第4話「死神という事」
血だらけの大男が真っ当な存在ではない事は明白だった。
霊――冥府が怖れる自体だ。
寿命や
死神を撃退した霊かと考えるよりも前に、八頭は動いた。
「!」
風を伴って振るわれた拳は、有り得ないスピードと重さを有していたのだから、考えてから動いたのでは、八頭の頭は朱に染まっていただろう。
考える前に動いたとはいえ、前進しながら
いや、八頭は十分な勝機を持って前進した。
拳の軌道が弧である事を直感したのである。
八頭は
殴るのには向かない刀であるが、霊に触れた時に限って言えば劇的な威力を発揮する。
霊を覆っているプラスの衣は、マイナスの性質を持つ武器で打ち消す事ができるからだ。
最も分かり易いのが電荷であり、樹脂はマイナスの電荷を帯びる性質を持つ。
樹脂の刀でも霊の衣を両断、
「何だぁ!?」
霊を見る事のできないシェフと助手が、運んできたカートがひっくり返った衝撃に顔を
――今は遮二無二、前だ!
考えている場合ではないと目を見開く八頭に、少し遅れてアズマの悲鳴が飛んでいく。
「八頭さん!」
アズマの声は警告だ。
ふわふわと宙に浮く霊が姿を見せ、しかもそれらはエレベータが開く瞬間を狙ってきた人型ではなくコウモリや鳥の姿を取っている。
走り抜けながら刀を振り抜く八頭だが、物理的法則に支配されていない霊に対し、刀の術理は万能ではない。銃があればとも思うのだが、貫通や両断――内と外を武器によって繋げる事が条件であるだけに、銃は有効な武器ではなかった。
刀を横薙ぎに振うと、どうしても切り返しが弧を描くようになってしまい、速度が犠牲になる。八頭が身に着けている技術は、剣道や剣術ではなく、活劇の
鈍るスピードが一割程度だったとしても、鳥の霊にとっては止まっているに等しい。
討ち漏らした霊は八頭に苦痛の悲鳴をあげさせる。
「
霊が接触した痛みは、電流を流されたような衝撃だった。顔を顰める程度では済まず、身体を硬直させてしまえば攻撃する手が止まってしまう。
それでも刀を持つ手に力を入れ直し、振るう。
――大丈夫、チャンスなんだ!
それでも刀を振るう八頭は、ただ祈るように繰り返しているのではない。
霊との乱闘は、警備員たちにとっては怪現象のオンパレード。
――出てくるしかねェだろ!
VIPルームに報告するしかないという、八頭が心中で繰り返している言葉は逃避から来る無根拠の祈りではない。こういう場合は電話や無線よりも、口頭に限ると確信してのもの。
早くしろとは思うが。
「あ、あーうー……」
アズマも参戦しようかと迷った顔をするのだが、八頭は戦いながらも目配せした。
――大丈夫。心配するな!
アズマの性格が戦いに向かない事くらい心得ている。人に対しても霊に対しても、アズマは攻撃を加える事ができない。
「確認に走れ!」
その時、警備員の一人が廊下の奥を指差したのが見えた。
確認――宣告相手を護る女呪術師の元へ行けと告げたに違いない。
一も二もなく、八頭は走った。
八頭が見えていない警備員はドアを開ける。
それを追う八頭であったが、その視界に足を止めそうになる霊が。
「う、牛!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまったのは、廊下に収まりきっているのが不思議な程の巨体を見つけたからだ。
1トンクラスの牛――牛相撲の横綱級だ。
――駆け抜けながら斬る? 無理だろ!
刀を水平に構えた八頭だったが、それで牛を貫き通すには心許ない。
牛が後ろ足で地面を掻く仕草を始めた。突進する気だ。
――眉間を斬るか?
