見世物小屋 後篇

              4


 縁日の日がやってきた。

 労働時間の終了を告げるサイレンが鳴り響くや否や、コハゼは地下から飛ぶように梯子を上がり、祭りの方へと向かった。


 祭囃子の笛が鳴る。調子の外れた太鼓が響く。橙や血の赤、硫酸銅の青に月光の黄色、鮮やかな提灯が風に揺れる。ポン菓子やベッコウ飴、ヤツメウナギの蒲焼や甘酒の屋台、射的に金魚すくい。年に一度の光景がコハゼの前に広がっている。

 男たちは連れ立って飲み屋をハシゴしている。客引きは今日が客の掻きい入れ時と言わんばかりに声を張り上げている。酔いに任せての乱痴気騒ぎがもう起きていた。


 ポケットに今まで貯めた青銅色の銭をジャラジャラ鳴らし、コハゼは胸を躍らせた。粉モノが焼ける匂いや綿菓子のザラメ砂糖が焦げ付く匂い、胡散臭げな店主が、ハズレは一切無し……とドラ声を張り上げ口上をうたうホウビキに的屋、アセチレンガスのランプが照らす金魚の鱗の赤や黒、その金魚たちは眼が異様に発達したり脇腹から小さな脚が何十本もつきだしていたり、二匹の躰がくっついているのもあった。


 アンズ飴を片手に、金魚すくいか型抜き、どっちをやろうか迷いつつ歩くと、あのときの少女がいるのに気が付いた。頭には斜め掛けの狐のお面。


 お面屋の横の樹に寄りかかり、コハゼを見ていた。

 黒髪は光の加減からかやや藍色がかってみえる、朱鷺とき色の生地に紅絣べにがすりの浴衣、ただ履物だけは底が擦り切れた草履を履き、片手にはレモン色の水風船。


 狐のお面は、隣にあるお面の屋台で買ったのだろう。港で出会った時の女の子がもう一度コハゼを見ていた。

 お面の娘はこちらに手招くような素振りを見せたかと思えば、すぐ人ごみの中へと消えてしまった。



 手に持ったビラを見ながら、見世物小屋に行く。

 見世物小屋。生まれて初めて見るそれは、最初に食べたアンズ飴や、先ほど一匹とった畸形金魚の数倍魅力を持っていた。


 ビラに記されてあった場所へと向かうと、そこには行列ができていた。大きい直方体のテントが張られ、入り口には地獄絵図が描かれた看板が飾られている。看板には、上半身が鳥で下半身が人の奇妙な生き物が、業火で焼かれている罪人の眼球や手足の肉をついばんでいる。

 その看板の真ん中に大きく


迦陵頻伽興行団かりょうびんがきょうこうだん 本日限りの開演! 天然珍禽獣奇人怪人の絶景博覧会!”


 と仰々しい極彩色で書かれていた。

 入口の脇で、丸眼鏡をかけた丸禿男が口上を繰り返している。


「さあさあ、お立合いお立合い……こんなものはもう今日だけしか見られませんヨぉ……。どなたも急いで急いで。イーエイーエ、オッカなくなんかありませんヨ、けれどスリルと迫力だけは保証しますからネ……。入口はコチラでござい……、お化け見る人こちらから。お化けと遊ぶ泡の時、ハイいらっしゃいハイいらっしゃい……モチロンお代は帰ってからで結構ですよぉ……」


 行列が入口へと流れるのに従い、コハゼもテントの中へと吸い込まれていった。




       5


 中へ入るとそこは薄暗く、天井にはガス灯が吊り下げられ赤い光を放っている。通路は一方通行となっていて、両側には棚が置かれてあった。その棚にはガラス瓶が並べられている。


