第2話

 鯰が心配そうに振り返りながらも、を曲がった辺りで泥鰌は小躍りした。


 楽ちんで、それでいて高給取りな仕事がある――怪しげな噂に飛び付いた泥鰌は、やがてその仕事が「地震予報士」であると知った。現役の予報士がすぐ近くの沼にいる、という情報をあめんぼから聞いた時、泥鰌は荷物も軽いまま慌てて問題の沼へと引っ越したのである。


「えーっと、何々……正午になったら決まりの場所を鼻で掘って、地震の予兆を感じ取るべし……」


 鯰の書き置いた手順書を見やりながら、泥鰌は「観測処」と看板の立つ水底を、いつもの調子でグリグリと掘ってみた。身体の半分程を掘ってみたが、これと言って髭にピリピリと電磁波を感じたり、唸るような音が聞こえたりはしない。


「何でぇ、何にも感じないや」


 異常無し――報告書をスラスラと記していく泥鰌。「決まった時間に受け取りに来るんだ」と説明を受けていた通り、神経質そうな顔付きの棘魚が間も無く現れた。


「あれ、鯰さんは何処ですか」


「今日はお休みだ、代わりに私が予報士をやっているんだ」


 棘魚は眉をひそめ、「拝見します」と報告書に大きな目を通していく。読み切った辺りで「泥鰌さん」と尖った声で言った。


「余程の自信がおありのようですが、私としては少し、気になる点がありましてね」


 見てご覧なさい……棘魚が水面の更に向こう、青空に浮かぶ雲を鰭で指した。


、と私と鯰さんは言っているんですがね。あれが出ていると近い内にグラグラと来る……ってのが分かっているんです」


 初耳だ、とは言えず、泥鰌は知っていたと頷きながらも注釈を加えた。


「分かっています、分かっていますとも。あえて私はそれを外したんですよ、量が少ないでしょう? ドカンと来るならもっと多い、あんなちっぽけな雲なら、まぁの可愛いもんでさぁ」


 それでも棘魚は報告書を睨め付けていたが、観念したように首肯した。泥鰌がホッと一息吐こうとした矢先、棘魚は「但し」と続けた。


「今は貴方が責任を持つんですよ、遠足に出掛けている目高の子供達を連れ戻さなくて良いんですね? 洗濯物を取り込めと触れて回らなくて良いんですね? 家の補強をするように報せて回らなくて良いんですね?」


「責任は親分さんにありますぜ、何たって私を任命したんだから」


 そっぽを向いた泥鰌の視線を追うように、棘魚はサッと泳いで再び正面に立った。


「知っていますよ、泥鰌さん。相当頼み込んだそうですね、鯰さんには。この仕事はあの方じゃないと務まらないぐらい、責任が重いやつです。もう一度聞きますよ、本当に地震は来ないんですね?」


 面倒になった泥鰌は適当に頷き、そのまま鯰の家へと入ってしまった。中にはせっせと鯰が拵えた酒や食べ物がタップリと貯蔵されている。酒をグビリとやる泥鰌を窓の外から覗いていた棘魚は、もう一回空を見上げ、指標となる段々雲を見つめていた。先程よりも少しだけ――雲量が増えているようだった。




 その後、どのような顛末を迎えたかを端的に説明したい。


 読者諸兄お気付きの通り、泥鰌には全く地震予報士の適性が無かった。


 泥鰌が水の中でも空を飛びそうな程酒を飲みまくっていた頃、沼は大きく揺れ始めた。「地震が無い」といい加減な予報を信じていた住民達は、絵に描いたような騒乱を見せたのである。


 遠足に出掛けていた目高の子供達はあちらへこちらへ逃げ惑い、全員を帰宅させるまで半日以上掛かった。各家の洗濯物は突如起こった波に揺られ、そのまま波打ち際まで運ばれてしまい、パシャリと地面へ放り投げられた。更に自宅の補強を行っていない魚達などは、本震が収まってから五分後には全員が難民となり、この沼の鰻の不動産屋に皆が押し掛けた為に大混乱を巻き起こした。


 当然、泥鰌はこの沼を追い出された。


 住民達は旅行から急いて帰って来た鯰を責める事は無かったが、鯰自身、「任命した側に責任がある」と自己嫌悪に陥ると、甥っ子の鯰に後任となってもらい、家に引きこもるようになった。


 泥鰌の行方は、そして鯰の行く末は? 


 それは残念ながら伝わっていない。


 実はこれから一ヶ月後、沼ごと引っ繰り返されるような大地震が起こったのだ。引きこもる鯰は予知など出来ず、後任の甥っ子は経験が少なくやはり見抜けなかった。


 消えた泥鰌の言う通り、二匹の運命を変えた地震はそれこそ――「揺り椅子程度」のものであった。

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鯰と泥鰌 文子夕夏 @yu_ka

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