一ノ瀬推莉は引き寄せる

真賀田デニム

一ノ瀬推莉は引き寄せる


「なんでよりによって英語の時間なのっ!」


 一ノ瀬いちのせさんはそう叫ぶと机を叩いて立ち上がる。

 すると葛藤を表すように身を震わせたのち、走って教室を飛び出した。

 ――授業中であるにも関わらず。


 最初こそざわついたけど慣れていることもあって、教師そして『1―2』の生徒達は総じて“またか”という反応。

 御多分に漏れず、僕も彼らと同じような反応をしていたのだけど、それは最初だけ。

 僕は、“今日こそはッ”と手を上げた。


「す、すいませんっ。ちょっと腹痛なのでトイレ行ってきますっ」


 僕は英語教師の了承を得ると、痛くもない腹を押さえて教室を出る。

 そしてドアを閉めて、演技も止めて、さあ、今日こそは一ノ瀬さんがどこで何をしているのかこの眼で目撃してやると意気込む。


(え? もういない!?)


 ……意気込んだのだけど彼女の姿は右にも左にもなくて、僕は地団駄を踏んだ。

 腹痛だからとゆっくり歩いて教室を出たのがいけなかったらしい。


(出遅れたかぁ。はぁ、やみくもに探してもこのマンモス学園じゃな……)


 意気消沈した僕は、とぼとぼとトイレに向かう。

 

 ――これで〇勝六敗。

 別に戦いじゃないけれど、僕としては負けとの認識だ。


「一ノ瀬さん、一体どこで何を……。あー、気になるっ!!」


 僕は爽快感を味わいながらトイレで叫んでいた。


 

 ~~~~



 一ノ瀬推莉すいり

 彼女にこの学園で出会ったときは驚愕した。

 何に驚愕したって、その美しさだ。

 どこからどう見ても瑕疵かしの見当たらないその美貌は、まるでその手の絵画から抜け出てきたかのようだった。


 そして一ノ瀬さんの生い立ちを知ったとき、もう一回驚愕した。

 彼女は、あの『一ノ瀬正臣まさおみ』の娘だったのだ。

 

『一ノ瀬正臣』と言えば、生涯で二百六十三の事件を解決したことからレジェンド認定されている名探偵だ。

 ミステリー小説を好んで読む僕にとっても当然、彼はスーパーヒーローだった。

 

 そんな偉大過ぎる父親を持つ娘となれば、身の程知らずと分かっていてもやっぱりお近づきになりたいと思うわけで――。

 そして、一年で早速同じクラスになってチャンス到来と小躍りした僕。

 でも僕の溢れ出る欲求は彼女のとある奇行によって阻まれた。


 彼女の奇行、それは、



【いきなり血相を変えたかと思うと、時と場所を選ばず急にどこかに走っていく】


 

 というものであり、そして戻ってきた時は大抵、制服が汚れていたり汗だくだったり髪が乱れていたりするのだ。

 そんな眉をひそめるような奇行のせいで、彼女はその美貌もむなしく六月の今でもボッチ状態だった。


 奇行もせずに笑顔を振りまいていれば、おそらく真逆の高校生活だろうに……。

 一之瀬さんは一体、どんな笑みをその表情に乗せるのだろう。

 

 僕はそれが気になったのだけど、やはり奇行の件もあって彼女から距離を置いていた。

 でもやっぱりお近づきになりたいという気持ちは抑えきれなくて、そして六回目の奇行時から僕は彼女を尾行しようと決めた。

 まずは、なぜそのような行動をするのか知るべきだと思ったのだ。


 ――でも彼女の行動は思いのほか早くて、腹痛を理由にした先日までの尾行作戦は全て失敗に終わっていたのだった。



 ~~~~



「もう、食事くらいゆっくりさせてよっ!」


 そして五日後の金曜日、待ちに待った一ノ瀬さんの奇行が始まった。

 発生時間は昼食休憩。

 ついさっきまで優雅にパンを食べていた彼女は、殺伐とした雰囲気を纏ったかと思うと廊下へと走り出す。

 その変わりようはまるで別人のようだ。


 よし今度こそ――と立ち上がった僕なのだけど、ここで痛恨のミスを犯す。

 立ち上がった瞬間に机が揺れて弁当が落ちたのだ。

 この時点で僕は[一ノ瀬さんを追うか][弁当を拾うか]の二択に悩まされて、結局その悩んだ時間もあって僕は後者を選ばざるを得なくなった。



 ~~~~



「ああもうっ。今日は体調悪いのにっ」


 次の奇行は意外と早くて二日後だった。

 発生時間は二限目の『現代文』。

 すこぶる退屈な授業、及び先生も温和な性質。

 一ノ瀬さん同様に僕が教室を飛び出ても、そこまでお咎めをうけることはないはずだ。

 にも関わらず、僕は飛び出していった彼女を尾行できなかった。


「えっと、論展開とは、筆者が自分の主張に説得力を持たせるために、どんな材料・根拠を用いているか――ですかね」


 つまり僕は先生に問題の回答を求められて、この状況で授業を投げ出す勇気はなかった。


 