 瓶の中には、畸形の胎児や動物がホルマリン漬けにされていた。

 手足が欠けた赤子や目玉が一つしかない水子、逆に三つも四つも目玉がついている赤子、カエルのように頭部が扁平に潰れた赤子、頭部が二股に分かれたまだら模様のヘビ、脚が三本多い仔犬の死体、頭が二つチーズのようにくっついた牛の生首が所せましと並んでいる。


 どこで手に入れたのか、中には赤子とよぶには少し成長しすぎたシャム双生児型の姉妹や、全身を疱瘡で覆われ皮膚に何本も亀裂が入った幼児の死体などがランプの光で照らされていた。


 瓶の陳列を抜けると、今度は舞台のある空間へ出た。

 舞台の反対側の客席に、多くの客と一緒にコハゼは座った。たちまち、客席はいっぱいになる。

 程なくして、先ほどの口上を述べていた丸眼鏡の禿男が舞台袖から現れ、あの甲高い声で客席に語った。


「お待たせしました皆様に見せるは奇人変人のオンパレードでございます。まず御覧に入れますのは科学が第一のご時世に熱帯雨林の奥の奥、そのまた奥に住んでたサル娘。親の因果か死霊の祟りか、愛い少女のお顔は何とも醜いサルの顔に生まれてきたのでございます……」


 その言葉とともに舞台に出てきたのはサルと爬虫類を混ぜこぜにしたような容貌の子供だった。カエルのように腫れあがった両目、赤い顔中を深く刻む皺、そしてサルのような厚ぼったい唇の少女はボロ布を体に被せられ、嵌められた首輪は鎖でつながれていた。

 何語とも区別がつかない甲高い声で喚きたてる様に観衆は少しどよめいた。

 サル娘が引っ込められると、次の演目が始まった。

 男がタンカをきり始める。


「次に見せますのはげにげに恐ろしき怪人たち……。蘇鉄男に逆さクビに鶴男、蟹兄妹に葡萄男、最後に現れますは提灯婆でございます……」


 そう言うと今度は奥からゾロゾロと畸形が現れる。


 蘇鉄男は全身が裂傷だらけ、手に持った釘を矢継ぎばやに身体へと打ち込む。観客は悲鳴を上げる。不思議なことに血は流れず、土ばんだピンクの肉が覗くだけ。


 逆さクビは面妖な畸形だった。萎えた脚を正座させ、ダラリと下げた両手の平を客席に向け、極めつけに異様に長い首がしなやかに背中の方まで曲がっている。逆さの顔がエヘラエヘラとだらしなく笑い、口の端から唾液を垂らしている。顎は咽喉仏にくっつくほど内側に曲がり、右肩は上がって左肩は極度に落ちている。


 鶴男は脚が針金のように細く、副木を支えにし舞台を歩き回っている。

 手足の指が二本しかない兄妹はおそらく蟹兄妹と呼ばれていたものだろう。


 葡萄男は全身今にも破裂せんばかりの肉腫で覆われていた。彼は舞台の前に仁王立ち鶴男が片手にもった電気メスで肉腫を切り取って見せる。途端、肉腫からは黄土色の膿汁があふれ出し、膿が電気メスの熱で焼かれる臭いがテント小屋に充満した。客たちのなかにはこりゃたまらんと逃げ出すものもいる。


 提灯婆とよばれた老婆は身の丈五尺にも満たぬ小柄だった。それが、どういう躰のカラクリか、身を折りたたんで縮めていくとさらに小さくなり、遂にはそこらの袋に入ってしまいそうなほどになってしまった。


 こんな具合で、舞台には様々な見世物が登場した。

 コハゼはそれらに恐怖しながらも、一時も目を離さなかった。

 その後も碁盤の上で跳ね回る侏儒や九尺を優に超す大男に大女や皿回し、手品、紙細工なんかの演芸が続いた。


「寂しいことに残る演目もあと一つ、お見せしますは瘤娘。親の因果が子に報い、生まれ落ちたは魔性の娘、後ろ姿や髪型に何の変わりがございましょう、あどけないこの少女、今から全裸の丸裸になりますれば、この娘の胸に御注目有れ」


