おバカな後輩が俺に催眠アプリなんてものを使い始めたが、やはりバカはバカらしい

残り１５日目の雑誌【午後の部】

『そういえば先輩』

『なんだよ後輩』

『それですそれそれ』

『いやどれだよ』

『その後輩って言う呼び方ですです』

もはや定番になりつつある開幕からの荒唐無稽。

あと語尾の繰り返しがムカつく。

『ええと、もう先輩と早苗も塵も積もれば山な関係と言っても過言じゃないですかー』

『塵って……まぁ言わんとする事は分かってやる。認めてはやらんけど』

『ツンデレですか？ 流行りませんよ』

『今でも需要の最先端突っ走ってんだろ。ってんな事は良いから。そんで？』

『ノリが悪いザウルスね』

『お前はそれが最先端だと言いたいのか？ ん？』

『すいませんでした』

『宜しい。で？』

『えっとですね……もうそろそろ良いんじゃないかなぁと思うんですよ』

　コイツとの付き合いというか交友もそれなりに期間を経た訳だから、良い加減分かって来る事もある。

　この後輩は、色々と前置きが長い。

　だからこそ、時には厳しめに手綱を握る事が肝要である。

じゃないとこのアホは延々といらんことを捲し立てるからな、厄介なヤツだよホント。

『⋯⋯で、何が？』

『や、だから⋯⋯もう良い加減、早苗って呼んでくれても良いんじゃないかなーと⋯⋯うぇへへ』

『え、ヤダ』

『そっ！？ え、な、なんで嫌なんですか！？』

『んー⋯⋯なんとなく？』

『な、なんとなくってちょっと⋯⋯そんなぁ⋯⋯』

『じゃあ名前で呼ぶとなんかお前、これまで以上に調子乗りそうだからって理由は？』

『何が悲しくて早苗が理由決めなくちゃいけないんですか！？ こ、この前はおんぶしてくれたぐらいに優しかった癖にぃ⋯⋯』

　しくしくといじけながらへこたれる後輩に涙目で睨まれるけども、実際は本当になんとなくとしか言い様がない。

　強いて言うなら、それなりの付き合いがありながらも、俺はこの後輩の背景についてあまり知らないってところか。

　なんで、放課後のグラウンドを今もこうして眺めているのか。

　羨ましそうに、懐かしそうに、寂しそうに。

　その理由を推測するだけの材料は、あるにはある。

　でも、何故だか俺自身にも分からないけれど。

　その理由を知るのは──コイツの口から直接聞きたい、と思ってしまった。

　だから、名前呼びは⋯⋯せめてそれからにして欲しい。

　そう、『なんとなく』思ってしまったから。

『⋯⋯そういや、後輩』

『うぅ、なんですか、先輩』

『⋯⋯お前って、名字なんだっけ？』

『⋯⋯⋯⋯』

　だけどまぁ、流石にこのままじゃ少し申し訳ない気もしたから、ちょっとした妥協案をちらつかせてみた訳だけれども。

──後にして思えば、コイツも俺も、妙な所で息が合って、妙な所で意地を張り合う似た者同士だったのかも知れない。

『教えません』

『なんで』

『ふん、良いですもん。先輩がその気ならこっちだって……てってー光線です！』

『なにそのスペシ◯ム光線出しそうなポーズは』

『名字呼びなんて却下です。名前で呼んでくれるまで無視しますからね！』

『⋯⋯じゃあ後輩呼びも？』

『⋯⋯それは可です』

『いいんかい』

◆◇◆◇◆◇

「⋯⋯早苗」

「何ですか、先輩」

「⋯⋯風邪引くよ」

「先輩のだったら別に良いですよ」

「なにその切り返し⋯⋯つうか頭のソレ」

「あ、これですか？ 可愛いですよねーウサミミ。バニースーツはちょっと⋯⋯っ、だったんで！ ここは、これでどうか御勘弁を！ 代わりに体操服を用意したんで、どうか、どうか⋯⋯！」

