第四章【キルシュトルテ西方魔領】

「お、おおお嬢様。ご、ごきげんよう……?」

「……ええ。お疲れ様です、皆様。ああ、そんなにかしこまらないでください。お酒の席でしょう。さあ座って、私に構わず続けてください」

 騎士全員が立ち上がり、ひとりから妙な挨拶を貰い、少しだけ怯んでしまった。なるほど。酒場では、私は『要らない』らしい。想像はしていたけど、やっぱり寂しい気持ちがある。

「済まない諸君。ハルト・ストーンブリッジがここに居ると聞いたのだ」

「なんだシャルロッテじゃねえか。……ねえですか。ハルトの奴なら、向こうの席に居るぜ……ますぜ」

 ぎこちない敬語。恐らく普段は一等騎士の彼女に対して敬語を使っていないのだろう。女性は戦闘能力で平均的に男性に劣るとは言え、彼女自身は正に実力で一等騎士になった。彼女は、この場に居る誰より強い。『だから』彼らの上司なのだ。その辺りの指導をできていないのは、騎士団長と私の責任だろう。

「ありがとうございます」

 だけど、今は用事が違う。私は見回して、ハルトを見付けるとそのテーブルへ近付いた。

「ごきげんよう、ハルト」

「……おっ。噂のファルカお嬢様」

「……噂?」

 ハルトは私を見付けると、また嬉しそうな表情をした。先程までは、他の騎士とテーブルを囲んでいたようだ。彼のカップにはミルクが注がれている。お酒は飲めないのだろうか。

「いや、あんた本当にお嬢様なんだな。店の空気が一瞬で変わった。凄え」

「……それは、どうも」

「と、ホルスタ……いやホルシュタインさんも来てたんですね」

 私が彼の向かいに座ろうとすると、店主が奥から新品の椅子を持ってきた。そこまでしなくても良いのだけど、その厚意を無下にはできない。目を合わせて礼を言うと、物凄い勢いで頭を下げた。

 確かに、普段は『こんなではない』だろう空気を感じる。皆私に気を遣いすぎなのではないだろうか。こんな、ただの小娘に。

「それで、何か用か?」

「おい貴様」

「?」

「!」

 ハルトが私へ訊ねた瞬間に、シャルロッテを含む『全員が』『剣を抜いて立ち上がった』。

「ファルカお嬢様へ無礼が過ぎる。来店時に立ち上がらず、挨拶もせず。あげく、その言動。……それを『愚弄』と言うのだ。騎士団、いやキルシュトルテへの愚弄。死んで償え」

「えっ……えっ?ちょっ……」

 シャルロッテが剣を振りかざした。彼女の剣は速く鋭い。人の首など果実の如く真っ二つだ。

「待ってシャルロッテ。待ちなさい」

 私が止めなければ、シャルロッテはやるだろう。先程殺すのに反対していた彼女だが、私のことになると『本気』だ。

「『剣を下ろしなさい』。ここはお酒の席よ?シャルロッテ、貴女私の街で血を見せるつもり?」

「……!」

 そこまで言って、彼女はようやく矛を収めた。

「申し訳ありませんお嬢様。ですがこの男は流石に……!」

「ちょっ……おいおい物騒だな。何が悪かったんだ?無礼ったって、普通に話してるだけだろ?ファルカとは同い年くらいだし、別に」

「この……!お嬢様を『呼び捨て』だと!?」

「シャルロッテ!」

 私もこの時、分かった気がする。彼の『礼』というものが。彼は、『年齢』を判断基準にしているのだ。だから、歳の近い私には敬語を使わず、歳上のシャルロッテに敬語を使った。命の恩人は別かと思ったけれど、そういう訳でもなさそうだ。