 そう言って出てきたのは、あの女の子だった。



        6


 先ほどの朱鷺色の浴衣姿とは違い、少女は緋の長襦袢ながじゅばん紺縮緬こんちりめんの着物姿で舞台上に正座していた。臙脂えんじの帯をほどき、着物を脱いでゆく。たちまち肌が露出し、その白光りするあでやかさに長い黒髪はよく映えた。


 おおっ、と観客がどよめく。

 コハゼは息をのんだ。


 少女の胸の真ん中に、拳大の瘤が一つできていた。その瘤は、よく見ると奇妙な具合に切れ込みがいくつも刻まれていた。瘤というにはあまりに複雑な皺だった。

 それは、少女のもう一つの顔であった。口に当たる部分には黄色い歯が生え、うっすらと睫や眉の毛なんかも生えていた。口角からはトロトロとヨダレのような液体を垂らし、目が虚ろに客席を見ている。


「花も恥じらう年ごろに、この娘はとうの昔に恥も外聞もうち忘れたか、誰をも恨むすべもなく宿命と諦めたか、少女はこの人面瘡を一生の伴侶とするを選んだ次第でございます……。このバケモノ、生まれつき疳の蟲がチンジャラ憑りつき、いまはこうしていましても、突然タワケ言をメクラメッポーに吐き出すから困ったもの、さあどうか、この哀れな娘に憑りついたカタワのオバケをご覧あれ」


 そう言うと、少女はケラケラと笑った。人面瘡も口から笑い声が発せられた。

 出来損ないの、作りかけの眼球が萎んでは膨らみ、人面瘡は笑ったかと思えば、観客に罵声や猥雑な言葉を浴びせた。少女は片手で瘡を撫でてていた。



「さあ、本日の演目はこれっ限りでオシマイです。お出口は左側でございます。お代はそこで頂戴しますので……」


 客の波に揺られ、コハゼは出口へと流された。だが、コハゼは何回もこう出会うと、この娘が忘れ難かった。頭の中で、彼女の着物姿と、裸体にポックリとできたあの瘤の絵面が彼女の中で妙な余韻を残していた。


 港で会った時からのこの感情に、彼女は困惑し、それ以外の事を考えるのも難儀なほどだった。

 銭を出口に備えてあった木箱に入れると、どうすればよいかもわからず彼女は屋台から外れた通りを放心のままふらついた。


 おそらくそれがいけなかったのだろう。歓楽街をぶらつき酔いどれ工員や浮浪者に襲われる間抜けにはなるまいと警戒を怠らなかったコハゼだが、今日は気分が浮ついていた。

 だから、後ろからの複数の黒い人影にも、その影たちがコハゼを押し倒す瞬間まで気付かなかった。


 悲鳴。怒号。打音。人気のない通りの闇にそれらの音は吸い込まれていく。

 酒と機械油と鉄錆の臭い、醜い父親と同じ滾った肉の感触がコハゼを覆う。

 地面に組み伏せられたまま、嫌悪と絶望を砂利とともに噛みしめているうち、暴漢たちはいなくなっていた。ただ独り残されたコハゼの作業着は破れ、ポケットにとっておいた残りの銭も無くなっていた。