「⋯⋯勝手に強要したみたいにすんなや。というか人の趣向をさも分かってるように言うなアホ」

　こちとらコスプレに胸をときめかせるタイプじゃねーから、むしろ目を覚ましたら彼女がウサミミと体操服姿とか逆に戸惑うわ。

　しかも早苗の頭にあるウサミミ、なんかピコピコ動いてるし。

　ただ、正直この態勢はちょっと困る。

「とりあえず⋯⋯早苗」

「はい」

「ベッドから出ろ。風邪うつるから」

「え、だから先輩のだったら別に⋯⋯」

「俺が困んだよ⋯⋯！」

「むぅ、分かりましたよう」

「ああもう、拗ねるな。めんどくさい⋯⋯」

「めんどくさいないでーす。めんど良い匂いでーす」

「意味が分からん」

　添い寝はさぁ、ダメだろ。

　人が看病という名の拷問に意識を手離してしまっている間、その主犯であるこの野郎はちゃっかり俺の隣に寝転んでいたらしい。

　下手に部屋を荒らされるよか全然良い、と割りきれないのは男の悲しい性だろう。

　ツッコミどころしかない格好のまま、掛け布団の上に寝転んでいる態勢はもうダメだろ。

　目のやり場に困る。胸とか太ももとか、緩みきった笑顔とか。

⋯⋯刺激が強すぎるわ、ただでさえ熱のある頭が余計にクラクラしてくるだろうがこのバカ。

「あ、そーいえば。先輩、先輩。ついさっき隣の家の福永さんから回覧板来ましたよ」

「回覧板？」

「はい。リビングのテーブルに置いときましたんで」

「そっか⋯⋯悪いな、さな⋯⋯」

　ちょっと待て。

　つい、さっき？

　そもそもなんでこいつが隣ん家の名前が福永さんって知ってんだ。

　記憶力が壊滅的なこいつが、隣ん家の名前を普段から覚えてられるはずがない。

　では、何故？

　⋯⋯んなもん決まってる、本人から聞いたからだろう。　　つい、さっき。

「⋯⋯お、おまっ⋯⋯まさかとは、まさかとは思うがお前⋯⋯！ その格好のままチャイム出たのか！？」

「⋯⋯⋯⋯うっかりしてました、てへ」

「⋯⋯うさみみも⋯⋯つけて？」

「『そうねぇ⋯⋯お盛んだって聞くものねぇ⋯⋯おほは』だそうです」

「────」

　目の前が 真っ白に⋯⋯なっとる場合か！

「おいおいおいうっかりで済むかよこんのバカが！ 舌ペロっと出してドジっ娘アピールしてんじゃねぇよ古いわ！ 着替えてる時間がなかったのは分かるが、せめてその耳は外しとけよ！」

「えーでも似合ってるって褒めてくれましたよ？ 少子化の進むご時世に喧嘩売る姿勢を評価するって。おばさん応援しちゃう！って」

「リップサービスにしても脂乗りすぎだよ！ ウサギは性欲云々って小ネタから政治問題までササッと絡めやがって、出来上がったソテーはもれなく井戸端会議に提出されるに決まってるいやほんとどうすんだよこれ！ どうしようもねぇよ！」

「早苗は鮭のバターソテーがジャスティスだと声を大にして言いたい」

「ちょっとホント黙っててくんない？！」

　窓のカーテンからチラッと外を覗けば、案の定だよ。

　Ｔ路地の曲がり角にあるゴミ捨て場の前で、件の福永さん含めた奥様達がそれはもう楽しそうに会話に華を咲かしている。

　ちょくちょく視線が我が家方面に向いてるのは、つまりそーいう事だろう。

　もう、ホントどうしようもないぞこれ。

「はは、ははは。あーあー⋯⋯学校のみならず、ついには御近所までかぁ」

「お、新トピックス。なになに⋯⋯『頑張った自分にご褒美のチョコレート』かぁ。うーんでも『頑張らなかった自分にお仕置き』する人ってそもそもいるのかなぁ。分からんですたい」

「しれっとYohooニュース読んでんじゃねーよ！ あとお前は自分の作ったチョコ食え！ それがお仕置きになっから！」

◇◆◇◆◇

「ところでですね、先輩」

「え……なに……頼むからもうこれ以上余計な問題起こさないでくれよ……」

「そんな脅えながら言わなくても……」

「俺の安息の地を着々とぶっ壊してばっかのヤツを前にすればこうもなるわ」

「だったら早苗が先輩の安息の乳になるからだいじょーぶです」

「寄せて上げんなこっちに近付くな…………あーもういいや。んで何？」

　何か、今日はやたらとスキンシップが過激な気がするぞコイツ。

　付き合い出してからむっつりが完全にオープン寄りになってきてるとはいえ、ちょっと引っかかった。

「回覧板をリビングに持ってく時に……こんなの見つけたんですけど」

「……あーこれか」

　今までどこに隠してたっていうかなに勝手に持って来てんだとか、もう言っても無駄だから割り切るとして。

早苗がちょっとアンニュイな表情で差し出したのは、『賃貸の不動産雑誌』だった。

「……まさかとは思いますけど」

「ん？」

「先輩達、引っ越しちゃったりしませんよね！？ パパさんの急な転勤とか！ ママさんがうっかり連帯保証人になっちゃったりとかで借金しちゃったとか！？ そんなのないですよね？ ね？」