「……??」

 何故怒られているのか本当に分からないと言った表情。それは、彼の世界の文化なのだ。もしかしたら彼の中では最大限、私達へ礼を尽くしていたのかもしれない。

「……ハルト」

「はい?」

 シャルロッテは私に止められ、行き場の無くした拳をわなわなと震わせた。それからゆっくりと下ろし、深く深呼吸をして彼の名を呼んだ。

「このお方……ファルカお嬢様はここキルシュトルテ領の領主アロイス様のご息女だ」

「知ってるぜ」

「今はご体調が優れず伏せがちなアロイス様に代わり、実質この西方領を治めているお方だ」

「それは凄いな」

「お嬢様のお陰で、我々もお前も、こうやってのんびり酒を飲んでいられる。それは感謝しなければならないことだ」

「確かに」

「命を、守られているのだ。その責任を負ってらっしゃる。……『敬意』が必要だろう」

「その通りだな」

 ひとつひとつ、砕いて説明する。ここまで丁寧に教えてやったからには『理解しろ』と、シャルロッテは言外に含ませている。

「『だが』、関係無え。人と人の間に差は無い。同い年の子に敬語使えって、そんなのおかしいだろ。どこの生まれだろうとどんだけお金持ちだろうと、俺とファルカの間に『格の差』は無い筈だ」

「『だから』!敬えと言ってるんだ!ハルト!」

 シャルロッテはついに爆発した。剣の柄に手は伸びていない。斬るつもりはなく、ただ怒ったのだ。

「誰でも『領主の娘に生まれればこうなる』とでも言いたいのだろうが、『だが』『それでも』『実際に領主の娘として』『日々心身を削られているのが』!……『このファルカお嬢様』だ!馬鹿にするなよ異世界人。ここはキルシュトルテ領で、貴様よりお嬢様の方が『民のため』に働かれている。『だから』お前は、この領地ではお嬢様を敬わなければならないんだ!」

「……っ!」

 その迫力に、眼光に、言葉に。どこか得意気だったハルトは驚愕し萎縮し、固まってしまった。一等騎士であるシャルロッテの怒気は本物だ。あれに充てられたら私だって少したじろいでしまうかもしれない。

「その、お前の持っているカップは!飲んでいるミルクは!座っている椅子は!『誰のお陰で』お前に提供されていると思っているんだ!?」

「…………!」

「ハルト!」

 だが、彼女は優しい。一方的に捲し立てて去るのではない。彼女は彼女自身の気晴らしに怒鳴ったのではなく、彼を改心させ、更正させようと叱ったのだ。自分が助けた手前、ある種責任感があるのかもしれない。

「……も、申し訳、ありません……でした」

「…………」

 再度、シャルロッテが睨む。

「…………ファルカ、お嬢様」

「よし」

「!」

 彼がそこまで言って、ようやく彼女の表情から鬼が消えた。そうして、シャルロッテはハルトの隣に座る。

「声を荒げて済まなかったな。だが大事なことなんだ。……さあ、理解してくれたならもう大丈夫だ。お嬢様、失礼いたしました」

 彼女は優しくハルトへ語り掛けた。彼はまだ、少し放心気味だ。

「……シャルロッテ」

「はい」

「貴女やりすぎよ。私の立場が無いじゃない」

「は……」

 私は居たたまれなくり、立ち上がった。こんな空気の中、どうやってハルトと会話を続けるのか。

「皆様。ハルトも。ごめんなさいね。出直します。お騒がせいたしました。それでは」

「お、お嬢様っ」

 この場に居た彼ら全員に、後で謝っておく必要が出来た。

 頭が痛い。あれだと、『私は偉いんだ』と大声で触れ回っているようなものだ。恥ずかしいったら無い。

「ちょっ!ちょっと待ってく!……ださい!」

「!」

 お店を出て少し歩いた所で、後ろからハルトの声がした。慌てて追い掛けてきたようだった。

「……ハルト」

「ファルカ……お嬢様!」

「!」

 彼はずんずんと近付いてくる。何かを『決断した』表情をしていた。父がよくしていた表情だと、不意に思い起こされた。

 目が合う。彼は何かを言うつもりだ。『今だ』と、彼の心が叫んだのだろう。『そんな様子』を、私は昔からよく見ている。

 弱々しく、邪気も覇気も無い少年だけど。

「俺!騎士になりたいんだ!」

「!」

 その宣言の瞬間だけは、万国共通、キルシュトルテ領の多くの騎士と同じ『決意』が伝わってきた。

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