選考会ノ夜
尾世海風
選考会ノ夜
「では、以上の三作品が最終候補ということでよろしいでしょうか?」
「異議のある方はいらっしゃいませんね?」
選考員達の顔を見渡しながら、一人ずつ念を押していく。
その顔は初老の紳士そのものだ。
だが、神位の力強い目で見られると、若い編集者なんかは、皆ヘビに睨まれたカエルのように縮こまってしまうという。
この目力こそが神位が、長年に亘って『文芸戦国』の編集長として君臨してきた所以でもあった。
三人の同意を確かめた神位が満足げに言う。
「ということで、
それでは、引き続き残った三作品の中から受賞作を決めていきたいと思います」
神位の言葉に応えるかのように、選考員達の表情が少し和らいだ。
老舗の料亭「新苦楽」。
その一階座敷で半年に一度の恒例行事、芥山賞の選考会は行われていた。
しかも、今回は二百回目となる記念すべき賞だ。
けれども、その選考は混迷を極めていた。
今までも議論が紛糾したりして、結論までに時間がかかることは多々あったが、ここまで難航するのは初めてのことだった。
開始から既に六時間が経過していたものの、未だ結論には到っていなかった。
隣の座敷では、受賞作の発表を待つマスコミの記者達がとっくに痺れを切らしていた。
神位が、右手にはめたスマートウォッチで時間を確かめる。
「夜もずいぶんと更けてまいりました。先生方も明日のご予定がおありでしょうから、ここからは一気呵成に進めてまいりましょう。それでは今一度、最終候補の三作品を確認致します」
猫背の背中をぴんと伸ばし、神位の言葉に集中する。
「
「では、講評を続けてまいりましょう。ご意見のある先生から・・・」
神位が言い終わらないうちに、漣が勢いよく手を挙げる。
「先ず猿渡さんの『善き人々の群れ』ですが、ちょっと狙い過ぎたかなという印象です。占いを使って偶然性の高いストーリーを作るという方法自体はユニークですが、結果的に物語がちぐはぐになっているように感じます。また、前回の候補でもあった『夢見的芝居』が良すぎたこともあって、今回は残念な印象を受けますね」
「次に本郷さんの『人間機械』ですが、これはとても面白い作品でした。人間と同じように作られた機械という発想はありふれているかもしれませんが、その描写は独特で哲学的な匂いさえ感じさせます。けれども残念なことに、人間と機械の違いが何のかという肝心な問いに作者は自身の答えを出していません。
もしかしたら、この慎重さは本郷さんが現職のエンジニアさんであることと関係しているかもしれませんが、これだと読み手はモヤモヤしたままで物語に共感するこができません」
「最後に水科さんの『忘れらるる』ですが、未熟ながらも女子小学生ならではの瑞々しい感性が感じられる物語でした。また、文体にも独特の躍動感があり、作品全体が生きる喜びに溢れています。このまぶしさこそが読み手として一番共感できる所であり、この作品の最大の魅力だと思います」
「以上の理由から、私は水科さんを推します!」
漣は早口で一気にまくし立てると、空っぽになった湯呑を、もう一度飲み干した。
「確かに漣はんの言う通りやけどな、小学生が芥山賞を取るのって、どうなんや?」
夕凪は文学界の巨匠だが、大酒飲みとしての悪名も高く、今日も既に相当酔いが回っている様子だった。
トレードマークの禿げ頭は茹でたタコのように赤味を帯び、既に呂律も怪しくなってきている。
漣がすかさず反論した。
「夕凪先生、お言葉ですが、作品に年齢は関係ないんじゃないですか?良い作品は良い。それだけですよ。そもそも、そんなことを言いだすと今回の芥山賞なんて・・・」
真っ赤な禿げ頭を左右に振りながら、夕凪が漣の言葉を遮る。
「いやいや、なーんも小学生が取ったらあかんて言うとんのとちゃうわ。ワシが言いたいのはやな、賞全体の選考基準についてなんや。
芥山賞っていうのは日本文学界の最高峰の賞やろ?長い歴史だってある。それやのに、ここ何年も話題性ばかりが先行してへんか?
