ちくわが好きな女の子

未由季

ちくわが好きな女の子

 隣の席の藤村さんは、給食をとてもきれいに食べる。

 藤村さんが食べた後の食器は、いつも舐めたみたいにピカピカで、フライのソースが汚く広がっていたり、お米の粒がくっついていたりすることもない。おひたしから染み出たおつゆも、藤村さんはスプーンですくって飲み干す。


 だから僕は、藤村さんに好感を抱いている。


 お母さんが言っていた。

「食べ物を大切にする子は、素敵なんだよ」

 それなら藤村さんは、きっととんでもなく素敵な子に違いないのだ。


 それに、藤村さんはとっても魅力的な顔をしている。

 目が鋭くて、鼻がきゅっと高くなってて、上唇の先はツンと尖っている。

 藤村さんの顔を生き物に例えるなら、間違いなく鳥だ。

 それも、ひよことか文鳥とかの可愛い鳥じゃなくて、鷹や鷲みたいな強くて賢そうな鳥だ。

 

 僕以外のクラスメイトは、藤村さんから鷲や鷹じゃない、全然別の鳥をイメージしているみたいだった。

 藤村さんはみんなから陰で「鶏ガラ」と呼ばれている。

 僕は最初、鶏ガラが何かわからなかった。もしかしたら鶏のから揚げのことかもしれないと思った。


「鶏ガラってどういう鳥なの?」

 学校から帰って、お母さんに尋ねた。


「鶏ガラっていうのは、鶏の骨のことよ」

 お母さんは答えた。


 藤村さんは、すごく痩せている。





 今日も藤村さんは給食を残さず食べていた。

 僕がまだ半分も食べ終わらないうちから、藤村さんの食器は空っぽだ。藤村さんは食べるのが早い。

 僕たちのクラスでは、みんな揃ってごちそうさまの挨拶をするまで、席を立ってはいけないという決まりだから、早くに食べ終えてしまった藤村さんは、ただじっと座っているしかなくて、暇そうだった。


「ねえ藤村さん、これ食べてくれない?」

 僕はちくわの磯辺揚げを箸先で示し、小声で話しかけた。


 藤村さんは、不審そうに僕を見た。

「なんで? ちくわ嫌いなの?」


「ちくわは好きだよ。でも青のりが苦手なんだ」

「おいしいのに」

「磯臭いのが苦手なんだよ」

「いいよ、食べてあげる」

 藤村さんの箸が素早く伸びてきて、僕の食器からちくわの磯辺揚げを運んでいった。

 

「ありがとう、助かったよ」

「ううん、こちらこそ」


 そのとき、僕は藤村さんがとってもおいしそうな顔をして食べることに気づいた。

 鋭い目が柔らかくなって、幸せそうにほっぺを膨らませている藤村さんを見ていたら、僕はなんだかもっともっと藤村さんにごはんを食べてもらいたい気持ちになった。





 体育の時間。

 女子たちがくすくすと、忍び笑いを浮かべている。

 視線は藤村さんの着ている体操着へと注がれていて、僕には女子たちのその目つきが、ちょっと意地悪そうに見えた。

 藤村さんの体操着には「三年一組 藤村」と大きく名札が付いている。

 三年一組は間違いだ。藤村さんは僕と同じ四年二組の生徒なのに。


 四年生に上がるとき、藤村さんのお母さんは名札を付け替え忘れたのかなと僕は思った。


「ほんと汚いよねえ……。体操着洗ってないんじゃない?」

「臭そうだよね。絶対近づきたくない」


 女子のほうからそんな話し声が聞こえてきた。

 藤村さんが笑われている理由は、名札のことじゃなかった。体操着の首まわりがみんなより明らかに黄ばんでいることを、女子は笑っているのだった。

 

 なんでそんなことで笑うんだろう?

