満開を悼む君に。
Kuruha
満開を悼む君に。
この世界にはある奇病がある。
『散華症』と呼ばれるそれは、言葉のとおり、ヒトが花びらが散るように命を落とすことから命名された。
何よりの特徴は、『発症すると左ほほに桜の花びらのようなあざが浮かび上がる』こと。そのあざは日を追うごとに1つずつ増えてゆき、満開常態になると、一気に散ってしまう。
そんな、桜の花びらが彼女に現れたのは、つい4日前のことだった。
「ミナト! 今日は学校サボるよ!」
朝早くにインターホンを鳴らした彼女が大きな声で宣言する。紺色のブレザーに淡い色のプリーツスカート。サボる発言をしておきながら、その格好は自校の制服だった。
とはいえ、いつもより制服の着方が崩されている。膝上10cmほどのスカートにカーディガンの色は指定のものより派手で、なにより、その小さな顔には化粧を施しているようだった。
高校生らしいナチュラルさを感じさせつつ、桜の花びらがよく映える。そんな印象を受けた。
「サボるって……お前は元々行かなくても良かったのに」
私服のまま俺は言う。
どうにも学校に行く気にはなれなくて、着替えすらしなかった俺だ。言われるまでもなく、サボる気は満々である。呼ばれなければ、このまま独りで死んだようにベッドの上で横たわっていたことだろう。
「いいのっ。昨日まではちゃんとみんなにお別れをしたかったし。だから今日は遊ぶんだよ!」
ミナトと! と、はきはきした口調で言う彼女からは、“病気”という雰囲気は全く感じられない。
ましてや、明日にはいなくなってしまうなんて。
「やりたいこと、今日全部やろ! というわけで、今日は私に付き合ってね」
言われなくても、という気持ちは押さえつけて、俺はしぶしぶ付き合う、という体を装う。
「はいはい。で、何がしたいの」
「彼氏がほしい。そしてデートがしたい」
だから今日はミナト、私の彼氏ね。
と、彼女の声音をした何かか脳内を駆け巡ったような気がした。
…………?
「そしてテーマは『制服デート』だから。早く制服着てきて? 早く!」
早く! という言葉を合図に、弾かれたように体が動き出す。
何一つ理解が追いつかないまま、制服を着てくるという指示だけが明確に自分を動かしていた。
私の彼氏、というワードがリフレインされる。俺はあいつの彼氏なのか? 今?
それは、こんな簡単になれるものだったのか。
なんだか先を越されたような気分だった。
『好き』という言葉すら行き交っていないのに、彼氏だとかなんだとか。
少なくとも、俺は言えてないのに?
「それじゃあ、行こっか」
「行くってどこに?」
「遊園地とか水族館とか、あとはまあ、適当に?」
最後の日だというのに、彼女は全くの無計画だった。
遊園地は近場にはない。となると、水族館だろうか?
ということで、俺たちは水族館も併設された複合施設にやってきた。遊園地はなかったものの、屋上には観覧車があるらしい。それなら彼女も満足することだろう。
*
「あ! イルカショーだってよ! 見よ見よ!」
彼女に手を引かれて、俺たちは忙しなく館内を巡った。
好奇心旺盛なわりに飽きっぽくもある彼女は、1つの展示は3分も見れば十分らしい。順路に沿って次々に魚やら水棲動物を見せられた俺は、少々疲労困憊気味だった。
俺は彼女の様にアクティブな人間ではない。インドアなのだ。
「まもなくショーが開始します! お席は前から詰めてお座りください!」
そんな声を聴きながら、俺たちは席へ着く。
呼び込みをしているお姉さんは、明らかにこちらを気にしているようだったが。
客層は、平日の昼間ということもあって同世代は少なく、親子連れや、余生を楽しむ年寄りが多かった。それこそ、制服姿なのは俺たちだけだった。
休日であれば確実に満席になるであろう観覧席も比較的余裕があるようで、俺たちは前方の中央寄りの席を確保することができた。
「楽しみだねえ! あれでしょ、飛んだり跳ねたり、輪っかくぐりしたりとか、そんなの」
「抽象的すぎるだろ」
身振り手振りで一生懸命伝えようとはしているみたいだが、どうにもこういうことに対する語彙力は欠けているらしい。
