美少女と未来予報

「月読先輩、ですよね」

 後ろから聞き慣れない声で呼び止められた夜維斗は、ゆっくりと振り向く。やはり見慣れない女子生徒が、にこりと微笑んでいた。朝の登校時間で人がそこそこ多い校門前で、夜維斗とその女子生徒は見つめ合うようにして立っていた。

「あ、やっぱりそうだ。よかった、合ってて」

「……何だ?」

 こういう絡まれ方は以前どこかでも経験がある夜維斗は、嫌な予感を薄々抱いていた。女子生徒はそんな夜維斗の心境を知っているかどうかわからないが、にこにこと微笑んでいる。

「月読先輩って、普通じゃないですよね」

 ほらな。夜維斗は小さくため息をついた。やっぱり、変な絡まれ方か、と内心呆れつつ、夜維斗は女子生徒に背を向けて歩き出した。女子生徒が慌てて、小走りに追いかける。

「何で先に行くんですか!」

「別に、お前には関係ない」

「そんなことないです!」

「俺が普通であってもなくても、お前に何かあるのか」

「気になったんです!」

 ぱし、と女子生徒が夜維斗の手を掴む。手を掴まれたことに驚いた夜維斗はようやく足を止め、女子生徒を見る。女子生徒は上目づかいに夜維斗を見て、口を開いた。

「私も、普通じゃないから」

「……は?」

 想定もしていなかった言葉を聞いて、夜維斗の口からは半端な声しか出なかった。そんな夜維斗を見た女子生徒は満足そうな笑みを浮べて言葉を続ける。

「私、未来予知ができるんです」

「……」

「先輩、信じてないですね。だったら、あの人」

 女子生徒が小さく指さしたのは、登校中のある男子生徒。夜維斗には見覚えのない人物だった。

「あの人、転びます」

「何言って」

 と、夜維斗が言いかけたとき。男子生徒は石に躓いて、転んだ。何が起きたかわからなかった夜維斗は呆然とした表情で、言いかけの口をふさげずにいた。しかし、すぐに冷静になって女子生徒に言う。

「足元見れば、わかるだろ」

「それもそうですね。なら」

 女子生徒はすっ、と指を上にさした。夜維斗はその指がさした方向、つまり空を見上げた。天気は良く、青い空にいくつかの小さな雲が浮かんでいる。

「今日の午後……じゃ、アバウトか。四時間目の終わる五分前から、雨が降ります。結構大降りです。もし、本当に降ったら、信じてくれますか?」

 その言葉を聞いた夜維斗が女子生徒を見ると、彼女は先ほどまでと同じ笑みで小さく首を傾げてみせた。その表情の意味を理解出来ず、夜維斗が口を開きかけたとき、

「おーい、瑛子ー!」

「あ、おはよー! それじゃあ月読先輩、また」

 同級生に名前を呼ばれた女子生徒は、夜維斗にそれだけ言って走り出した。夜維斗は何が起こったのかいまいち把握できていないまま、同級生と話す女子生徒の背中を見るだけだった。


 四時間目の授業は、現代文だった。黒板の前でオカルト研究会の顧問でもあるまゆみが自作のノートを片手に授業を進めている。

「このページの三行目。『これ』と言っているが、それはずばり、何? じゃー、田畑」

「あ、えーと……」

 そんな授業中、窓際の席にいる夜維斗はぼんやりと窓の外を見ていた。空は朝までの晴天から少しずつ姿を変え、曇ってゆく。

「……まさかな」

 時計を見ると、授業終了まであと六分。曇っているとは言うが、大降りの雨にはなりそうにない。夜維斗がそう思って視線を黒板に向けると、まゆみと目が合った。

「よーし、月読。今、私が言ったところ、わかるかー?」

「あ……」

「まーさーか、窓の外をぼーっと見ていて、聞いてませんでしたー、なんて言わないよなぁ?」

 にやりと笑うまゆみに、夜維斗は引きつった表情を浮べる。こんなことなら、朝のことなんか忘れておけばよかった、と思ったときだった。

 ざあっ、と大きな水の音が教室に響く。生徒たちが一斉に窓の外を見ると、外は大雨だった。何人かが落胆したようなため息や不満の声を漏らす。まゆみも驚いたような顔を浮かべて窓の方を見た。

「ありゃー、ひどい雨だなあ。電車とかバスとか、大丈夫か?」

 まゆみがそんな話をし始めたとき、夜維斗は再び時計を見た。

 授業が終わる、五分前だった。


「あーあ、この雨で結局ソフトボールできなかったじゃん。もー、天気予報の嘘つき!」

 放課後、物理準備室。里佳は不満を発散するように、大きな声を上げる。昼前からの雨は続いて、五時間目に予定されていた体育の授業内容が変更されたのだ。

「まあいいじゃん里佳。何だかんだ言って、ドッヂではしゃいでたし」

「はしゃいだんじゃありませんー、憂さ晴らしでーす」

 ぶう、と机に顎を乗せて、里佳は光貴に答える。明らかに不機嫌なその顔に、光貴は「まあまあ」と穏やかに微笑んだ。それから視線を変えて夜維斗に向ける。

「そーいや月読。朝、瑛子ちゃんと話してたけど、何のお話だ?」

「……エイコ?」

 聞き覚えのない名前を言われて、夜維斗は訝しげな顔で光貴を見た。その名を聞いて、里佳が顔を机から離した。

「知ってる! あれでしょ、一年生で、学校一の美少女!」

「……美少女?」

「そうそう。あの子本当に可愛いんだなあ。しかも愛想もよくって、声も可愛いし」

「しゅげっちゃん、鼻の下伸びてる」

「おっといけね」

「…………」

 里佳と光貴のやり取りを聞いても、いまいち思い出せない夜維斗は、首をかしげた。

「しゅげっちゃんの見間違いじゃないの? 夜維斗がそんな美少女と話すとは思えないし」

「いや、俺の目に狂いはない。瑛子ちゃんは確実に見間違えないし、月読もさすがにわかる」

「ふーん……で、どうなの?」

 里佳に尋ねられて、夜維斗はやっと朝話した女子生徒のことを思い出した。

「話した、と言うか話しかけられただけだな。一方的に」

「マジで?! 瑛子ちゃんから話しかけられるとか、羨ましいことこの上ない!」

「でも、何で夜維斗が……?」

 里佳が疑問だらけ、と言うのと同じように、夜維斗も何故自分が話しかけられたのかよくわかっていなかった。


 それから買い物がある、と言って二人より先に部室を出た夜維斗は下駄箱で靴を履き替えていた。鞄の中に折りたたみ傘があったはず、と思って鞄を見るが、入っていない。

「忘れたか……」

 学校で借りるのも面倒だから濡れて帰ってしまおう、と夜維斗が歩き出そうとしたとき。

「先輩」

 振り向くと、一人の女子生徒がいた。突然話しかけられた、瑛子という名の少女。

「……お前は」

「信じてくれましたか? 私の、未来予知」

 にこり、と微笑んだまま女子生徒は言う。朝、彼女が予言した通りの時間に大雨が降った。夜維斗は目の前の女子生徒を無言で見つめるだけだった。

「あ、そうだ。月読先輩が傘を忘れると思って……はい」

 女子生徒は肩にかけている鞄から、折りたたみ傘を夜維斗に差し出した。黒い折りたたみ傘で、夜維斗が使っても違和感がないようなもの。

「私はこっちがありますんで」

 そう言って、もう一つの折りたたみ傘を夜維斗に見せる。その傘は可愛らしい色とりどりな水玉模様がついている。

「……お前、一体」

「あ、名前言ってませんでしたね。私、一年の雪平ゆきひらって言います」

 そう言う意味で尋ねたのではない、と夜維斗が視線を送ると、理解したのか女子生徒、雪平ゆきひら瑛子えいこは言葉を続けた。

「朝言ったように、私、未来予知ができます。それは、先輩もわかってくれましたよね?」

「それはいい。何で、俺にそれを言った?」

「月読先輩が普通じゃないから、ですよ」

