放課後、生徒会室にて。
生徒会、とは言ってもそんなに活動があるわけでもない。月原高校生徒会の活動は主に大きなイベントがある一ヶ月前後ぐらいが一番忙しい。
「こんにちはー……、あ」
その日の放課後、副会長である志穂は生徒会室に向かった。しかし、志穂の予想通り部屋の中には誰も居なかった。
「やっぱり」
一週間ほど前に生徒総会が終わり、その後の処理も終わったところなので、役員が来ていないことに対してもさほど驚かなかった。志穂は小さく息を吐いて、机に鞄を置いた。教室内をきょろきょろと見て、先日の会議で順番がばらばらになった本棚を片付けることを決めた。
「よし」
本棚に向かって頷いて、近づいたその時、生徒会室の扉が開かれた。
「失礼し……、あ、河田」
そんな声と同時に、がんっ、という鈍い音。そして志穂は額に強い痛みを覚えていた。
「いっ……石倉、くん?!」
額を押さえながら扉のほうを向くと、そこには大きく目を開いて驚いたような顔をしている悠吾の姿があった。
「その、大丈夫か……、河田?」
「え?! あっ、そのっ」
額を思いきり本棚の窓に打ち付けたところを見られてしまった志穂は顔を真っ赤にして、悠吾から視線をそらした。悠吾は声を出さないように肩を震わせて笑っていたが、志穂が恥ずかしさで肩をぶるぶると震わせているのを見て、さすがに悪かったか、と思って咳払いをして笑いを収めた。
「それで、どうしたんだ? 今日は特に活動予定なかったはずだけど」
志穂に尋ねながら悠吾は『生徒会長』と書かれたプレートのある、窓に背を向ける席に鞄を置く。志穂は頬の赤らめをはっと引かせて、悠吾のほうを向いた。
「えっと、その……本棚、確か片付いてなかったから、片付けようと思って」
「そういえばそうだったな……。この間の会議で、山瀬あたりが散らかしてたな……」
先日の会議の様子を思い出しながら悠吾は呟く。締め切りギリギリの提出書類が本棚から見つかり、役員全員で書類を捜索するために本棚を漁ったのである。しかし、その書類が終わってしまえば本棚を片付けようとする役員はいない。
「悪いな、河田。お前がしなくてもいいのに……」
「ううん、いいの。私、片付けとか好きだから。あと」
「ん?」
「真実花ちゃんにさせるのは、ちょっと不安だから……」
苦笑いを浮かべながら志穂が答えると、悠吾も「ああ……」と呟きながら苦笑いを浮かべた。話題になっている生徒会書記の
先日書類が見つかった話も、真実花が本棚から本を出そうとしたら本の雪崩が起きてしまい、そこから書類が見つかったのだ。ついで言うと、本棚に書類を紛れ込ませたのも真実花だった、というわけである。
「確かに、山瀬が片付けさせたら余計散らかりそうだな。お前に任せるよ、河田」
そんな何気ない悠吾の言葉に、志穂の顔は再び赤くなる。今度は、耳まで真っ赤に染まってしまった。
「うっ、うん……!」
すぐに視線を悠吾から本棚に向けて、赤くなっている頬を見られないようにした。一度息を吐いて、冷静になったところで志穂は悠吾のほうを向いた。
「石倉くんって、もしかして……毎日、ここに来ているの?」
「ああ、そうだけど」
あっさりと答えた悠吾に、志穂は驚いた。二年生の教室と生徒会室の間の距離は大したことはないのだが、わざわざ毎日行こうとは思う生徒は少ない。志穂はぱちぱちと瞬きをして、悠吾のほうを見る。
「すごいね、毎日来るなんて」
「別に超遠距離でも何でもないからな。それに、生徒会室に役員がいなかったら困るだろ」
「困る、って?」
別に何か困るようなことがあるだろうか、と思いながら志穂は尋ねた。
「誰かが生徒会に頼みたいことや、見てもらいたい書類があるかもしれないし。まあ、……あのオカ研みたいな奴らが来ても困るけど、あれも一例だ」
少し呆れのため息を混じらせながら悠吾は答えた。わかりやすく敵意を見せる悠吾の言い方に志穂は苦笑いを浮かべる。
「あ、河田。そこに今年度の部活動のファイルあるか?」
「えっと、あるよ」
「悪いけど、ちょっと取ってもらえないか?」
「いいよ」
にこ、と微笑んで志穂は本棚からファイルを取り出し、悠吾の机の上に置いた。
「ありがとうな」
「どういたしまして。あの、お茶飲む?」
「あー、そうだな。……悪いな、なんか全部任せて」
悠吾が申し訳なさそうに言うと志穂は首を強く振って「いいの、私がやりたいから」と答えた。内心、そんな風に答えられた自分に驚いていた。
生徒会室には会議が長引いたときの息抜き、ということでポットとお茶セットが置いてある。時々、茶菓子を持ってくる役員や紅茶のティーパックを持ってくる役員などもいる。今日は偶然紅茶があったため、志穂はそれを使用していた。
「石倉くん、紅茶でも大丈夫?」