可愛い。と、そう喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、俺は軽い言葉で答えた。
ショーが始まると、彼女の視線はステージに釘付けだった。一方の俺は、ステージと、イルカが技を決める度にぱっと表情を動かす彼女を交互に見る羽目になった。
「それでは、この子たちがくぐるリングを持つおともだちを募集したいと思います! やりたい人はいるかなー!?」
元気な声で、先ほどのお姉さんが声を上げる。この言い方は、明らかに小さなこども向けに寄せられた言い方だ。
「「「はぁーい!」」」
「はいはい!」
そんな中で、こどもたちに交じって大声を張り上げる大きなおともだちが隣に1人。
ちょっとぎょっとしたが、まあ、彼女ならやりたがるのも頷ける。というか、ここで大人しくしている方がらしくない。
そんな彼女の姿を見て、トレーナーのお姉さんは笑顔でこちらに手を差し伸べる。
「では! そちらの制服のお姉さん! 前へどうぞ!」
「え、わっ! やった。じゃあ行ってくるね!」
小さくガッツポーズをした彼女は、笑顔のまま席を立つ。ステージに降り立った彼女は、トレーナーのお姉さんから少し説明を受けた後、リングを受け取った。
その間、近くの親子の会話が耳に入る。
「えー。やりたかったぁ」
「また今度来たときにね。……今日は、あのお姉ちゃんの番」
「やだ。わたしが先がよかった!」
「お花が咲いてる人には、優しくしましょうって、言われてるでしょう?」
「お姉ちゃんには咲いてるの?」
「そうよ。だから、今度にしようね」
「そっかぁ。わかった!」
思ったよりも、あっさりと身を引く小さな女の子。それだけ、『散華症』という存在が世間に与える影響は大きい。
『お花が咲いてる人には優しくしましょう』ということは、つまりは『もうすぐ死ぬ人には優しくしよう』と言っているのと変わりない。
だから、すべてにおいて優遇される。このときばかりは。
やりたいことは、法に触れない限りはほとんどできるだろう。
もちろん、学校を無断で休んでも許される。俺はその対象外だけど、まあ、彼女が望んだわけだから、確実に許されるだろう。……元々許されるつもりなんてなかったけど。
俺はスマホを取り出して、カメラアプリを起動させた。そのまま、画面に彼女を映し出す。
ムービー録画を開始させると、タイミング良くパフォーマンスが始まった。
*
「おぉ。よく撮れてんじゃん。カメラ映りいいねえ、私」
「俺が撮るの上手いの」
スマホを覗き込みながら自画自賛を決める彼女。実際カメラ映りは良い方だと思うが、なんとなく認めるのが憚られて己の自画自賛で上書きする。
「あら……お嬢さん、そのあざ……」
ベンチに座って休憩していると、高齢の女性に声を掛けられた。
「あ、これですか……?」
ぱっと前を向いて、彼女が自分の左ほほを撫でる。
そこには、綺麗に咲いた4つの花びらがある。
「本当に綺麗よねえ、それ。けれど……つまりお嬢さんは今日、なのね?」
「はい。そうみたいです」
女性は少し悲しげな笑みを浮かべて言う。対して、彼女はからっとしたものだ。いつもと変わらない。
今日、ここまでいろんなことを回ってみて、そこまで直接的にこの話に触れてきたのはこの人だけだった。ショーのときを始め、たくさん優遇されたものだが、どこでも事務的なものだった。この対応にも慣れきった、営業スマイル。
世界は、あまりにも『散華症』を受け入れすぎている。
「貴女が優しい世界へいけますように。そちらのお兄さんも、どうか……」
「……はい」
言葉が出ない女性に向かって、なんとか笑顔を保って首肯する。
俺は一体何なのだろう。“優しい世界への旅立ち”ってやつを祈ればいいのだろうか。
「大丈夫ですよ。彼女は、強いので」
「なにそれ。……でも、そうですね。私はだいじょうぶ、ですよ」
「そう。貴女たちに会えて良かったわ。残りの時間、大切にね」
満足そうに頷いて、女性は去っていった。
*
散華症が『満開』になると、花を散らすように死んでいく。
そう謳ってはいるが、実際の死に方はそんなに美しくはない。
目から、耳から、口から、皮膚や血管組織の崩壊に苦しみあえいで、踊るように体中から血を撒き散らす。
