第2話後編

着込む衣類が増え、少しずつ冬が近づいてきていた。

正志は机に置いてあった筆記具をカバンに入れ帰る支度をする。


「おい佐々木」

「あ、はい…?」

先ほどまで浅木と安本と喋っていた結城がカバンも持たずにやってくる。


「今日お前んち行くわ」

唐突に彼女はそう言った。

思考回路が停止してしまったため慌てることもできない正志。

当然のことだ。

今まで女子を家に入れたことなんてないのだから。


「どどどどどうしてですか…っ」

「何勘違いしてんだ、マジきもい」

「で、ですが…何故急に」

「小説どれか貸してくれよ」

以前秋葉原に行った時からラノベに興味を持った結城。


「な、なら明日また持ってきますよ…」

「うるせぇよ、自分で選びたいんだよ」

遠まわしに断っていることに気づいた結城は少しずつ機嫌が悪くなる。

自分の席からカバンを持ってきて彼の背中を思いっきり蹴り飛ばす。


「さっさと行けよ、鬱陶しい」

「…あ、ちょ…ちょっと」

いつもそうだった。

彼には拒否権というものがない。



駅前、いつもはここで別れるが今日は彼の家に行くため素通り。

キモオタと言っている正志の家がどういうものなのか結城は少し興味があった。

面白いネタができる、と。



なんてことのない普通の一軒家。

正志は鍵を回し大きく深呼吸する、彼女にはそれがただの緊張だと思い込んでいた。


「ただいま」

「おっじゃまっしま~すっ」

息子が彼女を連れてきたらびっくりするのでは、と面白半分で元気よく挨拶をする結城。


「あ、おかえり、まーくん」

「母さんただいま」

「どもぉ、初めまして息子さんの彼女してま…」

彼女のテンションはここで一気にクールダウン。


「あら、誰か来てるの?その声は女の子?」

母さんと言われた人物は車椅子に乗って現れた。

そしてこちらを見ているようで見ていない。


「三田さんだよ」

「あらあら、もしかしてお付き合いとかしているの??」

「え…あ、はい、…三田結城と言います」

「そうなのっ?ま、待ってね今お茶入れるから」

「母さん、俺がやるってっ」

彼の母は慌てた様子でキッチンの方へと車椅子を走らせる。

―――何度も壁にぶつかりながら。



母を居間に連れて行き、正志はキッチンの方へと向かう。

彼の母と居間のテーブルで二人きり。


「結城さんだったかしら?」

「え、ええ…」

「キレイな声しているわね」

「ども…」

結城の推測はおそらく当たっている。

正志の母はこちらを向いているのに全く自分と眼が合わない。


―――眼が見えていないんだ。


「実は私、あの子が小さい頃に事故にあっちゃって…足と眼が、ね」

「そう、だったんですか」

何も聞いていなかった。

何故言わなかったんだと問い詰められる内容でもない。


「あ、結城さん、ちょっとごめんなさいね」

「…え?」

そういって彼の母は優しく結城の顔を触る。

決して穏やかな表情を崩さずに。


ゆっくりと手を離して優しい笑顔を結城に向ける。


「もしよかったら、お外に出ませんか?」

「え?今からですか?」

「車椅子を押してもらう形になっちゃうけど…」

「…いいですよ」

キッチンでお湯を沸かしている正志に一言告げて外へ出る。


住宅街のため車の通りは少なかった。

無言が続き、すぐ近くの公園に入った時に沈黙を先に破ったのは彼の母だった。


「あの子の彼女っていうのは嘘だよね?」

キレイな夕焼けの下で告げられたのはどちらとも言えない質問だった。


「え、あ、それは…」

「あ、いや違うの!攻めてるんじゃないのっ」

いや、攻められてもしかたない。


「香水と化粧で、もしかしてって思って」

先ほど結城の顔を触っていたのは確認のためだった。


「顔も整ってるし、本当にあの子の彼女なのかな、って」

「私は…」

母は一切笑顔を崩さない。

怪しんでいるという雰囲気でもない。