その結果、エキセンチョリックな物書きばかりに賞をやっとるんちゃうか?って言うとんねや」
そう言って、漣を見つめていた真っ赤な目を神位へと向ける夕凪。
「神位はん、前回の受賞者はプロレスラーやったよな?その前は宇宙飛行士。前の前は女子中学生と手品師や。
こんなんやから、芥山賞はただの話題作りイベントに成り下がったと世間様から言われるんやで」
「今回は記念すべき二百回目の芥山賞や。それやのに最後まで残ったんはエンジニアに占い師、挙げ句の果てに小学生、本業の物書きなんて一人もおらんやん。
しかも、そん中に人間とちゃうもんまで混ざってるとか言い出す始末や。神位はん、一体、どないなってまんねん?」
思わず大声になる夕凪。だが、神位は冷静な表情を崩さなかった。
「夕凪先生、声が大きすぎますよ。隣には記者達もいます。落ち着いてください」
夕凪を諭すと、神位は三人の顔を見つめながら丁寧に話し始めた。
「芥山賞が日本文学界の最高峰の賞であることは、設立時から現在まで変わることはありません。おそらく、これからもきっと変わることはないでしょう。
それは、受賞者であられる夕凪先生や選考委員の先生方が一番お分かりだと思います」
神位の言葉に皆が無言で頷く。
「しかしながら、先生方が受賞された当時のことを思い出してみてください。
当時の選考委員や世間の人々が皆、先生方の才能を正しく評価していたでしょうか?
いえ、もしかしたら、皆はこう思っていたかもしれません。
『この新人作家には、本当に芥山賞にふさわしい才能があるのだろうか?』」
神位の言葉を噛みしめる選考委員達。
漣もいつしか二十五年前の受賞式のことを思い出していた。
緊張で上手に喋れなかったスピーチ。
マスコミに囲まれた華やかなパーティー。
そして、受賞後から今に到るまでの長すぎるスランプ・・・。
思えば、芥山賞を受賞したあの頃が自分の人生のピークだったのかもしれない。
だが、漣の夢想は座敷中に鳴り響く大きな音で終わりを告げた。
夕凪がグラスを倒し、なみなみと注がれていたビールを座卓一面にこぼしたのだった。
「あかん!ちびた!やってもうたがな!」
着ていた着物をびっしょりと濡らした夕凪を、選考員達が呆れ顔で見つめる。
女将がとんできて後始末を始めるが、神位は気に留めることなく話を続けた。
「芥山賞の使命は二つ、新しい才能の発掘と発信です。
かつての先生方がそうであったように、新しい才能というものは常に人々に驚きをもって迎えられるものなのです。
今回の最終候補は三作です。どうか、作者のプロフィールに捕らわれることなく、先生方の目で賞にふさわしい才能をお選びください」
毅然とした態度で話し終えると、神位は目を大きく見開いた。
その目力に、漣は眩暈を覚えそうになった。
しばらくの沈黙の後で、紅一点の黒木レイカがようやく口を開いた。
「ワタクシもね、ちょうど漣先生と同じように思っていましたの」
真紅の着物を身に纏った黒木は人気の女流作家だ。
作品だけではなく美しい容姿で、テレビでも話題になる人物だった。
黒木の視線を感じた漣は、思わず眼を伏せた。
「本郷さんの文章って、よく書けてらっしゃるんですけど、何故だか色気を感じませんのよ。文体は確かに美しいんだけど、どこか冷たくて艶めかしくないっていうか・・・、まるで人間じゃないような、そんな感じがしますの」
微笑を称えながら、黒木が神位に視線を送る。
「ねえ、神位さん、この本郷さんって、もしかして・・・?」
甘い声で様子を伺うが、神位は動じなかった。
神位の態度に、黒木が業を煮やす。
「神位さん!もうそろそろこの辺で、どれが人工知能による作品なのか、教えて下さってもよろしいんじゃなくて?」
黒木の言葉に煽られるように、選考員達の視線も神位に集中する。
だが、神位は無言のまま、じっと黒木の目を見つめるだけだった。
「ふーん、そうなのね。どれが人工知能の作品なのか、私に当ててみろって、そうおっしゃるのね?
