第4話 異世界にかかる虹

 ぼくの姿は、黒猫になっていた。

 長い尻尾。螺旋に渦を巻いたような。もちろんオス猫だ。

 ぼくが、そうだったんだ。

 ルピナに惹かれたのも、ある意味運命だったかもしれない。元の世界では、一緒だったのだ。


「少しだけ違うわよ」


 ルピナの声が後ろから聞こえた。

 ルピナはぼくの目の前にいるのに。ルピナの唇は全く動いていなかったのに、ルピナの声だけが聞こえた。ぼくの背後から。

 ぼくは振り返った。そこには、こちらの世界でぼくの孤独を埋めて癒してくれた、青い瞳のメスの黒猫がいた。


「どういうことだ? もしかして、黒猫が、しゃべった?」


「そう。喋ったのは、私、黒猫のルピナ。あなたはね、元々こちらの世界の黒猫だったのよ。でも、ルウーナ河に落ちて溺れて死んでしまったの。死んだあなたの遺体は消えて、異世界へと転生してしまった。それで私はあなたを連れ戻しに行くために異世界に転生した。ルピナという人間の少女は、向こう側の世界での、私の姿。転生した私は人間として向こうの世界で生まれ変わったのね。そのため、こちらの世界での記憶がリセットされてしまった」


 話が唐突すぎて困る。雨は小降りになりつつあって、代わりに風が出てきた。


「でも、あなたは黒猫のままだった。だから向こうの世界で人間の私であるルピナと黒猫のあなたが出会っても、お互いに求めている相手だと気づくことができなかった。ただ、本能的に惹かれ合ったので、一緒に暮らしただけ。でも、もう螺旋を巻いていた因果は繋がった。私とあなたは、元のこちらの世界で再会できた。これで良かったのよ」


「で、でも、人間のルピナは? どうなるんだい?」


「人間のルピナは、あくまでも向こうの世界での私の仮の姿。こちらの世界では、黒猫の私と人間のルピナという、同一の魂が二つ重複して存在していることになる。それはイレギュラーな状態なので、本来の正しい因果律に戻らなくてはならないので、ルピナは時間制限が来たら向こうの世界に戻るわ。人間のルピナは消える」


 いつの間に時間が過ぎたのか、気が付いたら日が暮れはじめていた。それと呼応するかのように、人間のルピナの姿が薄れはじめた。雨で濡れた白いワンピースが透けて肌の色が少し覗いていたけど、今や、服どころか肌すらも透けはじめた。

 ルピナは両手を胸の前で組んだ。祈るようにして、小さな声で歌いはじめた。

 透明感のある、でも芯の強さを湛えた澄んだ声が、岩場と泉に響き渡る。

 ルピナは消滅した。静寂だけが、閉ざされた谷を更に閉ざす。。


「ルピナ、消えちゃった」


 ぼくの口から声が思わず漏れた。少し涙声になっていた。


「人間の私は消えたんじゃないわ。向こうの世界に帰ったのよ」


 ルウーナ河の石晶藻は、その後どうなるか。千切れた雄花は海まで流されて行く。

 一方雌花は、雄花との気持ちが一瞬通じて短いキスを果たした後、茎が螺旋を描いて縮れていく。水面に浮いていた白い雌花も一緒に水中に沈み、そこから新しい命を育むという。


「人間の私だけじゃないわ。人間のあなたも、あちらの世界に帰ったはずよ」


 そう言って黒猫のルピナは、ぼくの横に身を寄せてきた。お互いに尻尾を絡め合う。どちらの尻尾も螺旋状だったので、二重螺旋になった。

 ぼくと黒猫のルピナは見つめ合って、キスをした。背伸びをしなくても届いた。

 向こう側の世界で、身長差のある少年のぼくと年上少女のルピナはキスできているだろうか?

 小降りになっていた雨はすっかりやんでいた。細切れになってしまった雨雲に割り込んで、西の空には傾きかけた太陽が、そして東の空には虹が浮かび上がった。


「きれいな虹ね」


「うん。あの虹、きっと向こう側の世界でも、人間のぼくと人間のルピナが一緒に見ていると思うよ」


 雨がやんで用済みになった薄緑色の雨傘が、風に吹かれて湧井に逆さに落ち、浮かんだまま石晶藻の雄花のように川下へと流れて行った。

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石晶藻の口づけ kanegon @1234aiueo

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