第五章【異世界に転移するということ】
魔法とは。
主に魔物が使用する不思議な力だ。火を風を、水を操る。自然界で発生する現象を『再現』するのだ。山火事に突風に雷。それらは我々人間の『脅威』であり『災害』である。つまりハルトの言う『異世界転移』という現象を魔法と呼ぶのなら、【自然現象】か【それを操る魔物】の仕業ということになる。勿論そんな魔法は聞いたことが無いし、そんな自然現象も魔物も知らない。
だけど魔界のことは詳しく分かっていない。『新種の魔物』くらい、このキルシュトルテ領では毎年のように見付かっている。
「…………そ」
私は目を見開いて、彼女を見た。驚いたのだ。まさか、そんな。だって。と。
「……冗談よね?シャルロッテ」
「いえ。事実です。つい昨日のことです」
あれから。
ハルトが騎士になりたいと言ってから。まだ3日しか経っていない。
「お嬢様」
「……騎士団長」
シャルロッテの隣に立つ男性。騎士団長が説明する。私は注意深く聞く。信じられないことだからだ。
「ハルト・ストーンブリッジ。彼は騎士に志願し、私の元にやってきました」
「ええ。私がお願いしたのよ」
「そこでまず、彼の現状を知るために簡単な試合と、訓練を行いました」
「……はい」
「結果、彼にはまず基礎的な筋力と体力が必要と分かり、初歩的な訓練から開始しました」
「はい」
「そして、昨日。彼は『除隊』を私に宣言しました」
「……はい?」
いきなり、彼の説明が意味不明になる。除隊?
「……何かあったのですか?怪我や病気の発覚など……」
「いえ。ありません。勿論新人いびり等も」
「では何故?」
「『訓練がキツい』からだそうです」
「…………」
…………。
そんな馬鹿な。
「訓練の内容は?」
「こちらです」
騎士団長はトレーニングメニューが書かれた紙を私に提出した。確認する。特に厳しいことは無い。私が5年前に指導して貰った内容だ。
「ご覧の通り、お嬢様がクリアした内容です」
つまり、これまで運動をしたことのない12歳の小娘がこなせるメニューだ。
「間違いないのですか?」
「はい。私が直接見ていたのです。書面以上に彼を苦しめるようなメニューを課したことはありません」
「…………」
異世界からやってきた人は、とても弱いのだろうか。
そう思ってしまいそうだけど、事前にハルトにどれくらいの体力があるかは騎士団長が測っている。ベテランの彼が見間違うことは無いだろう。
呆気に取られるとはこのことだ。彼から。言い出したのだ。『騎士になりたい』と。
「お嬢様」
「はい」
「ですが彼は……我々に対して謝罪をしました。頭を地面に付け、深く謝罪を。そうまでされては、こちらが折れるしかありませんでした」
「そう……ですか」
「私が見るに、彼は何かを『勘違い』しているようなのです」
「……勘違い」
騎士団長は自分で奇妙なことを言っているのを自覚しているように、顎を撫でながら口を開く。
「まるで……『楽に強くなれる方法』が、『この世界にはある』と思っているような素振りが。騎士団に入ればすぐにでも魔物を討伐できると勘違いを」
「……楽に強く」
「彼の世界ではそうだったのかと思ったのですが、彼を見る限りはそうも思えず」
「…………」
あらゆる意味で、前代未聞。志願して1日で辞める者など、私は聞いたことがない。あの日の表情を見る限り、冗談で志願したとも思えない。『本当に』『楽に強くなれると思い込んでいた』のだろうか。
「それで……どういたしましょうか」
「……分かりました。もう一度、話してみます。今度はふたりきりで」
彼の真意を、見定めなければ。『結局時間の無駄でした』が一番要らない。彼は、本当に、何者なのか。
これ以上キルシュトルテ領を掻き回すなら、私も厳しい判断を迫られることになるだろう。
――
――
「ごめん」
開口一番、彼は私に謝った。あの日の表情は見る影も無く、しょんぼりと項垂れていた。
「一体……どうしたのよ」
本来なら。私は彼を怒って責め立てるだろう。その権利がある。だけど、彼に関してはそれは逆効果だと思う。私は彼の話を聞くことに専念しようと思った。
「いや……もう本当に、俺が悪い。なんていうか……調子に乗ってたんだ」
今日は彼を執務室に招いた。ここでなら邪魔は入らない。
「良いわよ。怒らないから、全部話して?」
「…………」
そう言うと、彼はゆっくりと語り始めた。
彼が思っていたこと、期待していたこと、そして打ち砕かれた現実のことを。
――
転生。転移。チート能力。ハーレム。勇者。婚約破棄?悪役令嬢?ダンジョン?スローライフ?
……夢が、あったのだと言う。『異なる世界へ行く』ということに。
ある者は苛めを受けて。ある者は仕事もせず。……責任の所在に関わらず、社会に対して不満を持ち、弾き出された者。彼らは遊戯や小説などで『現実逃避』をする。つまり『苦しい現実から、全く別の世界へ行き、成功したい』という欲求があるのだ。
そして。そんな欲求を満たす『小説』があると。彼の世界では今、それが溢れていると。
ああ、これかと思った。……ハルトは出会った時、最初にそう言った。彼も、そんな『小説』の読者だったのだ。
「貴方の世界は、苦しいのですか」
「……いや」
私の質問を、彼は否定した。
「俺の国は戦争も無く、技術も高いし、お金に余裕もある。『あんな訓練を毎日して、あんな化け物と日々戦って、勝たないと生きられないような』この世界とは全く違う。比べたら、俺の悩みなんてゴミみたいなものだった」
彼は終始項垂れていた。
「甘く見てた。俺は自分が、『物語の主人公』だと無意識に勘違いしてたんだ」
「…………」
その日。ハルトがこちらの世界に来た日は、彼の誕生日だったらしい。だけど、誰からもそれを祝ってくれず、忘れ去られ、孤独を感じたのだと言う。
「でも、友達を作る努力もしなかったし、居てくれても見下していた。俺は……」
「ハルト」
「…………」
私は、何と声を掛けるべきか。『楽しそうにしていた彼』が『現実を知ってうちひしがれている』。今はもう幼さは感じられない。
「『これから』、何をするかでしょう。ハルト」
「……え?」
私には、彼の気持ちは真には分からない。だから、こんなありきたりな言葉しか出てこない。だけど。
それが本心だ。彼をどうにかしてあげたいと、強く思った。同い年の彼が、私の目にとても『弱く』映ったのだ。守ってあげなくてはならないような。
「起こった現実は、どんな魔法でも変えられません。ならば未来をどう生きるか考えましょう。嘆いていても現実は変わらない」
「……っ!でもっ……!」
「大丈夫」
「!」
私は自然と、彼を抱き締めていた。『可哀想』だと思うのだ。『そんな精神状態で本当に転移してしまった』彼を。
「今日は嘆いて良い。だけど明日から、考えましょう」
「……うぅ……!」
彼も、強く私にしがみついた。頬を胸に擦り寄せ涙を流す。そうだ。辛かったのだ。彼は。いきなり異世界に来て。知り合いも居なくて。
「……おか……さん!」
味方が欲しかったのだ。
「……ええ」
帰りたくないなど、嘘だ。彼はそこまで自分の人生と世界を諦めてはいない。
転移は、事故だ。『精神に異常を来す程の』。魔物に近い、西方魔領ならではの事故かもしれない。
となると、私の責任だ。彼をなんとしても、元の世界へ送り返してあげなくては。
彼を優しく抱き締めながら、私の瞳には決意が灯っていた。
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