「光あれ」というツイートから世界は生まれた、と聖書は言います。
キリスト教では言葉が持つ力をロゴスと言うんだとか。これが根拠のない話かというとそうではないようなんです。フィンランドで始まったオープンダイアローグなる治療法が近年注目されています。語り合うことで精神疾患が癒やされてゆくというのですが・・・
こういう話、どこかでみたことないですか? そう、少年マンガです。(拳で)語り合うことでキャラたちが治療されてゆく場面をわたしは何度も読んできました。このような伝統が『隻翼ノ天使』にも息づいています。
主人公・樋田可成(以下カセイ君と呼びます)はあらすじにおいてもひどい言われようです。親がいないとか、チンピラだとか。たしかにそのとおりです。そのとおりではあるのですが、そういう主人公が這いずり回って少女たちを救おうとする姿が熱いんですよね。
ダイアローグという点から言えば、カセイ君は少女たちが抱えるドロドロとした感情を見事に受け止めています。少女たちのモノローグをモノローグで終わらせていない。モノローグをダイアローグで殺している。わたしを育ててくれた少年マンガの精髄がここにあるような気がします。
ではカセイ君はなにと戦うのか。それが天界なるもの。キリスト教を初めとする様々な宗教・神話のモデルになった存在であり、人類を見守ってきた父親であるとも言えるでしょう。父なる敵という言い方もできそうです。
さきほどカセイ君には親がいないと言いました。そのカセイ君が父なる敵に立ち向かう。父と子の関係が読み取れます。
と、ここまで父と子について述べてきました。最後に聖霊についても触れておきましょう。
本作において重要な異能:燭陰の瞳。これを天界からカセイ君にもたらしたのが本作の正ヒロイン・アロイゼ=シークレンズ(筆坂晴)です。アロイゼが天使であることをあわせ、まさに聖霊の働きと言えます。そしてアロイゼとともにカセイ君は天界の打倒を目指す。となるとこれは『父と子と聖霊』の三角関係ですね。
この三角関係のなかでカセイ君のダイアローグがどこにむかうのか。どこかモノローグ的な敵をダイアローグで殺していけるのか。カセイ君といっしょにのたうち回りながら読みたいと思います。
(なお、本レビューは第2章まで読んでのものです)
※なろう版の二章までを読み進めていたので、こちらでの掲載ということで同じく二章終わりまでの感想になります。
神の力に並ぶ異能を奪い、人間界へと逃げてきた隻翼の天使アロイゼと、その現場に偶然居合わせた自称クズ不良の樋田可成。その後起きた事故から、奪ってきた神の異能である『燭陰の瞳』がなぜか可成の瞳に宿ってしまう。
という流れから、天使や神と並ぶ能力を持つものたちとの戦いがはじまります。
アロイゼと可成の互いにクズ同士の夫婦漫才のようなギャグパートと、立ちはだかる敵との容赦ない状況のなかでの、持てる限りの力と知恵を振り絞った熱いバトルが繰り広げられます。『燭陰の瞳』という異能を持ちながらもただの不良でしかない可成は、どうしようもない事態でも、何度死に目にあおうとも、自己嫌悪に陥ろうとも、立ち上がり、徹底的に頭を使って、自身と敵の能力を逆手に取り全力でぶち当たります。その姿は物語のヒーローへと次第に重なり、思わず目頭が熱くなってしましました。
絶望から這い上がり、立ち向かう可成と、そんな可成に命を預けタッグを組んで戦う天使アロイゼの二人の姿を是非ご覧ください!