君の恋にはオリジナリティがない

北生見理一(旧クジラ)

君の恋にはオリジナリティがない

「君のラブレターにはオリジナリティがない。やり直し」


 冬羽とうわさんはそう言って、僕が渡したラブレターを突っ返した。


 11月にしては珍しく晴れた日の正午。僕は一生分の勇気を振り絞って、藤咲冬羽ふじさきとうわさんにラブレターを渡した。

 幸い、屋上は無人だった。僕と冬羽さんの貸し切り。


 とは言え寒い。僕は屋上を吹きさらす風の冷たさに震えている。もちろんラブレターを渡すという大一番で緊張したのもあるけど。


 藤咲冬羽さんは美人だが、校内で目立つ存在ではない。クラスの人気者である女子が薔薇ばらの花だとすれば、冬羽さんは山百合のような人だ。楚々としたなかに独特のおもむきを感じさせる。冬羽さんの良さを分かっているのは、僕を含め、一部の男子だけだ。


 高校生になれば男子も色気づいてくる。遊び慣れた男子の注目は薔薇のような女子に向く。一方、僕らのような日陰者はひっそりと山百合を愛でた。


 では、冬羽さんのどういうところにおもむきがあるのか。


 床にかがんだ拍子に長い黒髪が顔にかかったとき。静かな、それでいてよく通る声で教科書を朗読するとき。細い指先がチョークとともに黒板の上で踊るとき。教室で一人、古めかしい文庫本を読んでいるとき。

 窓についた雪の結晶のように冬羽さんの魅力は校内でひっそりと息づく。その息づかいを意識しただけで僕は1日中、ドキドキしてしまう。


 その想いを僕は正直にラブレターにしたためた。

 それがこんなにあっさり突き返されるなんて。

 冬羽さんは表情に乏しい顔で僕をじっと見つめている。思わず気圧されてあとずさった。


「ねえ、新堂しんどうくん」


 冬羽さんはあとずさった僕を追いかけるように一歩踏み込む。


「やり直しって言った意味、分かってる?」

「やり直し……やり直し……」


 僕は口のなかでくり返す。

 やり直していい。つまり。


「またラブレターを書いていいってこと?」

「そう。自分のラブレターのどこが問題か。オリジナリティのある恋とはなにか。よく考えて」


 難題が突きつけられた。

 オリジナリティのある恋ってなんだ?



 帰宅した僕は夕食の支度もせず、自室でぼんやりとしていた。


「オリジナリティ……オリジナリティ……」


 何度もつぶやく。

 正直、さっぱり分からない。

 スマートフォンで意味を調べてみた。


【オリジナリティ:独創性。創意】


 じゃあ、独創性のある恋ってなんだろう?


「はぁ」


 ため息が重い。

 何度もため息をついていると後頭部に軽い物が当たった。


 妹だ。となりの勉強机から消しゴムを投げてきたのだ。相変わらず兄である僕への敬意に欠ける。幼いころはかわいかった。それがだんだんと生意気になってきて。年子の妹なんてちっともかわいくない、と僕は声を大にして言いたい。


「お兄ちゃん、さっきからうるさい」


 いつものように遠慮のない調子で妹は文句を言う。


「なんなの、オリジナリティって。さっきからそればっかり」

「ああ、実は」


 僕は冬羽さんのことを説明した。

 ラブレターを受け取ってもらえなかったこと。やり直しを要求されたこと。オリジナリティのある恋を考えるように言われたこと。そして、それがなんなのか分からず途方に暮れていること。


「お兄ちゃん。そのラブレター、見せて」

「え。それはちょっと」

「いいから。見せて」


 妹は椅子から立ち上がると、ずんずん近づいてくる。このままだと僕のカバンなどをかたっぱしから捜索しそう。それはよろしくない。ちょうどエッチな小説を買ったばかりだし。