 僕は不思議だった。

 確かに藤村さんの体操着は着古されているけれど、藤村さん自身はとてもきれいなのだ。

 でも、藤村さんがきれいだということに気付いているのは、クラス中で僕だけなのかもしれない。

 僕だけの、発見だ。


 藤村さんを笑っている女子のひとりと、目が合った。

 僕はその子ににっこりと微笑んで見せる。



 ◆



 帰りの会の後で、智彦たちからサッカーに誘われた。

 一組の連中も集まって、みんなでわいわいボールを蹴った。楽しかった。僕は体を動かすのが好きだ。


 日が暮れてきてから、みんなとバイバイして、ひとり帰り道を歩いた。

 公園の横を通りかかったところで、見覚えのある後頭部が、ベンチの背もたれの先から出ているを見つけた。首の後ろの骨がにゅっと浮き出ているから、絶対に藤村さんだ。


「何してるの?」

 僕は正面に回りこんで、声をかけた。


「え?」

 藤村さんは僕を見て、飛び上がりそうなほどびっくりしていた。藤村さんの手には、パンの袋があった。


 僕は藤村さんと目を合わせ、にいっと笑った。それから隣に腰を下ろした。


「平子くん? どうしたの?」

「うん、いつもはもう少し早く帰るんだけど、今まで校庭でサッカーしていたから、今日はこんなに遅いんだよ」

「そうじゃなくて、何でここに座るの?」

「藤村さんの隣に座りたかったから」

「え、そうなの?」

「うん、そうだよ。僕たち学校でも隣の席だし、隣に座るのは自然なことだろう?」

「うーん、そうなのかなぁ……」

 藤村さんは首を傾げた。


「ちくわパンだね」

 僕は藤村さんの手元を指差して言った。

「ちくわ好きなの?」


「好きよ、ちくわ」

「他には? 好きな食べ物とかある?」

「おいしいものなら何でも好き」

「好き嫌いとか、ないの?」

「今のところ、ないかな」

「藤村さんはすごいなあ」

 僕には青のりの他にも、苦手な食べ物がたくさんある。


「こんな時間にパンを食べたら、夕飯がおなかに入らなくなって、お母さんに叱られたりしない?」

 僕は尋ねた。


 藤村さんはそっぽを向いて言う。「叱られないよ。うち、お母さんいないし。だからこのちくわパンがわたしの夕飯なのよ」


「お母さん、仕事?」

「ううん、死んじゃったの。わたしが小学生になってすぐ」

「へえ、なんで死んじゃったの?」

「病気だったの」

 藤村さんはそこで改まった感じになって、僕の顔を覗き込んだ。

「ねえ、平子くんてちょっと変だよね」


 僕はいまいち分からなかった。

「変? どこが?」


「だってね、お母さんが死んじゃったことを言うと、普通の人はみんなそれから先何も言ってこないよ。それでね、聞かなかったふりして、変な気を遣ってくるの」

「そうなんだ」

「平子くんみたいに、なんで死んじゃったのなんて訊く人、今までいなかった」

「お母さんのことは訊いちゃいけなかったんだね。ごめんね」

「ううん、訊いてもいいんだよ。別にわたし、それで傷ついたり悲しんだりしないし」

「そうか、それは良かった」

「あのね、それからさっきみたいに、目が合った瞬間に笑いかけてくるのも、おかしいよ」

「笑うことも変なの?」

「普通の男子は、女子と目が合っても無反応だよ。それで、すぐ逸らすの。なのに平子くんは決まって目を合わせたまま、笑いかけてくる。なんで?」


 僕のお父さんは、とても体が大きい。だから僕も「将来大きくなるよ」とお母さんに言われ続けている。

 僕は運動が好きだから、もしかしたら筋肉がいっぱいついて、お父さんよりも大きな人になるかもしれない。

 お父さんとお母さんは僕に「いつも笑顔を忘れないこと」と言いつける。

 僕は二人を尊敬しているから、言いつけはしっかり守る。


「僕のお父さんが言うには、大きな体はそれだけで人にイアツカンを与える恐れがあるんだって。相手を安心させて、自分は怖い人じゃないよって知らせるためには、にっこり笑いかけることが有効なんだ」

