ホームの残像

LIC

第1話 ホームにいるあの女の子

 今日もホームにあの女の子は居た。

 10年前と同じ姿で、あの寒い日と同じ格好で。

 あの頃はデニーと同じ目線だったのに、今は頭一つ分下になってしまった。

「メル、今日も寒そうだね」

 デニーはホームの端でたたずむ少し透けている少女に声を掛けた。

「大丈夫よ!寒さなんて、感じないんだし」

 寒さを感じない。

 この少女、メルは寒さどころか暑さも感じないのだ。それが当たり前だと笑顔でデニーに返した。

「相変わらず、見てるだけで寒気が・・・」

 デニーは小声で茶化しながら続ける。

「もう、デニーってば相変わらず寒がりなんだから」

「いやぁ、制服姿で上着も無かったら、見る人全員が寒そうっていうと思うぞ」

「そんなこと言って、見えるのはデニーだけだから関係ないわ」

 そう、なぜかメルの姿はデニーにしか見ることが出来ない。

 ロンドンで一番利用客が多いこの駅でも、メルが言うにはデニー以外メルが見えないらしい。


 メルは、幽霊なのだ。

 死んでいるわけではないが、どちらにしても、メルの体はここにはない。


 メルの体は、この駅から少し離れた病院のベッドで、もう10年近く眠っている。


「明日、帰ってくる」

 誰が、とは言わずデニーはマフラーに顔を埋めながらメルに言った。

 マフラーは口元を隠している。小声ならば近くを歩く人々に不審がられず、メルと話が出来る。夏場なんかは、最悪だ。一人でぶつぶつと話していて、一度警察を呼ばれそうになった。その時はとっさにマイク付きイヤホンを出して、話していたふりをして何とかごまかした。それからは、イヤホンを片方の耳に引っ掛けながら、本を開いてメルと話をするのが、定番化してしまった。

 警察に問い詰められて慌てていたデニーを笑っていたメルは、未だに許せない気がする。

「そう、帰ってくるのね、エド」

「もちろん、婚約者を連れて」

「知っているわ」

 デニーがメルの方を向くと、少し不安そうにうつむいていた。

 10年前、メルはデニーの兄、エドに憧れていた。もしかしたら今も恋焦がれているのかもしれない。ずっとずっと、エドの後を追って追って、追いかけていたメルを追いかけていたのはデニーだった。

「どうなるか分からないけど、エドの顔をみたら私も何か変わる気がする」

「だといいけど。いつまでも居られても、俺も気が休まらないし」

「なにをー!べつにあんたがいつも通勤するルートがここなんだから仕方が無いでしょ!私のせいじゃないわ!」

「いいかげん、ここから動けよ」

「私だって、なんでここにいるか分からないんだから!」

 デニーがメルをこのホームで見つけたのは就職してまたこのロンドンに戻ってきたとき。

 通勤途中のホームに立っている少し透けた見覚えのある少女。

 駆け寄ったら幼馴染のメルだった。

 10年前にある不幸で意識が回復せず寝たきりになっていたメル。まさか幽体離脱してロンドン1大きな駅のホームにいるなんて、デニーには想像が出来なかった。

 会った日は、そして話が出来るとしった時はその場で動けなくなってしまうくらいの衝撃だった。それから2年、デニーは毎朝毎夕の通勤時に少しメルと話すのが日課になっていた。

