サンタは大仕事の前にちょっとした奇跡を起こす

 電車から降りると、冷たい空気が頬を刺した。彼は大きな体をぶるっと一つ震わせた。




「あ、サンタさんだ!」という叫び声に彼は驚いて振り返る。サイズの大きすぎるコートを着た男の子が、母親に握られていない方の手で大きな広告看板を指差していた。お馴染の赤と白のコートを着たサンタクロースが、おいしそうにコーラを飲んでいる。多少腹が出すぎてはいるが悪くない。彼は反射的に自分の腹に手を当てた。そう言えば、最近少し出てきた気がする。まぁ、この時期は仕事が忙しいから、心配しなくても年末までには少し痩せているはずだ。




 外は雪が降っていた。ちらちらと舞うように降る、積もる前に消えてしまうような儚い雪だった。いや、それでも朝まで降り続けば、うっすらとは積もるかもしれない。起きて外を見た子どもたちが、歓声を上げるのに十分なくらいには。


 やがて、鈴の音が聞こえてきた。さて、仕事の時間だ。彼は鞄からお馴染のコートを取りだすと、颯爽と羽織った。が、やはりおなかのあたりが去年より少しきつい気がする。鈴の音がどんどん大きくなる。あれかな、と彼が雲の片隅に影を見たと思った次の瞬間には目の前にソリが到着していた。突風が巻き起こり、近くにいた人間たちが短い悲鳴を上げる。




「おいおい、あんまり無茶はするなよ」


「なーに、どうせ見えないんだ。問題なし」


 一年ぶりに会うルドルフがニヤリと笑った。人々にはあまり知られていないようだが、彼らは人間の言葉を話すことができる。かなり流暢に。


「まったく」


 そう言いながら、彼はトナカイの鼻に触った。「元気だったか、ダッシャーにダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドナー、ブリッツェン」


「毎年思うんだけど、全員の名前を呼ばなきゃダメ? 今夜はどんなに時間があっても足りないんだけど」


「やれやれ、せっかちなのはお前の悪い癖じゃよ。そもそも、わしの家まで迎えに来てくれればもっと早く出発できるんじゃがのう。サンタがトナカイとの待ち合わせ場所に電車で向かってるなんて知ったら、子どもたちはさぞがっかりするじゃろうな」


「あの辺、似た家が多くてわかりにくいんだもん。去年なんか危なく隣の家のおじさんをソリに乗せるところだった。それに、見たところまた太ったみたいだから、動いたほうがいいよ」


「ふん、余計なお世話じゃよ。なんせ、日本は少子化とはいえ、こんなにリクエストがあるんだ。全部配り終わる頃には、ポールみたいになってるさ」


「ポールって誰?」


「マッカートニーじゃよ。ポール・マッカートニー。同い年なんじゃ」


「知らない」


「ルドルフ」と言ったのは、ダッシャーだ。「おしゃべりはこの辺にして、仕事に取り掛かろうじゃないか」


「そうじゃな」とサンタも頷いた。




 のっそりとソリに乗り込むと、えへんと咳払いをしてから、「ホーホーホー!」と声を張り上げる。


「え、早くない? 普通、飛んでから言わない?」と指摘したのは最後列右側のドナーだ。


「発声練習じゃよ」


 サンタは手にした手綱を勢いよく引いた。九頭のトナカイたちが一瞬後退ったが、次の瞬間にはすでに宙高くに浮かんでいた。眼下には白銀の世界と、家々に灯る無数の温かみを帯びた明かりが輝いている。




「さてと、まずは……うん?」


 サンタは不穏な雰囲気を感じ、街の片隅に目をやった。


 交差点に水色のバスが差し掛かるところだった。気になったのは、交差点の先に黒猫がいたことだ。飛び出してきたりしなければいいが。サンタがそう思った次の瞬間、果たして黒猫は道路に飛び出した。バスは驚いたように、急に進路を右へ変える。と、おそらく凍った路面にタイヤを取られたのだろう。右へ左へとよろめきながら、かなりのスピードで交差点の角に立つ標識に向かって突進していく。ちょうどその時、一人の女性が標識の前を通りかかっていた。赤いコートを着て、手には大きなケーキの箱を持っている。危ない! 女性はバスのヘッドライトに気づき、立ちすくんだ。手から白い箱が落ちる。




 サンタはすかさず右手の人差し指を空に向けると、ふわっと中空に円を描いた。




 パーン!!




 巨大なクルミが弾けるような音とともに、七色の光の粒が空を覆った。まばゆい閃光にトナカイたちが顔をそむける。彼らは目をつむることができないから、しばらくは目がくらんで何も見えなくなった。やがて視界が戻ると、眼下には平穏な街が再び現れた。




 先ほどの水色のバスは見当たらない。と、交差点の少し先のアパートからパティシエのような恰好をした背の高い女性が現れ、寒そうに肩をすくめながら足早に交差点を渡っていく。そこにようやく水色のバスが姿を現した。何事も無かったように交差点を通過し、少し先のバス停に停まると、鉢植えのモミの木を持った若い男が降りてきた。


 赤いコートの女性の姿はなく、落ちたはずのケーキの箱も見当たらなかった。そこにあったのは、静かなクリスマス・イブの光景だった。




「何をしたんだい?」とルドルフが後ろを振り向きながら、大きな声で尋ねた。


「なぁに、大したことはないさ」


 サンタはあごに蓄えた白いひげを撫でながら言った。「クリスマス・イブの夜には普通に起こる奇跡をいくつか起こしただけじゃよ」


「ふーん」


「ねぇ、ちょっと気になったんですけど……」と遠慮がちに言ったのは最後列左のブリッツェンだ。


「うん?」


「クリスマス・イブって、12月24日の夜のことだと思うんですよ。ってことは、『クリスマス・イブの夜には』って夜って二回言ってません?」


「たしかに」と隣のドナーが同意する。


「なーに、細かいことは気にせんことじゃ」とサンタは笑う。「さてと、仕事に移るとするかのう」


「オッケー。そう来なくっちゃ!」


 ルドルフは嬉しそうに前足を上げると、一段と大きな声で嘶いた。




 ホーホーホー! サンタの笑い声が街を包み込んだ。

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クリスマス・イブの夜には Nico @Nicolulu

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