どうしたって、心臓

「クッキー作ってきたんだけど、食べる?」

 金曜日の朝、挨拶もそこそこに手渡された透明な袋には、可愛らしい赤色のリボンでラッピングされたクッキーが入っていた。

 教室に入るや否や手渡されたそれを、砂原伊和はしばしばと目を瞬かせながら見つめる。それから手を伸ばしてクッキーを受け取ると、鞄を机に置いて身体を英華の方へ向け、椅子に腰掛けた。

「ありがと! どうしたの、突然」

 砂原の疑問は最もである。今日は何かしら手作りのお菓子でも渡すようなイベント事があったか。と考えるが、なんて事もないただの金曜日である。

「この前ね、古典のノート取ってなくて、早瀬君が見せてくれたの。だから、そのお礼」

「早瀬?」

 頷く英華に、さて英華と早瀬の接点はあったかしらんと首を捻らせる。

 しかし、早瀬と英華は特にこれまでなんの関わりも無かった様に思われ、さらに疑問は深まった。

 分かったことと言えば、多分このクッキーは早瀬に渡す分の余りであろうということ。

 するりとリボンを解いて袋をあける。中には星を象った小振りのクッキーが八枚入っていた。

「なんで早瀬?」

「最近、よくメッセージでやり取りしてるの」

 ふうん、とひとつ手に取り口に入れる。

 どうやら甘さは控えめのようで、サクサクと子気味良い音が鳴り、それはあっという間に口からなくなった。

「どう? 美味しい?」

「ものすんっごく美味しい!」

 砂原がクッキーを食べる様子を不安気に伺う英華であったが、その言葉を聞き、見る見るうちに安堵の笑顔に変わる。

 ああ、なんて可愛いんだろうか。砂原はふたつめを口に入れながら、さて早瀬をどうしてやろうかと思考を巡らせ始めた。



 朝のホームルームが終わり、英華は即座に早瀬の元へと席を立った。

 本当ならばそれより前に渡したかったのだが、早瀬がギリギリに教室に入ってきたもので挨拶すら出来なかったのだ。

 早瀬の席まで近付いて、「おはよう」と声をかけると、早瀬はこれでもかと嬉しそうに破顔する。

「おはよ尾野さん!」

 チカチカと眩しい笑顔に思わず英華も目を細める。

 それから早瀬に話しかけた本来の目的を思い出し、クッキーを差し出した。

「これ、ノートのお礼。あげるね」

「えっ! ……もしかして、手作り?」

「うん、昨日焼いたの」

「、!!」

 なんというか、こぼれ落ちそうな笑顔だと英華はぼんやりと思った。あまりにも嬉しそうなので、クッキーが好きなのかと考える。

「大事に食べるっ! ありがとう!!」

 どういたしまして、と告げて英華は自分の席へと戻る。

 その後ろ姿に手を振りながら、早瀬は満ち足りた幸福感でいっぱいになっていた。

 早く誰かにこの幸せを自慢したい。誰かっていうか、岳に自慢しまくりたい。と若松の方へと顔を向けると、一連の流れを見ていたらしい岳と目が合った。

 立ち上がり岳の元へと駆け寄り、見せびらかす為にクッキーを持っていく。

 岳のその顔にはめんどくさいと正直に書かれているが、早瀬はお構い無しに「見てた!?」と話を始めた。


 その様子を見つめる砂原は、面白くないと顔を顰めた。

 多分あの男は英華の事が好きで、そして英華自身も悪い気はしていないはずだ。その証拠にわざわざクッキーまで焼いて来て、なにより英華の顔がいつもより少し緩い。全くもって面白くない話である。