「ありがとうね」

「…え?」

「本人は気づいてないかもだけど、あの子最近楽しそうな声をするの」

「佐々木、君が…?」

「それってきっとあなたのおかげだよね」


心が引き裂かれそうなほど苦しくなった。

もし自分の息子がバツゲームの相手だと知ったらどう思うだろうか。


  「まさか飯お前が作ってるとは言わねぇよな?」

  「…あはは」

  「マジかよ!家事すんのかよ、キモッ!!」

付き合い始めの時に結城が吐いた残酷な言葉が脳裏を過ぎる。

正志の家にやってきたのも、ネタになるからなんていうくだらない理由。

手が震え、涙が出そうになる。


「本当にありがとう」

きっと自分が重荷になっていることを理解しているのだろう。

息子を縛り付けてしまっているからこそ結城に感謝をしたのだ。


「…いえ」

それが必死で出せた言葉だった。



その後はお互い何も言わずに家へと戻った。

正志の作ったご飯を食べ、彼のオタク地味た部屋に入る。


「んじゃこの辺借りてくぞ」

「あ、はい、どうぞ!それ傑作ですから!…あっ」

「サンキュ」

「え、あ…あれ?」

思わずテンションが上がってしまった正志はいつものあの台詞が飛んでくるのかと思い身構えていた。

しかし結城は数冊の本を持って黙り込んでいた。



「あ、あのよ、佐々木」

「な、ななんですかっ?」

「その…前にさ…」

こんなにもはっきりとしない結城を見るのは初めてだった。

彼女の表情を見て、もしかしたら母のことだろう、と察することができた。


「よかったら感想聞かせてくださいね」

「ん…え?」

「それすごい面白いんで」

彼が指したのは結城の持つ小説本。

気を使ってくれたことを気が付かないほど空気の読めない女ではなかった。


「感想て、めんどくせぇなぁ」

「…あはは」

こういうことに慣れていない結城は彼の優しさに甘えるしかなかった。




それからも続いたバツゲーム。

正志は相変わらず浅木や安本からキモイというワードを連呼されている。

キモイと思っているからこそバツゲームにしたんだ。

結城がラノベに少しハマっているなんて知られたら大変なことになるだろう。

ギャル三人組は悪い評判が流れるばかりであった。



高校一年のクリスマス・イヴ。

さすがにイヴにキモオタと過ごさせるのは可哀想という話となり、正志に付き合わなくていいことになった。


「悪いが今日は結城と過ごせませーん」

「キモオタは家でママとお食事でもしてな~」

正志のもとに浅木と安本が現れ、苦笑いを浮かべ小さな声でわかりましたと返す。

大笑いをしながら彼の背中をきつく叩いて二人は教室から出て行く。

その後を無言で付いていく結城。

当然の事だろう。

普段は強制的に正志に付き合わされている、だが許可が下りれば会話もしなくていいのだ。

それも理解した上で、彼は彼女たちが学校を去るまで自分の席で下を向いて時間を潰した。




ギャル達はやはり街でも目立つ存在だった。

ナンパをしてくる男達をバカにして追い払ったり、そのへんの店に入って冷やかしをしたり。



「なぁなぁ、三田がキモオタと付き合ってるってホント?」

街を歩いていると中学時代の男子達と出会い、カラオケボックスへと入ることになった。


「あぁ?それが何?」

「マジかよっ、キモオタの彼女してんの?マジウケんだけど!」

隣に座った男が馴れ馴れしく話しかけてくる。


「いやいや、バツゲームに決まってんじゃない」

「あと二日の我慢よねぇ~」

言い訳のしない結城の変わりに、成り行きを説明する浅木と安本。


「二学期の間キモオタと過ごすとか、マジキチガイだな三田っ」

「息ハァハァしながら人形と遊んでんだろ、あいつら」

「え~それマジきもいっ」

盛り上がっているのは名前も忘れた男子共と連れの二人。

すでに結城のイライラは頂点に達していた。


「浅木、安本ごめん、帰るわ」

「は?アンタ何言ってんの?」

