四角の海、夏の空

「あー、だっり。何で、夏休みにプール掃除なんかしてんだよー……」

 デッキブラシの持ち手の上にあごを乗せて、光貴が水の抜けたプールの中心で、けだるそうな声を上げる。その直後、光貴の後頭部に泡つきのたわしが飛んできた。

「いでっ?!」

「愚痴ってないで手を動かしなさい、しゅげっちゃん! って、夜維斗もさぼんじゃないわよ!!」

 光貴にたわしを投げた里佳は、次に手を止めてぼんやりとしている夜維斗に向かって落ちていたたわしを投げる。が、夜維斗は絶妙のタイミングで首を少し傾けて避けた。

「おお、月読ナイス!」

「避けんな、夜維斗ー!」

「って、お前ら遊ぶな!!」

 里佳に続いて声を上げたのは、デッキブラシを持っていた悠吾だった。

 夏休みが始まって三日目。その日、午前中に課外を終えたオカルト研究会のメンバーと生徒会のメンバーは一緒に水の抜けたプールの掃除をしていた。

「うっせぇな、石倉。っつーか、何で生徒会と一緒にオカ研がプール掃除なわけ?」

 光貴が不満たっぷりという様子で近づいて問えば、悠吾はふっと鼻で笑いながら向こう側で掃除をする里佳を指差した。

「文句なら、お前のところの会長に言え。俺は強制したわけじゃないが、陽田が快く引き受けてくれたんだ」

「マジかよ……」

 悠吾の答えに光貴が呆然とした表情を浮かべる。それを悠吾は鼻で笑った。

「さーて、さっさと掃除しろー。俺たちが掃除終わらせないと、補習でプール使えないんだからなー」

 ぱんぱんと手を叩きながら悠吾が言うと、生徒会メンバーが「はーい」と手をあげて返事をした。納得のいかない光貴はむすっとした表情を浮かべて里佳のところに向かった。

「里佳、何でこんなの引き受けたんだよ?」

「だっ、だって、いっしーが脅したんだもん。『特別に活動させてやってるんだから、生徒会の手伝いぐらいするだろ? じゃなきゃ、活動停止だ』って」

 光貴に問われた里佳はわざとらしく肩を狭めて、両手をきゅっと握って顎に当てて、もじもじとしながら光貴を見上げて言う。

「やっぱりな、あのヤロー……」

 何が強制したわけじゃない、だ。そう思いながら悠吾を睨む光貴に夜維斗は白けた視線を向けていた。

「まあいいじゃない? お礼に水泳部がアイスおごってくれるって言ってくれてるし!」

 里佳はにこにこと楽しそうに笑いながら、光貴の背中をばんばんと叩いた。里佳の楽しそうな反応を見て、「まあ、里佳がいいなら……」と光貴は半分納得しきれていないものの苦い笑みを浮かべて頷いた。

