トガさんのゴハン
碓氷彩風
トガさんのゴハン
「昔、流行りましたよね。異世界転生……でしたっけ?」
思い出したように、トガは言った。
「あった。あった」
目の前の若者が大きく頷く。
「だいたい筋書きは決まっていたよな。トラックに轢かれた主人公が異世界に行ってさぁ、神様とか女神から貰った力で好き勝手暴れるって感じだよね!?」
と、若者。彼はグラス片手に顔を赤くしている。トガのおごったエールをぐびぐび飲んで、すっかり酔ってしまっているのだ。
「そうです」
トガは微笑みを崩すことなく、相づちを打つ。
少し前から、カフェーの中が騒がしくなって来た。
トガと若者の周りにも大勢の客が座り、会話と料理を楽しんでいる。
味は格別。雰囲気も良い。この大都市でも特に大人気の店だ。
「でもさあ、そんなの馬鹿馬鹿しい小説とか漫画の話だと思うじゃん。でもさあ、俺たち……」
若者は突然笑い出す。
「俺たちが、その転生者ってヤツになってるんだから。驚きだっての。なあ、そうでしょ?」
「ええ」
トガはエールで口を湿らせながら、目を動かした。
右隣のテーブル席では、瀟洒な服に身を包んだオークの男が、がつがつ丼をかき込んでいる。
左のカウンター席には、人間の男とエルフの女。男は気取った顔でエルフ女の尖った長耳に、何かを囁いている。エルフ女はくすくす笑いながら、一つ目の給仕係からシェリー酒を受け取った。
「そうですね。僕らは、異世界の人間。それをたまに、忘れてしまいそうなんです」
トガはにっこり笑って言った。
「僕らがいた世界と、大して変わらないんですからね。きれいなお店はあるし、鉄道も工場だってある。そして、僕以外にもこの世界に流れて来る人が大勢いる。でもそれって、恵まれた環境なんだなぁと、最近特に思うんです」
そう言いながら、トガはカツレツを綺麗に切り分けた。
彫りの深い目鼻立ちは確実に女受けする程、きれいに整い、白髪まじりの灰色髪には髪油まで塗っている。
若者は最初に知り合った時、思わず声を失った。容姿に圧倒されたのだ。その一方で、違和感を覚えた。
(どこかで見た顔だ)
その違和感はアルコールによって消え、今はちっとも気にならなくなっていた。
それよりも……。若者は目を細め、テーブルの下で拳を強く握りしめた。
(ふざけやがって)
若者は彼の崩れない笑顔に、そろそろ腹が立ってきた。
膨張する劣等感と逆恨みが若者の内心をぐつぐつ煮る。
(向こうと大して変わらない?それが問題なんだ!異世界に転生したらよぉ、クソな毎日から抜け出せるンじゃあねぇのかよ!?)
異世界から来た人間など、どこにでもいた。転生者の知識や技能が重宝される機会も殆どなかった。
そこに来て出会ったのが、この「恵まれた男」だった。
現実世界と同じ憂き目にあった若者は、転生先でも成功者を妬んで僻む事となった。
(見てろよ。そのニヤけ面を潰してやる)
若者はどす黒い決意を燃やした。
その直後、強烈な眠気に襲われた。
若者は驚く間も無く、テーブルに突っ伏してしまう。
トガは倒れる若者からカツレツを遠ざけた。
「ど、どうしました?」
一つ目の給仕係が駆け寄ってくる。周りの客も物見遊山にトガを見る。
「連れが酔い潰れてしまって。どうもすいません、とんだご迷惑を」
丁寧に頭を下げて詫びる。
「お会計、お願いします。あと……」
トガは気恥ずかしげに尋ねた。
「このカツレツ、持ち帰ってもいいですか?」
……若者は、足元から聞こえる力強い機械音で目を覚ました。
彼は四肢を縛られて、ベッドに固定されていた。
おまけに全裸と来ている。
ここは、どこかの地下室なのだろうか。天井の薄明かりのせいで、殆ど何も見えない。
「失敗したなぁ」
不意にトガの顔が現れた。
寝台の横に立ち、若者を見下ろしているのだ。
しかも、場違いな黄色の雨ガッパ姿で。
「あ、あんた……」
若者は続きを言えず、口をパクパク動かす。
足元ではまだ機械音が轟いていた。
「参ったなあ。困ったなあ。君の体、特に美味しそうな場所がないんです」
トガは心底、困った顔をしていた。その一方で、微笑みはまだ口もとに残っている。
「残念だなあ。異世界に来る前は、食材選びにはそこそこ自信があったのに。しばらくヒトを食べなかったから、きっと感覚が鈍ったんでしょうねぇ」
トガはまた微笑みだした。
困惑とはにかみ、そして嬉しさをごた混ぜにした微笑みだった。
怯えて竦む若者が身をよじる。しかし、彼のたるんだ身体は、ベッドからぴくりとも動かない。
思い出した……。
若者はボロボロ涙を流しながら、心の中で呟く。
転生前、確かにこの男の顔を見た。
テレビで見た。朝のニュースで見た。
この男はトガ・シン。34歳の死刑囚。
世界中を飛び回り、60人以上の人間を殺して、死体を料理して食べた……凶悪な猟奇殺人鬼!
若者は慟哭した。
「活きは良いんだけどなぁ。仕方ない、君はミンチ肉だ。キーマカレー、ハンバーグ、それとも麻婆豆腐?」
呑気に献立を考えながら、殺人鬼は足元の機械を持ち上げた。
チェーンソーである。
ド、ド、ド……。エンジンが子気味よく拍動を続ける。トガは真面目な面持ちでチェーンソーを掴み直す。
「何で!?チェーンソー、どうして!?」
「作ったんです。すごいでしょう!」
ブオオオン。
チェーンソーが高らかに吠えた。
回転する刃が若者の大腿へ近づく。
「嫌だ!嫌だ!!嫌ああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!?」
若者は最初で最期の狂おしい激痛と不快感をしばし味わいながら、食材にされた。
……翌朝。
落ち着いた家具と可愛らしい調度品に囲まれながら、トガは朝食を食べていた。
照り焼きソースをかけた、ミートボール(人肉)をフォークで刺して、口に運ぶ。
舌の上でソースを味わって咀嚼。
ジワリとこぼれる肉汁と味は……いまいち。
「今度は面倒臭がらずに、ちゃんとブレンドしよう」
そう呟きながら、トガは人骨で出汁をとったトマトスープを啜った。
職場に出勤するまで、トガはちょっぴり手間をかけた朝食を、のんびり楽しむ事を日課にしていた。
柔らかな日差しが窓から入り込み、食卓を優しく照らす。
季節外れの暖かい風が、台所のトマトスープ(人骨出汁)の香りをトガのもとに運ぶ。
「人間、幸せが一番だなぁ」
独り言を口にしたその時。
窓が割れた。
顔を向けると、掌サイズ程の妖精が2匹、石つぶてを持って浮遊していた。
この界隈ではいつも、野生の妖精が見境なしにイタズラをして回っているのだ。
「困ったなあ。せっかくの朝が台無しだよ」
トガは手もとのフォークを掴んで、立ち上がった。
この後、トガは今日の弁当に
彩り豊かな野菜サラダ(妖精のボイル肉を添えて)を入れた。
(猟)
トガさんのゴハン 碓氷彩風 @sabacurry
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