見世物小屋
ミヤマ
見世物小屋 前篇
1
地下に設けられた
コハゼは共に働かされている少年少女の群れにまざって此処と地上の工場群を繋ぐ階段を上がる。
地上に生えている煙突の間から見える月は、立ち上る灰緑色の煙で霞んでいた。サイレンが工員に労働時間の終了をつげ、工場が煤に汚れたヒトの群れを吐き出している。この黒い点々はそのまま今日の賃金をカストリ酒をだす酒場と風俗の歓楽街へと向かっていった。
ネオンの密集する街を背にして、薄暗い夜道をコハゼは足早に駆ける。手にはゴミ捨て場の金属片を研いで作った手製のナイフ。切れ味は悪いが、十一の子供が暴漢を撃退するのに多少の役には立つ。冷たい刃の側面を指の腹でなぞりながら、コハゼはもう数日後の縁日に胸躍らせていた。娯楽がほとんどないこの街での年一回の行事だった。
途中、コールタールのへばりつく道の脇に工員の死体が一つ転がっていた。作業着は機械油のシミが幾つもできていた。脇腹は一文字に裂け、腸がはみ出ている。おおかた、酔っぱらった挙句に同じ酔っ払いかヤク漬けの浮浪者と喧嘩で刺し違えたのだろう。
コハゼは死体がまとっている服のポケットを漁る。緑青まみれの小銭が六枚とシケモク二本、それと国造抗精神薬が七日分。それっきりだった。誰かに取られないうちにそれらを掠める。
特に薬は有り難い。これがあって初めてコハゼは、工場街の住民は眠ることができた。政府が毎月一定量を支給しているこの薬は、工場から舞い上がる鉄粉や酸性ガスで壊れた睡眠機能を補ってくれる。オーバードーズすることで心身の疲れをかき消し、幻覚を見る”クルクル遊び”も大いに流行っている。だからこそ規定された支給量では足りず、いくらあっても多すぎることは無い。
シケモクをふかしつつ自宅へ着いたコハゼは畳に寝そべり、薬をぱくつく。効果は迅速に表れる。虹色の幾何学模様が空間に浮かんでは組み合わさって溶けていく。部屋の四隅は歪んで壁が回転しだす。薬缶や欠けた皿が青白く発光してシャンシャンと鳴り響く。居間は原色と音に満ちたパノラマ万華鏡となっていた。畳に目を向ければ、細長い楕円形の精液跡が這いずりまわっている。蛞蝓の群れ。もとはコハゼの父親の放出した群れだ。コハゼの中へと出され、垂れ出た蛞蝓。群れは鳴き声を上げる。父親の罵声。幼いコハゼの喚き声。ああ、いけないとコハゼはとっさに仰向けになって視線を天井に移した。せっかくのクルクル遊びもバッドトリップに回ったのではかなわない。天井は白く光って笑っている。
そんな幻覚作用も効果が切れ、部屋は灰色に戻っていた。煎餅蒲団に潜り込み、いつも行う就眠儀式。目を瞑り、ここではないどこかを想像する。灰色のこの街ではないどこかを自分を。そこを
2
夢に出てきたのは、父親と母親だった。
三日月の晩に初めて父親は子を犯した。子の頭をつかんで寝間へと連れて行き、衣服を破り捨てたかと思うと、そのまま一物で肉を裂いた。子が痛さに耐えかね泣き喚けば、畳に頭を叩きつけ、罵声を浴びせた。デップリと肥えた身体に染み付いた機械油と煙の臭い、コハゼの頭中に吹きかかるカス酒のアルコール臭も伴いながら。
父親は、工場の圧搾機に巻き込まれて圧死するまで、子を犯し続けた。その一物が扁平になり、砕かれた骨やらズタズタの五臓六腑やら腸の中身や宿便が一斉にはみ出した亡骸を、夢の中でコハゼはゲラゲラ笑った。
コハゼの整った顔は、娼婦として中流階級を相手にしていた母親から遺伝したのだろう。しかし今夢の中でコハゼの前にいる母親の死体は、自慢にしていたクリーム色の絹のローブはひん剥かれ、その裸には幾筋もの鞭の痕が背中から爛れた陰部に至るまで走っている。顎は限界まで破砕され、そのせいで口の両端は耳まで裂けており、両眼球は抉られ、代わりに大便が眼窩にこんもりと詰まっている。鼻はひねりつぶされ、一条の筋肉でかろうじて顔にぶら下がり、ゼリー状に固結した血の塊と人糞に顔中まみれていた。
ある日突然、黒いスーツ姿の男が放り投げるも同然に家に届けたケース詰めの肉塊はそんな有様だった。サディズム嗜好の成金客にでもあたった、その成れの果てだった。
だから、コハゼはこの街と錆と機械油のにおい漂う工員を嫌い、彼らに身を売る男も女も嫌った。
3
年に一度の縁日まで、あと三日に迫っていた。
その日の夜、コハゼは歓楽街を抜けて港へと向かっていた。
通り抜ける中、飲み屋の工員が酔いに任せてここらに出回っている噂を話している。
いわく、最近質のいいドラッグが取引されているだとか、自分のような労働者がずっと眠ることのできるクスリがあるらしいという事柄だった。
こんなところを、子供一人うろついていてはどんな目にあわされるか分からない。現に、ここで女工や男娼が
港には、工業廃水をたっぷり吸って成長した月蟲がいた。
港近くに住む浮浪者には、その形と色合いから月蟲などと呼ばれていた。これが縁日の為にここ数日節約しているコハゼの飯となっていた。丸く太った肉が、黄色い甲殻に包まれ、茹でると緑色の糞を出した。
麻袋に何匹か詰めていると、コハゼは目の前に一人の女の子が立っているのに気が付いた。コハゼよりも高い背丈で、月蟲を拾っていたコハゼを見下ろしている。
少女は飴色のスカートをはいていた。少女の黒髪は、コハゼとは反対に腰までかかりそうな長さで、海からの
女の子は片手に束になったビラを持ち、向こうからコハゼを見つめていた。
コハゼの方向へ歩み寄り、彼女はビラを一枚渡した。背丈はコハゼより少し高かった。
「この街でもうすぐ、縁日があるんだろう? これ、是非見に来て頂戴な」
そのビラは、見世物小屋の宣伝だった。そう云ってビラを渡すと、コハゼの元を立ち去って行った。
ビラには
“
と開催場所や日時とともに記されている。
満足に文字の読めないコハゼだが、これが面白そうなものだという関心は湧いた。
さっきの女の子は、この一座の仲間なのだろう。
帰り道、頭の中で何度も、あの娘の姿が浮かんだ。
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