自我のあった頭と、心のあった胸だけは霊になっても急所だ。
だが一瞬でも逡巡してしまっては、闘牛の突進には対処できない。
「ぎ――」
八頭は悲鳴すら出せず、吹き飛ばされた。
その視界に入ってくる女がいる。
呪術師だ。
浮かべている冷笑は、この牛こそが死神を撃退した霊だと告げていた。
――無駄な努力の末、消え去りなさい。
冷ややかな視線の先で、八頭は辛うじて剣を振るったが眉間を割るには程遠かった。それでも霊を護る衣を切り裂く程度はできたのだが、致命的ではない。
「が……げ……」
立たなければと身体を起こす八頭は、それが精一杯で足に伝えられる力が不在だった。
牛は、また後ろ足で地面を擦る仕草を見せる。八頭も見えているのだが、立てないのでは刀を構えられず、どうしようもない。
――この任務中、あなたの身に何があろうと、冥府は何も関知しません。
死神のセリフが耳に蘇る。
ここで死んだとしても、生き返れる訳ではない。
牛が走りだそうとする動きが、いやにスローモーションに見えた。それは死に瀕していると言う事でもある。
「八頭さん!」
そこへ青白い光が飛んでいった。
稲妻だ。
「!?」
女呪術師も目を剥かされる稲妻は、それこそ霊の弱点であるマイナスエネルギーの塊。強烈な稲妻は、女呪術師に一つの事実を突きつける。
――雷獣じゃない……あの子、雷神の、子供……。
この世に関わってはならない摂理の中にいる存在であるからこそ、今まで――人が霊に殺される瞬間まで、無意識のうちに手を出せずにいたのだ。
そして、勝負は決した。
廊下で荒れ狂う稲妻は、電気的な設備を破壊して回ったのだ。
「チッ」
舌打ちしながら女呪術師が姿を消す。もう八頭の正体を暴いたとしても、警備に穴が開いてしまう。
***
機能が停止してしまった病室に、身体を引き摺りながら八頭が入ってくる。
「……」
老婆の目に八頭が映るのは、死期が来ているからだ。
時刻を確認すると、午前2時40分。
「帰れ……出て行け……」
老婆が怯えた目を向けながら、不自由な身体で身じろぎする。
八頭も思わず足を止めてしまうが、
――いや、ダメだ。
同情してはならない。それは禁じられている。
いいにくい言葉はあるが――、
「死は、平等です」
八頭に代わっていったのは、死神。八頭が到着した事で、部屋に入ってこられたのだった。
白いスーツ姿の女を死神だと認識できる程度に死期が迫っている老婆は繰り返す。
「まだ……しなければならない事がある……。終わっていない……」
「親類の涙に囲まれて、恋人を残して、或いは誰にも看取られない者にも、死は平等」
それに対し、死神は首を横に振った。
「もう終わったのです」
その一言は、何とも残酷だった。
誰も見守っていない場所で、この老婆は死ぬのだ。
「――」
何かをいおうとしたが、時計が2時44分を指した時、老婆は静かに目を閉じさせられた。
「ご苦労様」
死神は八頭を一瞥した。
やるせない顔をしていたが、それも考慮しない。
ただ慣れろと言う事か。
***
アパートへ戻れたのは、結局、朝になってからだった。
死を告げる事は、どうしても慣れない。
あの老婆の最期を見ては、トボトボとしか歩けないではないか。
だが
「あらー、八頭君!」
手を振りながら駆けてくるのは、いつもの老婦人。
「ウサちゃんも一緒? 今朝もおイモをレンジでチンしたの。いかが? ウサちゃんと一つずつ」
紙袋から焼きイモを出そうとするが、八頭は片手を上げ、
「?」
首を傾げる老婦人。
八頭は笑顔を作りながら、
「一つでいいですよ。半分こして食べると、
「あらあら、そうね。はい、半分こ」
熱々をアズマと一緒に
――おいしいね!
アズマの目が告げていた。
死は平等にやってくるが、慣れない。
それでも続けていこうと言う気だけは保ててくれる。
「約束した日から、まだ3年も経ってないしな」
八頭が非正規の死神を引き継いだ理由。
若くして死んだ恋人の、最期の言葉だった。
――理不尽な事が多い仕事だけど、必要な時もあるから……。
正確に覚えている訳ではない事に、八頭は苦笑いさせられる。死神が見取れなかった者は、昨夜、八頭の前に立ちはだかった血だらけの男と同様、呪術師によって奴隷のように扱われる。そんな霊に狙われる人間もいる。
――やらなきゃな。
義務感は、彼女が残した言葉の内、一言だけであるがハッキリと覚えている言葉があるからだ。
――二人で食べるから美味しい。
一緒におやつを食べる度に、彼女が言ってくれた言葉。
――おいしいね!
そして今もいってくれるアズマがいるから、続けられる。辞めるに辞められないのではない。
雷神の隣人は、非正規の死神 玉椿 沢 @zero-sum
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