「オカ研なら、俺以外にもいる。朱月の方が俺より話しやすいだろ」

「そうじゃなくって」

 瑛子は朝と変わらぬ、穏やかな笑みで夜維斗に言う。

「月読先輩も、が見えるんですよね」

「……」

 目を開いた瑛子がじっと夜維斗を見つめる。沈黙している夜維斗を見て、瑛子は再び目を細めて笑う。

「やっぱり、そうですよね? よかった、これで違ったら私、完全に変な奴でしたもんね」

 瑛子の意図が全く読取れない夜維斗はただ、瑛子の笑みを見つめるだけだった。

「何でわかったか? ですよね。実は私、月読先輩のことを一度、未来予知してるんです」

「……俺を?」

「はい。その中で、月読先輩は死んでました」

 瑛子は笑みを崩さぬまま、先ほどと変わらぬ声のトーンで言った。その言葉に、どれほどの意味があってそれをどうして瑛子が言っているのかわからない夜維斗は、瑛子の言葉の続きを待つしかできない。

「気になって、その時見に行ったんです。それまで、私の未来予知が外れることはなかったんで。でも、実際外れた」

「外れることがないなら、見に行く前に俺に言えばよかっただろ」

「さすがに知らない先輩に話しかける度胸なんてありませんよ」

 どこの誰がそんなことを言っているんだ、と夜維斗は心の中で零した。

「月読先輩が死ぬのは、学校近くの交差点でした。青信号で普通に渡ろうとした月読先輩に向かって、一台の車が突っ込みます」

「……」

「実際に月読先輩は、その交差点を青信号で渡ろうとしました。でも、止まったんです」

 瑛子は、微笑んだまま、それでも淡々と言葉を続ける。

「信号機のすぐ横、地面に小さな花束がありましたよね。先輩、それを見ていました。で、視線を少し上に向けて何か言ったんです。そしたら、信号が赤になっていました」

「車は?」

「運良く突っ走っても、事故を起こしていませんでした。でも、パトカーが追いかけていましたよ」

 夜維斗はゆっくりと目を閉じて、その時のことを思い出した。アスファルトの灰色の上にあった、花の鮮やかな桃色と葉の緑色。そして、それを見つめて泣き出しそうな、少女。思い出した夜維斗は目を開いて、瑛子を見る。

「……それで」

「だから、月読先輩も何かが見えるんだと確信しました。私以外にも、別の何かが見える人がいるんだって思って」

 その時、瑛子の表情が変わった。笑みが消え、真剣な顔になる。

「死んだ人が見える、ってどんな感じですか?」

 瑛子の唐突な問いに、夜維斗は驚きを隠せずに数回瞬きをした。それから、夜維斗は小さく息を吐いて、答えた。

「例え俺が説明しても、お前には理解できない。俺が、お前の未来予知がどんなものか理解できないのと同じだ」

「……そう、ですか」

「俺は別に未来予知を知りたいとも思わないし、見えないモノが見えることを知ってほしいとも思わない」

「陽田先輩や、朱月先輩にも?」

 本来瑛子にとって、問いをする意味などない。どうせ、相手の答えは見えているのだ。しかし、目の前にいる月読夜維斗という人の答えは、瑛子には見えていなかった。

「どうでもいいだろ、あいつらにとっても」

 夜維斗はそう言って、瑛子に傘を渡して、背を向ける。外は雨が止んで、雲の隙間から太陽の光が射していた。そして、夜維斗はそのまま校舎から出て行った。

「……まだ、雨降るはずだったのに」

 誰に言うでもなく、瑛子は小さく零した。

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