デリート・バスタード ─Delete・Bastard─

のんぐら

デリート・バスタード

「さあ次の店に行こう、ワインが美味いぞ」

 中年、上がり気味の前髪、着崩れたスーツ。冴えない男の周りには、数人の短いスカートを穿いた若い女が歩いている。キョウト東部にある、巨大繁華街の主要道路の一本。区画整備を無視した、湾曲した通り。本来の建物の形に大きく装飾を継ぎ足し、莫大な電力とコンタクトによって作り上げられた江戸時代の島原を模した繁華街には、その風情とはかけ離れた、七色の光が飛び交っている。

「えー、次もまたおごってくれるならぁ、いきまぁす」

 媚び、甘ったるい間延びした声を上げる女。彼女らは自分のカネなど微塵も出す気はない。男の懐から湯水のごとく溢れるカネに集まってきている。

「はははは、当たり前だ!!女にカネを出させるわけねえだろ!」

 気前のいいことを言うスーツの男。すでに相当の液体酒を飲んでおり、酔っている。吐く息が加齢臭と混ざり合い相当の悪臭になっているのだが、女たちは嫌な顔ひとつせずついていく。

 意外にも足取りはしっかりしており、男はまっすぐに歩いた。男の視界には宙を泳ぎ回る煽情的な女性や酒を勧めてくるバーテンが行く手を阻むが、それらを通り抜けて男は進む。

次の店まであと15歩というところで、事件は起きた。

「あっ」

 細い路地から飛び出してきた、まだ5歳くらいの女の子。標準的な5歳女児より、かなり小さく、細かった。飛び出してきた勢いそのままに、スーツの男の脚にぶつかった。定価15000の革靴を踏み、土ぼこりを付けた。それまで視野を埋めていたコンタクトによるAR世界とは異なる、現実の衝撃。

「テメェ」

 男の右足が女児の顔面に突き刺さる。悲鳴も上がらなかった。一撃で女児は意識を刈り取られていた。動かなくなった女児に対して、スーツの男はこともあろうに追い打ちをかける。

「靴が汚れただろうが」

 もう一度蹴り飛ばす。女児の体は道路の端まで転がっていった。左の足先で女児を仰向けにする。体が小刻みに震え、左目は潰れ、右目はあらぬ方向を見ている。

「ズボンも汚ェ。どうすんだ」

 再び右足による前蹴りが飛んだ。成人男性の合計3発の強烈な蹴りが、小さな体に突き刺さった。女児は駆け出てきた路地に吹っ飛ばされた。女児は繁華街の明るい街並みから、暗く光の届かない路地に転がされた。

「ヤダーこわーい」「かわいそうだよー」「そーだよー」などという女たちの嬌声。

「ああでもしないとな。しつけのなってないガキは」

 真顔でそんなことをいうスーツの男。一同はそのまま目的の店に入っていった。現実感の欠如したやり取り。周囲の人間も、誰一人足を止めることはない。


 しかし、それを見ていた人影があった。身長188㎝、ガスマスクにコートを着て、フードを被った人間。


その者はこう呼ばれる。「アリィ・スナイパー」と。


(もう見るな。やめろ。視線を逸らせ)

アリィ・スナイパーは、名前を「タヌキ」という。タヌキは一部始終を、15㎞離れた水道塔跡から見ていた。既に役目を終えて久しい水道塔はタヌキの偵察スポットのひとつだが、今日ばかりはここにいることを後悔した。容赦なく繰り出される暴力に心臓が締め付けられる。頭は拒否しているにも関わらず、瞳孔の動きからコンタクトが暴力現場に自動でズームアップをかける。目の前で起こっているかのようにその凄惨な現場を目撃したタヌキは、早鐘のように打つ自分の鼓動も聞こえていない。

(なんてこと、するんだ)

 咄嗟にスーツの男の顔を見る。視界情報を後で参照できるよう、ログデータを即時保存した。自動ズームを解除し、自分の足元にあった電波増幅装置とバッテリーを抱えると、繁華街へと走り出した。

(あの痙攣は危険だ。間に合わなくなる)

 走りながら、先ほど保存したスーツの男の顔をスミスに送る。スミスは半年前からタヌキの身柄を預かり、共に過ごすマルチエンジニアの女性だ。スミスであればその写真がどこの誰かすぐに割り出してくれる。