 その後ろで、志穂が悠吾に声をかけた。

「そろそろ終わりかな、石倉くん」

「ああ、こんなもんだろうな」

「終わる?! 終わり?!」

 悠吾の小さな呟きを聞き逃さなかった真実花がぴょんぴょんと跳ねながら悠吾に向かって大声を上げた。それを聞いた光貴が振り向いて、ぱあっと表情を明るくさせた。

「本当か石倉! 俺らの肉体労働も終わりだな?!」

「肉体労働って言うほどじゃねぇだろ。ま、終わりは終わりだけど」

「よっしゃー! あー、つっかれたぁー」

「もう、しゅげっちゃんさっきから『疲れた』だの『だるい』だの言ってばっかりー」

 そんな風に言いながらプールを出ると、プールサイドを大きなバッグを二つ抱えて歩く姿が見えた。その姿に向かって、悠吾が手をあげた。

「ああ、森内。ちょうど終わったぞー」

「本当? ナイスタイミングじゃん」

 悠吾たちににっと笑いかけたのは、生徒会の役員であり水泳部部員でもある森内モリウチ秋菜アキナだった。

「みんなお疲れ様。お礼のアイス、もって来たよー。休憩室で食べちゃお」

「ありがとう秋菜ちゃん。あ、俺こっち持つよ」

 いつの間にか秋菜の隣にやってきていた光貴が爽やかな笑みを浮かべて秋菜に声をかける。

「ありがとう朱月くん、じゃあお願いしちゃうね」

 秋菜からバッグを受け取った光貴を見て、悠吾が「さすが……」と小さく呟いた。

 それからいったん休憩ということでプールサイドに建っている小さな休憩室の中に入った。日差しを避けられるだけで一同の体感温度はかなり下がった。

「本当は水泳部がするはずのことだったんだけどね。室内プールの強化特訓が入っちゃってできなくなって」

「まあ、どっちにしろ水泳の補習が来週からあるからな。それまでに掃除しないといけなかったからついでだよ」

 申し訳なさそうに言う秋菜に対し、悠吾がアイスの箱の中身をじっと見つめながら答えた。中身を見ているのは悠吾だけではなく、里佳と光貴、それから真実花も真剣な表情を浮かべて見つめている。

「じゃ、俺はソーダで」

「あたしはコーラ!」

「あ、朱月! 勝手にソーダ取るな!」

「じゃあ、わたしピーチ。志穂と月読くんはどうするー?」

 くるりと振り返りながら真実花が、アイスの箱に近寄らずに椅子に座っている志穂と夜維斗に尋ねた。

「私は余ったのでいいよ。みんな先に選んで」

「俺も余りでいい」

「じゃ、かいちょーと朱月くんがうるさいから、月読くんにソーダあげる!」

 そういって真実花は悠吾と光貴が同時に取ろうとしたアイスを先に奪い取り、そのまま勢いで夜維斗のもとに投げた。きれいな放物線を描き、アイスは夜維斗の膝元に落ちる。

「ああ?!」

「月読、食うなよ?!」

「俺、ソーダ好きだから」

 悠吾と光貴の声を聞きながらも、夜維斗はアイスの包装をやぶってそのまま口に入れた。それを見た二人が悲鳴をあげると、夜維斗の隣に座っていた志穂が小さく吹きだした。

「何だ?」

 吹きだした志穂を見て、夜維斗が不思議そうな顔をして尋ねた。

「えっ?! いや……。なんだか、月読くんって……面白いなって、思って……」

「……俺が?」

 何か面白いことをしたのか、と思いながら夜維斗は志穂に聞き返す。志穂は笑いをこらえるように肩を震わせながらこくこくと頷いた。よくわからない、と思いながら夜維斗がアイスを食べていると、アイスを選び終わった里佳が夜維斗の隣に座った。

「よかったわねー、ソーダアイスで」

「ん」

 里佳の言葉に夜維斗は頷きながらアイスを食べ続けている。よっぽど好きなんだろうな、と志穂が夜維斗を見ていると、その視界に黄色いものが入ってきた。それは、里佳が差し出したアイスだった。

「はい、志穂ちゃんにはレモンね」

「ありがとう、陽田さん」

「さん付けなんてしなくていいわよー。里佳って呼んでいいよ」

「え?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった志穂は驚いたような声を上げた。里佳はにっこりと笑って志穂に言う。

「あたし、さん付けされるような柄じゃないからさあ。さん付けされると変な感じがするの」

「確かに」

「夜維斗、一言多い!」

「事実だろ」

 アイスを食べながら言う夜維斗と里佳の会話を聞いて志穂は再び笑いをこらえるように肩を震わせた。

「ところで、陽田」

「ふぁい?」

 口にアイスを含んだまま、里佳は夜維斗の呼びかけに返事をする。そんな間の抜け切った里佳の顔を見て、夜維斗は小さくため息を吐いた。

「お前、どうしてプール掃除なんて手伝ったんだ?」

「おー、夜維斗が珍しくいい質問をするわねぇ」

「そういえば、石倉くんは有志でしてくれた、って言ってたけど……どうして、わざわざ?」

 プール掃除といえば、『暑い・きつい・だるい』の三拍子で有名であり、自分から立候補してまでしようとする生徒はほとんどいない。大体は生徒会と一緒に水泳部や手の空いた運動部が主に行うのだが、今回は立候補したオカルト研究会が行うこととなった。