 仕方ない。僕は渋々ラブレターを差し出す。


「そうそう。最初からそうしてればいいの」


 妹は勝ち誇った顔で自分の椅子に戻る。


 それから「ふーん」とか「うーん」とか言いながらラブレターを読んでいった。僕の恋心をつづった文章が妹に読まれている。まるで公開処刑だ。僕は胃が痛くなってきた。

 待つことしばし。読み終わった妹はバッサリ切って捨てた。


「ダメじゃん。これ、冬羽さんって人の外見ばっかりだよ」


 しょうがないだろ。冬羽さんは美人なんだから。

 僕は不満を表情で表す。

 妹は意に介さない。僕の小学校時代の読書感想文を例にあげた。


「お兄ちゃん。昔、読書感想文で県から賞状をもらったことがあったよね。あの文章力や感受性はどこへ行ったの? 劣化してるよ。童貞をこじらせてるよ」


 ひどい言い様だ。それに童貞は関係ないような。

 僕は妹の恋愛経験がちょっと気になった。


「おまえ。恋愛とかしたことあるの?」

「いや……そんなの、いま関係ないじゃん」

「あるよ。恋愛経験がないのにアドバイスされてたら、とんでもないミスをしそうじゃないか」

「あーもう! あたしのことなんかどうでもいいって! いまはお兄ちゃんのこと!」


 そもそもね、と妹はまた僕のダメ出しを再開した。


「お兄ちゃんはふらふらしてて自分がないよ。クラゲみたい。人の意見に左右されやすいっていうか」

「そうなのかな」

「ほら! そういうとこだよ。すぐ真に受ける」


 じゃあ、どうしろっていうんだ?

 納得できないまま僕は部屋を出た。そろそろ母が帰ってくる。夕食の準備を始めよう。

 料理をしながら思い出すのは読書感想文のこと。

 あのときはたくさんの人に文章力をほめてもらった。輝かしい思い出だ。

 よし。今度は冬羽さんの魅力を詩的に書いてみよう。



「やり直し」


 冬羽さんはまたラブレターを突っ返した。

 ああ、また。


 僕はうなだれた。と言っても突っ返されるのは2度目なので1度目よりはショックは小さい。変な話、冬羽さんに「やり直し」と言われると妙な安心感がある。僕らの未来をまだ夢見ていいと言われているようで。


 ねえ、と冬羽さんは淡々と尋ねてくる。


「オリジナリティのある恋がなんなのか、ちゃんと考えた?」

「うん。僕は昔、読書感想文で賞状をもらったことがあるんだ。そのとき、文章力をほめてもらってさ。だから冬羽さんの魅力を詩的に書いてみようと思ったんだけど」


 ダメかな?


 僕は冬羽さんの反応をうかがった。

 彼女の答えはというと。


「読書感想文じゃダメ」


 これまたキツい。痛烈なダメ出しに僕はうなだれた。ああ、オリジナリティって一体なんなんだ?


 いま冬羽さんは制服の上からショールを巻いている。大人っぽくて素敵な装い。だからってその魅力をそのまま書いてもダメらしい。んー、これはいよいよ手詰まりだ。


「ヒントを。ヒントをお願いします」


 僕は情けなくも冬羽さんにヒントをねだった。

 はあ、と冬羽さんはため息をつく。


「じゃあデートしましょう。お互いの理解を深めるために」


 デート!

 一瞬、自分の耳を疑った。

 僕は単純だ。冬羽さんの一言で舞い上がる。



 その週の日曜日。


 僕と冬羽さんは電車に乗って遊園地に出かけた。冬羽さんはお弁当を作ってくれていて、大きめのバスケットを持参している。なにが入っているか、かなり楽しみだ。中身を想像して、僕の期待はあっちこっちに飛んだ。


 この日の冬羽さんは、ブラウスにロングスカートという出で立ち。そのうえからやっぱりショールを巻いている。大人っぽい装いだ。


 電車内では、美人である冬羽さんは目立つ。ときおり視線が飛んできた。僕はちょっと誇らしげな気分に。もし冬羽さんが彼女になってくれたら、と僕の想像はまたもエスカレートする。もはや公の場ではいえない妄想のたぐい。


