ガニメデ1999

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・・・


 湿りきり、もわもわする布団を脇にのけて、三日ぶりに何とか身体を起こすのであった。


 静寂。遠くからバイクを飛ばす音が微かに聞こえてくる。暗闇の中、小太りの体をもぞもぞと動かしながら、何とか洗面台までよろぼい出るのであった。


<AM 3:41>


 その途中で目に入ったラジカセの表示は、更け切った夜中なんだか、ひどい早朝なんだか、すぐには判別できない時刻を示していたものの、とにかく喉が渇いてしょうがないのであった。


 蛇口から左掌に受けた冷たい水を、すするように喉奥へと送り込む。人心地ついたのか、その無精髭が浮いた覇気の無い若者は、這い上る冷たさも物ともせず、ユニットバスへの上がり口に腰を降ろして、鼻からひとつ息をつくのであった。


 1999年12月31日。久我クガ 学途ガクトは、ついてない年末をひとり迎えようとしていたのであった。


 何をやってもうまくいかない一年だった。大学も2年ともなると、真っ当に勉学に励もうなんて事は周囲も己もさらさら考えないものの、それでも必須の単位を自分だけ落としたなどと告げられると、やはり落ち込みと変な気恥ずかしさとで、余計に僕は勉強以外が充実しているもんねというポーズで振る舞う痛々しさを当たりかまわず撒き散らしてしまうのであった。


 もちろん、他が充実しているわけでも無かった。出逢いを求めて上っ面がひどく楽しそうに見えたテニスサークルに入ったものの、女の子とはろくに喋れないまま、周りから嘲笑されるネタキャラとしての地位を確立していってしまい、今年の夏は訪れた川沿いのキャンプ場で、心無い先輩達からのロケット花火の一斉掃射を食らい、逃げ惑う内に蹴つまづいた挙句、川辺の石に顎を打ち付け、四針縫った。


 バイト先で、いい感じに少し言葉を交わせていたおとなしそうな女子にガラにも無く告白したら、引かれた。次の日、その子は辞めた。いたたまれなくなり、自分もその次の日に辞意を告げた。


 結果、夏休みが過ぎ去ってからは、勉学もバイトもサークルも、全てにおいてやる気を失くし、冷気がしんしんと染み込むように侵食してくるこの木造のアパートで、こたつ布団にくるまりながら、ケーブルテレビで古い映画やドラマを何と無しに眺めて過ごす日常なのであった。要は腐りきって外界を拒絶しているのであった。


 そして四日前、ひさしぶりに食料を買い求めに出たその日に、ピンポイントでインフルエンザに罹患した。朦朧とする頭で、医者からもらった薬を吸い込んでみたものの、使用方法を間違えていたのか、ほぼ吸引することが出来ていなかったらしく、悪寒と身体の節々に来る痛みに無駄に数日耐え続けていたのであった。


 そんな孤独な年の瀬だった。親からの月七万の仕送りも使い果たし、その親を頼ろうにも、夫婦で仲良くグァムで年越しを楽しむとの連絡を受けた矢先なのであった。


(……まずいよ。本当にお金が無い)


 いまだ軋む体をずるずると引きずり、狭い部屋のあちこちを探ってみるものの、出て来たのはいつかお土産代わりにもらった500リラ硬貨と1000リラ硬貨が一枚づつだけなのであった。


 金色の周囲に銀色の縁取り、または銀色の周囲に金色の縁取り、と、見た目は凝っていて価値が高そうに見えるものの、実際両替しても50円と100円になるだけなのは、久我も何回も両親から聞かされて知っていたので、静かに樹脂製の小物入れにそれらを戻すのであった。


 「……」


 じっと通帳を眺めてみるも、列の最後に記載された数字は、どう見ても「★886★」なのであった。窓口で受け取れば一食分くらいにはなりそうなものの、そんな少額をわざわざ対人で降ろすということが、この上なく恥ずかしく感じられてしまうので、よって不可能なのであった。妙なところでプライドが高い男だった。


(……242円)