でもね、ワタクシは作品の文学性を確かめるためにここに来たのよ。
人間か機械かだかの当てっこをするために来たんじゃないわ。
それとも何?ワタクシが間違って人工知能の作品を選ぶのを見て、“それみたことか!”ってバカにしたいわけ?」
「あー、やだやだ!こんなの、もうやってらんないわよ!」
黒木は着物の両袖をぶんぶんと振ると、正座の足を崩してすっかりと白けてしまった。
「黒木はんの言う通りや、ワシらをバカにしくさって!
神位はん、候補作の中に人工知能の作品を混ぜたのはアンタなんやろ?違うか?
話題作りのつもりかしらんが、そんなん、芥山賞への冒とくやないか!」
夕凪は座卓から立ちあがり、神位を指差して叫ぶ。
「夕凪先生、興奮しないでください。どうか座って、落ち着いてください」
両手で夕凪を制する神位。
その声は変わらずに落ち着いていたが、眉間には深い皺が寄せられていた。
「ほんとですよ!先生、少しお酒が過ぎますわよ!」
美人の黒木にも諭され、夕凪がしょんぼりとその場に座り込む。
神位が神妙な面持ちで続けた。
「先生方のご意見はよく分かりました。
ただ、誤解のないよう今一度、お伝えしておきますが、今回の選出過程において編集部が人工知能が書いた作品を意図的に候補に加えた事実はございません。
それは予期せぬ所で起こった事故だったのです」
「というのも、先生方もご存じだと思いますが、昨今の人工知能の発達には目を見張るものがあります。
それは文芸分野においても例外ではございません。今や発表される作品の作者が人間なのか、人工知能なのか見極めることは非常に難しくなってきております」
「確かに芥山賞の選考という大任において、人工知能の作品を選出してしまい、結果、選考を混乱させてしまった責任は大きいと思います。
そのことに関しては、私が責任者として先生方に、改めてお詫び申し上げたいと思います。
誠に申し訳ございませんでした」
一旦、言葉を止めると、神位が深々と頭を下げた。
漣も釣られて頭を下げそうになる。
「ただ、我々は本当に良い作品を世に送り出したいという一心で芥山賞を続けています。
ですから、たとえその作品が人工知能の手によるものであっても、良いものは良いと正当に評価されるべきだと私は思うのです」
「もし、今回の受賞作に人工知能の手によるものが選ばるようなことがあれば、きっと、世間の人々は驚くことでしょう。批判の声もあがるかもしれません」
「でも、それは先生方が危惧されるような憂うべき事態ではございません。
なぜならば、それは人間と人工知能が切磋琢磨しながら新たな文学を作っていくという新しい時代の幕開けだからです」
いつしか、神位の目力が再び強くなっていた。
皆、その目に吸い寄せられるように大人しく耳を傾けている。
「ですから、どの作品が人工知能の作であるかは現時点では先生方にお教え致しません。
ただ、この三作品の中に人工知能が書いたものが含まれているということは事実としてお伝えしておきます」
「しかしながら、くれぐれも人工知能の作品を探し出したり、選考から外すようなマネはおやめ下さい。それはここまで残った作品や作者に対しても失礼なことですし、単なる人間のエゴです。そして、それこそが芥山賞への冒とくだと思います。
候補作はいずれも厳しい選考を勝ち残ってきた素晴らしい作品達です。純粋な視点で本当に良いものをお選び願います」
神位の圧倒的な言葉に反論する者は無かったが、皆それぞれに何か物言いたげな様子で座っていた。
神位が、再びスマートウォッチに目をやる。
「すみません、話が長すぎました。みなさんもお疲れのことでしょう。少し休憩をはさんでから最終選考を再開しませんか?」
三人も神位の提案に同意した。
「漣はんは、やっぱりあの小学生推しなんでっか?」
漣がトイレで小用を足していると、背後から千鳥足の夕凪が話しかけてきた。
「はい、僕としては最初から水科さんでした。今回は彼女がずば抜けていいです。面白い才能だし、将来性もあると思います」
漣は手元から目を離さずに答えた。
「せやけど、小学生やからなあ・・・。まあでも、機械に賞を持ってかれるよりはマシかもな。
漣はん、あの占い師さんはどうなんや?二作連続で候補になってるちゅうことは、あれは絶対に人間なんやろ?」
夕凪が用を足しながら、漣に訊く。
「確かに猿渡さんは人工知能じゃないと思います。でも、あの作品はダメですよ。ストーリーが破綻してます。
夕凪先生、ここは神位編集長の言う通り、人間か人工知能かなんて考えないほうがいいんじゃないですか?