 ~~~~

 


 「アタックは私に任せて――っ!? ごめん、やっぱ無理っ」


 次の奇行は六日後。

 体育の時間でバレーをしているときだった。

 一ノ瀬さんはアタックしようとしていたボールを後頭部で受けると、そのまま運動場から走り去っていく。


 その声が微かに聞こえていた僕は、サッカーの途中ではあるけれど抜け出そうと決意する。

 どうせ僕みたいなサッカーの不得意な人間が一人いなくたって、大丈夫だろうとの判断だ。実際、全く活躍してなくて空気そのものである。


 今日は絶対に追いついてや――がへっ!?


 走り出したとき側頭部に衝撃が走る。

 薄れゆく意識の中で見えたのは、コートを転がるサッカーボール。

 空気のはずなのにサッカーボールが頭に直撃したようだった。



 ~~~~



「行ってやるわよ、ええ、行ってやるわっ!」

 

 ――三日後。

 一ノ瀬さんの声は廊下から聞こえた。

 すると矢庭に走り出す足音も。 

 近くに僕はいる。でも追いかけられない。

 

 待って一ノ瀬さんっ、もうすぐだからっ!!

 

 僕は本気の腹痛によって個室で踏ん張っていた。

 


 ~~~~



「もうっ、だから英語の授業中は止めてって言ってるのにっ!」


 少し間が空いて十日後、ようやく一ノ瀬さんが奇行を始めてくれた。

 

 彼女はいつも通り、机を叩くようにして立ち上がると葛藤の表情。

 でも、“行かなければならない”と言い聞かせるように頷いたのち、周囲の百眼視びゃくがんしを一身に浴びながら教室を飛び出していく。


 ――教室で奇行が始まるのを待っていた。

 僕はこのときのために考えた秘策を実行に移す。

 リュックサックを抱えて席を立つ僕は、あらんかぎりの声を上げた。


「すいませんっ! ばあちゃんが死んだので忌引きびきで帰りますっ!!」


 僕は先生の反応も確かめずに床を蹴る。

 廊下へと飛び出た僕は、右方向へと走っていく一ノ瀬さんを発見。

 その背中をロックオンすると、僕はひたすら彼女を追いかけていく。


 階段を三階から一階まで飛ぶように降りたり、やけに体を斜めにして減速なしで角を曲がったり、靴も履き替えずに玄関を飛び出したり、腰までの柵を颯爽と飛び越えたりと、一ノ瀬さんはとにかく早くどこかにたどり着きたいらしい。


 そんな彼女に奇跡的に付いていけている僕。

 でもさすがにもうこれ以上は無理とへたり込みそうになったとき、一ノ瀬さんが動きを止めた。

 僕は速度を落として呼吸を整える。


 かまぼこのような形をした屋内プールの入り口に、一ノ瀬さんは立っている。

 彼女は深呼吸をしたのちゆっくりとドアを開けると、次の瞬間、中へと向かって走り出した。


 またかよと思ったけれど僅かでも休めたこともあり、僕は再び一ノ瀬さんを追走する。

 でもどこかで、追いかけないほうがいいかもしれないと思っている自分もいた。

 

 僕はずっとあらぬ妄想をしていた。

 一ノ瀬さんは、“束縛の激しい彼氏に呼び出されて会いに行っていて、遅れてしまうと暴力を振るわれてしまうから急いでいるのでは”という妄想を。


 いや、妄想はそこで終わりではなくてまだ先に続く。

  

 つまり、戻ってきたときの一ノ瀬さんの状態――制服や髪が乱れていたり、汗だくだったり――から考えてしまうのは、その彼氏にというものだった。


 待て待て、だったら追いかけるべきだろ。

 追いかけてそこにいる男を一発ぶん殴って、一ノ瀬さんを救うのが男ってもんだっ!


 一瞬にして使命感に駆られた僕は、無限の勇気が湧いてくる。

 開け放たれたドアを一切の躊躇なく通り抜ける僕。


 そして僕がそこで目撃したのは――


「えっ!?」


 一ノ瀬さんに乱暴している男なんかじゃなくて、だった。


「有栖川君っ、そいつを捕まえてッ!!」


「えぇっ!?」


 その、奇妙な存在を必死の形相で追いかけている一ノ瀬さんが、僕に向かってとんでもないことを言ってのける。

 “あ、僕の名前覚えてくれていたんだ”という嬉しさがよぎるけど、眼前に迫りくる得体の知れない人型ミストの所為で、それはすぐに消え失せた。


「大丈夫、怖くないわっ。そいつを抱きしめて霧散させるのよッ!!」


 いや、めっちゃ怖いですけどっ!!


