恋する赤ずきん。

犬コロもち

第1話

 夏の朝の涼やかな風が、少女の髪を優しく撫でる。銀色に輝くそれは、光のベールを纏っているよう。少女は、少しずつ重く閉ざされていた瞼を開いていく。その隣に、柔らかな茶色い毛並みが、寄り添っている。小さな体には、不釣り合いな白い包帯が目立つ。少女は、眠い目を擦りながら、横で眠る仔犬の包帯が巻かれているお腹を優しく撫でる。

 「まだ、痛む?」

少女の声に目を覚ました仔犬は、返事をするように、そっと少女の白く美しい頬を舐める。仔犬の様子に、少女の表情は、僅かに和らいだ様に見える。

 少女は、大人しく感情表現が苦手である。しかし、心は誰よりも優しく暖かなことを、仔犬は知っている。何故ならば、仔犬が怪我をしていても、皆見て見ぬふりをするばかりであった。そんな中で、ただ一人。少女<メル・アイヴィー>は、仔犬を優しく抱きしめ、

「死なないで。」

と、静かに一筋の涙を流しながら、仔犬を連れて帰り、必死に看病したのだ。そのかいあって、仔犬は一命をとりとめ、元気を取り戻しつつある。

 そんな、メルと仔犬には、朝の日課があった。

「今日は、何を読もうかな。昨日は、白雪姫を読んだから、」

と、メルは床に山積みになっている、数々の絵本を手にとっては置き、を繰り返している。そんな、彼女の様子を見ていた仔犬がゆっくりと近づいていく。仔犬も床に散らかる絵本を眺めながら、一冊の絵本を優しくくわえ、彼女に差し出す。

「これが、いいの?」

仔犬は、元気に返事をする。メルは、美しい銀色の髪を一筋掬い、耳にかけながら、優しく微笑む。その頬には、薄らかな桃色を感じられた。

「今日は、赤ずきん。赤ずきんは、どんな女の子だろう。」

 メルと仔犬の日課。それは、メルが感情を学ぶために続けていた読書が、いつしか仔犬を元気付けるための読み聞かせになったものであった。



 むかし、むかし。ある村に、真っ赤な頭巾を被った、可愛らしい元気な少女がいました。少女は、その真っ赤な頭巾から、みんなに<赤ずきん>と呼ばれていました。赤ずきんは、早くに両親を亡くし、祖父母と共に暮らしていましたが、今では、祖母と二人暮らしです。赤ずきんは、大好きな祖母のお手伝いをしながら、すくすくと育っています。そんな赤ずきんを、村のみんなも大好きでした。

「あら、赤ずきん。今日は、どんなお使いだい?」

「こんにちは、おばさん!今日は、お友達のところへ遊びに行くのよ!」

「そうかい、そうかい。なら、楽しんでおいで。でも、決して森には入るんじゃないよ!」

「わかっているわ、大丈夫よ!行ってきます!」

赤ずきんは、元気に出掛けて行きました。


 「こんにちは、遊びに来たわよ!」

赤ずきんは、木で出来た大きな家の扉を元気に叩きます。すると、ゆっくりと大きな扉が開き、

「また、来たのか。」

扉の中から出てきたのは、気だるげな灰色の狼男でした。

「あら、来てはいけない?狼さんは、私に会えて嬉しくないの?」

赤ずきんは、狼男の姿を見ると、それはそれは、嬉しそうな笑顔になりました。そんな笑顔を見ては、狼男も迎え入れないわけには行きません。

「懲りないな、お前も。」

「うふふ、お邪魔します!」

狼男は、赤ずきんを家招き入れます。しかし、気だるげな呆れた様子を厳しさへ変えると、

「お前、ここに来てるってことは、村の奴らを騙しているんだからな。忘れるなよ。長居はさせないからな。すぐ、帰るんだぞ!いいな!」

しかし、狼男の厳しい言葉など、赤ずきんには効きません。

「そんなこと、わかっているわ。それでも、狼さんに会いたいのだから、仕方ないでしょ?」

そう、満面の笑みで悪びれる様子の無い、赤ずきんに狼男も、笑うしかありません。

「全く、お前は迷惑な奴だよ。」

狼男は、小言を言いながらも、いつものように暖かい飲み物を用意し始めました。赤ずきんも、狼男の使う、大きなベッドに腰掛けて、いつものように鼻唄を歌いながら、待ちます。そんな嬉しそうな様子の赤ずきんに、狼男も笑みが溢れます。狼男は、赤ずきんの笑顔にとことん弱いのでした。

 

 何故なら、ずっと孤独だった狼男の世界は、一人の真っ赤な頭巾を被った少女によって、ガラリと変わったからです。孤独で暗く、飢えて、寒かった日々に、少女は光と温もりを与えました。そして、静かだった世界に、笑顔をもたらしました。それに、どれ程狼男が救われたことでしょう。それが、どれ程狼男の孤独を癒したことでしょう。何時しか、狼男にとって、少女は、世界そのものになっていました。