 僕は説明した。

「だから、僕は目が合った人には笑いかけるようにしているんだよ」


「でも、平子くんは別に大きくないよ」

 藤村さんが言った。

 今の僕は、藤村さんよりちょっと背が高いくらいだし、藤村さんほどじゃないにしても、痩せっぽっちだ。


「大人になるまでには大きくなるから、いいんだよ」

「へえ」

「そういえばさ、ちくわパンが夕飯なのはわかったけど、なんでわざわざ外で食べてるの?」

「別にいいじゃない、外で食べたって」

「ピクニックってこと?」

「そんな楽しいものじゃないけど。部屋でひとりで食べるよりかは、外の方が気が紛れるっていうか……」

「藤村さんのお父さんは?」

「仕事で帰りが遅いから、お父さんとは夕飯一緒に食べられないの。毎朝、夕飯を買うためのお金を置いていってくれるよ」

「いつもここで買ったもの食べてるの?」

「うん」

「ひとりで?」

「うん」

「じゃあ、明日は僕もここで食べていいかな」

「いいけど」



 それから僕と藤村さんは、毎日夕方になると公園のベンチで落ち合うようになった。

 並んで座り、何かを食べる。何かとは、僕の場合はだいたいが駄菓子で、つまり夕飯までの繋ぎってやつだ。藤村さんは大抵コンビニのパンかおにぎりで、それが夕飯ということになるのだった。


「ねえ、いつもパン一個とかおにぎり一個とかで、足りるの? お腹空かない?」

 あるとき、僕は尋ねた。

 夕飯を食べる量が少ないから、藤村さんは痩せているのかもしれない。


「足りないけど、仕方ないの。お父さんが置いておいてくれる夕飯代を、なるべく使わないでおきたいから」

「ほう」

「でもね、使わなかったぶんをお父さんに返すわけじゃないんだよ」

「どうするの?」

「自分の貯金箱に入れちゃうの」

「へそくりってやつだね」

 僕は訳知り顔で言ってみた。


「貯金して、何か買いたいものでもあるの?」

「ううん。貯金しているのは、将来ひとり暮らしをするためよ」

「もうそんなこと考えてるの? すごいなあ」

「わたし、早く家を出たいのよ。だから頑張って、なるべく多く夕飯代を貯金にまわすの」

 

 僕はそのとき、藤村さんの貯金を応援したいと思った。

 そして同時に、藤村さんの体にもっと肉がつけばいいのにとも考えた。

 僕は、藤村さんを太らせたい。



 ◆



「平子くんって、藤村さんと仲いいの?」

 昼休みの教室で、今井さんに訊かれた。

「噂になってるよ。平子くんと藤村さんが、毎日公園で会ってるって」


 今井さんの背後にはクラスの女子がほとんど顔を揃えていて、僕は女子たちに囲まれる格好になる。


「うん、会ってるよ」

 僕は答えた。


「藤村さんと、仲いいの?」

 今井さんは緊張したみたいな顔で、さっきと同じことを訊いてきた。


 たくさんの女子の目に見張られていて、僕は居心地が悪い。背中の辺りがむずむずする。

 本心では早くこの場から逃げ出したいけれど「相手とちゃんと向き合って、正直に話す」が僕のお父さんの教えだ。

 だから僕は、正直に答えた。「うん、仲はいいよ」

 瞬間、女子たちが変な声を上げて騒いだ。

 僕と今井さんのやりとりを遠巻きに眺めていた智彦が、指笛を吹こうとして音が出せず、口先だけで「ひゅー」と言った。


「なんで藤村さんなの? ゆっこのほうが藤村さんより可愛いのに」

 女子のひとりが、今井さんの肩に手をやって言った。

 今井さんは黙って俯いている。


「うん、今井さんは可愛いね」

 僕は今度も正直に言った。

 それを聞いた智彦が腹を抱えて笑い、女子たちに頭を叩かれていた。


 今井さんは確かに可愛い顔をしている。目が丸くて、前歯が大きくて、生き物に例えたらリスだ。リスは可愛い。

 

 でも、僕はリスより鷲や鷹のほうが好きなのだった。


「良かったね、ゆっこ。平子くん、ゆっこのこと可愛いってさ」

 隣に立った女子にそう声をかけられ、今井さんが顔を上げた。


「じゃあさ、平子くん、今度から藤村さんじゃなくて、わたしと会う?」

 今井さんは首を傾げ、上目遣いに僕を見た。


「今井さんと? だけどもう、こうして会ってるよ」

「そうじゃなくて、学校が終わった後に、二人だけで会うの」

「ごめんね。僕は藤村さんと会うから、今井さんと遊ぶ時間はないと思う」

「じゃあ藤村さんと会わなきゃいいよ」

「それは駄目だよ」

「なんで? さっきわたしのこと可愛いって言ったじゃん」

「うん」

「じゃあわたしと二人で会うのね?」

「会わないよ」

 

