第36話
電車の向かいに彼はいた。平成2022年の単行本を読んでいる。読書中に躊躇ったが声かけた。
「市橋?」
本を指で挟み、見上げる。眼鏡をかけて髪を整えた男性がいた。額の傷は相変わらず残っている。
「浦賀か?」
「声ひっく!」
「バカ。でけえよ」
変わってないなと嬉しそうに言う。
俺と市橋は電車を降りて、近くの酒場に入った。彼は少しだけなら話せるらしい。
「こんなところで会えるとは思わなかった」
「奇跡的な再開ってやつだな」
「浦賀は相変わらずだな。あ、ビールでいいよな」
俺は酒が来るまでに学生時代を話した。友人の北野は留学先で就職したし、月子は街を転々としている。あの楓友達だと自慢したけど信じてくれなかった。
「市橋は何しているんだ」
「俺はぼちぼちだな」
注文された酒が届き、ジョッキを口につけている。その持ち上げた薬指に銀の指輪が付けられていた。
「転校先はいい所でさ、そこで彼女とかできたわ」
酒の泡が薄くなり、黄色の水面に俺が写る。波が立ち、顔が四つに割れた。
「悪かったな」
「別に気にしてない。それよりさ────」
時間は残酷にすぎ、彼と別れた。
その帰り道に、ふと横を見る。そこにはホテル跡地があった。鳥越と一緒に泊まった格安ホテルだ。不祥事があったから潰れたらしく、あの頃の輝きが失せている。
「高校の頃か……」
俺は高校の頃を思い出せなくなってきて、後付けされたエピソードを引き出すことしかできない。その度にある言葉だけ浮かぶ。
自分のことをもっと信じればよかった。
月子に要のことを早めに報告すれば丸く収まったし、楓の説明を鳥越にするべきだった。俺には根拠ない自信が必要だったけど、今更だろう。
久しぶりに平成2022年の本を読み返したくなる。俺は帰宅を急いだ。
平成2022年 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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