「……え、お前何言ってんの？」

「パパさん有り金ＦＸで全部溶かした顔とかしてませんでした？！」

「するかよアホ」

「うぅー……夜逃げとかじゃあ、ないですよね？」

「当たり前だ、縁起でもない」

……やっぱり余計な問題持ってきてるじゃないか。

つかどんな顔だよ。なんで為替なんだよ意味わからん。

　あぁいや、賃貸契約だからそんな想像したのか？

　発想が飛躍しすぎなんだよコイツはいつもいつも。

「じゃあ、なんでこんなの見てるんですか……」

「……まぁ、将来を見据えてというか」

「将来……はっ、まさか！！」

「？」

「せ、先輩さては……早苗とのラブラブイチャイチャな同棲生活を計画中だったんですか！？」

「……はい？」

「行ってきますのちゅーを早苗と！ お帰りなさいのちゅーも早苗と！ おやすみなさいのギシアンを早苗とぉ！！」

「おい最後こら」

「奥様は高校生な生活を送るための幸せマル秘計画だったんですね！？ それを早苗が暴いちゃったんですね！？」

「聞いて。おい、聞け。涎垂らしてんじゃねぇよ」

「ハッ！？ ま、まさか……いつぞやの木曜日のお帰りなさいはこの為の予行演習！？ その為の催眠アプリ編！？ な、なんという伏線回収……」

「謎の記憶力とメタ視点発揮してる場合か！！ いい加減聞けやこら！」

「え、あ、はい。早苗は裸エプロンはちょっと……ジャージエプロンで妥協しません？ あれはあれで生活感がグッと来ると早苗はですね……」

「お前のコアな趣味はもはやどうでもいい！ そんで！ 将来ってのはそういう意味じゃない！！

「……」

「……」

「えっと……じゃあ、将来ってどういう意味なんですか？」

「……」

　まぁ、早苗がいう同棲云々もないこともないこともないこともないかも知れんし、俺の考えの延長上に早苗の存在が転がってない……訳がない。

　だけども、それはかなり先。

俺が言いたかった将来ってのは、あくまで目先の話だ。

「一応、俺は大学進学希望だって意味」

「……！」

「大学の寮ってのも面倒だし、アパート借りて一人暮らしってのも考えてる。だから、とりあえずどんな物件があんのかっていうのを……」

「……」

「……早苗？」

「……」

　将来設計って大それたものじゃなく、ちょっとした興味心みたいなもんだって意味なのに。

　何故か、早苗は俯くや否や、黙り込んでしまう。

　あの呆れるほどうるさい早苗が、黙っていろと言ってもなかなか黙らないあの早苗が。

　体操服の裾をぎゅっと握り締めて、下ばかり見ている。

「……おい、どうした？」

「……！」

　すると、早苗は突然立ち上がる。

　バタバタと慌ただしい挙動で机の上に置いていた早苗のスマートフォンを手に取ると、なにやら弄り出して。

……あれ、このパターンって。

「先輩」

「お、おい……早苗、それ」

「ちょっと、停まってて貰えますか」

　お世辞にも明るいとは言い難い表情のまま早苗が突き出してきたのは、スマートフォンの画面。

　00.00.00の画面。

　言わずもがな、時間停止アプリである。

　どうしよう、今回ばかりは早苗の思惑が全く掴めない。だが、なんのつもりだと問おうと口を開くより前に、早苗はアプリのスタートボタンを押していた。

「……先輩のバカ」

「……(早苗、もしかして拗ねてんの？)」

「……むぅぅぅぅ……」

「……(ん？ 賃貸契約の雑誌？ どうするつもりだ？)」

　相変わらず気の抜ける唸り声だと呆れてしまいたくもあるが、それ以上に早苗の同行が気になってしまう。

　時間停止アプリを使うや否や、持っていた雑誌を片手に俺の勉強机に向かうと、アルミの筆立てからオレンジのマーカーを一本抜き取った。

「……」

「……(読みはじめた、けど。俺は放置なのか？)」

「……」

「……(というか早苗が勉強机に向かう姿、珍し過ぎる……明日槍でも降るんじゃないの？)」

「……遠いのばっか」

「……(遠い？)」

　一体なにを始めるのかと思えば、ぶつぶつ言いながら早苗は雑誌に何やら書きはじめた。

　きゅっと軽い音が鳴る。

　それはつまり、マーカーペンを握る力がかなり入ってるってことなのかも知れない、けど。

「……これもペケ」

「……」

「……ダメ」

「……」

「……論外」

「……」

「……くそみそ」

「(くそみそ！？)」

　シュッシュ。キュッキュ。ペラ、ペラ。

　俺の部屋に響く擬音の種類はそれだけで、あとはひどく機嫌の悪い早苗の呪詛じみた独り言だけ。

「……ペケ」

「……」

「……失格」

「……」

「……隣の市じゃん。絶対ボツ」

「……」

「……なんか人の名前みたい。どこだろここ」

「……」

「……うぅ、まだページ沢山ある……でも……」

「……」

　今にして思えば、この時の俺は察しが悪すぎた。

　いや、それについては風邪引いてるし、熱もあったから多少の仕方なさはあって良いと思うけど。

　でも。

「……ペケ」

「……」

「……どこか分かんない。ダメ」

「……」

「……」

「……」

　ついには、ペケとか失格とか、そういう独り言すらなくなっていく。

　それでも、マーカーを握る早苗の手は止まらなくて。

　それから。

「……」

　時々、うーんと唸って。

「あれ……えーと地図地図」

　勉強机の本棚から何故か世界地図を取り出して。

「……ぜ、全然分かんない……うぅ」

　多分、記載された住所でも調べようとしたんだろうが、世界地図に乗ってるはずもない。

「……あ、そだ！」

　しばらくしょぼくれていたかと思えば、何かを閃いたらしい。

　何故か自分の財布の中を漁り出した。

「うーと……あ、あった」

　取り出したのは、保険証。

　それを雑誌の横に並べて、また作業を続けていく。

「……はぁ」

　溜め息をこぼし。

「……うんしょ」

　脚を組み換え。

「……せんぱい」

　こっちも向かず、そう呟いて。

「……」

　黙って。

「……」

　そんな姿が、徐々に。

　なんだか居たたまれないとさえ思えてしまったのは、何故だろうか。

　そして、それから約五分後。

「……！！」

　ようやく何かを見つけた早苗は、ゆっくりとマーカーペンをシュッと滑らせて、大きく息を吐いた。

「うんにゃあぁぁ……ちかれたぁぁ……」

「……」

「……よし」

　目的を果たせたらしく、グッと謎のガッツポーズと共に、早苗がこっちに近寄って来る。

　マーカーのペイントで汚れた手で、ベッドの上に放ったスマートフォンを手に取って。

「……ポチッとな」

「……」

　アプリを停止させた早苗は、２７分４３秒の画面を掲げながら、だらしのない笑顔を浮かべた。

「うぇへへへ、せーんぱい！ 新記録です！」

「……はいはい。で、結局、何だった訳？」

「それはですねぇ……えーっと」　

　ペラペラ、とページを捲る音がやけに優しく聞こえた午後。

「あ、はいせんぱい！ ここです、このページのこの物件！！ これ！ 早苗のイチオシです！！」

「……」

「……どうですか！？」

「…………」

「……どう、ですか！」

「……くっ、あはは、お前、やっぱバカだろ、あっはははははは！！」

「なっ、ちょ、なんでそこで爆笑するんです！？」

「いや、だって……あっははは！ ごほっげほっ！ ぶわはははは！！」

　咳き込みながら、思う。

　笑いながら思う。

　俺の彼女はとことんバカだ。

　こんなもん、一言いえば済む話だろうに。

「……うぅ、なんでそんな笑うんですかぁ」

「はーっ、はーっ……んなもん、お前がバカだからだよ」

「むぅぅぅぅぅ……」

「はぁ……けど、お前の言いたい事は分かったよ。まぁ、参考にしといてやる」

「！！ ホントですね！？ ちゃ、ちゃんと参考にしてくださいよ！？」

「分かった分かった」

「やったぁぁぁぁ！！！ せんぱーい！」

「ぐほっ、いきなり抱き着いてくんな。というか手を洗ってこい！ めっちゃ汚れてんじゃん！」

「あ、こいつは失敬しやした」

「ときどき時代劇チックな台詞回しすんの止めろ」

「じゃ、ちょっくら失礼しまーす」

「はいはい」

　バタバタと一階の洗面所に駆けていくバカのせいで、雑誌のページがパラパラと捲れる。

　溜め息混じりに拾い上げると、アイツがしっかりと折り目をつけたページをもう一回開く。

「……ばっかだな。近過ぎんだろこれじゃ」

　オレンジの☓マークばかりが一件一件に細かく記されている中で、唯一大きな丸が描かれた記事。

　そこに書いてある住所も、風景も、俺には見たことがあった。

　何故ならこの物件……

「お前ん家のド近所から、大学に通えってか」

　早苗の家から通路を二つ挟んだ場所のアパート。

　アイツの通学路。

　すぐ近く。会いたくなったら会える場所。

　つまりは、一言で済む話。

「……同棲か」

　バカのバカ丸出しの遠回りな愛情表現が、かなり先の将来を少し近くまで引き寄せた。

　してやられたと、笑うしかない。

　余計な熱がぐるぐると胸を溶かす、風邪をよりタチの悪いものにしてくれやがった、残り１５日目のある日のこと。