「そういえばアタシ、こいつら嫌いなんだったわ」

「ちょ…結城!」

カラオケボックスに入って、たった5分で出たのは初めてだった。



簡単に友達の二人に謝りのメッセージを入れておく。

冬の空はすでに暗かった。

思ったよりも寒かったためカバンに入れていたマフラーを取り出した。


クリスマスに一人になるのは初めてだった。

足を止めて空を見上げると、かすかに雪が降っていることに気が付いた。


「しょーがない」

誰にも聞こえないように呟いて彼女は歩き出した。




「え、み…三田さん?」

「よぉ」

彼女が訪れたのはバツゲームの彼氏の家だった。

すでに彼は私服に着替えていた。


「ど、どうして?浅木さん達と一緒にいたんじゃ…」

「あ~なんかつまんねぇから抜けてきた」

「ええ!?」

その言葉に偽りはない。

正直言って楽しいと思えなかった。


「あ、じゃ…じゃあ入りますか?ご飯食べますか?」

「いや、いいや」

結城は先ほど買った物をカバンから取り出して彼に渡す。

包装してもらっていない、透明のビニールに入った安物のネックレス。


「…くれるんですか?」

「ちったぁ身の回り気にしろよ、キモオタ」

「ありがとうございます」

適当に選んだため、できればあまり頭を下げないでほしい結城だった。


「あ、ちょっと待っててください!」

大きな声で彼女を引き止めて家の中に戻る正志。

外からでもわかる彼の慌てよう。


「お待たせしました、どうぞ!」

「…あ?」

渡されたのはクリスマス柄の可愛く包装された小さな袋。


「なんだよ、これ」

「えっと、前に髪が鬱陶しいって言ってたので…髪留めを…」

彼は事前に用意していたんだ。

言葉を失った結城はじっと受け取った物を見つめていた。


「すみません、安物なんですが…」

「…はは」

正志が慣れない店に入り、挙動不審になりながら悩んでいる姿が想像できた。

金目の物をもらったことなんて何度もあった。

ただ、

こんなにも心がこもった物をもらったのは初めてだった。


「どうせダサいんだろうけど、しょうがないから受け取っといてやるよ」

「ありがとうございます」

「それじゃ」

「あ、三田さん」

「あ?」

髪留めをポケットにしまってその場を去ろうとした結城を呼び止める。


「ありがとうございました」

「いや、だからさっき聞いたって」

鼻で笑いながら歩き出す。


退屈なクリスマスも悪くないな、と見上げながら結城は家へと向かって行った。





「ちょー結城、昨日感じ悪いって」

「悪いって言ってんじゃん」

朝、教室で浅木に昨日の文句を言われる結城。

足で椅子を引いて、マフラーを外して席に座る。


「さてさて、明日が待ちに待った最終日ですねぇ」

前の席の安本がうれしそうに話しかけてくる。


「いやぁほんっと楽しませてもらった~きゃはは!」

「キモオタが別れたくない~って言うかもよ!」

「マジきもい~!」

何がそんなにも面白いのか、結城は会話に入っていけず彼の席に視線を向ける。

と同時にチャイムがなる、が正志はまだ来ていなかった。



「おーい席につけー」

担任が入ってきて、騒いでいる生徒達を席につかせる。

いつも思うがこの教師、やる気がなさすぎである。


「あ、そうだ、佐々木は転校したからな~」

教室中の生徒が彼の席に注目した。


―――は?転校?ちょっとまて。

何も聞かされていなかった彼女は昨日の事を思い出してやっと理解した。

そうか、あのありがとうはそういう意味だったのか、と。

不自由な母のための転校なのかもしれない。

あの男のことだ、こちらに気を使って言わなかったのだろう。




「あ~もうマジつまんね、あのキモオタ」

夜の街をいつものメンバーで歩いていると唐突に浅木が呟いた。


―――その通りだ。

からかう奴がいなくなっただけ。

少し早いが、またいつもの生活に戻れるのだ。


―――戻るって?