最初の罹患者の死に様は、それは壮絶だったという。
だから、今はそうはならないようになっている。
そうなる前に、穏やかな最後を迎えるのだ。
安楽死。それが、散華症に罹った人間の末路である。
この病気は、摂理を無視して増えすぎた人間に対する自然からの天罰だとも言われている。
医療の発展はすさまじく、かつては治療困難と言われた病も、最早飲み薬を服用するだけで治ってしまうような、そんな状況で。
この病だけが、病原菌も治療方法も、感染方法すら発見されていない。
人間の、病気による死因の9割は散華症になってしまった。あとはほんの少し運の悪かった人だけ。
そして今、人類の人口は全盛期のおよそ5割といった具合になってしまった。
「やり残したことは? ある?」
「うーん、もうだいぶ満足したかなあ。というかもう思い出したくない。できないことも思い出しそう」
すっかり暗くなった空に包まれながら、俺たちは今日の出来事を反芻する。
観覧車が地上に着くまであと15分。それが、本当の本当に俺たちに残された最後の時間だった。
最後の最後まで、俺たちの間に「好き」という言葉はなかった。
最後の最後まで、俺たちは「彼氏」と「彼女」という肩書だけの関係だった。
――気持ちは、この花びらが現れてから絶対に隠し通すことに決めていた。
それが、自分にとって、なにより彼女にとって幸せであるような気がしたから。
気持ちを自覚してからずっと動かないでいた自分の落ち度だと後悔を抱えながら、それでも彼女を笑顔で見送れるように。
だって、彼女が俺を想ってくれていたことすら、俺は知っていたのだから。
言葉にすれば、それだけ別れがつらくなる。どうしてもっと早く言わなかったんだと、後悔は倍になる。
だから、これで良かった。良かったと、思わなければ。
「ああ、あるわ。やり残したこと」
「ほう。言ってみろ」
「私、ミナトのこと好きだわ」
…………。
「……それ、は」
「ミナトは? 私のこと好き?」
「好きに決まってるだろ!? っ、なんで今更……」
「そういえば言ってなかったなあ、って」
なんでもないことのように彼女は言う。買い物し忘れたなあ、くらいの感覚だ。
「どうせなら、私のことを忘れないでほしいからね。それとも、私のことなんてすぐに忘れたい?」
「いやっ、それはないけど……」
「ないけど?」
「お前が言うことじゃないだろう……」
頭を抱えるように、右手が顔の半分を覆う。隠れていない左目で、ちらりと彼女を窺い見た。
いつも通りの、少し勝気な印象を受ける表情。「好き」なんて言葉を吐いておきながら、そこに一切の照れの感情が感じられない。いっそ漢らしさまであった。
まったく、俺とは正反対。
「それもそうだね。というか、ミナトが言ってくれなかったから」
「……ごめん」
「まあ? ミナトが奥手やろーなのはわかってたし? 私も女なので、告白されることに少しの憧れがあったのは確かだけど。でも言われないならしょうがないじゃない?」
「……ごめん」
「このままの関係でサヨナラなんて、未練を持ったまま死ぬ方が、嫌だったからねぇ?」
まったく、俺とは正反対だ。
だからこそ、俺は惹かれていた。
俺にはない光を。どこまでもポジティブに物事を見定めていく彼女が、
「――きだ」
ぐわんと、ゴンドラが揺れた。
それもそのはずで、俺は気が付くと彼女の――ヒカリのすぐそばにいた。
抱き着いた、とも言う。
「うわあ、いきなり積極的」
楽しそうにヒカリは笑う。
対して、俺は上手く笑えなかった。
笑えるものか。
「ごめん。……ほんとごめん」
「うんうん。反省して?」
あやすように、声が震える俺の背中を優しく叩く。慈愛に満ちた声からは、責める色を感じない。
「でも私も、そんなミナトが好きだったからさあ。だから、これでいいんだよ」
そんな俺とは、一体どんな俺だったのだろう。
こんな極限までこなければ、想いひとつ伝えられないようなやつが。
いったいどんな生き方をして、こんなにも想われることができたのだろうか。
「ミナトは……一緒にいてくれたから。ずっと」
ずっととは。
それはこれからも続くものではなく?