 結局財布にあったその小銭が彼の全財産と呼べる。消費税5%を加味すると、230円で新しい年を迎えなければならない算段なのであった。


「無理だ」


 思わず声に出してしまう久我だった。その病み上がりの掠れた声は、ひんやりとした静寂の中に無情にも吸着されていくのであった。


(待てよ)


 しかし、頭にふとよぎる。


 絶望に包まれ始めた脳裏に浮かんだ、妙案と思ったことの裏付けを取るため、こたつの天板の上に放り投げた鍵をまとめたキーホルダーを取りに、再び六畳間に戻るのであった。


 女の子受けするかも、と思って蔵王で買ったキツネのキーホルダー。しかし可愛らしかった姿は、何度もジーンズのポケットに出し入れするうちに毛がほとんど抜け落ちており、かわいそうどころか、恐ろしさを見た者に与える容貌へと変化を遂げていたのであった。


「あった」


 もう一度声を出して、確かにそこにあることを確認する。


 実家の鍵。あるじ不在の家に上がり込み、備蓄されているだろう食料や、あわよくば現金などを失敬しようと考えたのだった。


 見下げ果てた根性ではあったが、とにかく目標を定め、即行動に移すはこの数か月の間、腐りきっていた彼には見られなかったことだったので、少しはいい兆し、と言っても良かったかも知れないが、やはりダメであることにいささかの曇りもないわけなのであった。


 パソコンを立ち上げ、地図を検索する。久我の住むこの古い木造アパートがあるのは、和泉多摩川という、正に多摩川にほど近い、自動車教習所があることくらいしか特色のない町の、さらに奥まった路地を数分進んだところなのだった。


(13.5km。チャリで一時間ちょっとってとこかな)


 一方の実家も、多摩川を下った先の、下丸子という、川からほど近い場所にあるのであった。移動手段は自転車しか頭に無い彼だが、これら陸の孤島同士を結ぶためには、仮に電車で行ったとすると、四本も乗り換えをしなくてはならず、却って遠回りなのであった。そしてそもそも現在その電車賃400いくらを払うことは不可能である。


 プリンタは無いので手書きでそのディスプレイ上の地図を書き写すが、ほぼ川沿いを下るだけの一本道なので意味は為さないだろうと思われるであった。


 いそいそと一本しかないジーンズを穿き、だるだるのセーターの上に薄っぺらいブルゾンを羽織る。マフラーだけは茶色のカシミヤのいい品だが、これは今年の年始にあまりにも寒々しい彼の姿を見かねた母が自分の使っていたのを貸した際、その肌触りが気に入ったので、そのまま持って返ってきて使い倒している。とにかくこれが彼にとっての最大の防寒着なのであった。


「……」


 まだ暗い外に出て、ブロック塀と家屋の隙間に無理やりしまい込んでいた自転車を引っ張り出す。手がかじかむほどの張りつめた冷気なのであった。


 カゴに突っ込んだままだった軍手をつまみだすものの、何度か雨に晒されたと見え、手を突っ込むと何となくじんめりとした嫌な感触を覚える。さらに繊維の内部まで冷え切っているんじゃないかくらい、指先をはめていくそばからぞわりと冷感が脊椎あたりを這い上がってくる。一方サドルも冷え切っていたが、何故かそれには一抹の気持ちよさを感じてしまうダメな久我であった。


 それにしても寒さがのっぴきならないのであった。久方ぶりに体をおっかなびっくり動かし、危なっかしくペダルをこぎ始める久我であったが、その空間にしんしんと満たされていた寒気も相当である上に、それを己の体で攪拌するかのように突っ込んでいくと、更なる凶暴な突き刺す寒さを発見できてしまうのであった。


 川べりまではものの三分ほどで出られた久我だったが、早くもこの選択が誤りであった事実を突きつけられる。川を渡り、吹きすさぶ風量は、遮るものが無いぶん段違いであり、自転車に乗った体に巻き付いてくるくらいの執拗な突風なのであった。