 冬羽さんとの会話はあまり弾まない。もともと僕は話が下手だし、冬羽さんも口数が多い方じゃないらしい。

 ただ、冬羽さんはこんなことを聞いてきた。


「ねえ、新堂くん。君って本は読む?」

「最近はあんまり」


 昔はハードカバーの本を買ってもらえた。両親が別れる前の話だ。いまごろ父は若い女と暮らしているのだろう。ひどい話だ。よくある話でもある。そう割り切っているはず。それなのに心の底に得体の知れない感情が溜まってゆく。少しずつ、少しずつ。致死量は近い。僕には分かる。


 僕が本を読まなくなったのは単に家が貧しいだけじゃない。いま僕が抱えている気持ちをだれも代弁してくれないから。どんな本を読んでも蚊帳の外に置かれた気分。いつしかこの世界に僕のために書かれた物語などないのだと悟った。



 日曜日だというのに遊園地は空いている。遊具には赤サビが目立つ。地方の遊園地というのは、きっとどこもそうなのだろう。


 遊園地は夢の国。そのはずなんだけど、ここは夢と現のあいだをさまよっていて不格好だ。夢を見ているのか、現実を見ているのか。あいまいさがもどかしい。流れるBGMがどこか古いのは、僕らの知らない時代の名残かもしれない。


 それでも僕は今日という日を大切な思い出にしたい。冬羽さんにもそう思ってほしい。


 だから僕は冬羽さんに話しかけた。たくさん話しかけて楽しい雰囲気にする。教室での僕ではない。家での僕でもない。いままで僕が使ってきたキャラとはちがう。だけど、無理して使っているという感じはしない。冬羽さんがとなりにいるだけで僕はこんなにも楽しいキャラでいられる。不思議な気分だ。


「今日の君はすごく積極的ね」


 お昼時になって冬羽さんは僕の変化を指摘した。冬羽さんも笑っている。良かった。僕のがんばりは無駄じゃなかったみたいだ。僕らの距離が縮まった気がした。

 現に、ベンチに並んで座る僕らの距離は近い。かすかに触れ合った体から冬羽さんのぬくもりが伝わっている。


「今日の君は騎士という感じがする。わたしをよくエスコートしてくれたね。これはご褒美」


 そういって冬羽さんはバスケットの中身を披露した。


 中身はサンドイッチだ。ベーコン、レタス、トマトを挟んでいる。かじりつくとソースがあふれてきた。マスタードが刺激的。食が進んだ。あまりにもがっつくものだから冬羽さんを苦笑させてしまった。


「すごい食欲ね。作った甲斐がある」

「おいしいよ。すごくおいしい」


 僕はおいしさのあまり、口が軽くなった。


「僕は冬羽さんの料理を毎日、食べたいよ」

「……それって」


 冬羽さんは目を白黒させている。恥ずかしいのか、戸惑っているのか。不意打ちを食らったように表情が目まぐるしく変わる。こういう冬羽さんは新鮮だ。

 それはいいとして僕はなにか変なことを……言った。あれじゃあプロポーズだ。


 しばし会話が止まる。沈黙が風に流れてゆく。心地よい時間。

 僕らはいつの間にか自然な会話をしていた。今日、僕らはお互いを理解するためにやって来た。その目的は充分に果たせたと思う。


 そう思ったとき。

 楽しげな親子連れが目に入った。


 僕は思わず羨望の眼差しで見つめる。もう戻ってこない輝かしい日々に目がくらむ。

 きっと食い入るように見ていたんだろう。冬羽さんが尋ねる。


「ずいぶん悲しそうな顔をしているね。なにか思い出すの?」

「うん、少し」

「わたしも思い出す。昔のことを」


 冬羽さんは空を仰いだ。いまにも泣き出しそうな空だ。


「親子三人でいたころは幸せだった」

「僕も……僕もそうだよ。両親が別れるまでは楽しかった」

「わたしはね、少しおかしいんだ」


 冬羽さんは立ち上がって2、3歩、歩いた。

 長い黒髪が風をはらんで揺れる。


「わたしの父は小説家だった。かなりの売れっ子でね。家にはたくさんのファンレターが届いて、わたしにも見せてくれた。わたしも父の小説が大好きだった。だって、父の小説はもともとわたしのために書かれていたんだから」