 でも僕は丁度、無限の勇気が湧いていたところなので、一ノ瀬さんの言う通りそいつを抱きしめる。

 僕の横を通り過ぎようとしたところを思いっきり。


「うっはああぁっ!? 何こいつっ!? 霧かと思ったのになんかすごいムニムニするんだけどっ!?」


 その感触に怖気を振るう僕は、思わず拘束を解いてしまった。


「やああああああああっ!!」


 そんな僕の視界を横切るように、空中を飛んでくる一ノ瀬さん。

 言い表すならば、空中ヘッドスライディングような状態で。


 彼女は前に伸ばした手で僕が解放してしまった霧の化け物を捕まえると、これまた必死の表情で思いっきり抱きしめる。

 というよりベアハッグ的な技を掛ける。


 すると胴体の部分から千切れた霧人間は、やがて拡散するようにして消え失せた。


「はあはあ……こ、今回のは大きかった、危なかった。……良かった、本当に……はあはあ……」


 大の字になって寝転び、疲れ切った顔で荒い呼吸を繰り返す一ノ瀬さん。

 その姿は、制服や髪の毛を乱して汗だくという状態だった。


 

 なんなんだよ、この状況ぉ!!


 

 僕が心中で絶叫したのは言うまでもない。



 ~~~~


 

『ヒダネ』。

 それがあの霧のような化け物の正式名称だという。

『ヒダネ』は何日かに一回、学園にやってくるらしく、それを感知できる一ノ瀬さんはその『ヒダネ』が現れるたびに消去に向かっているという。


 その『ヒダネ』というのはなんなのか――。


 その疑問をぶつけたとき、プールサイドに座って水に足を付けている一ノ瀬さんはこう言ったんだ。



「この学園にミステリーを発現させようとしている厄介な存在よ。『ヒダネ』がある一か所に留まり時間が経つと、そこからミステリーが発生してしまうの。小さい『ヒダネ』だったら軽い日常系ミステリーで済むのだけど、さきみたいな人間大の『ヒダネ』だと殺人事件が起きる可能性だってあるの。

 それは例えば、童謡などの見立てによる連続殺人かもしれないし、怪人による大掛かりな密室殺人かもしれないし、或いは嵐の山荘のようにこの学園がなんらかの事象によりクローズドサークルになるかもしれない。だからそうならないために私は『ヒダネ』を火だねのまま消去してる。それが名探偵である私の役目だから」


 

 突っ立っている僕の足場が崩れそうな、そんな感覚。

 とんでもないことを聞いてしまって僕は声が出ない。

 すると彼女はそんな僕を置いていくようにして、先を続ける。


「名探偵っていうのはミステリーを引き寄せる。これはもう自明の理。事実、私の父さんも名探偵であるがゆえに数多のミステリーに直面して、そのミステリーに向き合わざるを得なかった」


 確かに名探偵というのは、異常とも言えるほどにミステリーに遭遇する。

 それは現実でも虚構でも同じだ。

 理由なんていくら考えたって分からなくて、そういった運命なのだろうと誰もが思っている。


「でもそれは、父さんが『ヒダネ』の存在を知らなかったから。ううん、知りたくても知ることができなかった。そもそも父さんには『ヒダネ』の探知能力がなかったから。でも私にはある。だったらやることは一つでしょ」


「それが『ヒダネ』の消去。それは、その……これからもずっと一ノ瀬さんが消去するってことなの?」


 ミステリーを生み出す『ヒダネ』と対峙する孤高の美しき女子高生――。

 なんだか一本、現代ファンタジー小説が書けそうだ。


「そのつもり。でも……」


「でも?」


「いつか『ヒダネ』の消去に失敗してミステリーを発現させてしまうかもしれない。それはどこかで受け入れていて、だからこそ私は探している。いえ、探していた」


 一ノ瀬さんがプールサイドで立ち上がる。

 すると僕のほうへと体を向けて、その濁りのない両目をこちらに向けた。

 波打つプールに陽光が反射して彼女の背景がやけに神々しい。僕は息を飲んだ。


「一ノ瀬さん?」


「有栖川君。あなたには好奇心がある。行動力もある。咄嗟の判断力だってある。そして何より、いい意味で平凡。だから――私のワトソンになってくれませんか?」


 ――それは僕にとっての夢物語だった。

 名探偵として活躍するかもしれない一ノ瀬さんの助手となって、ミステリーの舞台で活躍するという夢物語。


 でも平凡な僕なんかには絶対にありえないと思っていた。

 なのに、その平凡さが僕に夢物語を具現化させた。

 

 一ノ瀬さんは僕がなかなか返事を返さないので、焦ったような表情を見せる。

 今日だけでいくつ、僕は彼女の表情を知ったのだろう。

 返事を返したとき、僕は新たにまた知ることになるかもしれない。

 

 それはおそらく僕が一番見たい彼女の感情表現のはずで――。


「とりあえず、『ヒダネ』の消去方法からちゃんと教えてほしいかな」


 僕は答える。


「うんっ」


 一之瀬さんの顔に花が咲いた。

 平凡な僕の、最高にイケてる高校生活が今始まる。




 お わ り。 

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