

 お前たち人間が信じるカミサマとやらの名前を冠して、私を裁くという。自分たちと違う人間を焼き尽くそうとする。お前たちは、真実を見ようとしない。これが、この所業がお前たちの信じてやまないカミサマの望むことか、本当に?

 戦場の駒に成り下がってとんだ笑い種だ。お前たちに首を括られるのに逃げもしない私も、きっと同罪だ。今のお前を生きるのはお前自身なのに、今の選択をつかみ取るのはお前自身なのに。それがどうだ、この程度か人間は。


 この小さな町の中では戦争は見えない。ただ遠く手の届かない場所で起きている惨事に過ぎない。自分たちに直接降りかからないとこの災いは理解できないんだろう。本当に馬鹿げている。さあ、その縄を私の首にかけてくれ。一つも間違うなよ。私はここだ。私の首はここだ。かけた縄はこれで、切断するのはそちらの縄だ。間違うなよ、切る縄を。


 次の生は、お前たちが悔しがるくらい自由に飛んでやる。だからその時はそこからうらやましそうに見ているがいい。どうせ私には追い付くことすらできないさ。まじないを唱えてやろう。ああ、首に縄がかかる。ささくれだった縄の繊維ひとつひとつが、皮膚に刺さって煩わしい。ああ、今になってとんでもなく愛おしい。馬鹿な人間だ。泣きながら縄をかけられるとは。

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