シャトー・ムトウ
▽〃 △〃 ▽〃
「いらっしゃい
おこづかいの百円玉二枚をポッケから出して武藤菓子舗に入ると、いつも武藤のおばさんの声がした。
そしたらすぐにドタドタと足音が聞こえてきた。
「佳志ー! やっときたー!」
のれんをバサッとふっ飛ばしながら
「和生、お店の中で走っちゃダメよ」
「佳志、あそびいこ!」
おばさんの注意は知らんぷりで和生は遊ぼうと言ってる。
ぼくはクリームどら焼きを買いに来たのに。
「クリームどら焼き買いたいんだけど」
「まいどありっ!」
気付いたら和生の手には二つのクリームどら焼きがあった。ぼくがクリームどら焼きを買いに来たのはバレてたみたいだ。まあいつも買うのこれだからね。
でも、買うのはひとつだけだ。二つは買うつもりないし、二百円しかもってないからひとつしか買えない。
和生はぼくのにぎった手を無理やり開いて二百円を取ってしまった。なんだかわからないけど和生の手はべたべたしていた。ちょっと変な感じがした。
「じゃあ公園でいっしょに食べよ」
べたべたの手がぼくの手首をつかんでひっぱる。
そのままお店のとなりにある公園までひっぱられていった。
同じベンチ座って、二人してどら焼きの入っている紙を開く。なんだかいつもより雑に入ってるみたいな気がする。
「食べて食べて」
和生がなぜだか早く食べてとプレッシャーをかけてくる。そのくせ顔はすごく楽しそうだ。
口に入れる。
すごい、まだホカホカであったかい。できたてのいいにおいがする。
おいしい。すごくおいしい。
「どう、おいしい?」
さらにプレッシャーをかけてきた。下からのぞきこんでくる和生の顔がすごく近く感じる。
ほんとにすごく近かった。
「おいしい。すごくおいしい」
思ったことをそのまま言った。
「やった! だいせいこー!」
和生の顔がすごく近くですごく笑顔になった。
こっちもうれしくなってくる。でも近すぎてちょっとはずかしい。
ついベンチから立ってしまう。それから聞いてみた。
「これ作りたて?」
「そうだよ。ボクが作ったんだー」
聞いてみたかったのとはちがうことまで聞けた。
和生が作ったとかびっくりだ。そんなおままごとみたいなこと好きそうじゃないのに。
でも、手がベタベタなのってそういうことだったんだ。
▽〃 △〃 ▽〃
八歳の頃、初めて和生の手作りクリームどら焼きを食べた日のことを思い出した。
あの頃の和生の髪は、お菓子のような甘くていいにおいがしていた。
今の和生の髪からは、女の子っぽいいいにおいはするけど、お菓子のにおいはしない。
武藤菓子舗は、僕たちが十一歳の時に閉店した。
十二歳の時には、となりの公園も一緒に無くなっていた。
僕のたいせつな場所が無くなっていった。
閉店したあと、和生は母親の実家にしばらく住むことになったと言っていたから、引っ越したんだと思ってた。
「引っ越したんだと思ってた」
前に歩いてる長い髪の女の子に、思ったままのことを聞いていた。
髪がふわっと浮かんで、和生が振り向いた。
「ウチのマンションがやっと完成したから、戻ってきたんだよ?」
「ウチのマンション?」
「うん、シャトー・ムトウって言うの。変な名前だよね」
確かに変な名前だ。つい笑ってしまう。
和生も笑った。
あの、初めての手作りクリームどら焼きを食べて、おいしいって僕が言った時に見たのと同じ笑顔だった。
僕のよく知ってる和生だった。間違いなかった。
でも、今の和生はすごく女の子で、すごく可愛かった。
この笑顔を、あの時みたいにすごく近くで見ちゃったら――恥ずかしいって気持ちじゃおさまらなそうだ。
和生の作ったクリームどら焼きが食べたい。
その気持ちが一気に高まってきてしまった。
そしたらひとつ思いついたことがあった。
「もしかしてそのマンションに武藤菓子舗があるの?」
「おっ、意外と鋭いね」
いたずらっぽい顔になる和生。いたずらっ子の顔はキライなはずなのに、和生のだと知ったらすごく気分が良くなるのがふしぎだ。
「私のアイデアが採用されたおかげで大復活したよ、すごいでしょ?」
「アイデアってどんなの?」
「よくぞ聞いてくれましたっ」
胸を張ってみせるポーズをする和生。昔からやってたから見覚えがある。
でも、覚えてるのと違うのは、張らせた胸がかなり前に突き出ているところだ。
なんだよこれ、見てられなくなるじゃん。
「武藤菓子舗は、ムトウベーカリーとしてパン屋さんになって生まれ変わったのです。あ、もちろん佳志が好きなクリームどら焼きも売ってるよ、パン屋だけど」
「マジで? 買いに行こう」
「今日来る? 来ちゃう?」
「今日行く! 行っちゃう!」
すっかり小学校時代のノリで話していた。自分がおどろきだ。中学生になってから、こんな自分はどっかいっちゃったと思ってたのに。
和生があのころの僕に戻してくれた。
あのころの僕。武藤菓子舗が無くなるのを知って落ち込んだ僕。
それに続いて、和生もいなくなっちゃうのを知って落ち込みまくった僕。
新しく友達を作るのが怖くなってしまった僕。
あのころのまま時間が止まってしまったみたいだった僕。
あの大好きな場所が無くなっちゃったのを思い出すのがイヤで、もう行くのはやめようと決心して三年間ずっと近寄らなかったのに、和生の後ろについてその場所に向かっている僕は今にも和生を追い越しそうなくらい早足になっていた。
和生の足が止まった。
一緒に目の前の建物を見上げる。
「ようこそシャトー・ムトウへ!」
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