「ああ」
「砂糖は?」
「二杯で頼む」
それからしばらくして、志穂は悠吾のもとに紅茶を持っていった。分厚いファイルのあるページをじっと見つめる悠吾を見て、志穂は何度目かの心臓の高鳴りを感じた。紅茶を机に置くと、悠吾が顔を上げる。
「ありがとう」
「ううん。ところで……バレー部の、資料?」
志穂が視線をファイルに向けると、そこにはバレー部の活動記録が記されていた。過去の出場大会とその結果、予算の使い道や部員人数や写真などが載っている。
「ああ、そうだけど」
「石倉くんって、中学はバレー部で成績良かったって聞いたことあるけど……どうしてバレー部に入らなかったの?」
何気なく訊いたつもりだったが、訊いたあとに後悔した。もしかしてけがやそれ以外の複雑な事情があるのかもしれない。志穂は慌てて言葉を入れる。
「ご、ごめんなさい! 変なこと訊いちゃって!」
「いや、別に大したことじゃないって。ただなあ、月原高のバレー部って、想像よりも緩かったから」
緩い、という意味がわからず志穂は首をかしげる。そんな志穂を見て、悠吾は小さく微笑みながら続けた。
「中学の部活が本当にスポ根って感じだったんだよ。で、高校ももっと厳しくなるかなって思ったら、逆だったし。別にやり方が悪いとは思わないけど、俺が今までやってきたのと違ったから、もういいかなって」
「そうなんだ……」
「そういや、河田って中学のとき何部だった?」
ファイルを閉じて、悠吾は志穂に尋ねる。志穂は少し苦笑いを浮かべて答えた。
「合唱、部」
「合唱? ああ、確かに河田、去年の文化祭、合唱で上手かったもんなあ」
「ううん、そんなことないよ」
ぶんぶんと強く首を振りながら志穂は言った。「そうかあ?」と笑いながら悠吾は再びファイルを開いた。
「うちの学校にも合唱部あっただろ? 入らなかったのか?」
「一応、入ってたんだけど……途中で辞めたの」
「え?」
予想していなかった志穂の言葉に、悠吾は驚きを隠せずに声を上げた。
「その、私は合唱曲とかそういうものをすると思っていたけど、少し違ったみたいで……あと……」
「あと?」
「自己中心的な理由なんだけどね……、少し雰囲気が合わないなって思ったの。それで、辞めちゃった」
口調は明るくしているが、眉を少しゆがめた苦い微笑を浮かべている志穂を見て悠吾は小さく息を吐いた。
「別に自己中心的でも何でもないだろ。雰囲気合わないで辞めても、問題ないし」
「そう、だね……」
「無理して自分がやりたくないことをする必要もないからな。河田がやりたいと思うことをしたほうが、よっぽど楽しいだろうし。そうだろ?」
志穂を見て、悠吾は首をかしげながら訊き返す。穏やかに微笑む悠吾の顔を見て、自分の全身が熱くなったように志穂は思った。普段は同じ生徒会と言っても話す機会があまりない悠吾とこんなにたくさん話せることに、志穂は嬉しく思うと同時にかなり緊張していた。そんな感情が一気に混ざってしまって志穂は混乱していた。
「……河田?」
しばらく顔を真っ赤に染めて沈黙する志穂の様子を見て、悠吾は不安げに声をかけた。その声で志穂ははっと飛んでいきかけていた意識を取り戻した。
「うっ、うん! あっ、わ、私、片付け続ける、ね!」
そう言いながら逃げるように志穂は悠吾のもとから本棚に向かってかけて行った。どうして志穂が慌てた様子を取ったのかわかっていない悠吾は小さく首をかしげながら、視線を机の上にあるファイルに向けた。
しばらく、生徒会室には志穂の本棚を片付ける音しかなかった。志穂は手を止めることなく片付けを続けていたが、時々視線を悠吾に向けていた。悠吾はじっとファイルの資料を見つめていて、声をかけてはいけないように思えた。志穂がそんなことを思っていたその時、悠吾がファイルを閉じて、立ち上がった。
「河田、片付けはまだ、時間がかかりそうか?」
「え? もう少しで終わると思うけど……」
「そうか。これから俺、少し出るけど、戻ってこなかったらそのままにして帰ってもいいぞ」
じゃあ、と言いながら悠吾は生徒会室を出た。志穂も一緒に行く、と声をかけようと思ったのだが、それを言い出すよりも先に悠吾はすでに去ってしまった。悠吾に向かって伸ばした手が、空気を掴んだ。
「……せっかく、一緒に行けるかもしれなかったのに」
それから片付けを終えた志穂は一人で帰るのも少し寂しい、と思って席についた。時計を見ると、五時半をすぎていた。生徒会室に来たのが四時少し前だったので、一時間半以上いたことになる。小さくため息を吐いて、志穂は机に突っ伏そうとしたその時。
「河田、まだいたのか?」
ごっ、という音がして志穂は再び額を机に強く打った。入り口に立っていた悠吾はその志穂の姿を見て、ぷっ、と吹きだした。