「スミス姐さん。いま送ったログデータ、誰だか調べて欲しい」

 耳に装着したイヤーギアを使ってそのスミスと会話をする。ネット回線を経由しない、タヌキがくみ上げた通信システム。ランダムに切り替わる周波数を同期させ、バラバラに飛んできた音を相手のイヤーギアあるいは無線のコンピュータで音声を再構築しコミュニケーションを取る。

『オッケー。わかったらすぐに教える』

 なぜ、とは聞かない。タヌキの仕事は、キョウト周辺で起こる不審な出来事をまとめ、出来る物から解決していくこと。情報をかき集めること。不測の事態への対応が出来るようにすること。スミスの仕事はエンジニアとして別にあるが、こういう時はいつも協力してくれる。

 タヌキは15分あまり必死に走り、女児の蹴り込まれた路地を覗き込んだ。肩で息をしながら見ると、そこには娘の亡骸の前で崩れ落ち泣き叫ぶ母親と見られる女性の姿があった。救急隊が来ていないことからも、女児と母親には通信手段も生体モニタリングを施せるコンタクトも持っていないことは明らかだった。この国に宿る、本物の貧困。よく見れば、母親の服も女児の服も、ボロボロで汚れている。髪もボサボサで、体中から垢が浮いていた。

今にも雨の降りだしそうな、真冬の夜だった。


 タヌキが住処に帰ると、すでにスミスはテーブルで食事を終え、コンタクトによるARゲームで遊んでいた。タヌキより身長は高い158㎝でスタイルも良い。大きな目、薄い唇、高い眉。茶髪が癖毛で跳ねまわり、絶妙に掴みきれない空気を醸し出していた。彼女もまた第三世代のコンタクトに馴染めず、普段から第二世代のメガネをかけている。

「あ、おかえりー」

「…ただいま」

 タヌキの消沈した様子など意にも介さず、スミスはその後の自身の調査結果の報告をする。

「あのスーツ男だけどさ、SEAに投げたら一瞬でわかったよ。財務大臣の第3秘書の『ヒラモト』って男。黒いうわさもなく、力のある中堅政治家、らしいぞー」

 中空に浮いたエイリアンを撃ち殺しながらスミスが続ける。右手の人差し指からは、地球生命体をなぎ倒す恐怖のビームが射出されている。

「いやぁ、ログデータ見たけどあれはひどいね。人の尊厳なんてものは保有する財産で決まると頭から信じ込んでるタイプだぜあれ……よっしゃあ!」

 最後の1匹にヘッドショットをきめ、雄叫びをあげたスミス。タヌキはコートを脱いだ。そこに表れた身長143㎝の女子、それこそがタヌキの本当の姿。

「アイツ、作業するみたいに女の子を蹴ってた」

「ウン」

 ARシューティングを終了し、マグカップから冷え切ったコーヒーを飲むスミスの相槌。タヌキはまだ玄関に立っている。

「俺がいた収容施設のほうがマシだ。あそこの職員はクズでカスだったけど、『八つ当たり』ほうがまだ理解できる。その暴力の理由がわかる。いくら理不尽でも、わかるんだ。だけど、あの野郎、作業みたいに…ッ!あれじゃ、自分が受ける暴力は正当なモノとしか思えない…!」

スミスと暮らし始めてから、タヌキは思考を未来ではなく過去に割くようになっていた。今日その日を生き抜く生活が、未来を安心して受け入れられる生活になっていたからだ。

「スラムの増加は社会問題になってるからなー。余剰労働力と考えることも出来るけど、現状仕事なんてほとんどねーから。こういうことはこれからもっと増えるんじゃないか?」

 泥水のような冷たいコーヒーが喉を流れていく。ふとスミスが窓の外に目をやると、雨が降っていた。11月も終わろうとしているこの時期の雨は、スラムに住む人々にどれほどのダメージを与えるだろう。

「俺には関係ない。関係ないけど、無視できないだろ…?」

 声はいたってフラットに出ている。だが、音のひとつひとつから怒りが滲んでいた。

「そうだね。でも、相手は権力者だ。傍観しているほうがいいんじゃないの?」

 スミスの窘めるような返答。それでも、タヌキは首を縦には振れない。彼女が背負った過去が、ここで「傍観する」という選択肢を取れるはずがなかった。

 キョウトの市内いたるところに、小規模なスラムが乱立している。職にあぶれ、家を無くしてしまった人々。身を寄り添い、街がこぼしたわずかな利益を分け合って生きるだけの人々。納税の義務も果たせない彼らを、国は庇護下に置こうとはしない。