 だけど、と冬羽さんの体から強い感情が立ち上る。


「父は突然、自殺した。遺書には自分の小説が面白いと思えなくなったとあった。わたしは! わたしはあんなに面白いと言ってあげたのに!」


 長い髪を振り乱して激情をあらわにする冬羽さん。初めて見る姿だった。

 僕はなんて反応していいか分からない。

 そのあいだにも冬羽さんの悲しい告白が続く。


「それ以来、わたしは自分の言葉に自信がなくなった。わたしはなにを根拠に自分の言葉を信じればいい? 分からない。なにも分からなくなってしまった」


 新堂くん、と冬羽さんの瞳が僕に向けられる。すがるような眼差しにドキリとした。


「新堂くんに好意を伝えられるたびにうれしくて舞い上がりそうになった。でも」


 冬羽さんの顔から表情が消えてゆく。


「君の恋にはオリジナリティがない――。新堂くんの気持ちに応えようとすると父がそう言っているような気がするの。いまも」


 それは呪いの言葉だ。僕には分かる。僕だって自分のラブレターにオリジナリティがないと言われるのは辛かった。

 じゃあ冬羽さんは? 冬羽さんはお父さんの小説が好きだと言い続けていたのに裏切られてしまった。冬羽さんは言っていた。感想文じゃダメだって。それは自分がお父さんに否定されたからで。


 冬羽さんの瞳が光った。泣いてる?


「新堂くん。わたしに取り戻させて。幸せだった時間を。君のオリジナリティで」



 ようやく冬羽さんが言うオリジナリティが姿を現した。

 答えは簡単には出ない。

 いつの間にか冬羽さんは姿を消していた。

 一人で考えるのは辛い。僕はスマホを取り出した。妹に連絡しようか迷う。


「ダメだ。自分で考えるんだ」


 寒くなってきた。僕は歩き出す。体を動かして温まりたかった。


 閉園時間が近い。人々はゲートに向かっていた。僕は流れに逆らうように歩く。嫌でも人々を真正面から見ることになる。幸せにあふれた顔がいっぱい。親子連れも多い。目を背けたくなるのを耐えた。


「親子か……」


 昔は僕も父の愛を信じていた。冬羽さんに少し似ている。僕もまた父と愛を交換できなくなった子どもだ。

 また親子連れが僕の脇を通り過ぎる。風船を持った子どもの笑顔が眩しい。

 と、強い風が吹いてきた。


「あー!」


 風船が飛ばされる。

 僕はとっさにジャンプ。ギリギリで風船をつかんだ。その風船を返してあげるとすごく感謝された。


「この子、さっき従業員さんに風船をもらったんですよ。すごく気に入ってるみたいで」


 見ればきぐるみの従業員たちが楽しげに行進している。きぐるみはいずれも古い。その古さを感じさせないほど彼らは躍動的だ。みんな、人々を笑顔にしょうと一生懸命。それが分かって僕は自分が恥ずかしくなった。


 最初の印象では、この遊園地は不格好だった。そう思ったのは僕が受け手に過ぎなかったから。視点を変えれば、驚くほど世界は鮮やかになる。


 では僕はいままでどこに立っていた?