じゃないと、選考の本質を見失ってしまいますよ」
「いやいや、漣はん、違うって!
神位のヤツ、ああやって、もっともらしく言うとるけど、きっと、はじめから全部知ってたんやって。そして、わざと人工知能の作品を混ぜたに違いないって」
「ヤツは商売人やから、人工知能に賞を取らせて話題にして、本を売ることだけを考えとるんや。
漣はん、あんたこそ、利用されたらあかんで!」
まくし立てる夕凪に漣が冷たく答える。
「そうですか。水科さんが人工知能だったとしても、僕は彼女を推しますけどね」
「ほー、そら、えらいこっちゃな。漣はんは、ロリコンなうえに機械のほうもいけるクチでっか?
ほんま守備範囲が広いですなあ。すごいお方やわ」
夕凪が嫌みな声で言う。
「何とでも言ってくださいよ。僕は先生達のようないびつな人間主義にこだわったりしてませんから!
いいですか?時代は変わっているんですよ!いい作品が書けるんだったら、人工知能だって何だって芥山賞をあげればいいじゃないですか!」
思わず夕凪にキレる漣。
「でもな、漣はん。機械はあれ、考えて書いとるんとちゃうんやで。どっかからいい所だけを持ってきて、つないで作品風にしてるだけなんや。
だから、アイツらには、主義も主張もへったくれもあらへんねんて!」
夕凪が食い下がる。
「そうかもしれませんね。
でも、そのやり方って我々とそんなに違いますか?
先生だって、本を書くときに沢山調べものをなさるでしょう?
そもそも、色んな作家の影響だって受けてらっしゃいますよね?
僕に言わせると先生の作品ってモロ太宰だし、村上さんのパクリみたいなプロットだってありましたよね?」
お酒のせいか、漣の言葉が思わず勢いづく。
「そんな人が、人工知能には考えや主張が無いって、どうして、そんなこと言い切れるんですか?そんなのニンゲン側の勝手な思い込みじゃないですか?」
「僕はニンゲンだって、人工知能だって差別はしません。あくまで作品の文学的な価値で判断させて頂きます!」
吐き捨てるように言うと、漣は夕凪を置いてトイレを後にした。
むかつきながら早足で歩く。
だが、座敷へ戻る道すがらで気分が落ち着いてくると、夕凪へ投げつけた言葉が自分自身への問いかけでもあるような気がしてきた。
ニンゲンだって、人工知能だって差別はしない。
そう啖呵を切ってみたものの、本当にそうだろうか?
もし、事前に水科セナが人工知能だと知っていたとしたら、本当に彼女の作品を芥山賞に推していただろうか?