「路地裏で生まれ、路地裏で死んでしまったあの子を否定するような真似は、絶対に許せない」

 タヌキの絞り出すような怒り。それを聞いて、スミスはニヤリと笑った。タヌキの戦術師範の女と同じく、楽しげに。

「そういうと思って、ヒラモトのスケジュール洗っといたよん。今財務大臣は予算案決議を通そうと躍起になってる時期だから、ヒラモトが死んだことによる自分の勢力の揺らぎは嫌がるはずだぜ。それに」

 非常な物騒な物言いだが、それ故にストレートな合理的な話し方になっている。

「コンタクト投影コートの技術を知る人間はまだほとんどいない。設定をいじって、タヌキがバレないようにすることは余裕だ」

 タヌキは黙ってうなずいた。ヒラモトのような人間を放置してはいけない。先ほど警察に「ヒラモトは女児を蹴り殺した」という内容の告発状を送ったが、返信は「虚偽の告発は告発者が名誉棄損の罪に問われる場合がございますのでお控えください」という文面だった。

「じゃあ、実行は4日後。奴が予算法案決起集会のパーティー会場から帰るところを狙おう。私はコートの調整をしておく。君も準備しておきなよ」

 スミスはそういうと、玄関に立つタヌキからコートをもぎ取り、奥の研究室に入っていった。


 翌日。

 タヌキは朝7時に起きると、日課のランニングに家を飛び出した。10㎞を走り切り、短刀の素振りをすると、シャワーを浴びた。自分の部屋に戻り、スミスが組んだ円筒形のデスクトップコンピュータの電源を押す。瞬く間に立ち上がり、タヌキの視界の出力権が手元の端末からデスクトップコンピュータに委譲される。視界に浮かんで見える情報の羅列を一つ一つ整理していく。ニュースサイト、ニュースOCEAN、その他の情報発信源から流れ込むデータを並べていく。椅子に座りながら、あるいはベッドに横たわりながら、食事をしながら、その情報たちを精査し、時系列に並べていく。

 SEA社の創り出した、「OCEAN」と呼ばれる企業あるいは個人が運用できるサーバーにより、ネットは変化した。かつてブラウザを目的や嗜好その他で変えたように、OCEANを変えてネットを使う時代が到来している。

 タヌキの情報収集作業は3日間行われた。


 そして約束の日。天気は快晴。雲一つない青空。気温はあまり上がらない。タヌキは起きてこない。昨晩に夜を徹しての情報走査を行い、愛銃のメンテナンスを行っており、眠り始めたのは朝方だった。スミスはいつも通り8時に起きていたが、タヌキのことは起こさない。ヒラモト暗殺計画の実行は夜間であり、場合によってはタヌキは夜通し活動しなくてはならない可能性がある。この睡眠時間の取り方は合理的だった。

(コートの投影も完全に別人に見えるように調整できた。うへへへ。タヌキびっくりするだろうなぁ)

 ひとりトーストを齧りながら、スミスは笑った。人ひとり殺そうとしているというのに、ずいぶんとリラックスしている。それも不思議ではない。スミスは元軍役であり、大戦の経験者である。今さら1人殺そうが2人殺そうが、誤差のように考えている。

(まぁ、今回は事後処理とかめちゃくちゃめんどくさそうだけど)

 事前に手は打ってある。事がうまく運べば、万事抜かりないはずだ。スミスは額のメガネを下してかけると、計画の最終チェックを始めた。


 太陽が見えなくなった。時刻は19時。スミスとタヌキは簡単な食事を済ませた。焼いたパンにバターを塗ったものをコーヒーで流し込む。

「終わったら豪勢な食事をしようじゃあないか、タヌキくん」

「たとえば?」

「なんかこう、肉とか」

「ステーキがいいな、培養肉じゃないやつ」

 穏やかな会話だが、タヌキは着替えて全身に装備を装着し、スミスは物理キーボードを激しく打ち鳴らし、その様子はさながら本番前の舞台の楽屋のようだった。

「善処するよ」

 スミスの返事を聞きながら、タヌキは愛銃のセルフメンテ機能を立ち上げた。最近タヌキは愛銃の事を「ティアナ」と呼ぶ。生みの親であるスミスが、「その銃はティアナっていうモデルなんだぜ。最初期の試作品で一番うまくできたのがそれ。無くしたと思ってたけど君が持ってたんだねえ」と、はははと笑いながらタヌキに教えてくれた。