 どこにも立ってない。クラゲのようにふらふらと浮遊していただけ。世界を遠くから眺めて感想を抱くだけの生き物。なにも生み出さない。生み出せない。


「自分の足で歩くんだ」


 地に足をつけて。

 僕は決意を口にしてまた歩き出す。足取りに力強さが宿ったと自分でも分かる。

 不意にスマホが通知を知らせた。冬羽さんからのメッセージだ。


「お化け屋敷で待ってる。君のオリジナリティを見せて」


 オリジナリティ――それは、独創性のある恋の形なのだと思う。僕だけの形を冬羽さんに示さなければならない。


 僕はかつて読書感想文で県から表彰された。その延長でラブレターを書いていたと思う。それじゃダメだと冬羽さんは突っ返していた。いまなら分かる。冬羽さんは僕の『感想文』にかつての自分を見ていたんだ。お父さんに否定された自分を。


 じゃあ、どうしたら冬羽さんに自身を信じてもらえる? お父さんの呪いから解いてあげられる?


 そこまで考えたとき、僕の眼の前で一片の結晶が舞った。雪だ。思わず空を見上げる。


 美しい冬の欠片が降り始めていた。静かで儚い。それらを一体なんと表現すべきか。

 不意に冬羽さんの名前が脳裏に浮かんだ。


「冬の羽だ」


 瞬間、僕はこれまで体験したことのない興奮に襲われた。これだ、という満足感とでも言おうか。世界を自分の言葉でスケッチできた喜び。これが創作なんだ。僕は創作の楽しさを初めて知った。


 書ける。


 世界に僕のための物語がないなら自分で書けばいい。いまの僕なら書ける。それが冬羽さんへの答え。冬羽さんに感想を伝える機会を取り戻してあげられる。


 僕が小説を書く。冬羽さんが感想を言う。

 小説を通じて僕らのあいだで交わされるプレゼント。愛の交換だ。


 覚悟は決まった。僕の心に溜まった気持ちに名前をつける。戦いだ。いまならやれる。勝てる。冬羽さんがいっしょなら。


 僕は人の列に分け入ってお化け屋敷を目指す。閉園間近のイベントは逆方向で開かれているらしい。こっちにはひとけがない。

 お化け屋敷は洋館を模しているようだ。その内部を探索するという趣向。僕以外の客はいない。冬羽さんはどこだろう? 僕は薄暗い洋館をさまよう。


「冬羽さん! どこ?」


 書斎のような部屋に冬羽さんはいた。

 不気味なオブジェとともに。


 オブジェは首吊り死体を模していた。オブジェに寄り添う冬羽さんは父の遺体を前にした娘のようだ。もしかして、と冷たい汗が背中を伝った。冬羽さんのお父さんが自殺の際に選んだ方法って……。


 新堂くん、と呼びかける冬羽さんの声はひどく冷たい。


「答えを聞かせて」

「小説を書くよ。それが僕の答えだ」

「そう。でもね」


 冬羽さんは突然、話題を変えた。


「君が県から表彰された読書感想文、わたしも読んだよ。だって課題図書は父の作品だったから」


 え?


「父は読者の感想にショックを受けて自殺した」


 いま首吊り死体のオブジェが揺れている。

 その光景を冬羽さんは見たんだろうか。


「父を殺したのは、わたしの感想なのか、君の感想なのか、ほかのだれかの感想なのか。それは分からない。一つたしかなのは感想が父を殺したということ。怖い。わたしは怖い。感想は人を殺すと知ってしまったから。君はなにを言われても負けない? 逃げ出さない?」


 冬羽さんが言う世界。それは僕にとって未知の世界だ。いまの僕にはなにも言えない。言えるのは僕と冬羽さんのこと。


「僕は大丈夫だよ」


 最初にそう宣言した。


「僕は君に恋した。それだけじゃ君を満足させられないのは分かった。でも僕は冬羽さんがいっしょなら素敵なキャラでいられるんだ。人を喜ばせることが大好きな、表現者としての僕に。その僕は君への恋心を表現したくてウズウズしてる。きれいで、きれいじゃなくて、いろいろなものが混じった僕だけのオリジナリティ。それが僕の――俺の、人間としての強度だ」