 幼馴染、それも秘かに初恋だった相手と毎日話すというのは、なかなかに複雑だった。

 そして今も一途に、きっと兄を慕っている。

「まぁ、明日は兄さんたちを迎えに来るよ。土日におまえの顔を見るのは嫌だけど」

「まったく、かわいいデニーはどこに行っちゃったのかしら。あの頃はメルって言いながら走ってきたのに・・・」

「そんな十数年前の話はだすな・・・」

「いいの?おねしょしたとか、裏庭で泣いていたとか」

「あーあー、なにもきこえねー」

「もう!」

 ついつい減らず口を叩いてしまうデニーだが、何となく察しているメル。

 二つ上のメルは幼馴染のお姉さんであり、デニーの好きな人、だった。

「それじゃ、また明日」

「気をつけてきてよ~!」

 吐く息が真っ白になりながら、デニーは家路を急いだ。


 次の日の朝、デニーは兄のエドと婚約者を迎えにホームへやって来た。

 メルがいつもいるホームは反対側。

 デニーはエドたちと話しながらメルの方をうかがったら、遠目だが微笑んでいるメルが居た。

 今にでも消えてしまいそうな、儚い笑顔だった。


「兄さん、疲れただろ?ミーシャさんも、今日は来てくれてありがとう」

 帰りの電車のホームまで送りに来たデニー。

 電車に乗り込むエドと婚約者のミーシャに声を掛けた。

「デニーくんも、わざわざありがとう」

「父さんも母さんも、喜んでたよ」

「ほんと?会えてよかったわ。ね、エド」

「うん、デニーも、ありがとな」

 それとなくメルの近くに誘導したデニー。

 すぐ近くにはメルがいる。

 電車が発車するアナウンスが鳴った。

「それじゃデニー、また帰ってくるけど父さんと母さんによろしくな。後、メルにも」

「えっ」

 メルは驚いた声を出した。

「病室までいけてよかったよ。久しぶりにメルに会いたかったし」

「私も、いつもエドが話してくれる可愛い女の子と会えてよかったわ」

「メルも喜んでいると思うよ」

 デニーは泣き出しそうなメルを見ながら二人に行った。

「それじゃ」

 エドは言いながらミーシャの腰に手を回した。

「メルによろしくって」

「エド!」

 メルは電車の扉まで駆け寄って、エドの前に立つ。

「来てくれて、ありがとう!ミーシャさんと幸せになって!」

「なんか、今メルのいつもつけてた香水の・・・」

 エドが首をかしげているときに、電車のドアが閉まった。

 気のせいと思ったのか、エドはデニーに向かって手を振っている。

「来てくれて、ありがとー!」

 ゆっくり進んでいく電車に向かってメルは叫んでいた。



「落ち着いたか?」

 涙ぐむメルを慰めるデニー。

「デニーに見られるなんて、情けないわ」

「いいだろ、別にこういう時くらい。遠慮なんて・・・」

 隣を見たら、メルの体がいつもより透けていた。

 足元をみたら、もうつま先が見えなくなっている。

「メル、おまえ」

「え?」

「足、消えてる・・・」

「うそっ!」

 メルは自分の足を覗き込むと、膝下辺りまでなくなっていた。

「え、どうして・・・」

「きえ、るのか・・・?」

「わ、わかんないけど・・・そういえば、眠く、なって」

「メル!?おい、メル!」

 ホームで一人叫ぶデニーを周りの人が不審がって見ている。

 そんな事は分かっているが、目の前で消えてしまいそうなメル以外に気なんて、配れない。

「メル!寝るな!消えるな!」

「なんか、エドの顔みたら、幸せだなって。思って・・・」

「メル!」

「急に眠く・・・」

「メル!!!」

 メルはもうまぶたがを閉じてしまった。あけている力も無いくらいの眠気に抗えないようだ。

「起きたら、また、会えるかな・・・?」

「俺が!会いにいくから!」

「ほんと?」

「必ず、会いに・・・!」

 ふふっと優しく笑ったメル。

「おやすみ」

 その声とともにメルはデニーの腕の中から消えてしまった。


 それからさらに1年後、ホームの片隅に若いカップルがいた。

 男は椅子に座り、女は興奮しているのか、今か今かと入ってくる電車を待っていた。どうやら男の兄夫婦を待っているようだ。

 男が諫めるように女に声を掛けるが、女は陽気に笑っては男を困らせていた。

 そんな二人のやりとりに、ホームの人々は口元が緩んでいたらしい。

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