 ひぃぃ、と情けない声を上げながら、何とか車輪を回していくものの、いかんせんタイヤの空気が足りないのか、ペダルの重さほどには、前に進んでいかないのであった。チェーンもどこかが外れかかっていると思われ、数秒ごとにカチャコン、カチャコンと気障りな音を立てている。


 街灯も一段下がった道路沿いにしかなく、川沿いの道は暗闇に包まれていて、川を越えた向こうに点灯やら点滅やらしている赤いライトくらいしか見えない。そして時折、いやがらせのように部分的な砂利道に切り替わったりして、割と大きめの石が意思を持っているかのように久我のハンドルをとらえようとしてくるのであった。


 僕はこの年の瀬の深夜と早朝の狭間で、何をやっているのだろう、とそろそろもっともな自問が頭の片隅に、それでも遠慮がちに顔を見せてきた頃、突如けたたましい金属音が辺りに響き渡る。


「……」


 チェーンが外れてしまったのはまだしも、驚いて後輪を覗き込んでしまったのが敗因だった。何か異常を感じたらまず停車すればいいのに、走行しながら自分の右わきの隙間から後方を確認しようとした結果、ハンドルは自然に右に切られ、すいーっと勢いを保ったまま、川土手の斜面に突っ込んでいくのであった。


 あおっあおっ、というような断続的な叫びが、突き上げるサドルの衝撃と共にもたらされる。難易度の高いモーグル的な斜度を、久我は普段発揮されることのない集中力と閃きで、次々とやり過ごしていくものの、斜面終わりの砂面にタイヤを取られ、あえなく横倒しになり、左脇腹を地面にしこたまぶつけ擦られてしまうのであった。


 衝撃音とうめき声が、張りつめた冷気を一瞬、かき混ぜる。それでも数秒後には、辺りは静寂を何事も無く取り戻していくのであった。


 自分の今に至る行動を鑑みて、打ち付けた部分を撫でさすりながら、おねえ座りの真顔で今度こそ思考も動きも止めてしまう久我なのであった。


 13.5kmのうちの道程の、3.5kmくらいしかまだ消化出来ていないのであった。頼みの移動手段もつぶれた今、行くも帰るもしんどい状況であって、どうせ帰っても何も変わらないのなら、せめて前を目指そうと、ここに来て前向きな姿勢をほの見せる久我であった。


 自転車はそこにうっちゃって、枯草がまばらに茂る斜面を何とか登り切る。土手に上がって見渡す風景は、相変わらず人々が目覚め始める前の、静まった暗闇に支配された街並みであったものの、ふとそこで、久我に天啓が訪れるのであった。


(……おばあちゃんち)


 母方の祖母が住むのは、この辺りだったことを思い出した。


(……等々力三丁目)


 小学生くらいの時は、よく母親に連れられて大井町線に揺られて行ったものなのであった。


 戦後女手ひとつで六人の娘を育て上げた女傑は、そうは感じさせないような、柔和で優しくて、そして物事をはっきりと喋る江戸前の人であった。親類二十名くらいが一同に会して、駅伝を見るともなしに点けながら、昼前から夜半過ぎまで、のんべんだらりと大宴会を催すのが、祖母から連なる一族の正当な正月の習わしでもあった。

 

 もちろん久我も、正月は意気込んで乗り込んでいった。必死で慣れない年始の挨拶を繰り返し、酒呑みから絡まれつつも愛想笑いで応対していたのは、ひとえに祖母と五人の伯母たちから、お年玉を回収するためである。特に小学生の頃の折からのバブル景気は、ぽち袋の中身にも如実に影響を及ぼしていたわけで、そういった意味でも一年の計は元旦にあったのであった。


 しかし祖母が病気がちになってからは、それも形ばかりのものとなった。


 介護ベッドに身体を預けたままの側に座って、年始の挨拶と、何度も繰り返される昔話を少し交わすくらいで、お暇した。お年玉だけはしっかりともらって行ったのだが。


(おばあちゃん起きてるかな……)