 その晩は三日月だった。



 気が付けば、目の前にあるのはテント小屋だった。看板の飾ってある入口とは反対側、団員たちの出入りする通路が奥に続き、そこからは談笑が聞こえた。


「また会ったね、何してるの? こんなところで」声の主は彼女だった。

「それに、ヒドい恰好じゃないか」女がコハゼに付いた砂埃を払う。

「アンタ、名前はなんていうの?」コハゼ、とポツリと答えると、

「私は名前、ヒカガミっていうの。見てたでしょ、私のコブ」


 そう言って浴衣をめくると、あの人面瘡が露わになった。近くで見るそれは、蜥蜴と人の混血児に見えた。瘡は両眼を閉じ、眠っている。


「コハゼ、お前はここにずっといたいかい? それとも、どこか遠い場所へと行きたいかい?」ヒカガミが唐突に問うた。まるで、心の中を見透かしたかのように。


「もしここを出て行きたいなら、ねえコハゼ、私たちのトコへ着いて来ないかい?」


 そう言って、彼女は着物の懐から巾着を取り出す。巾着袋から丸薬が数粒、ヒカガミの手のひらに転がる。


「コハゼ、あんたは女工だろう。この街で、汚い空気と食いモンで育ったんだ。気持ちのいい眠りなんて味わったこと、無いだろう? このクスリはね、オツムパァの労働者だってグッスリと眠れるんだ。見たことのない夢を、ずうっと見ていられる……」


 手のひらに転がっている丸薬、それには眠りが、夢がつまっていた。


「コハゼ、あんたはこの街でいちばん可愛いね。どうだい、きっと今よりもたのしいさ。毎日、色んな街のお祭りを巡れるんだ。こんなとこで働くよりよっぽどいいじゃないか、ねえ……?」


 そう言いながらヒカガミは、コハゼの乱れた前髪を撫でる。真っ白くて小さい手は白粉の匂いがした。冷たいはずの手がコハゼの額を滑ると、ジンジンと体が火照った。


「ウチんとこの野郎や怪物どもの事は安心おし。アンタに手を出す素振りを見せたらすぐ痛い目に合わせやるから。お前が酷い目に合わないよう、ずっと一緒にいてやるからね……」


 軽蔑していたこの街と、この街の男を見なくても済む。もう、怖い思いをしなくて済む。ずっとこの少女といられる。

 いつまでも眠り続けられる。万華鏡のような夢を見られるのだろう。父親のような男の影も見なくていい、醜いこの工業街の煙も吸わなくていい。ずっと、この少女がいてくれると約束した。


 コハゼは、丸薬を飲み込んだ。




       7


 ヒカガミが、ずっと眠り続けている少女を抱いている。

 一つの宝物を得たかのように。

 少女にヒカガミは呟いた。

 ——コハゼ、お前の手と足を放ってしまおう。お前がどこへも去らぬように。

 ——コハゼ、お前の眼を縫い閉じてやろう、醜いモノを見なくて良いように。

 ——コハゼ、お前に鍵をかけよう、男がもう二度と入ってこれないように。



 三日月の夜の下、静寂。

 その夜、女工が一人街から消えた。

 見世物小屋の一座が去って行った。

 気に留めるものはいなかった。


 


       8

 

 何処かの街でお祭り騒ぎがあると、その見世物小屋は現れる。 

 瞬く間に、興味を持った女工や工員の行列だ。

 中に入れば、畸形の動物に胎児の死体のホルマリン漬けが出迎える。


 もっと奥に進めば、畸人怪人芸人のショウが始まる。手足の無い男にサルのような女、一寸法師のような小人に大男、色んな見世物が客の眼を丸くさせる。

 その見世物の中には、醜い瘡に憑かれた娘がいる。


 そして、娘はもうひとつの肉塊を抱いている。抱かれたそれは手足が無く、両目は縫われて眠っていた。

 四肢の無いそれはまるで洋燈ランプみたいだということで、洋燈の児と愛称がつけられた。

 瘡娘が笑い、人面瘡が罵詈雑言を客に浴びせ、洋燈の児は歌のような寝言を聞かせた。


 ある物好きは、どこかの飲み屋で、見世物が終わった後に出来心から舞台裏を覗いてみたことを語る。

 ——あの瘡娘は、あの後もあれを抱きながら楽しげに話しかけていて、あれも娘に応えるかのように、空うつつに寝言を返していたようだった、と。  


 酔っ払いの語った噂は、何ということもなく街から忘れ去られていった。

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見世物小屋 ミヤマ @miyama_book

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