 しかし、それは少女も、同じだったのです。少女も、深い心の傷を負っていました。決して、癒えることの無い傷を。

 そんな時、事件は起こりました。どうしようもない、つらい心は、赤ずきんをさ迷わせたのです。赤ずきんは、決して入ってはならないと教えられていたはずの森に入ってしまいました。進めど進めど、光は見えず、森は、赤ずきんの全てを迷わせました。

 そのときです。赤ずきんは、気づいたときには、すでに山道を踏み外し、川に落ちてしまっていました。水の中で、苦しく感じる赤ずきん。しかし、その苦しさと比べられない辛さに赤ずきんは、飲まれていました。もう、このまま沈んでしまえばいい、と。

「死ぬな!!生きるんだ!」

突如、赤ずきんは大きな影に抱えられ、苦しさから解放されると、岸へと引き上げられました。赤ずきんは、何が起きたのか解りません。ただ顔を挙げると、そこには灰色の大きな狼男がいました。ずぶ濡れの狼男は、酷く苦しそうな顔をして、

「なぜ、生きるのを諦めた!どんなに辛くても、生きるのを諦めるな!」

ただ、ただ真っ直ぐな、狼男の言葉。それは

不思議と、赤ずきんに生きる力を与えました。村の言い伝えで、人を喰らうとされる狼男に、赤ずきんは生かされたのです。赤ずきんは、狼男にすがり付くと、静かに泣き始めました。次第に嗚咽は大きくなっていき、森全体に、少女の悲しみが響き渡りました。狼男は、ずぶ濡れの少女をそっと抱きしめ、静かに、涙が止まるのを待ちました。

 その後、しばらくの間、赤ずきんは狼男の家で暮らしました。

「おい、そろそろ村に帰ったらどうだ。村の奴らが、探しているだろ。ここに来られたら、迷惑だ。俺は、静かに暮らしたいんだ。お前がいたら、迷惑だ。」

と、言いつつも、狼男は自分のカップとは別に、もう一つのカップにも暖かな飲み物を用意するのでした。

「大丈夫よ。だって、まだ2日しか経っていないもの。」

「人間の子供が、2日帰らなかったら、十分大問題だよ。」

「狼さんたら、意外に真面目なのね!」

「そういう問題じゃ、無いだろ。」

赤ずきんは、村の言い伝えとは、いい加減なものなのだと思いました。村の言い伝えでは、決して森に入るな。森には、恐ろしい人喰い狼が住んでいる、というものでした。しかし、どうでしょう。今、赤ずきんの目の前にいる狼男は、無愛想ながらも、真面目で、赤ずきんを気遣う、優しい心の持ち主でした。

 

 「狼さんは、嘘が下手ね。」

「はぁ?」

「だって、迷惑だなんて嘘だもの。私を心配してくれているだけ。私には、わかるもの!狼さんは、私と離れたくないだけよ。」

「な、なな、何言っているんだ!うっ、嘘じゃない!迷惑だっ!」

「嘘よ。目が泳いでいるわ。」

狼男は、赤ずきんに背を向ける。が、それが照れ隠しなのは言うまでもない。そんな彼を見つめる赤ずきんは、目を輝かせ、頬を桃色に染め、初めての恋に胸を踊らせていました。

「だって、あなたは私の王子様ですもの。王子様のことは、何でもわかるわ。」

「ん?何か言ったか?」

「いいえ、何も。それより、お代わり!」

狼男は、小言を溢しながら、赤ずきんのカップへ飲み物を注ぐのでした。 

 二人で過ごす時間は、あっと言う間でした。二人で、他愛の無い話をして、一緒に食事をする。そして、眠くなったら、寄り添いながらお昼寝をして、赤ずきんは夢の中でも彼に会えたらいいな、と思うのでした。人と狼。決して関わってはならない二人だけれど、二人は互いに離れることなど出来ないのです。

「太陽が憎いわ。もう、沈んでしまうなんて。」

「随分、理不尽だな。」

「だって、」

柔らかそうな、食べてしまいたいような頬を膨らませながら、うつむく赤ずきん。狼男には、赤ずきんの言わんとすることが分かりました。しかし、だからと言って彼女をこれ以上居させるわけには行きません。 

「今日は、帰れ。途中まで、送るから。」

「また、来ていいの?」

「来るなと言っても、来るのだろ。なら、好きにしろ。」

赤ずきんは、嬉しそうに笑った。そして、帰り支度を整え、扉の前に立つと、

「大丈夫よ、ちゃんと帰れるから。狼さんこそ、そろそろ家から出ないほうがいいわ。狩人の見回りが始まる時間だもの。また、会いに来るわ。」

そういうと、狼男にしゃがむように手合図しました。狼男が、素直に従うと、赤ずきんは可愛らしい、小さな口付けを彼の頬にすると、上機嫌で帰って行きました。

 