「ほら、観覧車、終わっちゃう」
目元を擦って外を見ると、地面がもうすぐそこまで迫っていた。
つまり、あと数分。
「なにか私に言うことは?」
「……ありがとう」
「えぇー。愛の告白とかじゃないの?」
どこまでも愉快そうにヒカリは言う。
「好きだ」
「うんうん。そうそう」
満足そうに、ヒカリが笑う。
その頬には、うっすらと5枚目の花びらが浮かび始めていた。
「私も好きだよ」
その言葉が脳に届けば、やはり俺の視界はぐちゃぐちゃに歪んだ。
どうして。どうしてヒカリなんだ。
こんなに、こんなにいい子なのに。
これが自然の天罰だとするなら、それこそお門違いもいいところだ。
もっと罰を受けるにふさわしいやつがいるはずだ。
俺でもいいから。
「じゃあ、私から言いたいこと言っとくね」
「うん」
「私、ミナトが悲しんでくれて、すごく嬉しかった」
語りかけるように、優しく、ヒカリの声が続いた。
「花びらを見てね、「ああ、きちゃったか」って思ったの。だって、あまりにも身近すぎちゃって、……死ぬことが。
友達だって、「そっか、ヒカリともお別れなんだね」って、まるで転校する人を見送るような感じだったでしょ? それに、この花びらが全部の免罪符になるみたいに、なにもかも許されるのが当たり前になってて。遊園地のファストパスみたい。みんな慣れすぎ。
……でも、ミナトは『私が死ぬこと』を悲しんでくれた。こんなに泣いてくれるなんて、あとは親友のカレンと親くらいのもんよ。
しかも、最後にはちゃんと「好き」って言ってくれた。だから、「ありがとう」と言うのはむしろ私だよ。ありがとう、ミナト」
そう言って、ヒカリの唇が震えだした。
「……私のこと、忘れないで」
それは、呪いのような言葉だった。
思わず言葉に詰まる俺に向かって、ヒカリは話を続ける。
「申し訳ないことにさあ、私ミナトに忘れられるのは嫌なんだよ。だから、未練も残したくはなかった」
逆に、ミナトにとっては一生の未練になりそうだどねえ。と、ヒカリは言う。
「別に、他の誰かと幸せになってもいいんだよ。でも、私のことは覚えていて?」
そう、優しく呪いをかけてくる。
そんなことを言われたら、俺が忘れられないことなんてわかりきっているから。
小さく頷くと、ヒカリは嬉しそうに微笑んだ。
ゴンドラから降りると、何人もの大人たちから出迎えられた。
見知った顔のヒカリの両親から、見知らぬ、おそらく病院関係の人たちまで。
ヒカリが両親の元へ走っていく。両親も、俺のように目元が赤かったように見えた。
*
そこから先のことはあまり記憶していない。
目の前で過ぎ去ったはずなのに、まるでそこだけ録画に失敗したように、抜け落ちてしまっているのだ。
でも、覚えていなくて正解なような気もしている。あまりにも陰惨すぎた。
ああ、こんなつもりじゃなかったのに。
他の誰某と同じように、事務的に、ことが終わっていけばよかったのに。
だって、こんなことはありふれているのだから。
今や、『散華症』で大切な人を亡くしている人の方が大多数なのに。俺にとっては、たまたまその大切な人がヒカリだっただけだ。
……それでも、やはり人の終わりに対して事務的でいられる気はしなかった。
「ねえ、お父さん。……ユイちゃんのほっぺた、お花あったの」
「……そうか。ちゃんとお別れしたか?」
「うん。明日と明後日はおうちでお父さんとお母さんと一緒にいるんだって。だから、ちゃんと、お別れしてきた」
帰宅して早々、小さな体で、涙を零しながら寄ってきた娘を優しく抱き留めた。
この子は、その花びらが意味することをちゃんと知っている。
理不尽な死がありふれてしまった世界で、ちゃんと命に向き合うことができる子に育ってくれた。
それは、この世界においては生きにくい生き方になるだろう。俺のように。
けれど、その生きにくさが誰かの救いになるとするなら。
そんな生き方を選んでくれてありがとうと、そう思った。
満開を悼む君に。 Kuruha @kohinata_kuruha
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