 可愛い可愛い親友が、いきなり出てきた男に取られるのは癪だ。

 しかも早瀬は女癖が悪いと聞いたことがあるし、もしも英華の事を泣かすような奴であればなおさら駄目だと楽しげに話す早瀬を睨む。

 席は離れているし、何より砂原からは早瀬の背中しか見えないために睨んでも意味はないが、とにかく敵対心を顕にしないと気が済まない。

 バチりと、早瀬と喋っている若松と目が合った。

 数秒ほど視線が合ったまま固まっていたが、ふいと先に砂原が逸らしてしまう。

 英華が戻り席に着き、気まずそうな顔の砂原にどうしたのか聞けば「睨んでるの見られた」とボソリと呟いた。

 良く分からずに首をかしげたが、チロリンと軽快な音でメッセージの通知を告げたスマホを手に取ると、早速早瀬からのお礼の文が送られてきていた。直接お礼も言ってくれたのに、律儀だね、とその画面を砂原に見せる。

 スグそこに本人がいるというのに何故メッセージを送ってきたのかが謎ではあるが、英華の気持ちが浮ついているのが分かり、砂原にとってはそれが余計につまらなかった。

「早瀬とはどんな話してるの?」

 その質問に答えるために、過去のトークをついついと遡る。

 見返してみれば今日は特に数学の授業が眠かっただの、お昼はお弁当だっただの、お互いの日常をやり取りしているだけの、特に中身の無い至って普通のトークではあるが、ここ数日で随分と履歴が埋まっていた。

 早瀬からメッセージが来るまでまともに話したことすら無かった様に思えるが、こうして関わってみると以外にもメッセージのやり取りが続き、英華自身も少し楽しく感じている節がある。

「まあ普通かな」

「ふぅん」

 そうは言うものの、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいることに果たして英華自身は気が付いているのだろうか。

 早瀬への返信をするためにスマホを操作すれば、砂原がひょいと横から画面を覗き見た。別段隠すこともなく、良ければまた作ってくるねと文字打ち送信する。

 そうしたところでそろそろ次の授業が始まるとスマホをポケットにしまい込み、机の中に閉まっているノートや教科書を取り出す。

 まだ何か言いたげな砂原ではあったが、丁度チャイムが鳴ったところで英語教師が教室へと入ってきたために、大人しく前を向いて座り直した。



 しばらく真面目に授業を受けていた早瀬ではあるが、苦手な英語と言うだけで集中力も落ち、次第にだらけた姿勢へと変わっていく。

 五年ほどアメリカで暮らしていたという英語教師の流暢な発音を聞き流し、もはや癖付いたように自然と英華へと向かう視線は、何故か今すぐに殺人ビームでも出しそうな勢いでコチラを睨む砂原を捉えた。その様子に訳もわからず慌てて視線を外す。

 どうして睨まれているのか。よもや彼女の恨みを買うようなことを、知らぬ間にしでかしていたか? と砂原との接点を思い返すが、早瀬の記憶には特にそれらしき関わりどころか挨拶すらまともにした事があったか、という程には関係が無いように思える。

 しかし、現に早瀬はこうして睨まれており、見間違いかともう一度視線を向ければやはりガン飛ばされていた。とりあえずへらりと笑い返してみれば、砂原の視線はより険しいものになる。

 全く訳が分からず、早瀬はスマホを開いて英華にメッセージを送った。


――なんだか、尾野さんの親友に睨まれるんだけど……俺何かしたかな?


 暫くして英華がメッセージに気がつき、それから顔を上げて砂原へと視線を移す様が見えた。

 砂原はといえば、英華がこちらを見たことに気がついた瞬間、にこやかな笑顔にかわり英華に小さく手を振る。変わり身の早さに若干引く。

 英華も小さく砂原に手を振り返し、それから下を向いてスマホを見る。


――なんでだろう、伊和に聞いてみようか?

――いや、そこまでしてもらわなくて大丈夫だよ! 気のせいかもしれないし、もしかしたら!


 もう一度視線を寄越せば、砂原はもうこちらを睨んではおらず、頬杖をついて教師を見ている。

 本当になんだったのだろうか、と早瀬は首を傾げた。

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