 小さな背中が、更に小さくなっていく。その背中を見つめる、寂しそうな瞳があることを少女は、知らない。彼の願いを、少女は知るよしもない。

「行かないでくれ、赤ずきん。俺を、一人にしないで」

彼の願いは、森から消えていった。


 夜が更けて行く。上機嫌で、帰宅した赤ずきんを祖母は、暖かく迎える。

「お帰り、赤ずきん。」

「ただいま、おばあちゃん!」

「どうしたんだい?随分と、嬉しそうに。今日は、どんな良いことがあったんだい?」

「知りたい?」

赤ずきんは、祖母と穏やかな時間を過ごす。夕飯を食べながら、今日の話をする。森で狼男に会っていたことを教えることは出来ないが、赤ずきんにとって、祖母は良き相談相手でもあった。なので、好きな彼に会っていたこと。かけがえのない時間を過ごしたことを伝える。幸せそうに話をする孫を見て、

「赤ずきんったら、本当に、その彼のことが好きなのね。」

祖母は、とても愛しそうに微笑んだ。

「初恋はね、叶わないなんて言われたりするのよ。初めて知る、恋だもの。勘違いもあったりするのよ。もちろん、そんなことばかりではないわ。何せ、おばあちゃんの初恋の相手は、おじいちゃんだもの。大当たりよ!それにね、初恋はかけがえのないものなの。初めて、恋を教えてくれるのだから。大切にしなくちゃね。赤ずきん、あなたの初じめての恋。大事になさい。きっと、素敵な宝物よ。」 


 全ては、必然に。そして、突然、訪れる。

 いつものように、狼男の家を訪れた、赤ずきん。しかし、どれだけ扉を叩いても、狼男が扉を開くことはなかった。赤ずきんが自ら、扉を開くと、そこには見慣れた狼男の部屋がある。しかし、彼は、居ない。彼の存在だけが、消えていた。赤ずきんの王子様は、ある日突然、消えてしまった。 

「狼さん、どこ?」


 むかし、むかし。ある村に、真っ赤な頭巾を被った<赤ずきん>と呼ばれる少女がいました。赤ずきんは、ある日突然、大好きだった彼を失いました。深く傷付き、悲しみました。しかし、赤ずきんは、彼のことが大好きでした。大好きで、大好きで、仕方なかったのです。だから、赤ずきんは彼を信じることにしました。必ず、帰ってくる。そう信じ、願いました。そうして、彼の帰りを待つ赤ずきんは、いつしか少女から、それはそれは、美しい女性に成長していきました。トレードマークの真っ赤な頭巾が、小さくなる頃。彼女は、あの日から毎日、彼の家を訪ねていました。いつ、彼が帰ってきてもいいように。窓を開け、掃除をし、植物の世話をしました。昔のように、鼻唄を歌いながら。

 「今日は、誕生日だもの。美味しいもの、たくさん準備しなくちゃ!」

赤ずきんは、腕一杯の食材を抱えながら、今日も彼の家を訪れます。期待と寂しさを胸に、家主の居ない家の扉を開く。

「っ!?」

食材が、赤ずきんの腕から離れ、床に転がる。

 その音に、振り向く。赤ずきんより前に、家を訪れていた、灰色の髪の男が。

「お前、本当に懲りないな、赤ずきん。」

灰色の髪の男は、狼男より背は少し低かった。しかし、低く甘さのある声も、小言を言いながらも嬉しそうに、頬を染める表情も、暖かな温もりを纏う雰囲気も、全てが赤ずきんの知っているそれである。大好きな彼の、それでした。


 ー私は、人喰い狼に助けられ、感謝しました。その気持ちはいつしか、初めて知る、恋へと変わっていました。大好き彼との日々は、私に幸せをくれました。誰かを好きになることの楽しさを、もどかしさを、愛しい苦しさを教えてくれました。しかし、彼は突然、私の前から消えてしまいました。悲しかったし、辛かったけれど、私は、彼を信じました。

 そして、今日。彼は突然、人の姿となって、帰ってきました。私の王子様は、狼から人へと姿を変え、私を迎えに来てくれました。初めて聞く、彼の私への想いが、堪らなく愛しかったのです。愛してるが、嬉しかったのです。ー


 「こうして、赤ずきんと人になった狼男は、末長く幸せに暮らしましたとさ。おしまい。」

メルは、最後のページを読み終え、絵本を閉じた。そして、膝の上で読み聞かせを聞いていた、仔犬をそっと自分の胸に抱くと、

「私の心臓の音、聞こえる?」

メルの鼓動は、駆けていた。

「私にも王子様、いるかな?」

そういう、メルの頬は、可愛らしい桃色に染まっていました。仔犬は、その乙女の頬のに寄り添いました。

 いつの日か、メルの元へと、素敵な王子様が迎えに来ることを願って。

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