「ティアナ、今日も頼むぞ」

 小さくつぶやく。名前で呼ぶようにしてから一度も、つまり半年間一度も撃っていないティアナだったが、機能に一切の問題は無く、射撃精度も整えられていた。それはひとえに、スミスの調整技術がいかんなく発揮されていたからに他ならない。

 動きやすいパンツを穿き、シャツの上からジャケットを着る。バッテリー、弾薬が入ったポーチ、短刀のついたベルトを巻き、背中に短刀が来るように調節した。イヤーギアを嵌め、通信状態を確認する。感度良好、音質は最低限度。軍長靴を履き、紐をしっかりと縛る。ティアナのストラップを斜めに掛けて、コンタクト投影スーツを着込んだ。ガスマスクをかぶり、変声機能が生きていることを確認した。最後に、防弾水ケースに入った端末を起動し、コンタクトが正常に作動するのを確認して、タヌキはスミスに向き直った。

「いってくる」

「うん。幸運を祈る」

 そしてタヌキは家を出た。ごく普通の集合住宅7階の部屋から、1人の少女が歩き出した。


 決起パーティーの会場は、キョウト旧駅前のグランドキョウトタワー、その頂上のレストランで行われる。参加者は300名ほどで、政府高官や財界の盟主らが集まり、予算案の通過を目指して意思統一が行われる。とはいっても、実際にはただ美味しい食事や酒を求めて来る人間が大半であり、美男美女ばかり集められた高級娼夫や娼婦が目当ての者やここでの会話を己の利益にしようと企む者もいた。名ばかりの「決起」だった。

 窓の外には格子状に広がるキョウトの街並みが浮かび上がって見える。地上100階の高さはコンタクト反応区域外になっており、街中を歩いたときのような煌びやかさはまるで無い。武骨な鉄筋コンクリートや繫ぎ目の無い反応鋼材を使った立方体が、街頭に照らされてズラリと並んで見えた。

 ヒラモトの見下ろすその囲碁盤の世界のなかに、タヌキは紛れ込んでいる。スミスの部下が経営する店まで通常コンタクト投影で向かい、入店する。すると物理的にタヌキと同じ装備になった影武者が数分後に出ていく。そして近所の酒場に入る。その間にタヌキは投影を切り替え、妙齢の女性の格好をして裏口から店を後にすることで、街中の監視システムを欺いた。

 しっかりと監視システムのログデータを検証すればどれがタヌキかはわかるのだが、それをするには人手も元手も必要であり、現状それを行えるだけの余裕は政府にはないというスミスの作戦だった。

(22時。もうすぐパーティーが終わる)

 清水寺の舞台に膝立ちになり、タヌキは単眼鏡越しに一際目立つ巨大なビルを見つめていた。ヒラモトは旧キョウト駅から東に向かい、鴨川を渡るはずだった。彼の住居は鴨川の東側だからだ。鴨川沿いを歩き始めたところを狙撃するのが今回の作戦。

 タヌキが集中する。ソーン暗殺以後、初めての「狙撃」だった。

(ヒラモト・テツ。52歳男。幼少期に神童と呼ばれ中学受験で私立中に進学し学問を修めるも素行に問題があり生徒指導の履歴がある他人を見下した言動をとりトラブルになること多数それは高校入学以降も変わらず大学院を出るまでたびたび繰り返される大学院卒業後は銀行員として働き26歳で支店長になるその後財務省の職員となり政党の自由立憲党に入党しカネを集める手腕で頭角を現し財務大臣の第三秘書として活動中次期立憲党党首の呼び声もある)

 ヒラモトの存在をタヌキが膨大な情報量を通じてトレースしていく。より正確なトレースは正確な狙撃に必要不可欠とタヌキは信じている。弾は狙ったところに飛んでいく。歩く人間は不意に曲がるかもしれない。しゃがむかもしれない。店に飛び込むかもしれない。より正確な人生・人格のトレースで、狙撃の成功率は変わってくる。

(ヒラモトはどちらかというと大胆な性質だ。自信家でもある。そして財布の紐は硬い。カネのかかる護衛は雇ったことがない。その代わり自分である程度の護身術を学び、拳銃を携帯している。一方で自分を良く見せるためならためらいなくカネを投げる癖がある)

