侵食する空間
ホコリを被る古書が堆く積みあがった第一図書室の一角。
もともと寂びたこの場所は人が滅多に訪れる事もなく、あまり騒がしい空間が落ち着かない英華にとって静かに勉強をするのに最適な場所である。
テスト前になれば英華はこの図書室に頻繁に足を運んだ。程よく空調がきいてとても集中がしやすい。
第二図書室の方は新しく出来た図書室で、新書や最近の漫画などが並んでおり、其方の方が生徒たちには人気である。
しかし、そこは少しばかり騒がしく、英華はいつもこの第一図書室に来ていた。静かに奥の机へと進むと、そこには既に砂原が待ち構えていた。
「ごめんね、遅くなっちゃった。ちょっと先生に捕まってて⋯⋯」
「大丈夫大丈夫! いっこも進んでないから」
ペラリと白紙のノートを持ち上げて砂原が笑う。何も大丈夫ではないが、英華はくすりと笑って砂原の向かいの席に腰掛けた。
「何から勉強する?」
「今回日本史の範囲が広いからなぁ⋯⋯でも砂原、暗記系はテスト始まる五分前に覚えちゃうし」
うーん、と唸る砂原に、英華は思わず「その勉強方法は身に付くの?」と小さい声でつっこむ。
ケロリと大丈夫だよと言い放つ砂原は、鞄を漁ると数学の教科書を取りだした。
「決めた、数学しよーっと。英華は?」
「私は生物かなぁ。ちょっと、今の所で躓いてて」
「そうなの?」
頷いて生物の教科書を広げると、ここが難しくて、と砂原に見せる。どうやら砂原も苦手な部分らしく、渋い顔を浮かべ教科書から視線を逸らした。
「じゃあとりあえず、一時間は頑張ろっか」
「ほーい」
二人はそこからあまり話すことなく、かりかりと文字を書く音や、ページを捲る音が響く。
時折分からないところを聞きあったり、教えたりしながら進めること三十分。ふと英華のスマホに通知が入った。
手を止めてスマホの画面を見ると、早瀬からのメッセージが届いている。開けて読んだあと、英華は顔を上げて砂原に話しかけた。
「ねぇ、伊和。早瀬くんもここに読んでいい?」
ぼき、
とシャー芯の折れる音。砂原は本当に本当に嫌そうな顰めっ面をしかけたが、ほんの少しだけ期待に満ちた顔を見せる英華を見て、ぐっと堪えた。
「⋯⋯……いいよ」
少しばかり長めの間が空いたが、砂原の返答を聞き嬉しそうに早瀬に返信を送る英華。
やっぱり英華、早瀬のこと──。
頭によぎるその考えを、折れたシャー芯と共に払った。
「あ、早瀬くんだけじゃなくて、若松くんも来るって」
「げ」
短く声を荒らげた砂原が思い出すのは、先日のことだ。英華からクッキーを貰った早瀬のにやけ顔に腹が立ち、がんを飛ばしていたら若松と目が合ってしまった。
あの時は気まずくて逸らしてしまったが、確実に若松にはメンチ切りまくった顔を見られていた。
砂原にとってのストレス因子が二人も来るのか、と独りごちたが、目の前の英華が何だか幸せそうなので今回ばかりは我慢する。
そこから何分か経ち、早瀬と若松は揃って現れた。
英華は椅子に置いていた鞄を避け、席を作る。
「どうぞ」
笑いかけるのは早瀬にだ。早瀬はありがとうとお礼を述べると、英華の隣に座った。となると、若松は砂原の隣になる。
しょうがなく砂原も鞄を避けてやれば、小声で「すまない」と返ってきた。
こうなるならば、初めから英華の隣に座っていればよかった、と砂原は頭を抱える。というより、なぜ自然に英華の隣に早瀬なのだ。
斜め前に座る早瀬にがんを飛ばせば、生物の教科書を開いて「俺もここの範囲難しくて⋯⋯」と英華に話しかけているところだ。
若松は横目でそんな砂原を見て、これは本当に面倒くさいところに連れてこられた、とこちらはこちらで別に頭を抱えた。
しばらくは静かに勉強会が進む。
勉強会とは言っても、各々が好きな教科を進めているのでただ同じ空間を共有しているだけなのだが、時折質問したり答えたりをして、一人で勉強するよりかはほんの少し捗りを見せていた。
早瀬は隣に座る英華にどぎまぎしていたが、課題で配られた生物のプリントが本格的に分からなくなり、それどころでは無いと真剣に勉強に取り組んだ。
砂原も砂原で、数学の問題を解いているうちに早瀬へのむかつきは治まっていた。
英華と砂原が初めに設定していた一時間はゆうに越え、すっかり窓から差し込む光が月の光に変わっている。
ぐ、と伸びをして、早瀬は壁にかかった時計を見た。
「え! もう七時だ」
早瀬の声に、全員が顔を上げる。
「わぁ、ほんと。外暗いね」
半身をずらし窓の外を英華が見つめる。満月とは言い難い月が見えて「そろそろ帰ろっか」と教科書を閉じた。
片付けをして図書室を出る。ちょうど教師が通りかかり、気をつけて帰れよ、なんて声を掛けられながら四人は校舎を後にした。
「んーっ、結構捗ったね」
両手を前で組んで伸びをする早瀬に、英華が笑って「そうだね」と返す。
「尾野さん、生物難しいっていいながらも、全然分かってたじゃん」
「そんな事ないよ。あんまり理解できてなくて、ただ暗記してるって感じ」
「それでもすごいよー」
すっかり英華と早瀬だけで会話が進む。
そんな二人を後ろから眺めながら、若松と砂原は終始無言で歩いていた。
沈黙を破り初めに言葉を発したのは若松からだった。
「砂原は透が嫌いなのか」
突如としてそんな質問を投げかけられ、砂原は一瞬思考が止まる。
思い当たる節がありすぎて、砂原はあー、ともうー、とも声にならない唸り声をあげた。
「嫌い、というか⋯⋯嫉妬?」
「なんだそれ」
「大好きな親友が急に出てきた男に取られちゃうんだもん。むかつく」
その視線は早瀬ではなく、英華に注がれている。早瀬を睨む時とは一変して優しげな眼差しに、本当に英華のことが大好きなんだな、と若松は理解した。
「まあ、透は悪い奴ではねぇよ」
「⋯⋯散々女の子を取っかえ引っ変えしてる人は悪い奴だよ」
むっと表情を曇らせて若松を見上げる。それに関しては何も言い返せず、若松は言い淀んだ。
「英華が好きって思うなら応援してあげたいけど、素直に応援できないんだよねー、相手がアレだと」
「そこはまあ⋯⋯同意する」
「あは、早瀬の味方じゃないんかいっ」
思わず吹き出しす砂原。若松はふ、と微笑んだ。
後ろのやり取りを露知らず、英華と早瀬は生物の話からこの間のクッキーの話へと転換していた。
「本当に美味しかったよ、あれ! 甘さ控えめで食べやすかった」
「ありがとう、そう言って貰えると嬉しい」
「ううん、だってほんとに美味しかったんだよ」
でも勿体なくて、時間かけて食べたよ、なんて早瀬が言うものだから、英華はふふ、と笑いをこぼす。
「大袈裟だよ」
「だって尾野さんが作ってくれたクッキーだし!」
「良かったらまた作ってくるよ」
「え! 本当に!?」
早瀬の大きめの目がさらに大きく広がり、英華を見つめる。
「テスト、終わったらね」と英華が微笑めば、早瀬は満面の笑みで「もちろん!」と言った。
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