ガトー・アント

◇〃 □〃 ◇〃


 今思い出してみれば、それは結婚前提に付き合ってくださいと言っているのに等しい告白だった。

 中学三年生になって最初の日に再開した武藤和生むとうかずきに、その日のうちに「お店を継いでほしい」なんて重すぎるお願いをされた僕――賀藤佳志がとうけいじは、すっかりその気になって中学三年生を【お菓子職人になるための学校へ行くための受験勉強】に明け暮れる充実の日々を送るようになっていた。

 わずか三年合わない間に、すっかり女に磨きを掛けていた和生は、一度は畳んでしまった家業を復活させたい一心で勉強に励んでいたらしく、勉学を疎かにしっぱなしの人生を歩んでいた僕に毎日付きっきりで教えてくれた。二学期になっても三学期になっても席替えを拒否して僕の隣に居続けてくれたのはありがたかったけれど、付き合っているのがバレバレで噂にされていた。でもそんな噂なんてどこ吹く風の態度で和生は僕に身を寄せて授業を受けていた。

 今思い返しても恥ずかしいけど、可愛い和生と一緒に勉強する毎日は本当に充実していた。今までは面白くないと決めつけていた教科も、高揚する気分のままに自然と頭に入ってくる感じがしていた。

 おかげで和生と一緒に目指して受験した、製菓の専門コースを持つ中ではそれなりの偏差値が求められる私立高校に二人共受かり、通うことが出来た。


 シャトー・ムトウが建てられた経緯は、昔ながらの和菓子店では採算が取れなくなった現状に見切りを付けた和生の両親が、土地活用のためにマンションのオーナー経営を始めることを決断して武藤菓子舗を畳み、マンションを建てることにしたそうだ。そのプランには当初、自分たちが経営するお店を改めて出店する構想は無かったらしい。それを知った和生は、将来は絶対にお店を継ぐと約束をした上であのパン屋を開店するのを提案したらしい。和菓子店のままでは厳しいので、マンションの住民にも普段使いしてもらえそうなパン屋にこそするけれど、クリームどら焼きだけは絶対に扱うんだと説得したそうだ。

 娘が家業の和菓子店を愛しているのが嬉しく、しかも機転の利いた新装開店のアイデアを提案してくれたことに一念発起して、マンションの一階スペースを賃貸のテナントではなく自分たちのお店にすることを決意したんだと武藤おばさんは誇らしげに語ってくれた。

 そんな自慢の娘は、高校を卒業した次の日からずっとお店に立っている。

 高校に入ってから暇を見てはアルバイトに来ていた僕は、高校卒業と同時に正社員として雇ってもらえた。

 高校で教わってきた多種多様なお菓子の作り方や特徴を、創作パンに採用していっては失敗を繰り返す日々を送った。


 お菓子職人になる決意をした中学三年生から数えて八年が経った今。

 二十三歳にして、僕はパン屋の製造スタッフから、店長へと肩書を変えた。

 店長以外にも、パティシエという肩書も付いている。

 メインの商品はパンからケーキと焼き菓子に変わり、店名も変えさせてもらった。

 命名したのは僕ではなく、今では僕の妻となった和生だ。


【ガトー・アント】


 アント、とはありの意味だ。店のロゴマークにもアリのシルエット画を採用しているけれど、冷静に考えると菓子店には似つかわしくない動物に思える。どうせなら同類の蜂にして、ハチミツのイメージにしたらいいのにとも思う。

 でも、その命名理由は実に和生らしかったし、実にユーモラスで、実に愛らしかった。

 僕の賀藤という苗字は、フランス語の菓子と同じ発音なので採用。

 アントという文字は、僕が好きなアンコに似ている。

 そして、アントは蟻である。【ガトー・アリ】となる。


【あり・がとー】


「ありがとうございました!」


 当店自慢の看板娘である和生の笑顔と、心地良いありがとうの声に見送られて、常連さんたちも笑顔でお店を後にする。

 和生のおかげで、まだ開店して間もないこのパティスリーが街の人気店として認知され、常連さんの多く通ってくれる店になっていた。

 もちろん、パン屋さんの頃からの熱心なお客様もいる。もしかすると和菓子店の頃からのお客様もいるかもしれない。

 みんな、和生の笑顔と、心が込められたお菓子に出会うためにこの店を訪れてくれている。


「ありがとごじゃましたっ!」


 まだ笑顔はうまく作れていないけど、今日から加わってくれた期待の新人が、次世代の看板娘として将来性あふれる元気な送り出し挨拶をしてくれている。

 ――紹介します。娘の和佳名わかなです。


 口の右側にはクリームを、左側にはアンコをべったりと付けたままでいるのを見た和生が、人差し指で拭ってぱくりと食べた。

 和佳名が嬉しそうにキャッキャと声を上げる。

 お店に和やかなムードが広がる。

 もしかすると、期待以上の効果をもたらしてくれる看板娘になるかもしれないな。


◇〃 □〃 ◇〃


「ねっ、ねっ、おいしいでしょ?」


 八歳にしてすっかりマセガキに成長してしまったらしい和佳名が、イートインスペースに連れてきた男の子に、自分が餡を詰めたクリームどら焼きを手渡して味の感想をせがんでいる。

 詰問するにしたって近すぎる距離に戸惑っている様子の男の子は、やっとのことで「すごくおいしい」と返答していた。

 和佳名は飛び跳ねて喜んでいる。それを見て男の子も嬉しそうに顔を赤くした。



 お菓子の甘さと、それに負けない甘さの笑顔に魅了された未来の僕は、いつだってお菓子と笑顔に恋をする。

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Smile of Sweet ~愛を菓子 サダめいと @sadameito

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