エピローグ
「不気味です」
文部大臣が、冷や汗をかきながら言った。というのも、ユニコーンの一件以来、ウィルがすっかり大人しくなってしまったからだ。
授業中、すきあらばおしゃべりしようとしたり、目を離せば魔法で何かを軽く爆発させようとしたり、考えつく限りのいたずらをしでかしてきたあのウィルが、ここのところはめっきり静かなのだ。
かといって、勉強熱心になったというわけでもなく、ただ頬杖をついてぼんやりとしているだけなのだ。最初は、あまりにも元気がないということで、熱でもあるのかと疑われたが、もちろんいたって健康なので、事情を知らない文部大臣にとっては、「不気味」の一言なのだ。
「殿下。いい加減仰ってください。いったい何事なのですか。どうしてそうも、まいにちぼうっとうわの空でいらっしゃるのですか?」
レイラとシルヴィアは、教科書に顔を埋めつつ、こっそりと目を合わせた。これまで何度も、大臣はウィルに質問してきていたが、今日は絶対に聞き出そうという意気込みを感じる。
ウィルはといえば、まさかよかれと思ってユニコーンを逃がしたら、薄幸の少女の種別を超えた恋を潰してしまった罪悪感に落ち込んでいる、と素直に言うほど愚かではなかったけれども、大臣を適当に納得させる嘘をつく気力もなく、ただ「別に……」ばかりを繰り返している。
レイラとシルヴィアが、ウィルの代わりにつく嘘もそろそろ品切れだったし、何より今回は、ウィルの口から絶対に聞き出してやろうとの大臣の意気込みのせいで、二人の入り込む余地がなかった。
万事休す、と思ったところで、品よく控えめなノックが部屋に響いた。
「文部大臣閣下、授業中失礼致します」
その涼やかな声は、オーウェン・メイスフィールドだった。オーウェンは、大臣に近寄ると、何事か囁いた。すると、大臣は深く頷くと、ウィルと向き合うのをやめて部屋から出て行った。
その代わりに、オーウェンが苦笑をウィルに向けた。
「殿下。もう少し、うまく立ち振る舞って頂かなくては、殿下も私どもも困ることになります」
「私どもって、父上のこと?」
ウィルは、教科書の開いたページの上に顎をのせて、だらだらと答えた。
「まったくさ、ずるいやり方するよね。人間がユニコーンにやったこと全部なかったことにして、オリヴィエのお父さんのせいにするなんてさ」
「失礼ながら王命は、ユニコーンを王都まで連れてくること、でした。それを全うできなかった者に対してですから、当然の処分です」
じろり、とオーウェンを上目遣いに睨むウィル。
「そんな話をしてるわけじゃないって、わかっててわざとずれたこと言ってるでしょ?」
オーウェンはかるく微笑んでウィルをいなすと、「そういえば」、とわざとらしく指を鳴らした。
「いま話に出ているサンシャ・リヴァーの娘ですが、突然行方不明になりました」
「ええっ!?」
がたりと立ち上がったウィルを手で抑えつつ、オーウェンは言葉を続ける。
「夜中に急に姿が見えなくなったとか。リヴァー家は、サンシャが降格処分になるわ、愛娘が失踪するわで、大変な悲しみようだそうで。……ああ、あとそれから、ユニコーンですが、もちろん王国軍たっての鋭意捜索中ですが、こちらも影も形も見当たらないという、大変不本意な状況です」
両肩をオーウェンに抑えられたウィルは、目をぱちくりとさせた。
「それって、つまり……?」
「さて、私はそろそろ仕事に戻らなければならない時間です。では、殿下、大臣閣下が戻られるまで、くれぐれもお騒ぎになりませぬよう」
オーウェンは、優雅に一礼すると、すばやく部屋を出て行った。ぱたん、とドアが閉じた瞬間、ウィルは飛び跳ねた。
「やったぁ! エヴァランだ!」
レイラとシルヴィアは、叫ぶウィルの口を大急ぎで塞がなければならなかった。
「オーウェンさんの話を聞いてなかったの?」
「くれぐれも騒がないように、って意味わからないの?」
二人の手を顔から引き離すと、ウィルは瞳を輝かせて、「だってさ!」と嬉しそうな顔をした。
「オリヴィエがいなくなる理由なんて、他に考えられる? 絶対にエヴァランが迎えに来たんだよ。二人はいま、一緒にいるんだ! そうに違いないよ!」
「ええ、そうでしょうね。エヴァラン、硬派に見えて、実はずいぶんとロマンティックなことをするのねぇ……」
手を組み、うっとりと言ったシルヴィアを見て、レイラはくすりと笑った。
「ウィルの情けなさが、今回はいい方へ転んだわね」
「なに、情けなさって」
「あなたがあの夜以来、あんまりしょんぼりして、大臣に怪しまれるせいよ。ユニコーンとあなたとの関係がちょっとでも疑われるわけにはいかないから、しかたなく、オーウェン・メイスフィールドは、情報を漏らしたに違いないわ」
「そうでしょうね。こんなセンセーショナルな大事件、まさか公にするわけにはいかないでしょうね。ユニコーンと乙女の恋。……ああ、どんな本にだって描かれたことのない物語よ!」
「物語なら、ね。ここできっと『末永く幸せに暮らしました。』となるんでしょうけど、なにせユニコーンと人間よ。本当にうまくいくかしら?」
「うまくいくよ。ぜったいに」
ウィルは断言した。
「どうしてそう言い切れるのよ?」
「二人はきっと、寄り添いあうから。人間だとか、ユニコーンだとか関係なく。だってあの二人、最初に会ったときからそうしていたでしょう?」
「そのわりには、二人の気持ちに気付かなかったくせにね」
レイラの皮肉を、ごきげんなウィルは「うるさいな」と笑ってやりすごした。
「それに、僕らが願うでしょう?」
「なにを?」
シルヴィアの問いに、当然というふうにウィルは答えた。
「二人の幸せを、さ」
ウィルは、言うなり窓を開け放った。
昼下がりの陽光と風が、さわやかに室内へと注ぎ込んでくる。
「歌おう。エヴァランにならった歌で。二人の幸せを祈って」
レイラとシルヴィアの脳裏に、「くれぐれもお騒ぎになりませぬよう」というオーウェンの言葉がよぎった。けれどもそれ以上に、きらきらとした陽射しと、それを受けてあかがね色の髪を輝かせたウィルの提案が魅力的だった。
三人は窓辺に立つと、それぞれにエヴァランとオリヴィエのことを思い浮かべた。どこかの草原で、きっとこの晴れた空の下、寄り添い合っているだろう彼らのことを。
まず、ウィルが声を発した。窓の外の梢を揺るがした一声は、やがて響きを変えて、すぐに周りへと馴染んでいった。
その音に合わせて、レイラとシルヴィアも発声する。三人の声は、やがてそれぞれの音律へと分かれ、それでも自然と強く結びついた乱れのない一つのハーモニーとなった。
そうして三人は、外へと歌った。
それは呪譜に縛られない、言葉もなく、定められた音階もなかった。風が吹き、光のきらめきが変われば簡単に揺らぐ、儚いものではあったけれども、そのかわりに、どこまでも自由だった。三人はハーモニーを保ち、エヴァランとオリヴィエに向けて、祝福の歌を歌い続けた。
ユニコーンへ歌う 和泉瑠璃 @wordworldwork
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