 視界のパーティーは御開きになったようだった。窓に映る人影が一気に減った。狙撃ポイントまで15分といったところ。まず間違いなくヒラモトは徒歩で自宅に向かう。

 しかし、12分経ってもヒラモトの気配は感じられなかった。

(おかしい)

 ヒラモトのトレースを誤ったかもしれない。一抹の不安がタヌキの思考に侵食してくる。

(アイツがキョウト駅付近で立ち寄るような場所なんてあったか?庶民向けの店が並ぶあのあたりにあのプライドの塊みたいな男が立ち寄るとは…)

 手当たり次第に記憶を紐解いていく。服の趣味。靴、時計、化粧品。好きな食べ物。飲み物。囲いの女。

『スミス、ヒラモトの女でキョウト駅周辺に住んでいるのはいるか』

 イヤーギアを触りながら小さな声で話す。返事は即座に返ってきた。

『いるよ。駅の南、京都タワー跡に建ってるアパートの303号室』

 該当の建物はすぐに見つかった。そして、建物の前にいるヒラモトの姿も。

(どうする。これから奴があそこに泊まる可能性は。ここからあのアパートまで向かうか。撤退まで視野にいれるべきだ)

 ひとつの結果に固執しすぎてはいけない。タヌキは十分に学んでいた。同時に、成長もしている。

(1時間は様子を見る。日付が変わった時点で撤退。撃てるポジションを維持しつつ、距離を近づけておく)

 清水寺から南の高台は全て再開発で削り取られ、建造中の高層ビルの鉄骨や土台がむき出しになっている状態にある。そのうえ、コンタクト探知の防犯システムも存在していない。身を隠しながらの移動は比較的容易だった。

「目標のキープ、頼んだ」

『任せとけ。私はカシミヤの無茶ぶりで鍛えられてるから大抵の人間はデータで追いかけられるぜ』

 豪語するスミスの言葉通り、ヒラモトの位置情報がマッピングされた地図データがタヌキの視界右隅に浮かんだ。

 徐々に距離を詰める。建設現場を抜け、高級住宅の立ち並ぶ地域を駆け抜ける。タヌキのコンタクトは現在、AR機能を完全に止めてあるためまっすぐに走れるが、他の人間はあちらこちらの挨拶してくる美女や声をかけてくる動物などによってくねくねと走らざるを得ない。カネを持つものは家の中にいたまま外界との繋がりを作ろうとする。結果、亜バターのみが外に出掛ける趣味が流行している。ネット世界による現実の侵略だった。

やがてタヌキは鴨川の堤防の外側に隣接しているヒラモトのマンション、その入り口に立った。本当の富豪が住み、ワンフロアに付きひと部屋しかない。地上三階までは共用施設であり、商業施設や大浴場、飲食店などが立ち並ぶ。ヒラモトはこのマンションの最上階から一つ下の部屋に住んでいる。

『マンション前にいるのはまずいぞー。そのまま通り過ぎろ』

 スミスの指示に返事をせず、そのまま通り抜けた。いまのタヌキは黒髪にコート、ヒールで身長が170㎝ほどの女性に見えてはいるが、このマンションにはそぐわない。

 退廃とは大きくかけ離れた世界。繁栄に満ちた街だ。

 首都機能の多くが移され、それに伴って人口も増大した。歴史を語る観光地だった古都の姿はもう見えない。積み重なった歴史は、集積図書内のVR空間でのみ参照できる。東寺の境内はいまは外務省の庁舎が建っている。かつての御所は議事堂と内閣府がおかれ、西本願寺の跡地に巨大な官舎が立ち、国家公務員が住んでいる。反政府軍が守ろうとした京都は、200年の時を経て政府の物になってしまった。

 一際月が綺麗な夜だ。鴨川にかかる大きな橋に差し掛かる。「鴨川大橋」と呼ばれ、片側2車線と広い歩道が通っている。冬の到来を告げる冷気が、鴨川に沿って流れ込んでくる。

 橋の右側を歩くタヌキ。そして、反対側を向かいから歩いてくるヒラモト。

「目標発見。排除する」

 23時44分。偶然を装い歩いて、見事に橋の上で接敵することに成功した。


 橋の長さは200メートルほど。タヌキからヒラモトまでは153メートルの距離。既にティアナのABASは起動しており、構えて撃てば遮蔽物がない限り必中の状態になっている。

