第3話 聖夜のアイス

 そして聖夜。

 街並みは言わずもがなクリスマスカラーで彩られ、街行く人のほとんどが男女のペアという怪奇な現象が起こっている中、秀太は居候先のリビングで粛然とした姿勢を取っていた。

 外出先から帰ってきた秀太は私服のまま、コートも脱がずに正座をしていたのだ。彼の眼前にはソファに腰かける従姪の姿があった。

 クリーム色のニットに、柔らかい生地のショートパンツという家着姿で、ののは苛立った眼差しで秀太を見下ろした。黒タイツに視線を奪われそうになるが、彼女の脚を組み替える仕草にも、食卓に置かれたままのローストチキンの香りにも、秀太は気を取られている場合ではなかった。


「それで? おにぃは今日、次期生徒会長さんとどこへ行ったのかな?」

「ま、街をブラブラしてきました」

「具体的にどうぞ」

「ざ、雑貨屋を覗いたり、喫茶店で休憩したり、ショッピングモールに行ったり……」

「はぁ? イブ当日に、そんな気の利かないデートってある?」

「デートじゃない! 断じて!」


 容赦ないののの尋問にたじたじの秀太だったが、その言葉だけは語気を強めた。しかし、強い拒絶は得てして相手に疑問を抱かせるものだ。ののに言い咎められるまで、秀太は自らの主張のおかしさをこの時点で気づいていなかった。


「だったら何なのさ。可愛い姪っ子を家にぼっちにさせておいて女と出かけることの、どこがデートじゃないって?」

「一週間違えたんだよ! まさかイブがすぐそこまで迫ってきてるとは思ってなくて……」

「おにぃ、何か隠し事してるでしょ? バレてんだからね」


 秀太は正直、このような展開になるのを覚悟していたのだが、家に帰ってから五分と持たないとは予想していなかった。秘密の習慣を共有している義兄が、自分じゃない他の異性と別の秘密を持とうとしている。ののはきっとそれが我慢ならないのだろう。

 互いに心意を量りかねて、淡い関係が氷菓みたいに今にも溶けてなくなっていくようで、その先にあるのは耐え難い喪失感だろうか。ともかく、従姪の機嫌を直すためには真実を語らねばならないようだ。

 秀太は縮こまった背中を伸ばし、毅然として口を開いた。


「か、隠し事をしたのは、俺じゃない」

「じゃあ誰!?」

「サンタだ」


 ののが呆然としている間に、秀太は素早く立ち上がって玄関の方へと出て行った。そして、すぐ戻ってくると、彼は袋に包まれた大きなプレゼントを抱えていた。ののは秀太に促されるまま、手渡されたものを開封する。

 袋の中身を覗いた瞬間、ののは固まり、秀太とプレゼントを交互に見遣った。本当に欲しい物を手にした人の表情は、戸惑いの強さが際立つものだ。ののはまさしくその顔をしていた。

 彼女の反応が好感触だったので、秀太は安堵し、用意していた台詞をゆっくりと噛まないように読み上げた。


「さすがはサンタだよな。高校生にもなって大きなクマのぬいぐるみが欲しいだなんて、今さら言えなくて困ってる女の子のところにも来てくれたみたいだ」


 生徒会室でたまたま見かけたチラシに、テディベアの写真が載っていた。秀太はただ純粋に、義妹の喜ぶ顔が見たかったのだ。急に大人びて、危なっかしい色気さえ持つようになったののの顔を、くしゃっとした笑顔にさせたかった。

 忘れないうちに伝えておこうと、秀太は力を貸してくれた者の名を言った。


「アキラさんに感謝しろよ? 護衛の人に無理言って探してくれなきゃ、きっと間に合わなかっただろうからな」

「まさか、これを用意するために今日出かけたの?」

「さあな。俺はサンタじゃないし」


 秀太は首を傾げてとぼけてみせた。急な計画だったため、日付も見ずにアキラに協力を煽いだのはよかったものの、その日がまさか二十四日とは不覚だった。快く引き受けてくれたアキラに今度お礼しよう、と思う秀太であった。全くもって愚かな男である。


「フ、フン! こんなので機嫌を取ろうだなんて、考えが甘いのよ。考えが……」


 始めは控えめだった抱擁も、もふもふとした感触にやられてののはぬいぐるみに顔をうずめた。言動の一致してなさ具合が、彼女の嬉しさを殊更に表していた。


「すっかり気に入ったみたいだな」

「うるさい」


 頬を赤らめ、耳まで赤いののを見て、秀太はひとまずの満足感を覚えた。ずっといいようにやられっぱなしでは、義兄の威厳が示せないというものだ。今日はいい日だ。

 そんな秀太の優越感はたったの数分で終わりを迎えた。ののは彼のにやけ顔を一瞥すると、ぬいぐるみの首に腕を回した。まるで恋人同士がするように。


「うるさいおにぃには罰として、屈辱を味わわせてあげる。見ててよ、私の初キスが奪われるところ」


 秀太の返事を待つ間もなく、ののはぬいぐるみと熱い口づけを交わした。人のキスを間近で見るのは初めてで、否応もなく秀太の中にある熱情の暖炉に火が灯る。初キスなどとのたまうところが何ともいじらしい。あの唇の柔らかさを、伝わる体温を、心の通じ合いを知っているからこそ、秀太のリビドーは留まることを知らなかった。

