緩やかに沁みる

 彼女への恋心を抱いてしまってからというもの、さて如何にしてお近付きになろうかと早瀬は考えていた。

 これまでの恋愛と言えば告白されて付き合うという形であったので、早瀬から告白した事は一度たりとも無かったりするのである。

 そのためあまり自分からアプローチをした事が無いので、早瀬にとって初めての片想いとなるこの状況はどうしたらいいのか分からないというポンコツ思考に陥っていた。

 どうやって話しかけよう、どうやって仲良くなろうなんて考えているうちに悪い結果までが浮かんで来るので、結局挨拶すら出来ず毎日英華を見つめるだけのサイクルの出来上がりである。

 夢中になりすぎるあまり授業中にまで英華へと視線が移ろいでしまい、気が付けば英華で頭がいっぱいになる。

 どうやら若松にその姿を見られていたようで、昼休みが始まってスグに早瀬が弁当を持って若松の席まで来た時に、授業くらい集中しろと頭を叩かれてしまった。

 彼は力が強いので手加減くらいして欲しい。

 後頭部を擦りながら若松の前の人の席を借りる。弁当を食べながらもやはり英華へと意識が向いてしまう早瀬を見て、若松はこれでもかとばかりにため息をついた。

 飽きれた。と、もはや早瀬を怒る気も失せ、頬杖を付いてその視線の先の英華を見やる。

 何か面白い話でもしているのか、彼女はお弁当を広げながら、可笑しそうに笑って友達とのお喋りに花を咲かせている。

 残念ながら会話の内容は聞こえないが、確かに笑う顔は他と比べると群を抜いて綺麗だし、笑いすぎたのか、細めた目尻にうっすらと浮かんだ涙の膜が余計に、妙な色気を誘っているように感じる。

 実際、どうやら彼女は男子に人気らしいとの話をここ最近早瀬から聞いたところだ。

 お前ってほんと面食いだよな、と若松はさらに呆れを重ねた。

「尾野さんって本当に美人だよね……ちょっとクールな所もなんて言うか……どうして今まで気が付かなかったんだろう」

「そりゃお前が周りに興味無いから見てなかっただけだろ」

「ぐっ。そんなことないし……」

 若松がもう一度英華へと視線を移すと、それに気が付いた早瀬が「俺の尾野さん見ないでよ」と突っかかってきた。

 お前のじゃねぇだろ、と言い返し改めて英華の方を見やる。

 相変わらず友達と仲良く喋っている。相手の友達は、英華とよく一緒に行動を共にしている砂原伊和さはらいおだ。

 彼女が何かを話す度に可笑しそうに笑う英華を見ながら、早瀬はうっとりとため息をついた。

「普段は結構クールだけど、ああして友達と楽しそうに喋ってる姿見るとギャップ萌えってこういう事なんだなって思った」

 早瀬がポツリと呟く。

 若松の顔を見ずとも、彼は今存分に呆れた顔をして自分を見ているのだろうとわかる。

 ふと、英華の視線が伊和から外れ、こちらに向けられた。

 早瀬はどきりと肩を跳ねさせ、慌てて視線を逸らす。

 見ていたことがバレてしまったのだろうか。確かにあれほど見つめていたら視線も感じるだろう。

 もう一度ちろりと目線を移せば、英華は既に伊和へと意識を戻していた。ふうとため息をついて、若松に向き直る。

「どうやったら尾野さんと仲良くなれるだろ」

「今までお前はどうやって仲良くなって来たんだよ」

「え、それは向こうから連絡先聞かれて、毎日やり取りしてって感じかな」

「だったらそれと同じことしたらいいじゃねぇか」

「え、それって……つまり俺が尾野さんの連絡先聞くってこと?」

 ああ、と頷くより先にブンブンと手をおおきく振り「無理無理無理!」と早瀬は声を荒らげた。

「恥ずかしくて挨拶すらまともに出来ないのに、連絡先聞くとかハードすぎる!」

「クラスのグループがあんだろ」

 あ、というが早く、早瀬はブレザーのポケットからスマホを取り出し、するすると慣れた手つきでメッセージアプリを開く。

 その手があったか、なんて思いながら英華のアイコンをタップして、そのまま早瀬は動作を止めた。

「どうした、友達追加やめんのか?」

「いや、これ、ブロックとかされたら嫌だなって……それでなくても突然メッセージきたら不審に思わない? 大丈夫?」

「ヘタレかよ」

 存分に呆れ返った若松は、貸せ、と早瀬の手からスマホを奪い取ると、早瀬が取り返すより早く友達追加のボタンを押した。

「ああ!! ちょっと、岳のばか!」

「うるせぇ。うじうじしてる暇あんならさっさとメッセージ送っちまえ」

 全くもってこの男は暴君である。早瀬は小さく若松を睨んで、腕を伸ばしてスマホを奪い返す。それからスグにスマホの画面へと目を移した。

 まだ何もやり取りをしていないトーク画面を開き、さて何を送ろうかと唸る。

 いきなりごめんね、友達追加しました? あ、いや、挨拶も必要だよね。こんにちはって送る? そう言えば素敵な人って言ってくれて嬉しかったことも伝えたい、あわよくばやり取りが長く続くような文章で、と頭の中でぐるぐると送る内容を考え、画面を無駄にタッチする。