 いくら年寄りの朝が早いと言えども、午前4時52分は流石に非常識な時間帯ではある。しかし久我はこのひとりよがりの「妙案」に心奪われており、普段は見せない強い決意と実行力を発揮し始める。そして東の空もだんだんと白んで来ていて、もう明るいんだから大丈夫だよね、と久我の迷いの無い背中をさらに後押ししてしまうのだった。


 とは言え、今いる場所は二子玉川の駅の手前。等々力までは2kmほどあるだろうか。


 しかし久我は所持金242円の身でありながらも、ここが勝負所と途中の自販機でコーンポタージュスープを購入すると、味わいながら舌でねぶりながら、最後の一粒まで指で残さず回収し、少し温まった体で、大井町線沿いを等々力の祖母宅を目指していくのであった。


「……あらー、ガクちゃんじゃないのぉ。ちょっとぉ早くない?」


 記憶を頼りに何とかたどり着いた久我を出迎えてくれたのは、祖母と半同居し世話をしてくれている、いちばん上の伯母なのであった。


 ちょ、ちょっと近くを通りかかったもので、明日は明日でちゃんとご挨拶に伺いますので、と、よくわからないことをもごもごと言うが、伯母さんは突然のアポ無し早朝訪問に少し驚くものの、もう起きておせちの仕込みをしていたらしく、かわいらしいリラックマのエプロン姿のまま、久我を居間に通してくれるのであった。


 出された緑茶で手を温めながらありがたくいただいていると、居間に直結した引き戸の奥から、あぁきこぉぉ、と伯母さんの名前を呼ぶ声が聞こえた。はいはい、と伯母さんはそちらに手を拭きながら向かう。


 おばあちゃん起きてる、と久我もその後を追って引き戸から中を覗いた。


「……あらガクちゃん。おおぉきくなったねぇぇぇえ」


 不思議な事に、おばあちゃんはこの突然の訪問をあまり驚いていないようで、座れ座れと促され、是非もなくベッド横の丸椅子に腰かける久我であった。何か用事があって伯母さんを呼んだと思われるのだが、それは置いといて上機嫌で久我に話しかけてくるのであった。


 あとはよろしく、と伯母さんに手刀を切られ、久我はおばあちゃん小さくなったな、と思いつつも、いつも聞いていた昔の話をなぞるようにまた聞き続けるのであった。何度も聞いた話だが、久我はおばあちゃんの話す諸々のことが好きなのであった。


 小一時間ばかりで辞する久我であった。その懐には一日早いお年玉がちゃっかりと納められていたのだが。


 陽が射しつつある空を見上げ、うん、と伸びをしてみる。


 空の高くはまだ藍色に染まっているのであった。そこにひときわ大きな恒星と、その脇にぼんやり見える小さな星の瞬きを、その瞬間、久我は確かに視認したのであった。


(僕は、おばあちゃんという大きな星の周りで回る、衛星のひとつ)


 柄にも無く、詩的なことを思う久我であった。


 若き頃は京浜工業地帯にある実家の町工場で働いていたおばあちゃんは、震災も空襲もその身ひとつ、さらには自分の子らを守りつつ、必死で切り抜けてきたのであった。


(おばあちゃんが頑張ってくれなければ、今の僕はいないんだし)


 近くに落ちた焼夷弾の爆風で埋まった防空壕の中から、下駄で土を掘って何とか這い出てきたのだと言う。そしてまだ十か月だった双子の赤ん坊を一本の帯で前後に縛りつけ、五歳の娘の手を引いて炎の中を駆け抜けた。


(……しっかりしなきゃなあ)


 自分の置かれた立場なんて甘すぎだぁ、と、わかったのかわからないのだか曖昧なことを思うと、はたと胸ポケットに手をやり、そのありがたい手触りを確かめる。


 よっしゃぁ、メシ代ゲットだぜぇぇぇ、と、ぴょんとひと跳びしてから、ようやく動き始めたように思われる狭い商店街の道を、等々力の駅を目指して軽やかに歩き始める久我なのであった。


 その頭上に、確かに光るひとつの光点。



(終)


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