終:春隣

 ミヤは、姿を消した小瀧こたきをすぐさま探し当てた。ミヤにとって、小瀧を見つけることは難しくないことだから。

 小柄なミヤですらくぐるのが困難な穴の中、寒くて暗くて狭い隙間から、黒く染まりかけている蛇が見える。

 白い大蛇は、黒い小蛇になりかけていた。消えかけていた。

 だからミヤは、


「わたしの『恋心』、返してもらうね」


 尻尾をつかんだ手に力をこめ、小瀧を思い切り引き上げる。そのままそっと、胸元で抱きとめた。


「ミヤ、お前さんなに言って……」

「できるよ」


 ミヤは迷いなく言い切る。


「わたしに力をくれたのは小瀧だよ? 大妖おおあやかしの、小瀧なんだよ」


 小瀧は気づいた。ミヤから強い力を感じることに。


「大妖のおミヤ様。そう呼ばれる日も近いかもね」


 ミヤは――振袖姿のあやかしものは、自分と小瀧の額をこつんと当てる。

 そのまま、小瀧に奪われた『恋心』を、半分だけ・・・・奪い返した。

 途端、小瀧の抱える苦しさが軽くなる。涙がひと粒、落ちて止まる。そして、小瀧を染めかけていた黒も。

 ミヤはというと。


「なんでお前さんが泣くんだよ……」


 頬に、両の目から涙を伝わせていた。


「ミヤ、痛いのか……?」

「うん。胸が締めつけられるみたいに痛い。し、苦しい。それで、なんだかとっても熱くて……嬉しい」


 流れる涙をそのままに、ミヤが笑う。


「おれ、知らなかったんだ……。恋をするのがこんなに苦しいって。でも、お前さんと――ミヤと一緒にいるのは、とても楽しかった」

「わたしも、楽しかった」


 ミヤがそっと、しかししっかりと小瀧を抱きしめる。白く、色の抜け始めた蛇を。


「わたし、忘れてたよ。こんなに苦しかったこと。それを小瀧が持っていってくれてたこと」

「言ったろ、あれはただの気まぐれだって」


 小瀧は、白い大蛇は、ミヤの首筋に鼻先をうずめる。


「それでも」


 ミヤは小瀧からそっと身体を離して、まっすぐ小瀧の目を見つめる。


「ありがとう、小瀧。大好きだよ」


 愛してる――


 ミヤが杖を振るう。金属環がしゃらりと鳴って、寒く、暗く、狭い世界に亀裂が入る。それはあっという間に砕け散って、まばゆい光に満たされた。



 ◇



 はらり。白い花弁がひとひら舞い落ちる。そのうちの一枚が、ミヤが差し出した手のひらに乗った。


「梅もそろそろ終わりかな」

「そうか。春なんて久しぶりだから変な感じがするな」

こっち・・・はずっと冬だったからね。そのうち桜が咲き出すよ」


 穏やかな晴れの日。ミヤと小瀧は、あたたかな陽射しを浴びていた。弱く吹く風が、そっとふたりをなでる。

 そんなふたりだけの世界に、第三者の足音が近づいてきた。


「アキちゃん」


 よう、と片手をあげたのは、目元に皺が目立ち始めたアキヒコだ。


「今は……ミヤひとりか。今日は変わった帯だな。鱗っぽいというか……」

「それはおれだ」


 ミヤの腰に巻き付いていた小瀧が、頭を持ち上げて、「しゃーっ!」とアキヒコの眼前で大口を開ける。

 うわあ!? と尻もちをついたアキヒコを一瞥いちべつして、ミヤの隣におりた。


「お前、結局あのときの女とくっついてたじゃねえかよ子供までこさえて! ミヤはおれのもんだ!」

「小瀧、おさえておさえて」


 今にも噛みつかんばかりの小瀧を、ミヤが苦笑しながらなだめる。「こいつが愛妻家を名乗るのは納得いかねえ……」とぶつくさ言いつつも、小瀧は牙をしまった。


「アキちゃん、ほかの三人は?」

「すぐ来るはずだけど……ちょっと見てくる。少し置かせてくれ」


 アキヒコは肩からトートバッグを下ろして、来た道を引き返して行った。そしてすぐに、同じ年頃の黒髪の女と、小学校にあがるかあがらないくらいの子供たちふたりを連れて戻ってくる。


「アキちゃんもすっかりお父さんになったねえ」

「ケッ」


 感心するミヤの言葉に、小瀧はそれだけ返した。


「ミヤもミヤだ。ここはおれとお前さんだけの場所でよかったじゃねえかよ」

「んー、でもさ。村の人たちで小さな祠作ってくれたし、わたしの白無垢もくれたしさ。決められた時期の数日だけだったら、こっち・・・でみんなと会ってもいいって、小瀧も言ってくれたじゃない」

「そうだけどよ……」


 小瀧は不満そうに、ぎゅりぎゅりととぐろを巻く。

 ミヤはくすりと笑って、金属環のついた杖を手に持った。


「そういえばね、こういうことができるようになったの。見てて、小瀧」


 杖の頭を宙に向け、小さくくるりと回してから横にぐ。

 時期にはまだ早い桜色の花弁が軌跡に沿って現れて、風に吹かれて飛んでいった。



『愛を見つけた少女と、愛を知ったあやかし』


<終>




◆ある日、雪の日、雪だるま


 白い空から雪が降っていた。

 ミヤは和傘をさしている。振袖に描かれた紅線のアンティーク柄と、よく合う朱色の和傘を。くるりと回せば、積もった粉雪がさらりと落ちた。


「そうだ、雪だるま作ろう」


 傘を置いて、袖が濡れないようにしゃがみこむ。


 そして。


「見て見て、これは小瀧!」


 ミヤが息を弾ませながら小瀧に見せたのは、丸っこい蛇らしき雪だるま。

 小瀧はしばし無言でそれを見つめ、


「妙に腹が丸い……。どっちかってえとツチノコじゃねえか?」

「そう思うでしょ? でもね」


 ミヤは白い地面に杖の頭を向ける。しゃららと金属環が鳴って、杖の先で氷が固まっていく。

 そうして、ミヤは自身の身幅よりも大きな氷の花を作り出した。


「ね、これ丸飲みにして」

「……いいけどよ……」


 小瀧はしぶしぶながらも、言われたとおりにそれを丸飲みにする。

 氷の花は、丸い形を保ったまま小瀧の腹部へ送られて、


「ほら、そっくりになった」


 ミヤが作った雪だるまとそっくりの、腹が丸い大小の白蛇が並んだ。

 小瀧は無言のまま、尻尾の先でありったけの雪をミヤにかけ飛ばした。

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恋を失った少女と、恋を知ったあやかし いろは紅葉 @shira_tama10

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