 なかなか内容が定まらず、結局「こんにちは、友達追加さしてもらいました! 宜しくね」なんて言う簡易で無難な文章を、可愛らしい絵文字を付けて送ることにした。

 送信ボタンを押して、初めてのトークが画面に浮かぶ。

 チラリと英華の方を見るが、学校ではスマホを弄らない主義なのか、それとも友達と喋っているからなのか、スマホを取り出してすらいない。当たり前に既読の文字はつかない画面を見て、早瀬は盛大にため息をついた。

「そもそも今送るべきだった?」

「どうせ送るなら今でも変わらないだろ」

 変わるでしょうちょっとは、なんて呟きながら、お弁当箱の蓋を閉じる。岳もいつの間にか食べ終わっており、気がつけば昼休みは残り十分になっていた。 

 


 それから返信が着たのは、五限目の授業中であった。

 五限目はおじいちゃん先生と呼ばれる古典の先生で、そのゆったりとした喋り方と心地よい低音の声がクラス中の眠気を誘う。丁度お昼ご飯を食べた後のこの時間では、我慢出来る人の方が少なく、既にクラスの何人かは机に伏せて眠りについていた。

 かくいう早瀬も先程から欠伸が何度もでたが、通知画面に表示された英華の名前で途端に眠気が吹っ飛んでいった。

 英華からの返信は『はーい』という言葉の最後に頬を染めて笑う顔文字がついており、可愛いなぁ、と口元が緩む。

 顔を上げて英華の席を見る。早瀬の席からは斜め後ろ姿が見え、机の影でスマホをこっそり弄る英華を見て、尾野さんでも授業中に携帯なんて弄るんだなぁ、なんて考えた。


 ──今授業中だよ、尾野さん。

 ──早瀬くんも、いま授業中だよ。携帯なんか触って、わるいこだね。


 わるいこだね。

 思わずニヤけそうになる口元を左手で抑え、今すぐ叫び出したい衝動をなんとか落ち着かせる。

 なんだこの犯罪級の可愛さは。早瀬は暫く悶えたあと『尾野さんも、わるいこだね!』と返信した。


 ──古典の授業って、ついうとうとしちゃうから、たまに携帯見て眠気を誤魔化してるの。

 ──わかる、眠いよねー! 俺も何回も欠伸がでるよ。

 ──わたしも。


 次々にトーク画面に表示される会話を見て、幸福感がじわじわと胸に広がる。

 ぽんぽんと心地よいやり取りを続けていれば、結局授業の半分を聴き逃していた。

 授業終了のチャイムのあと、先生が教室から出ていってからふと机の上に並んだ教科書とノートが目に付いた。

 スマホに夢中になっていたために、ノートもまともに取れておらず、黒板を見れば既に当番であろう人が消し始めていた。

 しまった、と思いはしたが、英華からの通知を見て、まあどうでもいいかと殆ど白紙のノートを閉じる。


 ──ノート、取るの忘れてた


 どうやら英華も同じだったようで、少なからず早瀬のように、やり取りを楽しいと思ってくれているからノートを取ることを忘れていたのではないか、と深読みをする。

「何ニヤついてんだ」

 ふと机に影がさし顔を上げると、若松が腕を組んで立っていた。その右手には、メガホンのように丸められたノートがある。

「どうせノート取ってないんだろ。見えてたぞ、ずっとスマホ弄ってんの」

 そう言って差し出しされたノートをありがたく受け取り、最早ニヤけることを抑えずに先程までの事を簡潔に若松に話す。

 それから英華もノートを取っていないことまで話すと、若松は妙案を閃いたと「それならよ」と口を開いた。

「お前が俺の写した後、尾野にノート貸してやったらいいんじゃないか? そしたらお前は直接尾野と話す機会が出来て、しかも借りも作れる」

「……それ最高」

 言うや否や早瀬はノートを広げ、一文字一文字丁寧に写し始める。尾野さんに貸すノートだ、見やすいようにしなくては。何より早瀬君って字が汚いんだ、なんて思われたくない。

 必死の形相でノートを写す早瀬を見て、恋ってここまで人を気持ち悪くさせるんだな、と提案をした張本人である若松は感じた。

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