「一生影が薄いままだろうねアイツ」

安本の言うように、おそらく正志はこれからも存在感が薄いままだろう。


「あんなゴミのことはほっといて、男呼ぼうよ」

「いいねぇ!ランダムで選ぼう!」

ゴミ、という発言で結城は足を止めた。


彼と秋葉原へ行った。

思ったよりもラノベが面白いことを知った。

バットを構えた情けない姿で大笑いした。

母を看病する優しさを見た。

贈り物をもらって初めて嬉しいと感じた。


―――生まれて初めて本気の恋をしていた。



「結城誰呼ぶ?」

「悪いけどもういいや」

真剣な表情を浅木と安本に向ける。


「アンタらとはこれっきりにするわ」

「は?何言ってんの?」

二人は結城を睨む。


「まだゴミといる方が楽しいわ」

いくら説明しようが彼女たちには理解できないこと。

そのゴミの良さは同じ立場に立ってやっと気付くんだ。


「それと」

背中を向けて浅木と安本に最後の言葉を送る。


「アタシ、音痴でよかったわ」

呼び止められることもなく、結城は走り出した。



走って、黙っていなくなった彼のところへと向かった。

何度も足がもつれそうになった。

体育の授業をもっとちゃんと受けておけばよかった。

スカートを短くするんじゃなかった。


格好つけて、ナメられないように乱暴な口調を使って生きてきた。

彼には数え切れないくらいの暴言も吐いた。


―――なのにアイツはありがとうって言った。

そして彼は何も悪くないのに、何度も同じ台詞を口にしていた。



「…え?」

昨日ここに来たときは明るかった。

家の明かりが全く点いていない。

インドア派の正志がこんな時間にいないわけがない。


周りを見渡すと、昨日まであった表札がないことに気がついた。

正志は今日引っ越したのだ。


力が抜けてその場に座り込む。

今朝、担任に告げられたときに飛び出していれば間に合ったんだ。


「…ざけんなよ…」

勝手に涙があふれ出てくる。


「…何がありがとうだ」

何度も何度も地面を殴った。


「…何がごめんなさいだ」

癖になっている彼の謝罪。


「アタシ…一度もアンタに謝れてないじゃんかよぉ…」

ひどいことをした本人がいくら反省してもその思いはもう届かない。


この時結城は人生で最大の後悔を味わった。








桜舞う季節。

やっとこの田舎町にも慣れてきて、彼は二年に上がった。

こっちに来てからは毎日ちゃんと髪をセットするようにしていた。

わざとネクタイをゆるめに締めたりして情けない自分を見せないように努力をした。

それは誰でもない、結城に身の回りを気にしろと言われたからである。

朝は軽い挨拶をして、誰とでも会話ができるように頑張っている。

結構女子からは人気があると聞いた時には彼自身驚いた。


「佐々木君、おはよ~」

「ん、おはよー」

新しいクラスに足を踏み入れると一年の時に同じクラスだった女子が元気よく手を振る。

黒板に書かれてある通り、窓側の一番後ろの席に座りカバンを横にかける。

一応彼はこの学校ではオタクを隠している。


周囲に眼をやると改めて思う。

田舎町というのは校則を破る生徒っていないんだな、と。


外に視線を向けると沢山の桜が舞っていた。

新しく部活でも入ろうか、と柄にもないことを考えたりした。



「おはよー皆!今年は私が担任よ!」

チャイムが鳴り、元気良く教室に入ってくる教師。

前いた学校のあのやる気のない担任とは大違いだ。


「そしてぇ!」

新しい担任の後ろを付いて現れた女子。

真っ黒の長い髪を後ろで結んだその女子はゆっくりと黒板に文字を書き始める。


「今日からお世話になります三田結城です、皆さんよろしくお願いします」


開けていた窓の外から大きく風が流れ込んできた。

誰も彼女を見て驚いたりはしない。

お調子者の男子が喜びの雄たけびをあげているくらいだ。


髪の色が違っていても、化粧をしていなくてもわかる。

服装も乱さずに姿勢を伸ばして立つ彼女は…。


「それじゃ、あそこの席、佐々木君の横に座ってね」

「はい、わかりました」

担任が指したのは正志の隣だった。


ゆっくりと姿勢を崩さずに静かな足音で向かってくる。

ふわりと髪がなびいた時に見えた見覚えのある髪留め。


横に立った彼女はゆっくりと身体を正志の方へ向ける。

人差し指を口元に当て、眩しい笑顔で彼女は小さく呟いた。



「初めまして、佐々木君」

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二学期の恋人 @hiroma01

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