『気をつけろ。奴の武装が判断できない。左脇にホルスターがあるのはわかったが、あとは謎』

 スミスからの通信。この時間になると車通りも稀になる。乗用車が通りかかる。すれ違う瞬間、タヌキはティアナを腰だめに構え、コンタクトによってヒラモトをロックした。

 発砲。ティアナから圧縮空気が吐きだされる。ティアナの銃身を折り排莢、即座に次弾を装填した。

 弾丸はまっすぐヒラモトに飛んでいく。しかし、彼はタヌキのことを見ていた。銃が見えた瞬間、咄嗟に左腕を胸に寄せていた。弾丸が左前腕を撃ちぬく。まだ勢いの残る弾頭はぶれながらもヒラモトの左胸に到達し、一定の衝撃を与えはした。だが。

『防弾織布だ!実用化したんだな、やるな国営武造局!』

 スミスの感嘆の声がイヤーギアから響く。ヒラモトは着弾の衝撃によろめきながらも拳銃を引き抜き、タヌキに向けて撃った。

 遥か頭上を通り抜けて行ったが、銃がタヌキに向けられたことは事実だった。一度ティアナを背負い、一気に走り出す。前方・後方ともに車はいない。等間隔に並ぶ橋の灯りが、タヌキの姿に残像を残す。走るタヌキに対して小さな残像にヒラモトは困惑する。

 斜めに横断してきたタヌキに対して発砲する。弾丸は当たらない。タヌキは小刻みに左右に振れながら走ってくる。

 接近してくるタヌキに我慢できず、ヒラモトは左手で右腰を探る。ワイヤーの鞭のようなものを取り出した。グリップのスイッチを入れると同時に通電し、1メートルほどの電流棒が完成した。

(やっかいだ)

 短刀で受けても感電するため、避ける以外に方法がない。ダッシュを止め、15メートルほどの距離を残して睨みあう。互いに半身になり、軽く膝を曲げて向かい合っている。

「なぜ俺を殺そうとする」

 平坦なトーンでヒラモトが質問をしてきた。この状況でもさほど動揺はしていないようだった。イヤーギアからスミスの声が聞こえる。

『見た目から判断して、あの高圧通電が出来るのは15分が限界だと思うよ。それ以上の蓄電装置は今のところ存在しない』

 漏れ出た電流でヒラモトの髪が逆立っている。エレキテルのような凶悪さを醸し出す電流棒は、触れただけで大ダメージなのが目に見えてわかる。

 タヌキは返事をしない。ヒラモトもそれ以上追及はしなかった。自覚はあるのだろう。命を狙われるような真似をしてきた過去を持っている。

 タヌキはゆっくりと体重をつま先に移していく。

 ヒラモトが右手の銃と左手の電流棒を持ち変える。

 瞬間、タヌキが突進した。ヒラモトの左側に回り込むように駆け込み、コートを左手一本で脱ぎ、投げつけた。

 ヒラモトは咄嗟に右手の電流棒でコートを払おうとする。タヌキはコートに繋がれたままのコードを引っ張り、手元に引き寄せる。ヒラモトの打撃は空振りに終わる。

 その地面に打ち下ろされたヒラモトの右腕を、タヌキが気合と共に短刀で叩き切った。

「ッ!!」

「アアアアアっ!」

 ヒラモトの悲鳴が夜空に吸い込まれる。袖にも防弾織布は施されていたが、タヌキの短刀はスミスの作った超音波振動刃が組み込まれている。見事に手首を切り落とした。

「クソ、クソが、お前みたいなドブネズミに…!」

 転がるようにタヌキから距離を取る。憎しみに駆られた瞳。プライドが増幅し、自己が肥大化している。

 タヌキはすでにコンタクトによるロックオンを終えていた。

腰から回したティアナを右脇に抱え、引き金を引く。

ティアナのストックに内蔵された高性能PCによる演算が銃身を微調整した。

撃鉄が弾丸の雷管を叩く。

爆発で弾丸が押し出されたわずかな隙間に、PCに隣接した内臓ボンベから圧縮ガスが送り込まれる。

サイズからはあり得ないほどのスピードを得た弾丸が、ヒラモトの眉間を貫いた。


 力を失ったヒラモトの肉体は、腰ほどの高さの欄干を乗り越え、鴨川に落ちた。


『ミッションコンプリート。後は私の部下がうまくやる』


 23時47分。タヌキは鴨川大橋から駆け抜け、夜のキョウトに消えた。

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