神位が言うように、ここ十年ほどのうちに人工知能は急速な発達を遂げていた。中でも、芸術分野における発達は顕著だった。
それは最初、絵画や彫刻といったジャンルで始まり、人工知能による芸術性の高い作品が次々と発表されていった。新しい芸術の登場に人々は驚き、賞賛した。
次は音楽だった。
人工知能はその分析力によって、人間では辿り着くことの出来なかった旋律の効果を解明し、今や人々は人工知能の作る曲によって気分を高められたり、悲しみに涙するようになっていた。
そして、この頃から人々は人工知能の力を恐れるようになっていった。人間にしか出来ないことが、ほとんど残っていないことにようやく気がついたのだ。
今回の芥山賞が世間からこれだけ注目されているのも、文学が人間に残された最後の砦だと多くの人々が感じているからだろう。
マスコミは連日“人間対人工知能”という図式で世間を煽っている。
もし、今回の芥山賞で人工知能の作品が選ばれるようなことがあれば、本当に神位が言うようなバラ色の未来が訪れるのだろうか?
いや、きっとその結果は多くの人々の失望を招くことになるだろう。
人間の特殊性がまたひとつ否定され、若い書き手がやる気を失えば、今後の芥山賞への影響だって計り知れない。
もちろん、そんなことは漣だって何度も考えてきたことだった。
だが、こうして改めて考えてみると、自分がいつになく大きな責任を負っていることに気付かされる。
果たして、本当にその作品性だけを信じて、水科を選んでしまってもいいのだろうか?
“アイツらには、主義も主張もへったくれもあらへんねん”
夕凪の言葉が頭の中に木霊する。
漣の気持ちが少しずつ揺らぎ始めていた。
座敷に戻ると、ちょうど神位と黒木が談笑しているところだった。
その様子を見て、漣はほっとした。
そうだ、意見の対立があっても、こうやって笑って話し合える所がニンゲンの良さの一つなんだ。
そんなことを思いながら、ぼーっと二人の会話を眺めていると、“ニンゲン”という言葉が頭の中をぐるぐると回り始めた。
そもそも、“ニンゲン”って一体、何なんだ?
“ニンゲン”にしかないものって?
・・・・だめだ、選考に集中するんだ。今は、芥山賞の選考をしているんだ。審査すべきは人間性ではなく、あくまで作品性だ。最後にもう一度、水科の作品性を客観的に検証するんだ!
必死に自分に言い聞かせるが、酒のせいもあってか、一度切り替わった思考はなかなか元には戻ってくれなかった。
漣は徐々に焦りはじめた。
一体、自分が何を審査しているのかが、だんだん分からなくなっていた。
そうこうしているうちに夕凪も座敷に戻り、選考が再開された。
「では、最終の投票を行いたいと思います。選考員のみなさん、これから私が読み上げる作品名の中から、芥山賞の該当作であると思われるものに挙手をお願い致します」
神位が改まった口調で告げた。
その顔は疲れきっていたが、目力だけは健在だった。
漣の頭の中では、相変わらず“ニンゲン”という言葉が回り続けていた。
その回転に合わせるように鼓動は早まり、全身から脂汗が滲み出していた。
と、不意に何かが漣の足に当たった。
見ると、二つに折られた箸袋が足元に転がっている。
手にとって開くと、小さな字で何か書かれていた。
目を凝らすと、達筆な字で『水科が人工知能。神位が認めた』と書いてあるのが読めた。
ギョッとした漣が顔を上げると、対面の黒木と目が合った。
黒木は漣の目をじっと見据えて微かに微笑んだ。
どうやら、それは黒木からのメッセージらしかった。
「猿渡テツ『善き人々の群れ』」
神位が候補作のタイトルを読み上げ始める。
夕凪も黒木も手を上げる様子はない。
だが、パニック状態に陥った漣は、それどころではなかった。
水科が人工知能であることが告げられた今となっては、人工知能に挙げるべきか、挙げないべきかという二択のみが、もの凄いスピードで頭の中を駆け回っていた。
二択はどんどんと加速し、それに合わせるかのように鼓動はどこまでも速まっていった。
「水科サナ『忘れらるる』」
神位が、いよいよそのタイトルを読み上げた。
だが、今度も誰も手を挙げる者は居なかった。
挙げるべきか、挙げないべきか・・・・
挙げるべきか、挙げないべきか・・・・
挙げるべきか・・・・・。
いつしか漣は意識を失い、右手を硬直させたまま畳の上に倒れ込んでいた。
どれ位の時間が経ったのだろうか?
