9

 バスから解放された後、近くの病院に運ばれて治療を受けた。しばらく入院することになりそうだ。個室を与えられたのは事情が事情だからだろう。怪我と心理的ストレスを考慮して、事情聴取は翌日以降になるらしい。ユリはぐっすり眠った。東京から魔法学校のカウンセラーが飛んできたの翌日の昼のことだった。


「まったくやってくれたわね」


「わたしのせいじゃないですよ」


「そうは言ってもね。隕石が落ちるなんてそうあることじゃないのよ。それがたった五年の間に二度、同じ人間の周囲で起こるなんてそれこそ天文学的な確率なんだから。魔法の可能性を疑うのは当然でしょ」


 隕石は物凄い音を立てて屋根を突き破ってきた。楕円に近い形で、ラグビーボールより一回りくらい大きいサイズだったと思う。黒っぽいラグビーボールが床に突き刺さると同時に、バス全体が揺れた。


 ――ちょっと、何これ。


 天川テルが体勢を崩した。ユリはその隙に乗じて天川テルに飛び掛った。足を撃ち抜かれたのはきっとこのときだと思う。銃声は聞こえなかった。痛みも感じなかった。それはなぜだか分からない。ユリはそのまま天川テルを押し倒し、銃を奪い取ってバスの後方まで投げ捨てた。


 ――銃を返して。あたしは死ぬんだから。


 ――死なせません。


 それから天川テルはしばらくもがき続けた。しかし、やがて力が抜けたようにぴたりと動きを止めた。次第に五感がクリアになっていく。ユリの体の下で彼女の胸が激しく上下していた。じんわりと膝の痛みが広がり、そして焼けるような熱さがユリを襲った。思わず崩れ落ちたユリを、天川が支え直した。


 ――天川さん……


 ――心配しなくてももう死のうなんてしないわよ。なんていうか、十二時を回った瞬間のシンデレラみたいな気分だわ。いや、目の前でかぼちゃが馬車に変わるのを見たときって言ったほうが正しいのかしら……ああ、もう。この状況は一体なんなのよ。あれってあんたの魔法なわけ?


 ――さあ、どうなんでしょう。


 ユリの答えを聞いて、天川は呆れたように笑った。


「わたしは魔法に向いていないって言ったのは先生ですよ」


「そう、そうなのよね。だから判断に困ってる」カウンセラーはそう言って眉をひそめた。何か考え込む様子だ。「魔法学校がどう考えるか分からないけれど、あなたが望めば訓練を受け直せるかもしれないわね」


「いいんです、もう」


「何か吹っ切れたようね。そうだ、これ現場で落ちてたんですって」


 カウンセラーはそう言ってジーンズのポケットから星型のヘアピンを取り出した。


「よくわたしのって分かりましたね」


「いつだったか、お守りだって言ってたじゃない」


「お守り……ですか」


「違うの?」


「どっちかって言うと背中を押してくれる友人みたいなものですね」


 ユリは受け取ったヘアピンに目を落とした。あなたもがんばったんじゃない――そう語りかけてきたような気がした。


 カウンセラーが部屋を出た後、ユリはヘアピンを髪に挿していた。魔法学校の規律に沿った黒のショートヘアを金色の星が彩る。根暗な自分には華美すぎることはよく分かっていた。兄には似合わないと言われたし、学校で華美なアクセサリーは認められなかった。なのに、ずっと持ち続けていたのはどうしてだろう。


 ヘアピンは時々、ユリに語りかけてくることがあった。それはいつも決まってユリがくじけそうなときだった。思えば、上京する踏ん切りがついたのもこのヘアピンの後押しがあったからだ。何度投げ捨ててやろうと思ったか知れないが、いまもこうして手元にある。いつも結果的にはヘアピンの言うことに従ってきたからだ。


 手鏡とにらめっこしていると、ドアを叩く音が聞こえた。


「どうぞ」


 思わぬ来客だった。さっぱりした髪型の男。バスで隣になった女の子のお父さんだ。


「どうしてここが?」


 ユリの疑問は彼が差し出した名刺によって氷解した。男の名刺には、彼が警察組織の中で属する部署が記されていた。手帳を出さなかったということはおそらく非番なのだろう。これは職務外の訪問だということだ。


「関係者だったんですね」


「バスの中ではずいぶんふがいなく見えたかもしれないけど」そう言って自嘲する。バスの中では分からなかったが、胸板が厚く、スーツがやや窮屈に見えるほどがっしりした体格をしていた。


「あの状況ならしょうがないと思います」


「そう言ってくれると救われるよ」それから思い出したように、「ああ、そうだ。これお見舞いの花」


 男は白いガーベラの花束を差し出した。


「ありがとうございます。でも、いまちょっと花瓶が……」


 花瓶にはすでに黄色のチューリップが挿されていた。それだけでなく、チェストの上には色とりどりの花束が積まれていた。


「またすごい花だね。どうしたの、これ」


「わたしが入院してるって知った人たちがくれたみたいです」


「なるほど。君はそれにふさわしい活躍をしたものな」


「わたしは驚きました。魔法少女崩れなんて後ろ指を差されるだけだと思ってたから」


「君はもうちょっと人の善意を信じるべきだよ。僕ら大人は君たちに一方的に期待を賭けているに等しい。それが実らなかったからって手のひらを返して糾弾するほど非情でも卑怯でもないさ」


「そうでしょうか」


「そうだよ。それにしても本当にありがとう。娘は失礼なことを言ったのに。あの子、バスを降りた後それをずっと後悔しててね。代わりに謝っておいてくれだってさ。あとサインがほしいって」


「わたしのサインなんて何の値打ちもないですよ」


「君はあの子のヒーローなんだよ。自分もあんなかっこいい魔法使いになりたいってさ」


「魔法使い、ですか」


 ユリは自嘲するように言った。


「あの隕石、世間は君の魔法だって騒いでるよ。どこからか君の経歴も掘り出してきてね」


「頭が痛いですね。わたしは『隕石を落とした女』なんて看板をぶら下げて故郷に帰るわけですか」


「いいじゃないか。変な男が寄って来てもその看板だけで追い返せる」


「そうじゃない人たちも看板の前で回れ右しそうですけど。そしたら実家の豆腐屋が潰れちゃいます」


 男はひとしきり笑った後、「そうだ、忘れないうちに」と小さな色紙とマジックを取り出した。ユリは苦笑しながらも色紙を受け取り、マジックをさらさらと走らせた。魔法少女なら誰だって自分が活躍する日を夢見ている。サインの練習だってやったことがないわけじゃない。


「じゃあ、僕はこの辺で。 そのヘアピン、似合ってるよ」


 男はそう言って病室を後にした。ドアがばたんと閉まる。病室は再び静まり返った。水色のカーテンを通して柔らかな春の日差しが差し込んでくる。ここを出る頃にはもう薄着で外を出歩けるだろう。


 似合ってる、か。ユリはひとりごちる。お世辞でもそんなことを言われたのは初めてだ。もう一度、手鏡を覗く。たしかに悪くないかもしれない。この星は自分にこそふさわしい。たった一言のお世辞でそこまで思えてくるから不思議なものだ。心がうきうきと弾んでくるのが分かる。


 そうだ、もう魔法学校の規則に従う必要もない。髪を伸ばして、明るめの色にカラーリングすれば顔の印象だって変わってくるだろう。この星だってもうちょっと自分の雰囲気になじむようになるかもしれない。


 楽しそうね。


 うん。


 これからどうするの?


 これから、か。分からない。でも、小説でも書こうかな。


 小説? 


 そう、人知れず輝く星のように静かな矜持を湛えた魔法使いの話。いまにも倒れそうな花に寄り添ってそっと風除けになってくれるような、優しい魔法使いの話。

 

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わたしたちが魔法少女だったころ 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick

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