 今井さんがわっと泣き出して、僕は女子から大ブーイングを浴びせられた。


 翌日から、今井さんたちは藤村さんのことを「鶏ガラ」ではなく、「ブス」と呼ぶようになった。面と向かってではないけれど、藤村さんの傍に寄っていって、わざと大きな声でそう言うのだ。藤村さんの耳に届くように。


 藤村さんは別段気にしていないふうで、いつも通りひとりじっと、机を見つめて座っていた。でも、机の下で握られた拳が、微かに震えているのを僕は見た。


 学校にいる間、僕は今井さんたちの声が掻き消えるよう、できるだけ声を張って藤村さんに話しかけた。



 ◆



 朝から降り続く雨は、お昼を過ぎても止む気配はなく、ますます勢いを増していた。


「今日は公園、行けないね」

 給食を食べながら、藤村さんは窓の外を見やり、ぽつりとこぼした。


 僕たちが放課後、公園で落ち合うようになってから、もちろん雨が降った日もあったけれど、夕方には止んだり、夜中のうちに降っただけだったりして、奇跡的に雨天中止を免れていた。

 でも、さすがに今日は公園でのピクニックは無理だろう。


 それじゃあ藤村さんは、今日の夕飯をどこで食べるのだろうか。

 お父さんも帰ってきていない、ひとりぼっちの部屋でごはんを食べる藤村さんの姿を想像して、僕は胸の辺りがきりきりと痛いような気がしてきた。


「今日は僕のうちでごはんを食べようよ」

 そう提案すると、藤村さんは驚いたように僕を見た。


「平子くんのうちに、わたしが行くの?」

「そうだよ」

「すごい……。わたし、友達の家に遊びに行くのなんて初めてだよ」

「お母さんにお願いして、おいしいごはんを作ってもらおうよ」

「え……でも大丈夫かな?」

「何が?」

「友達の家でごはん食べて」

「大丈夫だよ。僕のお母さんは料理上手なんだ。それに、お母さんの料理はタダだよ。だから藤村さんは、今日の夕飯代をまるごと貯金にまわせるんだよ」


 僕は思いついて言った。

 我ながら、これはすごい名案だと思った。藤村さんも目を輝かせている。

 今日だけでなく、これからもそうして僕のうちで藤村さんが夕飯を食べるようにすれば、どんどん貯金ができるようになるだろう。

 僕はわくわくして、放課後になるのを待ち遠しく思った。



 ◆



 藤村さんのお父さんの番号に、お母さんは電話を掛けた。


「こういうことは、きちんと了解をとらないとね」

 お母さんは僕たちに言った。

 藤村さんが僕のうちで夕飯を食べるには、藤村さんのお父さんにそのことを知らせて、いいよと言ってもらわないといけないらしい。

 

 そうしたら藤村さんは、今日のぶんの夕飯代をお父さんに返さなきゃいけなくなるだろう。僕のうちのごはんを食べるのだから、何も買い物をしていない。夕飯代は手付かずのままなのだ。

 せっかく今日は藤村さんが多く貯金できると思ったのに、がっかりだ。

 

 でも藤村さんは、僕のお母さんが電話を掛けているのを見ながら、ほっとしたような顔をしていた。

 僕はそこで気がついた。

 藤村さんは、お父さんを出し抜くみたいなこと、本当はしたくなかったんじゃないだろうか。



 通話を終えたお母さんが、藤村さんに言った。

「お父さん、うちでごはん食べて行っていいって。帰りは家まで送って行くからね」


「ありがとうございます」

 藤村さんがぺこりと頭を下げた。


 それから僕と藤村さんも手伝って、夕飯の準備にとりかかった。

「雨で買い物に行けてないから、たいしたものは作れないけど……」と言いながら、お母さんはてきぱきと献立を決めていく。


 元々薄暗かった空が、群青色に染まった頃、食卓はおいしそうな匂いに包まれた。

 きゅうりとトマトのサラダ、だし巻き卵、鮭のパン粉焼き、たらこじゃがバター、ちくわと昆布の煮物、ねぎと豆腐の味噌汁――いつもの夕飯よりおかずの種類が多くて、僕のお腹はぐるぐると唸り声を上げた。