 やがて唇を離したののは、小悪魔的な笑みを浮かべ、ある提案を秀太に告げる。


「羨ましいでしょ? 羨ましいよね? 羨ましいって言ったら、おにぃにもご褒美あげようかな。と言っても――百円もしない安いアイスでいいならね」


 体がぐらつくほど秀太の鼓動が高鳴る。アイスを食べる、その欲望に秀太は抗えなかった。理性は甘い記憶の森か、もしくは甘い誘惑の海にでも置き去りにしてしまったのだろうか。そんなことは最早どうでもよくて、秀太は唾で喉を鳴らした。


「あ、あぁ、羨ましいよ」

「言葉遣い」

「う、羨ましいです。のの様からご褒美を頂けるとあらば、この上ない喜び」

「姪っ子に様づけして跪いておねだりとか。……フフ、馬ッ鹿みたい。いいわ、じゃあ約束通り食べさせてあげる」


 ののがアイスを取りに行っているうちに、秀太はコートを脱いで所定の位置に着いた。アイスを食べるときは、必ず居間のソファでなければならない。そういう暗黙の了解があった。なぜなら、アイスを食べるだけなのだから。

 ソファの中央に腰かけた秀太に覆い被さるように、ののが彼の上に跨る。スプーンで一口分を口に運び、されるがままの義兄を見る眼差しの、何と官能的なことか。ののは秀太の顔を両手で包むと、口内の半分溶けたアイスをもう一方の口に流し込んだ。

 フローラル系のシャンプーの香り、乙女の柔らかな唇、蜜のようなバニラの風味、冷たさ、それを引き立たせるように絡まる舌のぬめり、熱い吐息、上気した顔。

 二度三度と同じ事を繰り返し、従姪の唇が離れていく度に、どうしようもない切なさがこみ上げてくる。義兄から下僕に、下僕から拙い雛鳥へと成り下がった秀太は、己の惨めな姿を省みもせず次の餌を求めた。

 しかし、ののは悪戯な笑みを浮かべ、それ以上の餌の供給を止めた。それどころか、どうしてと顔で訴える秀太を嘲笑うかのように、ソファに仰向けになって妖しげな言葉を発したのだ。


「ねぇ、今度はおにぃが食べさせてよ」


 無防備に身体を投げ出したそのポーズは、絶対降伏といっても過言ではない格好だった。拙い雛鳥から美肉を貪る獣へと秀太の心境が移り行く様は、まるで蛹が蝶に生まれ変わる変態の終始を、主客の両方の視点で観察しているようでもあった。

 秀太はアイスを口に放り込むと、それを粘り気のある唾液で丹念に絡め、艶めかしい従姪の肉体をへその方から這うようにして忍び寄る。そして、真上から小悪魔の顔を見下ろした時の充足感たるや――。例えようもない興奮のまま、唇同士が重なった。


「ん……んん……」


 従姪の声にならない声が、乳白色の甘い衝動と共に突き抜ける。秀太の鼓膜を震わす度に快楽の授受と共有欲が迸り、行為を激しくさせる。アイスを食べさせるという行為を。


「ただいま~」


 玄関からののの母親の声が届く。我に返ったののは秀太の体を押し返そうとするが、所詮は男と女の力較べだ。興奮した雄の前に、ののはなす術もなく甘い唾液を与えられ続けた。


 トストスと、リビングに近づく足音がますます秀太の欲情を掻き立てる。

 存在の耐えられない世界線上で、二人は行為の延長に及んでいたのかもしれない。

 だが、本物の事実として、秀太たちは良い子を装って親の帰りを待っていた。

 扉を明けたののの母親は、やっぱりといった表情でソファに座る二人を眺めた。


「もう、待たなくていいって言ったのに。どうしたの? 二人して黙り込んで。……はは~ん、なるほどね。その容器が全てを物語っているわ。美味しい料理もケーキも用意してあるのに、アイスを食べるの我慢できなかったのね?」

「そ、そんなとこです。あはは……」


 俯いた従姪の代わりに秀太は返事を返した。ののは耳まで真っ赤にしながらも、悪事を働いた義兄の腿を強く抓る。その痛みすら愛おしく、秀太は完全に従姪の虜となった。

 姪に従うと書いて従姪。その偶然に、今はただ酔いしれていたいと思う秀太であった。

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バニラ 東京輔 @code-klnf

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