遠くに見える憧れのツリー

枕木きのこ

遠くに見える憧れのツリー

 アパートの階段を上っているとき、何気なく視線を遠くへ伸ばすと、丘の上に建った豪奢ごうしゃな家屋の大きな窓で、カーテン越しにクリスマスツリーが明滅しているのがわかった。

 きっとあの奥では、そのツリーを囲むようにして子どもたちが舞い、若い夫婦がにこやかにそれを眺めているのだろう——、私は重い瞼を重力に任せるまま、ぼやけた世界の中で一人、明滅に合わせて鉄の階段を踏み鳴らした。


 レンジで温めた498円のコンビニ弁当は、母の顔をよく思い出させる。


 私が幼いころに両親は離婚し、母は女手ひとつで私を育ててくれた。日中はスーパーでレジ打ち、夜は街に消え、いつも酒の匂いをまとって帰ってくる。二時間か三時間ばかり仮眠をとると私の朝食を用意してバタバタと家を出ていく。

 いつもスーパーから戻ってまた出るまでの一時間ほどで夕飯を用意してくれてはいたが、その時間が確保できないときは、帰りにコンビニ弁当を買ってきて、

「ごめんね。今日はこれで我慢してね」

 優しく私の頭をなでてくれた。


 だから、思い出すと言っても、それはたいていが横顔か、寝顔だった。

 

 心労がたたって倒れた、と聞いたのは、私が中学二年のときだった。

 授業中に呼ばれ、冷たい空気が張り詰めた廊下で、声を潜めて理科の女教師が言うのだ。

 どこそこの病院に運ばれたって——倒れた拍子にレジに頭をぶつけたって——、彼女も困惑していたのだろう、その声は、だんだんヒステリック染みてきて、声高に、なにより、よく通った。


 病室は騒がしかった。見舞客は私一人だったが、相部屋の老人たちが新聞片手に、隠れてラジオを聞いて盛り上がっているようだった。

 幸いなのは、窓際のベッドだったことだろう。カーテンを滑らせ視界を遮断し、点滴を打たれ眠っている母を眺めた。


 細いな、というのが率直な感想だった。


 昔は快活だった母は、その快活さゆえによく甘く見られた。頓珍漢とんちんかんというか、天然というか、そういう烙印らくいんを押され、要するに小馬鹿にされて、自分より下だと思われがちだった——、という話は、彼女が酒に酔って小学生の私にしてくれたものだ。

 顔も覚えていないが、父もきっとそちら側の人間だったのだろう、というのは直感でわかる。だから別れた。子どもも押し付けた。


 母は弱音を吐かないが——私のことを愛してくれていたが——、それでも、私の存在が負担である事実は明らかだった。どんな付加価値がつこうとも、どんな言葉で飾ろうとも、それは変わらない。

 中学二年生の私にはそれが理解できるくらいの経験と感受性があった。


 病院の屋上は風が強かった。死者の霊をさらっていくためだろう。


 冬の夕方はすっかり暗い。吐く息は白く、澄んだ空によく溶けた。

 そこから見える家々の明かりは、なんだか私には暖かそうに見えた。

 うちとは——あのボロアパートとは、全然違う。

 悲しくなったわけでもないのに、ぽろぽろと涙が出てくる。乾燥した目を保護するためだ——、なんて考えているうちに、むなしくはなった。


 病院の屋上から飛び降りた、と聞いたのは、私が高校三年のときだった。

 冬休み中、半纏はんてんを羽織って受験勉強をしていたときだ。

 母の身体は、連日続けた不摂生と過労で、ぼろぼろだった。

 もう、ほとんど骸骨みたいだった。

 だからその最期は、母らしいな、と思っていた。


 ——最後のひと口を終えて、からになった容器を机上に放ったまま、私はぼんやりと、あの家に住む家族のことを考えた。


 幸せ、を体現しているのだろうか。

 それとも、あの家にもなにか問題があるのだろうか。

 それは例えばどんなことだろう。

 夫婦間のことか、親子間のことか。

 

 私は、本棚に差していた大学ノートを一冊抜き取る。


 私も、あの暖かい窓の中で、ツリーを眺めたい。

 そうだな、できれば母にも見せてやりたい。

 

 鉛筆を滑らせていく。

 もっとこうしたほうが、いいだろうか。

 正解がないから、疑問は尽きない。




 ——翌週、近所で遺体が見つかった。

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