一杯のコーヒーから。

@yoll

一杯のコーヒーから。

 目が覚めると私はベッドの上であられもない姿を晒していた。

 

 どうやら昨日彼とした後にそのままダウンしてしまったらしい。

 少し首を持ち上げ、まだ焦点の定まらない目で天井を見上げていた視線を足元へ向けると、セミダブルのベッドの端から何故かお気に入りの紫の下着を足首に残したままの私の右足が落ちていた。


 ぷるぷると震える腹筋の辺りに限界を感じて力を抜くと、ぽすんと軽い音を立てて愛用の枕が私の頭を優しく受け止めてくれた。そのまま左に顔を向けるとそこには最近は見慣れた彼の寝顔があった。右手を少し上に伸ばしてヘッドボードのいつもの場所においてある愛用の眼鏡を手探りで探し当てると、それを私の顔の定位置へと戻した。


 すーすーと可愛い寝息を立てて眠る彼の顔をもう少し近くで見たくて、仰向けの体を左に向ける。少し腰が痛かった。


 少し狭い額には、長くなると少し癖がでる真っ黒い髪が汗で張り付いたままになっている。眉毛はあまり手入れはしていないけど、それなりに整った形だと思っている。いつもは少し八の字になっている事が多いが、眠った時の眉の形は半分こになった黒いクーピーペンシルみたいに真っ直ぐだ。


 瞳はまだ閉じられたままで見ることは出来ない。時々目蓋がぴくぴくと動いているのは夢でも見ているからだろうか。鼻立ちは普通。ごくごく日本人の平均的な形と言うところだろうか。これはこれで私の好みだ。

 唇を見ると少しカサついている。下唇の右端に角層が少し剥がれかかっているのがぼんやりと見える。キスの時に少し当たって痛いのでリップを塗ってほしいと頼んでいるのだが、どうやらすっぽかされているようだ。まぁ、お互いその時にはそんなことなんて如何でも良くなってしまうのだが。


 顎の辺りに目を向けると薄っすらと無精ひげが生えかけていた。これについては剃ってからでないとキスはしてこないでと、何時も口が酸っぱくなるほど言っている。だって当たると痛いのだ。勿論、何事にも例外もあるにはあるのだけれど。


 一通り彼の顔を眺めて満足をした私は反対側を向き、彼を起こさないようにゆっくりと体を起こした。そうしてから右足をベッドの上に戻し、足首の下着をのそのそと回収するとベッドの端に座りながら両足をそれに通す。その後、立ち上がると下着の両端に通した指を腰まで上げる。途中、どこかで何やら不穏な抵抗を感じたが気付かなかったことにした。


 割と食事に無頓着だった私はコンビニのカクテルと少しのおつまみがあれば夕食の代わりとすることが出来ていたのだが、彼が家に来ることが増えてからは料理を作ることが増え、どうやら健全な食生活は順調にそのカロリーで私の体を蝕んでいるようだ。おのれカロリー。


 下着一枚の私はベッドのほうを振り返る。そこにはブルーのシーツの上にまだ眠ったままの彼の姿と、私が眠っていたあたりにくしゃくしゃになっている薄い黄緑色のバスタオルがあった。その足元にはタオルケットが丸まって転がっている。


 私は良く濡れてしまうらしく、シーツを汚すのが嫌でその時にはバスタオルを腰の下に敷くことにしている。彼と私の混ざり合った体液が汚いとは思わないのだけれど、何時もは私が一人眠るベッドがそのまま汚れるのは嫌なのだ。シーツを洗うのが面倒臭いというのも大きな要因ではある。ちなみにその時の途中で突如バスタオルを敷き始める私のことを彼はいつも微妙な顔をして眺めている。

 ともあれ、今回はそれなりにバスタオルはその役目を果たしてくれたようだった。


 そのバスタオルと右手で拾い上げると寝室を抜けて洗濯機の置いてあるほうへと向かう。その途中、ひんやりとするフローリングの床が冷え性の私の足の体温を少し奪った。


 無事洗濯機の前に到着をした私は右手のバスタオルをその中に落とし込んだ。一人暮らしの私は何時も週末に一度の洗濯で済んでいるのだが、今週はどこかでもう一度洗濯機を回す必要があるようだ。この際、もう少し大きい洗濯機を買ってみるのも良いかもしれない。