「うっ……。ひどい、石倉くん」
「ご、ごめん。いや、あんまりにもきれいにデコ打つから、つい……」
「好きで打ったんじゃ、ないもん……」
悠吾に聞こえないくらい小さな声で志穂は呟く。悠吾が来るとわかっていれば、突っ伏そうなんて思わなかったし、額を机で打つこともなかった。
「もしかして、待ってくれてたのか?」
悠吾は部屋に入り、自分の鞄からクリアファイルを出して、持っていたプリントらしいものをその中に入れた。悠吾の問いに、志穂は頷いた。
「生徒会室に、誰かが来てもいいようにって、石倉くんが言ってたから」
「それで、誰か来たか?」
「ううん、誰も……」
「だろうなあ」
ふっと笑い、悠吾は鞄を閉じて肩にかけた。
「じゃあ、帰るか。一緒に出たほうが、鍵かけるのも楽だからな」
「う、……うん」
実はここで初めて悠吾と一緒に帰ることになる志穂は、緊張したように小さく頷いた。悠吾の目に映った志穂の頬は、教室の窓から差し込む夕日に染まって赤かったが、それ以上に赤いように見えた。
***
翌日の昼食時間。
「ねえ、志穂。合唱部って廃部になったって本当?」
「え?」
クラスで友人と昼食を食べていた志穂は、突然の問いに驚いた。今までそんな話を聞いたことのない志穂は、その問いに首を横に振った。すると、別の友人が横から話に入ってきた。
「あれって昨日付けだから生徒会でもあんまり知らないでしょ。でもさあ、合唱部ってあんまりいい噂聞いたことないよー」
「噂、とかあったの?」
自分が退部してから、ほとんど合唱部に興味を示さなかった志穂にとって、噂なるものは初耳だった。
「そうそう。あれでしょ、大会とかも全然でないでずっと遊んでるって」
「それだけじゃないって。部費でカラオケとか行ってたらしいよー? 顧問も全然顔出しとかしなかったって」
「そうなんだ……」
そんな状況で部活として活動させるわけにはいかない、ということで廃部になったらしい。しかし顧問も部員側も部活を続けるつもりはなかったらしく、その勧告をあっさりと受けて、現在に至る。
「しかし石倉もすごいね。合唱部って普通に三年の怖いお姉様がたいたのに、よく言えたわーって思う」
「確かに。志穂もそういえば昔、合唱部入ってたでしょ? あのお姉様がた怖くなかった?」
「ええっと……」
正直、入部一ヵ月足らずで辞めてしまった自分には、誰がどんな人間か良くわからないとしか言えなかった。志穂は苦笑いを浮かべて「あはははは……」と笑うだけだった。
そして放課後。志穂が昨日と同じように生徒会室に向かうと、すでに会長席に座っている悠吾の姿があった。
「石倉くん」
「河田。今日も来たのか?」
「うん、その……合唱部の、こと、聞きたくて……」
志穂の言葉に悠吾が「あっ」と小さく声を上げた。志穂から視線をそらした悠吾だったが、少し沈黙した後に大きく息を吐いて、それから立ち上がって志穂のもとに向かった。
「すまない、河田。急に、あんなことして」
「ううん、いいの。でも……もしかして、私が昨日、部活のことを言ったから廃部に?」
「……正直、河田の話が決定打だった」
以前から「部費でカラオケに行っている」という合唱部の噂を聞いた悠吾は昨日、部活動のファイルを見て詳しく事情を聞こうと思っていた。しかし、ファイルには過去三年間に大会出場記録がないこと、また、生徒会が提出するように言っている活動記録もきちんと記されていないことから活動休止をするかを考えていた。
「活動まともにしてない上に、河田みたいに合唱したいやつができないなんて変な話だからな。だから、休止してもらうようにした。けど」
と、悠吾はファイルから封筒を取り出して志穂に渡した。中身を取り出すと、それは部員の退部届だった。
「これって……」
「全員退部。だから、そのまま廃部になってな」
「そう、なんだ……」
悠吾に退部届を渡しながら、志穂は頷いた。わずかに眉をゆがませた悲しそうな顔を見て、悠吾の表情も申し訳なさそうなものになる。
「ごめんな、河田。お前がまた、合唱したかったかもしれなかったのに……」
「ううん、いいの。むしろ、すっきりしたよ」
ふう、と大きく息を吐いた志穂の表情は、吹っ切れたような明るい表情だった。そんな表情の志穂を初めて見た悠吾は少し目を見開いた。驚きでぱちぱちと瞬きをしていると、志穂はにっこりと微笑んで言った。
「だって、今は生徒会が楽しいから。合唱はまたいつか出来るかもしれないけれど、生徒会は今だけだから」
「……そっか。そうだな」
志穂につられるように、悠吾もふっと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます