残り15日目の看病【午前の部】
『……意外だな。こういうイベントでサボるタイプじゃないと思ってたけど』
『ほえ?』
校長の趣味丸出しな、季節外れのマラソン大会。
かく言う俺も面倒だと思うし、休日返上してまで何で町内を走り回らなきゃいけないんだっていう参加者の約半数が思い浮かんだ愚痴にも大いに賛同してやれる。
けど、むしろコイツはそういう周りのテンションに関係なく全力を出し切るタイプだと思ってた。
それがまさか、コース途中の歩道橋の下で涼んでいれば、多少なりとも驚きもする。
『さ、サボってたんじゃなくてですね、アレですよニュートンの相対性理論がシュレディンガーでにゃーんだなって気付いて、ちょっくら涼しいとこで考えを纏めようかなっと』
『混ざり過ぎて訳分かんないって、結局サボりと変わんないし……ん? お前、脚、どうかしたのか?』
『ちょ、ちょっと……いくら早苗の脚が思春期のリビドーを掻き立てるからってそんなマジマジと見つめないで下さいよ先輩のえっち』
『……茶化すにしたってもう少し気軽にツッコミやすいボケ方してくれ。お前ってホント誤魔化すの下手だな』
『……先輩の目線がなんかやらしかったのが事実なだけでーす』
『はいはい』
拗ねたように頬を膨らませつつ、さりげなく脚を俺の視線から外そうとしてるけれども、そういうコソコソとした仕草は下手っぴな後輩だ。
放課後のグラウンドの隅の隅。
あるいは移動教室の最中のすれ違い。
時々、昼休憩の時間で屋上で鉢合わせ。
この後輩と面識を持ってからというもの、何かと顔を合わせる機会が不思議と増えた一方で、突拍子もなく奇天列な発言をし出すこのおバカに振り回される事も多い分、分かってきたこともある。
羞恥心など知ったこっちゃないと言わんばかりに、恥ずかしい発言だったりバカ丸出しな行動が多いこの早苗という女は、わりと強情だ。
特に自分の弱味を見せまいとするときなんか、無駄に必死に誤魔化したり、不似合いな小細工をしようとしてボロが出たりするけども。
『……ふーっ、しょうがない。休憩はここまでですかね……よいしょっ──と?』
『あ、おい!』
甘えるのが下手な、甘えん坊。
そんな矛盾がピタリと当てはまる。
『……脚、怪我してんの?』
『…………ちょ、ちょっと転んだだけです』
立ち上がろうとしてフラついた後輩を慌てて支えれば、バツの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。
転んだにしては土とかの汚れも目立たない身綺麗さの癖して、核心をずらす。
寄りかかられながらもチラっと脚を見れば、健康そうな白い脚の片方が微妙に痙攣している。
多分走ってる途中に捻ったか何かしたんだろう、と一先ずの納得を置いて、さてコイツをどうするか。
『……少し戻れば休憩も兼ねた中継地があるから、とりあえずそこまで行くぞ』
『……え? でも先輩、マラソンは……』
『俺はこういうイベントでサボるタイプなんだよ。で、そのサボる為の口実がお前ってとこか』
『……』
『なんだよ』
『先輩って、意外とわかりやすい嘘つきますよねぇ』
『…………お前に言われんのはホント心外なんだけど』
『うぇへへへ』
『変な笑い方……で、歩けそう? 肩なら貸してやるけど』
『……んー……』
自分の足と、頭二つ分は身長差のある俺とを見比べながら何やら考え込んでいる後輩。
たまには先輩風吹かしてやるのもいいかってな具合の提案だったけど、俺はこの日、このおバカな後輩の新たな一面を学習させられる事となる。
『先輩、ちょっと屈んで貰えます?』
『──はい?』
変わり者な後輩こと早苗は、甘え下手なのは確かだが、甘やかすと付け上がるタイプである、と。
◆◇◆◇◆
「最後かも知れないだろ……だから、全部話しておきたいんだ……」
「せんぱい……! そんなファイナルでファンタジーな冒頭のセリフを言っちゃうほどに弱って……」
「お前を"おんぶ"した時に感じた胸のボリュームとか柔らかさよりも……橋の下でお前の脚の見た時……わりとまじでリビドー掻き立てられてたんだぜ、俺……」
「せんぱい……! いきなりのカミングアウトに嬉しいんだか恥ずかしいんだか早苗もよくわかんないですけどせんぱい……! 橋の下っていつの話ですか……!」
「……あー、なんか世界がぐるぐる回ってる。この現象、つまりはあれだな。ニュートンの相対性理論がシュレディンガーでにゃーんと……」
「せんぱい……! くっ、早苗のせんぱいをこんなにも壊しちゃうくらいに今年の流行り風邪は厄介なんですね……! 大丈夫です、早苗がばっちり看病して必ずやせんぱいを完治させて見せますからね……!」
「……その看病が俺のファンタジーをファイナルに追いやってることに気付いてくれ……たのむ……」
世の中には拳銃を向けられたりナイフを突き付けられたりするより余程恐ろしい事もあるもんで、たった一口でめちゃくちゃ長い走馬灯が見えてしまうほどのアンビリーバボーな卵粥が存在とは思わなかった。
何が悲しいって、そんな兵器をこの世に産み出したのが自分のかわいい恋人であるって事だよ。
──ピピピピ……
「あ、はかり終わりましたね、ちょっと失敬……38度4分ですか。うーん、お風呂だったらちょっとぬるめぐらいなんだけどなぁ……」
「体温と風呂の温度を同列にすんなよ……これだから風邪引いたことないヤツは……ゴホッゴホ……」
「うわわ先輩、無理にツッコまなくても良いですってば。悪化しちゃったらどうするんですか、もぉ」
「なら今日くらいツッコませるような事を言うな……」
自分はどちらかといえばバカな部類に入る方だと思っていたけども、風邪をひかない域にまでは達していなかったようで。
ただ残念ながらホッと胸を撫で下ろすには些か早計に過ぎたようで、今朝早く優香からの『お兄が風邪を引いた』というメッセージを受け取った早苗が押し掛けてきた。
まぁ普通は、愛しい彼女からの看病という甘酸っぱいイベントとして青春ダイアリーに刻まれる一時になるんだろうけど。
ご存知の通り、早苗は風邪をひかない域に達してらっしゃる上級おバカな訳だから、当然看病なんてした経験もされた経験もない。
「……そ、そろそろ熱さまシート張り替えた方がいいですかね? あ、氷枕とか用意した方が良いのかな……」
「さっき張ったばっかりだって……氷枕とか、そこまでしなくて良いから……ゲホッ」
だから看病の仕方だって手探りみたいだし、常にオロオロと俺の部屋の中で右往左往としてるから、こっちも気を抜けない。
いや、気持ちはありがたいんだけどな。
正直早苗に看病されてると治るものも治らない気がするんだよね。
せっかく作ってくれたらしい卵粥も、とんでもない代物だった訳だし。
「……というかさ、早苗。今更聞くのもなんだけど……お前、学校は?」
「な、なに言ってんですか先輩! 愛しの先輩が病で倒れちゃったって時に、のんびり授業なんて受けてられるわけがないじゃないですか!」
「……普段授業を真面目に聞いとらんヤツが何を言うか。そういや昨日お前、『明日は数学の小テストがあって憂鬱』とか言ってたよな確か」
「ぎくっ……ち、違いますよ早苗は別に先輩をテストサボる口実にしたとかそんなんじゃなくてですね……」
「……ま、サボる口実にしたことがあるのはこっちも同じだから、あんま強くは言えないけど」
「はえ?」
「なんでもない」
勉強が大の苦手な早苗のことだ、絶対小テストサボれるラッキーとか喜んだに違いない。
けれどもその一方で我が家に駆け込んで来た時の息切れ具合と汗の量からして、俺の事を心配してくれたのも事実みたいだから、今日くらいは多目に見るか。
しかし、それにしたってこんな堂々と学校サボっていいもんなのか。
「よく早苗の親御さんが学校サボるの許したな……ん、まさかお前、制服姿ってことは親に内緒で……」
「あーいえいえ、制服なのは早苗が慌てて家から飛び出しちゃったせいでして。ママもパパも早苗が学校休むってことは知ってますよ。というかですね……むしろママが早苗に、学校なんか行ってないで先輩の看病して来なさいって」
「……相変わらずぶっ飛んでんね、お前のママさん」
「風邪で弱ってるとこに甲斐甲斐しく世話をやいて女らしさをアピールし、先輩のハートをがっちり掴むべし! とかなんとか」
「…………それ俺に言っちゃダメなやつじゃね?」
「全く、ママは心配症にも程がありますよねーホントに。そんなアピールなんかしなくたって先輩のハートはがっちりばっちりぎゅぎゅっと掴んでますって。ねー先輩?」
「調子乗んな」
「うひぃ」
ねーとか言いながら病人の顔を覗き込んでくるお調子者の頬をぐにっと引っ張りつつ、いつも以上に熱のこもった溜め息を落とす。
色々と聞きたくなかった早苗のバックアップ事情については、早々に熱に浮かされがちな意識の海へと放り込むとして。
このおバカがいつもより少しでもいいから大人しく事を心の底から願ってみるも。
「そういえば先輩知ってます? ネギをお尻に刺すと熱が下がるらしいとかなんとか……」
「迷信だから! 科学的根拠なんにもないからそれ! なに目ェ輝かしてんだぜってぇ試させないからなぁ!」
多分、意味ないんだろうなぁ。
俺の信仰が行き届いた試しがないのは、いつぞやのバレンタインデー前に証明された訳だし。
つまり、俺はこの熱に浮かされがちな中で、この常時暴走機関なおバカの行動に、目を光らせなくてはならないと。
「…………最近この世界が俺に優しくない件について」
「あ、LINE……みっちゃんからだ……なになに、先輩の風邪を治すには……さ、早苗がバニーガール姿ですりおろしたリンゴを先輩のお口にアーンすれば一発ゥ!? ご、ごくり……」
「……早苗もこんな調子だし…………絶対悪化するパターンだこれ……」
風邪は万病のもととは言うけども、一番の病原菌になりかねない存在に看病されるというこの状況。
世界からの悪意さえも感じるような、残り15日目の午前のこと
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