「いただきます」

 僕は忙しく箸を動かして、どんどん食べた。どのおかずもおいしいけれど、特にサラダのきゅうりが絶品だ。すごく分厚かったり、紙みたいにペラペラに切られていたりして、面白い。きゅうりは藤村さんが切ってくれた。


「うむ、今日のきゅうりは、いいきゅうりだ」

 僕が言うと、お母さんは「バカね」と言って吹き出した。藤村さんも笑った。


 藤村さんは、ちくわと昆布の煮物を「おいしい、おいしい」と言っていっぱい食べていた。

 ちくわは、僕が切った。

 僕はなんだかとても誇らしい気持ちになって、ごはんを食べる藤村さんを眺めた。


 夕飯を食べ終えると、お母さんの運転する車で、藤村さんを家まで送った。

 藤村さんちは僕のうちと同じくらいの大きさの、二階建ての家だった。僕んちと違うのは、藤村さんちの庭が荒れ放題になっていること。


「ごちそうさまでした」

 藤村さんは車から降りると、明かりのついていない家の中へと入っていった。



 ◆



「明日の夜はお父さんと外食するから、ここには来れないんだ」

 公園のベンチに座って、藤村さんは言った。藤村さんの膝の上には、お稲荷さんの入ったパックが置かれている。


「いいなあ、外食かあ」

 僕はスナック菓子を口に放りこみ、言った。


「お休みの日にお父さんと外でごはんを食べるときは、ファミレスが多いんだけど、明日は違うの。予約が必要なレストランでごはんを食べるんだよ」

「すごいなあ」

「わたし、レストランに着ていくためのワンピースを買ってもらった」

「新品の服を着ないと、レストランには入れないの?」

「そんなことないと思うけど、明日はきれいな恰好をしなさいって、お父さんが」

 

 藤村さんははしゃいでいた。それなのに、外食した翌日は別人みたいに暗く沈んだ顔をしていた。


「どうしたの?」

 僕が尋ねると、藤村さんは悔しそうに眉を下げた。


「あのね、今度からわたし、夕飯は家で食べることになりそうなの」

「お父さんの仕事が早く終わるの?」


 それは喜ばしいことだ。藤村さんが明かりのついていない家に帰ることもなくなるだろう。夕飯も、パンやおにぎりじゃなくて、出来立てほかほかのおうちのごはんを食べられるのだ。