暗い座敷の中で、漣は意識を取り戻した。
仰向きに寝かされ、頭には枕代わりの座布団が敷かれていた。
どうやら、極度のパニック状態に陥り、失神してしまったようだった。
選考もとっくに終わっていた。
漣は自分の不甲斐なさを悔やみ、大きなため息をついた。
だが、次の瞬間には、選考結果に思いを馳せていた。
選考は結局どうなったのだろう?
受賞作は決定したのだろうか?
そう考え始めると、漣は居ても立ってもいられなくなった。
起き上がろうと無理に上体を起こすと、ちょうど隣の座敷から話し声が聞こえてきた。
どうやら、隣には記者達がまだ残っているようだった。
漣は若い記者達の会話にじっと耳をすませた。
「いやあ、これで明日のニュース番組のトップはもらいだな。きっと、全局ともこの話題一色になるぜ」
「まあな、なんてったって人工知能が芥山賞だもんな。さすが神位さん、上手いことやるよな」
記者の言葉に漣は耳を疑った。
記憶を辿ってみたが、猿渡にも水科にも手を挙げた者は居なかった。
ということは、水科の作品ではなく、本郷マロンの『人間機械』が人工知能の作品だったということなのか?
「そうだよな。けど、選考員の先生方も複雑だろうな。だって、最終候補には人間の作品が一作も残ってなかったって言うんだから」
もう一人の記者が答える。
「ほんとだね、初めからそうと分かっていれば選考も混乱しなかったろうし、失神する審査員だって出なかったかもしれないのにね」
「漣先生か、本当に気の毒だよな。神位さんもヒトが悪いよ。けれども、これって確かに大ニュースだし、話題性で本も売れるんだろうけど、オレ達ニンゲンにとっては、何だか寂しい結果だよな」
「だよな・・・、全くこれからが不安だよ」
記者達の言葉を聞きながら、漣は再び身体をゆっくりと横たえた。
二人はまだ話し続けていたが、もうどんな言葉も頭には入ってこなかった。
仰向けになると丁度、開いた襖の隙間から夜空に輝く月の姿が見えた。
綺麗な満月だった。
その月を見つめながら、漣はかつて月面に降りたったというニンゲンの姿を思い出していた。
・・・早朝の5時。
人工知能研究所では、けたたましい電話の音が鳴り響いていた。
何十回目かのコールの後で、ようやく寝ぼけ眼の漣博士が応答した。
受話器の向こう側では、助手の神位が興奮した様子でまくし立てている。
「漣博士!やりましたよ!フレデリックがやってくれました!」
「おいおい、神位君。こんな朝早くから一体、何の騒ぎだね」
「小説ですよ、小説!課題だった小説をフレデリックが五日で書き上げたんです!」
「ほう、5日とは早いな・・・」
寝ぼけながらも感心する、漣博士。
「芥山賞の選考会に人工知能の作品が紛れ込むという話なんですがね、結構、読み応えありますよ。ちなみに、タイトルは『選考会ノ夜』です」
「ほうほう」
「漣博士が主役で出てきますし、僕も編集長役で出てます!黒木女史の描写も色っぽくてなかなかですよ!フレデリックはちゃんとキャラクターの特徴も書き分けています!」
「ふむふむ」
「とにかく、この後、メールしますから、是非、読んでみて下さい!こいつは大した作家になるかもですよ!そのうちにニンゲンを超えるかもしれないです!はっはっはっ!」
そう言って助手の神位は、割れんばかりの大声で笑った。(終わり)
選考会ノ夜 尾世海風 @OseKairan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます