彼方の稜線にかかる薄雲は鮮やかな命の朱色をして、沈みゆく太陽の道筋をはっきりと示している。並び立ち、その夕映えを臨みながら、僕らは今いちど荷をあらためた。

「行きましょうか」

 ノノラが言う。それは少女の形をして、しかし、そこに宿るたましいは、並の少女よりよほど清廉で、悩めるものだと知っている。

 立ち止まる僕へ、ノノラは問いかけるように振り返る。その拍子、ひとつに束ねた黒絹の髪が、翼のようにひるがえった。

「……旅のはなむけだ。折角だから、何か吹こう。何がいい」

「はなむけって、あなたも一緒に来るんでしょう」

 ノノラは自嘲気味に微笑んで、でもどこか期待するように、答えた。

「なら、切ないやつを。人でなしのわたしでも泣いてしまいそうな、とびっきりをちょうだい」

 僕はいつものように笛を取り出して、それが久方ぶりだと気がついた。故郷を離れてからというもの、誰かの為に演奏したことがあっただろうか。

 唄口へ、唇を寄せる。

 エメラルドの瞳に、涙が流れることはきっとない。けれど、内に秘めた形なき涙は、それゆえに、あらゆる清水より澄み切っているだろう。それを、思い浮かべながら。

 消え入りそうな甘い調べが、燃え立つ黄昏へと溶けていった。

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涙とエメラルド -ある笛吹きと“少女”の邂逅- 八枝ひいろ @yae_hiiro

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