「秋菜が交換条件を出してくれたの。ねえ、秋菜」

 里佳がにっこりと笑ってアイスを選び終えた秋菜に声をかける。

「え、何が?」

「掃除のお礼。アイスだけじゃ、オカ研会長のあたしを動かすには安すぎるわよ?」

 唐突に話を振られた秋菜は一瞬目を丸くさせたが、思い出したように頷いた。

「ああ、あの件ね。もちろん、大丈夫。先生の許可ももらったよ」

「やったー!」

 秋菜と里佳の間で行われている会話がわからない志穂は首をかしげていたが、嫌な予感がした夜維斗は苦い表情を浮かべている。そして、夜維斗の嫌な予感は高い確率で当たってしまうものだった。

「じゃ、オカ研がプール貸し切りってことでよろしくね!」

「……はぁ?!」

 里佳の高らかな宣言に、光貴とアイスで揉めていた悠吾が声を上げた。

「何だそれ! 俺はそんな話、聞いてないぞ?!」

「うん、石倉に言ってないし」

 秋菜は悠吾の言葉にそう切り返し、アイスをほおばった。頭にきーん、という痛みが通り抜けたようで、秋菜はぎゅっと目を閉じて「んー!」と声を上げていた。

「か、貸し切りって、いつ貸し切るつもりだ?」

「安心して、日中のプールには興味ないわ。夕暮れ時のプールを見るつもりだから」

 やっぱりな、と夜維斗は肩を落とした。隣の志穂がきょとんとした表情で反応が魔反対な夜維斗と里佳を見比べている。一方やり取りを聞いていた真実花が手をぱん、と鳴らした後里佳を指さした。

「あれか! プールの幽霊の話でしょ!」

「その通り、真実花! ちゃんとした活動の一環だから認めてもらうわよ。しかも、水泳部の許可は貰ってるし」

 勝ち誇った笑みを浮かべて、悠吾を指さしながら里佳は言う。どうしてこんなことに……と思いながら悠吾は額に手を当てて天を仰いだ。そんな悠吾の肩に腕をまわし、光貴がにやりとした笑みを浮かべて言う。

「ま、さすがに俺たちはボランティア部じゃねぇからな。諦めろ、石倉」

「なんてことだ……って、朱月! お前、勝手にオレンジ取ってんじゃねぇよ!」

 悠吾が狙っていたオレンジ味のアイスをいつの間にか手にしていた光貴は、見せつけるようにひらひらと振って見せる。

「早くしねぇと溶けるからな。じゃ、これは俺が頂くぜ」

 言い終えると同時に、光貴は持っていたアイスを口に突っ込んだ。つくづく運が無い、と悠吾は少しだけ泣きそうになっていた。

「ところで、本当にあるの? 泳いでいると、誰かに足とか腕を掴まれるって」

 里佳の話を聞いて興味が湧いたのか、真実花が秋菜に尋ねる。秋菜は少し首をかしげて、考えているようだった。

「どうだろうねえ。急に泳ぎが鈍るってことはあったけど、大体疲れがたまったとかーって考えてたし」

「じゃあ、人影とかなかった? 部員じゃない姿とか」

「私自身見たことないけど、あるかもねえ」

 余り物の、少し溶けかけのミルクアイスを食べながら秋菜の話を聞いていた悠吾が大きなため息を吐き出した。会長が敵対しているというのに、どうして役員はオカ研に協力的なのか、悠吾には理解できないでいた。そんな悠吾の心境を察した志穂は苦笑いを浮かべている。

「ってことで、今度から水泳の補講ある日の夕方、オカ研がプール使用させてもらうわよ? いいわね、いっしー」

「……もう、好きにしろ」

 肩を落とす悠吾を見て、夜維斗は少しだけ同情の視線を悠吾に向けた。さすがに他人に強い関心を持たない夜維斗でも、いろいろと巻き込まれた悠吾には同情する余地があったのだろう。

「なんてたって、夏と言えばプールだし! さあ、楽しい夏休みが始まるわよー!」

 と、右手の握りこぶしを思いっきり上げながら叫ぶ里佳と、それに便乗するように「おー!」と同じように手をあげる光貴を見て、夜維斗はこれから来る日々を思って大きなため息を吐き出した。

「ろくな夏休みにならねぇな、これ……」

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それいけオカルト研究会! 桃月ユイ @pirch_yui

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