人生そんなに甘くある

「お店に入ってからだと言えないからここで言うね」

「えっ、なにを?」


 シャトー・ムトウの前で「ようこそ!」と言ったと思ったらすぐ、なんでか建物の横にある駐輪場の方に歩いていって、そんなことを言い出す和生かずき

 言いにくいことがあるんだろうけど、顔は笑いをこらえているようだったからよくわからない。


「シャトー・ムトウって、砂糖と無糖で矛盾むじゅんしているっ!」

「?」


 何を言っているのかわからなかった。


「えっなに、そのうっすい反応」

「そう言われたって……」

「砂糖なのに無糖なんだよ? 砂糖がたっぷり入ってるクリームどら焼きを売ってるお店を武藤家がやってるってネタだけじゃ飽き足らず、マンション名にまでネタを使いまわしちゃったんだよ?」


 言いながらぐいぐい顔が近づいてくる。

 でも小学生の頃は同じくらいだった顔の高さが、今じゃ和生の頭は僕のアゴよりも下にあるから、見上げてくるような位置になってる。

 よかった。同じ顔の位置でこんなに近づかれたら心臓が飛び出たかもしれないから。

 けど、こんなにカワゆくなった和生が、すねてるみたいな顔で見上げてくるなんてことになっちゃってるから、やっぱり飛び出しちゃいそうだった。


「すごい! おもしろいね!」

「全然理解してないって顔してるけど?」


 耐えきれなくなって合わせようとしただけなのは完全にバレてたみたいだ。ひさしぶりに会ったからといっても、長い付き合いだからお見通しってことなんだろうな。


「じゃあ言うこと言ったし行こっか」

「言いたかったの、それだったんだ……」

「さすがにこの身内ネタを店の中で披露しちゃったら空気悪くしちゃうから。よくお店に来てくれるご近所さんには、和菓子屋さんがパン屋さんになったから糖が減ったんだねとか言われちゃうし、店名が無糖ベーカリーだったら糖になる炭水化物の小麦を使っちゃダメなんじゃないのとか言われちゃうし、それ言ってるの加藤さんだしで、できすぎかよってくらいネタまみれじゃん?」

「もう常連さんだったらみんな知ってる持ちネタになってないかそれ」

「言えてる!」


 ふき出すよう大げさに和生は笑った。カワイイというよりおちゃめな感じの笑い方は、僕が記憶している通りの和生だった。間違いなくこの子は和生なんだって今さらながらに納得する。

 でもやっぱりカワイイ。おちゃめでカワイイに進化した和生がいた。


◇〃 □〃 ◇〃


「いらっしゃい……えっ、佳志けいじくん?」

「おひさしぶりです」


 先に店に入るように言って背中を押してきた和生がそのまま立ち止まってしまったので、一人で店へと入っていくと三年ぶりに見る武藤おばさんがいた。


「連れてきたよー」


 続いて入ってくる和生の顔はなぜだかニヤニヤしていた。


「大きくなったねぇ佳志くん。元気な顔が見れて嬉しいわ」

「おばさんもお元気そうでよかったです」

「あらー、上手になったわねえ」

「全然上手じゃないよ。だったら、変わらずおキレイですねくらいのことは言わないと」


 和生のダメ出しが入った。さすがにそんな気恥ずかしいことは言えない。僕が和生の側だったら、ウチの母親になに調子いいこと言ってるんだコイツって思う。


「じゃあ奥のイートインスペースに座って。すぐにお茶出すからね」

「はい、ちょっと待っててね」


 和生に命令されたみたいになって、武藤おばさんはお茶を用意してくれる。親子だからってこれはどうなんだろう。

 イートインスペースってところに案内してもらって、座った時にはもう和生は見えないところに行ってしまっていた。

 ちょっともしない早さで出してくれたお茶をすする。小学生の頃には苦手に感じた緑茶の苦味が、今はけっこう美味しく感じる。


 お茶を半分くらい飲んだ頃に、店の奥から和生が出てきた。家庭科の授業の時みたいに、頭に三角巾をかぶっている。髪を後ろに回しているから、少しだけ昔の和生に戻ったように見える。

 手に包み紙を二つ持っていた。


「はいっ」


 包み紙を受け取る。あの頃とは違って、きれいな形で包まれていた。

 手にあたたかさを感じる。

 よだれが出そうになってきたので、すぐに開いてかぶり付く。


「三年ぶりの和生スペシャルのお味はいかが?」

「うん、おいしい。すごくおいしい」

「やった! 大成功ー!」


 思い出した。すごく近くにあった和生の顔。すごく嬉しそうに笑ってた和生の顔。

 変わらない反応と、変わらない和生の笑顔がここにあった。


「よかったわねえ和生。佳志くんにおいしいって褒めてもらえて」

「ううん、七年前から佳志のお墨付きだったよ?」


 そう自慢するみたいに言っている和生の顔は、笑顔とはちょっと違うように見える。どうやら照れてるみたいだ。

 そんな顔するなんてずるいよ。もっとうれしくなっちゃうじゃないか。

 もっとほめたら、もっと照れてくれるんじゃないか。試してみたくなってきた。


「七年前よりもっと、すっごくおいしいよ」

「あらー、上手になったわねえ」

「お母さんそればっかり」


 クスッ、と笑う和生。これは新しく見る、女の子っぽさが増した和生だ。

 つい見とれてしまいそうになって、こっちを見つめ返す和生と目が合った。


「ねえ、佳志って甘いの好きだよね? 大好きだよね?」


 いきなりの質問におどろくけど、その答えはすぐに出る。


「うん、大好きだよ」


 期待されている答えを言ったつもりだったのに、和生はなぜか目を下に向けてしまった。はあはあと大きく息をしている。どうしたんだろう。

 ちょっと間があってから、またこちらをしっかり見て言われる。


「じゃあ、このお店を継いでくれない?」


 なんだかすごいことを言われた気がした。

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