第3話

ところが、その夜になって高熱が出た。

あんなに苦しかったことはない。

どうにもこうにも起き上がれんで

胸が詰まって息が出来んかった。

これは死ぬんじゃなかろうかと思ったものだ。

旦那様が、お医者様を呼んでごしなった

けども熱の原因が見当もつかん。

しまいには「今夜が峠ですな」と仰った。

さあ、家永の家から原因不明の人死にが出るなど

もってのほか。雇った子守がその当人とあっちゃ

なおさら世間の体裁が悪い。

なんてね。

旦那様も奥様も善いお人ですから

ただまっすぐに子守の身を

心配くださったのに違いない。

お家柄はお人柄。

まあそん時のうちが、そんな世知辛いこと

思ったわけもありません。


そんなこんなで、今夜が峠。


頭はがんがん叩かれるみたいに痛いし胸も苦しい。

こんなことなら

もっと団子を食っておけばよかった。

ああ、餡ころ餅もいいな。

しょうもないことばっかり巡らせていた。

熱でとりとめなくなっていたからな。

うちはたぶん死ぬんだ。

でもなんでだろう。

死ぬって凄いことだわいね。

だのに、なんでだかわからんなんて

合点がいかん。

そう思ったら、なんだか怒りが沸いてきた。

鼻の奥がつうんとして悔し涙がこみ上げた。

手や足は痺れて動かせん。

けど、両目を強く見開いた。

胸の上に何かが覆い被さっているのが見えた。

真っ黒い、炭か闇の色の塊。


息を呑んだ。


りょうさんが描いてくれた絵にそっくりだった。

その黒くて重たい人が、うちに何かを囁いた。

同時に、勢いよく襖が開き

小さい人が、うちの枕元に立った。

りょうさんだった。


にこりと笑って

「姉やは思ったより強いひとだったね」と言い

次の瞬間には鬼のような気迫をして

黒い人を凝視した。

「去ね」と、一言、言い放つ。

すると、胸の上におった黒い塊が

まんなかから真っ二つ。紙のように裂けて散った。

突然からだが軽くなって、息も楽になった。


なにがなにやら、ともかく助かったらしい。

とたんに深い眠気が訪れ

瞼が心地よく閉じていく。


お休みと、りょうさんが言ったかも知れないが

もう定かじゃ無い。


たっぷり眠ったうちは

自分の腹が鳴る音で目が覚めた。


次の日の昼だった。


良かった良かったと、家のひとたちに言われて

うちも良かったと思ったが

正直、そんときもらった粥が

美味くて美味くて

そりゃあもう夢中で食っとったもんで

よう聞いとらんかった。


あの黒い人が囁いた言葉を

思い出したのは

後々、ようやっと落ちついた頃。


「ごめんな。ほんに、ごめんな」


蚊の鳴くようなか細い声だった。


音沙汰無くなってた、うちの姉やんの声。

まちがいない。

懐かしい、懐かしい声だった。


お見舞いの餡ころ餅を、ひとくち食ったとき

なんでだか涙が出た。


姉やんはもう

こんな美味いもんも

食えんとこに

いったんだ。


ひとり姉やんの供養の真似事をしてるのを

りょうさんが見ていたのに気がついたけど

気がつかんふりをした。



それからも、まあ奇妙な出来事はあったが

うちの方が慣れてまった。


それにしてもこの坊は

一体全体どうした世界を

視とんなるのか。

果して、魍魎の類

その領域を、覗いているんだろうか。


まあ、貧乏人の娘の妄想にすぎぬから

こんなことは誰に話したこともない。

いい賃金貰って、雨風防げるいい寝床と

心優しい皆さんに囲まれて、この上ない幸せ。


だいぶん月日が経って

うちは家永の家から嫁に出た。


ほんに、今でも解釈がつかん。


そう言って、うちが問いただすと

決まって涼しげに笑って煙に巻くんです。 


「そうだったかいな。

昔のこと、わすれてまったわい」



うちのひと

名前は、 瞭。


夜語り、ここらで終いと致します。

何方様も、ご静聴有り難う御座います。

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とある女の夜語り @ishida-takumi

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