 だけど僕は、ちょっぴり残念な気持ちでもあった。

 僕は藤村さんと公園のベンチに並んで、何かを食べるのが、とても楽しいのだ。


「ううん、お父さん忙しいから……」

「じゃあなんで?」

「夕飯を作ってくれる人が、家に来るかもしれなくて……」

 藤村さんはそう言ったきり、黙り込んでしまった。



 それからも僕たちは放課後、公園で会い続けた。

 夕飯を家で食べる話はどうなったのか、訊いてみたかったけれど、藤村さんの元気がなくなりそうな気がして、僕は黙っていた。

 藤村さんのほうから話してくれるのを待とう。

 それでなくとも、藤村さんは外食をした翌日からずっと、塞ぎ込んだ様子なのだ。


 僕は藤村さんが笑顔になりそうな話をした。

「写生会、楽しみだね」

 藤村さんは時々、ノートの隅に絵を描いている。きっと絵が好きなんだろうと思った。


「うん、楽しみ」

 藤村さんはここ最近で一番いい顔をして見せてくれた。


「晴れるといいな」

 写生会は、学校近くの植物園に移動して行われる。お昼は植物園から続く丘の上でお弁当を食べることになっているから、晴れたらきっと気持ちがいいだろう。



 ◆



 期待通り、写生会当日は朝から元気な太陽が、僕たちを照らした。

 僕は智彦たちと池の周りを陣取って、絵を描いた。そしてお昼になると、智彦たちから離れ、藤村さんの姿を探した。


 クラスの女子は数人のグループでレジャーシートをくっつけ、お弁当を広げていたけれど、藤村さんはどこのグループにも入っていないみたいだった。


 お弁当片手に、丘の上をうろうろしていると、今井さんたちのグループが変な目で僕を見た。だけど僕は構わず、藤村さんの名前を呼んだ。


 藤村さんは、植え込みの陰で、ひとり膝を抱えて座っていた。傍らには、うさぎ柄のお弁当袋が置かれていた。

 僕は藤村さんの隣にレジャーシートを広げ、お弁当の包みを開けた。


「平子くん、瀬川くんたちとお弁当食べるんじゃないの?」

「ううん、藤村さんと食べるよ」

「いいの?」

「いいんだよ」


 藤村さんはのろのろした動きで袋を開け、同じうさぎ柄のお弁当を取り出した。蓋に手をかけたところで、何かを振り切るように首を振った。


「どうしたの?」

「お弁当、食べたくない」

 藤村さんはうさぎ柄のお弁当箱を、僕に押し付けた。


「……良かったら、僕とお弁当交換する?」

 僕は藤村さんにおすそ分けするつもりで、お弁当にちくわを入れてもらっている。


 そうして交換した藤村さんのお弁当は、にんじんが星型になっていたり、ウインナーに黒ゴマの目がついていたり、カニカマがリボンの形に整えられていたりした。


 しげしげとお弁当箱の中を覗き見る僕に、藤村さんが言った。

「それ作ったの、新しいお母さんなんだよね」


 僕はその言葉がピンとこなくて、頭の中で何度も繰り返した。新しいお母さん、新しいお母さん、新しいお母さん……。


「うちのお父さん、再婚するの」

「再婚……」

「新しいお嫁さんを迎えるってことね。それで、その人がわたしの新しいお母さんになるのよ」


 藤村さんの持ってきたお弁当は、一目で手が込んでいることがわかった。

 こんなに手をかけてくれるということは、新しいお母さんはきっと藤村さんのことが大好きなのだろう。

 これからの藤村さんは、手入れされた庭のある家に帰り、手作りの温かいごはんを食べるのだ。きれいに洗濯されて、名札も付け替えられた体操着を着るようにもなる。


「良かったね」

 僕は笑顔で言った。


 藤村さんは頷いたけれど、その後すぐに泣きだした。最初はぐすぐすと、だけど次第に嗚咽が止められなくなって、最後にはごうごうと泣き声をもらした。

 僕はただずっと、泣いている藤村さんの背中をさすり続けた。



 写生会の日からほどなくして、藤村さんの引っ越しが決まった。

 新しいお母さんの実家近くに、新たな家を借りることになったそうだ。そこは僕たちが今住んでいる街から、とてもとても遠い。

 藤村さんは転校することになった。


 お別れの日、藤村さんは泣かなかった。


「わたし、来月十歳になるの」

 藤村さんは、睨むように僕を見て、言った。

「大人になるのまで、もう十年かかる。わたしたち、まだ大人の半分しかないのよ。先は長いわ」


「長いね」

「でも負けない。残りの半分を頑張って、わたしは立派な大人になるの。大人になれば、自分のことは自分で決められるのよ。それでね、自由に好きなところへ行けるの」

「そうだね」


 僕はなぜか藤村さんの顔を見るのが苦しくて、自分の靴先ばかりを見つめていた。何か塩辛いものが喉の奥に引っかかって、うまく言葉が出て来なかった。



 ◆



「買い物行くから、一緒に来なさい」

 藤村さんが転校してから、腑抜けのようになってしまった僕に、お母さんが言った。

「帰りは、荷物持つの手伝ってね」


 スーパーに行き、僕はお母さんに命じられるまま、カートを押して歩く。

 お母さんはぶつぶつと独り言を唱えながら、野菜や魚を、投げるように買い物カゴの中へ入れていく。こういうときのお母さんの手つきは、ちょっと雑だ。トマトがかぼちゃの下敷きにならないよう、僕は気を付けて入れ直してあげなきゃいけない。


「あ、あとこれも買っておこう」

 お母さんがちくわの袋を、カゴに放り込んだ。

 そしてちょっと通路の先を進んでから、こっちを振り返り、不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。

「ちょっと、どうして泣いているのよ」



 大人になったら、絶対会いに行こう。ちくわが好きなあの子の元へ、自分の足で行くんだ。

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ちくわが好きな女の子 未由季 @moshikame87

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