 冷えてきた足に従ってそそくさと居間へと戻る。昨日脱ぎ捨てたままの私と彼の服が乱暴にソファーの背もたれに掛かっていた。あそこで始めてしまったのに、なぜ下着だけは私の足首に残っていたのかはちょっとしたミステリーだ。名探偵は未だベッドで眠っているため、解決には今しばらくの時間が必要だろう。


 手早く服を身に着けると今度は冷蔵庫の前に向かう。下の段の冷凍室を引いて開けると中の冷気が漏れ出した。その冷凍室の中から表面を薄っすらと霜に覆われた、目的のコーヒー豆が入った透明な円柱状のプラスチックケースを取り出し、今度は押して閉める。


 氷のような冷たさのそのプラスチックケースを手に持ち、次は台所に向かうとシンクの上にそれを一度置く。開いた手で蛇口を開くと直ぐに水がシンクの中を

濡らし、歪んだ円を描きながら排水溝へと流れ落ちていく。


 築年数がかさんだこのマンションは水道管が古く、少しの間水を流しておかないと金属っぽい味が舌に残ってしまう。勿体無いが、仕方がない。


 暫くの間、ぼーっと蛇口から流れる水が産み出す歪んだ円形を眺めていたが、ふと我を取り戻すと慌ててシンクの下の扉を開け、お気に入りの緑色のホーローのコーヒーケトルを取り出しその中を流れ続ける水で満たした。

 蛇口を閉めるとコーヒーケトルをガスコンロの上に置き、点火のスイッチを押す。


 チチ、と一瞬だけ火花が飛んだあとに青い炎が緑色のコーヒーケトルの底を包み込んだ。同時にコーヒーケトルの外側についていた水滴がその淵をなぞり、炎の上に落ちて鈍い音を立てて直ぐに蒸発した。


 さて次は、と意気込みシンクの下からコーヒーミルを取り出す。

 この前彼と一緒に買った金色にぴかぴか光る真鍮製のコーヒーミルは最近のお気に入りで、紅茶派だった私も今ではすっかりとコーヒーが好きになってしまった。


 少し霜が融けたプラスチックケースの蓋を回して開けると、中の豆をコーヒーメジャースプーンでしっかりと計ってからコーヒーミルの中へと落としていく。からからと音を立てて豆がそのボディの中に納まると、ハンドルをゆっくりと回していく。


 かりかりと音を立てながらゆっくりとコーヒー豆が磨り潰され、ふわりと香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。彼のことをまだ起こさないように、ゆっくり、ゆっくりとコーヒー豆を挽いていく。

 そうしている内に火にかけられたコーヒーケトルから沸騰した音が聞こえてくる。私はもう少し残っているコーヒー豆を挽くため、コンロの火を最小にした後にもう一度コーヒーミルのハンドルに手をかけた。


 かりかりと言う音が聞こえなくなると、コーヒーミルをシンクの上に一度置き、サーバーとドリッパーを取り出すと無漂白のフィルターをセットする。そしてコーヒーミルから挽き終わった豆をそっとフィルターの上に載せていく。


 熱くなったコーヒーケトルを掴むためにミトンを手に嵌め、コンロのスイッチを切る。注ぎ口から湯気を噴出しているコーヒーケトルをミトンを嵌めた手で持つと、ゆっくりと挽き終わったコーヒー豆の上に熱湯を注いでいく。


 30秒ほどコーヒー豆を蒸らしたあと、私なりに手早くドリップを終わらせるとふぅ、と一つ息を吐いた。


 部屋中に広がったコーヒーの香りが彼を起こしてしまわないか少し不安だったがどうやらその心配はないようだ。寝室から物音は聞こえてこない。

 そのことに満足をして私はコーヒーケトルをコンロの上に置くと彼がまだ眠る寝室へと足早に向かう。


 案の定彼はまだ先ほどと同じ格好で眠っていた。昨日私と繋がっていたそれは随分と可愛い形に戻っている。


 少しにやけた顔で私は彼に覆いかぶさるようにしてベッドの上に上がると、無精ひげが生えた頬に手を当てる。やはり少しちくちくとする。

 でも、構うものかとそっと私は彼の唇に自分の唇を押し当てた。


 ああ、また折角淹れたコーヒーが冷めてしまうなぁ、と思いながらもゆっくりと舌で彼の唇をこじ開けるとその咥内をたっぷりと堪能する。

 彼はその感触でやがてゆっくりと瞳を開いた。私の大好きな彼の真っ黒いその瞳孔がきゅっ、と引き絞られた事を確認すると押し当てた唇を名残惜しいがゆっくりと引き離した。


「おはよう。コーヒー淹れたよ」

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