 いま藤咲冬羽という名を呼ぶ男はどのようにみずからを称すべきか。宣言すべきか。『僕』では弱い。

 強く、強く、この恋を叫べ。


「冬羽さん」


 最後に俺は手を差し出す。


「俺の読者になってくれませんか?」


 冬羽さんの返事を待つ。

 不意に冬羽さんの目からきらめくなにかがこぼれ落ちた。涙――世界でもっとも美しい水滴の一つ。いつまでも宝石として俺のなかで輝き続ける。


「ありがとう。ありがとう、ありがとう」


 イエスでもノーでもない。冬羽さんは最初に感謝を言葉にした。泣きながら。笑いながら。

 長いあいだ、冬羽さんを囚えていた呪いが涙によって洗い流されてゆく。それはとても美しい光景だった。


 俺のオリジナリティはまた強固になる。



 あのあと、冬羽さんは遠くへ引っ越していった。

 もう何年も冬羽さんとは顔を合わせていない。


 俺は原稿を書き上げるたびに冬羽さんに送った。冬羽さんは俺の読者なのだ。勝手にそう決めている。

 送った小説に登場するヒロインのモデルは、もちろん冬羽さんだ。俺のなかで冬羽さんが色褪せることはない。目を閉じれば、冬羽さんの指先に至るまで思い出すことができる。


 冬羽さんは僕の小説についてなにも触れない。同封した俺の手紙に返事はする。そのなかで俺の小説について感想を伝えてくることはないのだった。

 反応らしきものは一度だけ。


『もう少し待っていて』


 焦ってはいけない。焦らせてはいけない。

 俺は待つ。書いて待つ。そのくり返し。


 この関係が始まって何度目かの春。冬羽さんから大きな封筒が届いた。それをポストから持ってきたのは妹だ。妹は働いてはいるものの、いまだ結婚していない。十代のころのように気楽な様子を見せている。


「ねえ、お兄ちゃん。冬羽さんがこんな大きな封筒を送ってくるなんて初めてだよね。なにが入っているのかな?」

「それよりおまえ。俺のことより自分のことを考えろ。おまえ、いまだに浮いた話ひとつないじゃないか」


 うっ、と妹は目を泳がす。


「いーの、いーの。あたしはお兄ちゃんが結婚するまでお嫁に行かないから」

「おまえ……」


 俺はようやく妹の回りくどい好意に気づいた。遅すぎたくらいだ。


「もしかしてブラコンなのか?」

「なっ!」


 妹の顔は一瞬にして赤くなった。


「そんなわけないじゃん! ばっかみたい!」


 ああ、図星なのか。

 妹の将来が心配だ。


「それより封筒! 封筒の中身が大事でしょ!」


 妹はあからさまに話題をそらす。


「ああ、まあな」


 たしかに封筒の中身は気になる。


 俺は部屋に行ってひとりで中身を確認した。入っていたのは最近、俺が冬羽さんに送った原稿だ。見れば、びっしりと赤ペンで感想が書き込まれている。冬羽さんが小説について反応を示すのは初めてのことだ。俺はうれしくなって原稿を読んでいった。


 ところが、その感想が辛辣で。


 俺はだんだんと胃が痛くなってきた。正直、読むのをやめようとも思った。

 やめなかったのは冬羽さんの勇気を感じたからだ。あれから俺も少し創作の世界を知った。率直な感想がどんな結果を招くか。悲しい結果に終わる場合も多いのだと分かってきた。


 冬羽さんはだれよりもそのことを知る人だ。それがいま、俺に感想を伝えている。その勇気を受け入れたい。内心、厳しい意見にのたうち回ってるんだが。

 最後のページに冬羽さんはこう記していた。


『モデルへの観察が足りない。今度から近くで観察するように』


 俺は単純だ。冬羽さんの一言で舞い上がる。


『――やり直し』


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