玉ねぎの涙

スミンズ

玉ねぎの涙

 札幌の空港と言えば新千歳空港。よく言われる。実際、羽田空港から『札幌行き』の飛行機に乗れば、ほぼ間違いなく新千歳に着くだろう。だが、待ってくれ。新千歳空港があるのは札幌じゃないんだぞ。千歳市っていう札幌とはまた別の所だ。


 それでみんな思うだろ?『郊外だろうが地方都市近辺にある空港なんだし、その近辺の代表する街の空港で良いじゃんか』って。


 しかしだな。札幌市の中にも空港があるんだ。マジで札幌の空港が!


 それが丘珠空港である。札幌駅から車で20分。新千歳より遥かに近い。


 とは言えこの空港、規模が小さいのは確かだ。やはり新千歳と比べると見劣りはする。けれど、俺は東区民!丘珠空港を知らないだなんて言うな!


 とは言うものの、丘珠空港は微妙に地下鉄駅から離れているし、ましてやJRなんて未踏の地である。


 丘珠自体、玉ねぎ畑の広がるのどかな田舎。狐が道を行き、トンビが空を舞っているその光景は、ここが本当に200万都市なのだろうかと疑ってしまうものである。


 今、俺も玉ねぎ畑の間の細い道を歩いている。あの収穫時期の涙の出そうな臭いは、最早俺には欠かせない匂いである。その匂いの先に、俺の家の行きつけの玉ねぎ直売店がある。ネットに入った大量の『札幌黄』という玉ねぎを指さすと、お金を払ってそれを肩に担いで、また元の道へ戻っていく。


 玉ねぎ畑は広大である。いけどもいけども玉ねぎ畑。まだ収穫の終わってないのがひょこんと頭を出している。俺はそんな風景を、確かに見飽きた感じはあるが、無くなって欲しくないと心のどこかで思っていた。


 しかし自転車がぶっ壊れていたのは痛手である。玉ねぎを担いで2キロと言うのは、中々筋トレになる。道の途中で少しずつ休憩しながら、俺は歩いていった。


 そんな道の途中で、畑の中に同じ高校のクラスメイトを見つけた。少し長い髪を束ねた彼女は、せっせとトラックに収穫した玉ねぎを積んでいた。


 「上田さん」俺はそう声をかけると、彼女は振り返るなり、「それ、どこの玉ねぎ?」と聞いてきた。なんだその返しは!


 「団地の方の〇〇玉ねぎ店だよ」


 「ふうん。あっちか。さとらんどの方の」


 「そうそう」さとらんどとは、動物と触れあうことができたり、縄文遺跡があるテーマパークだ。


 「野田君って家どっちさ?」上田はそう言うと一度手を止めて俺に近づいてきた。


 「ああ、あっち」俺はそう言うと新道の方を指差す。新道の方…、まあ要するに札幌駅の方である。


 「それじゃなんでさとらんどの方まで行くの?」


 「…ん、まあ親があっちの玉ねぎが良いって言うから」


 「そうかい」そう言うと、上田さんはトラックから一個玉ねぎを取り出すと、近くの水道の水でちゃちゃっと洗った。それから、その玉ねぎを俺に手渡した。


 「上の皮だけ剥いて、食べてみなよ」


 「え?生で食えるの?」俺は生でがぶりついたことが無かったので尋ねた。


 「生で食えない野菜の方が少ないでしょ」


 「おお、確かに」妙に感心しながら俺は上の皮だけを剥がして、その新鮮な玉ねぎにかぶりついた。


 「……あっまい。つうかウマい!」俺はその味が今までの常識を越える旨味でびびった。


 「玉ねぎは新鮮なうちが一番美味しいよ」上田さんはそう言うと、俺が担いでた玉ねぎを袋から勝手に一個取った。


 「札幌黄だね。これって育てるのに大分苦労するんだよ。だから作る農家が少なくて幻の玉ねぎって言われてるんだ」


 「え、そうなの?」丘珠人間としては札幌黄はそこそこメジャーな種だと思っていた。だから、なんかしんみりとしている上田さんが、不思議だった。


 「私の家も遥か昔は札幌黄を収穫していたらしいんだけどね。それでも今はまだ一時期よりも収穫されるようになったって」そう言いつつ彼女は札幌黄をまた袋に戻した。


 「そうなんだ」俺は呟くと辺りを見回してみた。やはり、どこを向いても玉ねぎ畑だ。そのどれがあの種類でこの種類で、なんてわかりもしないが、農家にとってはそれが誇りであったり自慢であったりするのだろう。


 「野田君、札幌黄はどうやって食うの?」


 「え?うちはカレーにして食べてるよ」


 「それは当たり。加熱するとグッと甘味が上がるのが札幌黄なんだよ。勿論、札幌黄も生で美味しいけどね。うちが作ってるのはF1。とても育てやすいから、丘珠だと良く作られている、一世代のみの性質を持った玉ねぎだよ。まあ丘珠だけじゃなくてどこもかしこも作っているけど。けどF1は固定種じゃないからね。所によって味が変わる。家で作っているのは甘くて長持ちするタイプ。けれど火を通しても札幌黄ほど甘くならないから、マリネとかにお勧めかな」そう言うと上田さんはF1を俺に寄越してきた。


 「いや、上田さん。もう入らない!」何個も詰め込もうとしてくるもんだから思わずそう言うと「それじゃうちの玉ねぎは私が野田君の家まで運ぼう」


 「え、マジで!……って上田さん家の手伝いしてるんじゃ無いの?」


 「いや、もうとっくの前に手伝いは終わってるよ。今はちょっと玉ねぎと会話してたんだよ」


 「なんだそれ」俺はフフっと笑って見せると上田さんは「あ、バカだと思ってるだろ」と言って笑い返してきた。



 高校を卒業して、俺は北見の大学に行くことになった。北見とは北海道の北東。道内最大の湖、サロマ湖がある。また、玉ねぎの収穫量が北海道最大であるのは、上田さんから聞いたことである。


 「まあ、夏休みとかは帰ってくるし、そのときはまた会おう」俺が上田さんにそう言ったのは、玉ねぎ畑の横にあるバス停だった。まず新道東という地下鉄駅に行き、そこから札幌駅に行き、札幌駅から特急列車で北見に行くのだ。すっかり仲良くなってた俺らは少し名残惜しんでいたが、まあ、同じ道内である。そうそう悲しんでいても仕方がない。


 けれど、やっぱり寂しい。思わず俺は目から涙をこぼしてしまった。


 「何泣いてんのさ」


 「くっそお、玉ねぎが目に染みるう」


 「嘘つき」上田さんは俺の頭を軽く叩いた。


 今年の春は早そうである。3月下旬はまだ雪が積もっててもおかしくないのだが、もう畑の土は全体に広がっていた。これから少しずつ、今年も玉ねぎが栽培されていく。上田さんは、札幌市内の大学に行きつつ、跡を継ぐために手伝いを頑張るそうだ。


 俺らはほぼしゃべることもなく二人バス停にいた。だが、時間が来て畑の向こうからバスがやって来た。俺は大きなリュックを背負うと、服で少し目を拭って「じゃあまた」と言った。


 「今度来るときはお土産お願いね」上田さんはそう言うと、俺に手を振った。俺も降り返す。それから、バスの扉が開いた。


 その瞬間。飛行機が上を通っていった。上田はその時、何か言っていたようだけど、何て言ってたかはわからない。ただ、彼女も涙を溢していた。


 しかし、土産って何が良いのだろうか?まさか玉ねぎって訳にはいかないだろう?

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玉ねぎの涙 スミンズ @sakou

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