Drink me

小高まあな

Drink me

 私は、コーヒー豆だ。

 名前はない。

 わかっていることは、自分がトアルコトラジャと呼ばれるコーヒー豆の、一粒であることだけ。

 それだけは、物心がついた瞬間から、なんとなくわかっていた。

 私が物心ついたのは、ほんの二日前。生豆の状態でやってきた私は、その時、彼に焙煎された。他の豆たちと一緒に。バチバチと体が熱くなり、大人になっていくのを感じた。

 そして、その時、私は見たのだ。

 私を焙煎する、彼の姿を。

 ひょろっとした長身を、狭いキッチンで窮屈そうに身をかがめ、どこか退屈そうに、それでも真剣に、私を見つめるその姿。

 パルピテーション!

 胸が高鳴った。

 体が熱い。

 恋の炎に燃やされて、私は熱い思いに身悶えした。体が茶色くなるぐらい。

 あのあと、私は他の豆達と一緒に、密閉した容器に入れられた。

 暗いその中で、私はずっと彼の姿を想い描いている。

 待っている。

 彼に飲まれることを。

 彼の薄い唇から、彼の中に入って行くことを。

 私が彼の中に、溶けきってしまう日のことを。


 少しずつ、少しずつ。容器の上の方の仲間達から、外へ出て行った。彼に飲まれたのだろう。

 羨ましい。

 美味しいコーヒーになってくるよ、と、誇らしげに出て行く仲間達を羨望の眼差しでずっと見ていた。

 でも、次こそ私の番だ。

 私は今や、容器の一番表面に居るのだから。


 かちゃっと音がして、天井が開いた。光が差し込んでくる。眩しさに目を細める。

 骨っぽい手が入り込んできて、その先にある計量カップに掬いあげられた。救われた。外に。

 一瞬、彼の顔が見えた。仏頂面。なんだか懐かしい。久しぶりに見る、彼の顔。

 二度目だけれども、もっと何度も見たことがあるような気がする。

 これがきっと最後になるであろう。彼の顔をじっと目にやきつける。

 ああ、いよいよ運命のときだ。いよいよ、彼に飲んでもらえる。

 私達はまとめて、ミルに入れられて、挽かれる。

 ガリガリガリと、身を粉にされる。

 粒だった私は粉になり、その体は他の豆達と一緒にばらばらになった。混じってしまった。他の豆達と。

 でも、例え身体がバラバラになっても、心はバラバラにならないのだ。

 私の願いはただ一つ。

 彼に、飲まれたい。

 コーヒーフィルターにセットされ、湯をかけられはじめる。

 熱さに少し体をよじると、自分からコーヒーがこぼれ落ちるのを感じた。

 ああ、いよいよだ。

 もう少し、もう少し。

 あと少しで、念願が叶う。

 抽出されたコーヒーと一緒に、私の心も溶け出していく。一滴、一滴。茶色い液体になっていく。

 私が完全にコーヒーに溶けきると、今度はカップに注がれた。

 これでいよいよ、彼に飲まれる時。運命の時がきた。

 私を見つめる、彼の顔をじっと見つめる。

 彼はカップに入った私を持ったまま、少し歩き、テーブルの横に立つと、テーブルの上に私を置いた。

「お待たせ致しました」

 言葉とともに。

「ごゆっくりどうぞ」

 そして、去って行く。

 ……ってあれ? ちょっと待って。

 目の前には知らないおっさん。誰だ、あんた。

 おっさんはカップを手に取ると、ゆっくりと持ち上げる。

 その分厚い唇に向かって、ゆっくりと。

 え、ちょっとまって、どういうこと。え、まって、ねえ、おっさん、飲まないで? え、だって、彼が飲んでくれるんじゃないの? まって、ちょ、え、まっ! いやぁぁぁぁぁ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Drink me 小高まあな @kmaana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る