第3話「深夜病棟」
その病院は、街の中心部から若干、離れた場所にある。中心地の騒がしさから隔離し、同時に交通の便を確保するよう計算されて建てられたからだ。
しかし「病院」とは名ばかりという事は、存在を知っている者にとっては常識である。
最上階ともなると、設備の面ではスィートルーム顔負け。
ベッドルーム44畳、ミーティングルーム28畳という広さを持つ病室では、派手な身なりの女が腕組みをして、2メートル角のベッドに横たわっている
その老婆こそが、死神から告知を受ける相手であり、見遣っている女が死神を撃退した存在だ。
「死神は、引き潮と共にやってきます」
女がスマートフォンを見た。現在時刻も干潮時刻も、それだけで事足りる。
「次の干潮は3時前。それ乗り越えられれば明日までは大丈夫」
ひゅーひゅーと肩で息をしている老婆の顔色は、相当、悪い。「死神に取り憑かれている顔」があるならば、この老婆の顔こそがそれだ。
それでもベッドの背を起こし、サイドテーブルに載っているブドウに手を伸ばしては、忙しなく口元へ運んでいるのだから、まだまだ死ぬ気などない。
「頼むぞ」
ブドウを口に含んだまま
「はい。決して安くない金額をいただいていますから」
笑みを浮かべた女は、婆の前を辞する前に一礼し、隣接するミーティングルームに向かう。
視線を一巡させたテーブルに並べられているおどろおどろしい道具は、どう使うのかは本人にしか分からない。
しかし金箔を貼ったドクロや毒虫を使う仕事と言えば、想像に易い。
呪術師。
死神の迎撃を依頼するには、最もポピュラーな存在だった。
机に並べられている品々の配置を見直した後、蝋燭と
黒い革張りの本を片手に何事かを唱えれば、香から立ち上る煙が、ゆっくりと渦を描き始める。
「――」
女呪術師が口にした呪文は、文字では表記しがたい。秘儀に含まれるものであるからか、他者が明確に聞き取れる声にしないのが女呪術師の流儀だった。
その呪文によって、蝋燭の炎によってオレンジに染められていた香の煙が徐々に暗い青へと変わっていく。
青から藍色、そして紫へと変わり、最後に黒く染まった所で、女呪術師はまるで上着でも掛けるかのように手を振った。
その手の動きに合わせるかのように、宙に人形が結ばれる。
霊が出現したのだ。
死神が持っていた衣と似たものが、女呪術師が振るった手にある。包み込む事で、本来、風に溶けてしまう程、存在が虚ろである霊を実体化させる場を作ったのだ。空気や人の肌、木と同じくプラスのエネルギーで包む事によって霊――虚を正負の存在にしている。
「さ、配置に就きなさい」
女呪術師の言葉に従い、霊が動いていく。
***
――最上階のVIPルームに繋がっているルートは、地下駐車場からの直通エレベータのみ。その地下への入り口には警備員がいて、ドアの開閉は病室からの指示で行われる。当然、病室前の廊下にも警備員はいる。
夕食代わりの焼きイモを
正規ルートを使う方法は自分で考えろといわれていたならば、八頭も今夜、宣告に行く事は不可能だった。
しかし資料には、その正規ルートを使える可能性がある情報も記載されている。
――最上階専用の厨房か。食材の納入記録……。
老婆が食べていたブドウなどは、それこそ保存されているものなど出されない。果物にせよ野菜にせよ、
つまり食材の搬入は、日に何度も行われる。
――こんな冷えたイモなんか、絶対、食べないんだろうな。
そう思う八頭であるが、自分の食生活が貧しいと思った事はない。冷えていても、これはアズマを褒めた老婦人がくれたものだ。不味いはずがない。
「そこを狙う?」
ペロリと焼きイモを平らげた八頭に、アズマが問いかけた。
「ああ、そうするしかない」
焼きイモを持っていた手に武器を持ち替え、八頭は地下へ入ってくる通路へ目を光らせた。食材は選別から運送まで、シェフと助手が二人で行っている。手間は増えるが、増員できないからだ。信頼できる人材とは、それ程までに得がたい。
時計は気にしないようにしていた。時間厳守といわれているが、それを気にして見逃しては堪らない。
「!」
地下駐車場を照らすライトが来る。
――トラックだ!
そのトラックに紛れ込め、と立ち上がる八頭だったが、タイミングを狙っていたのは八頭だけではなかった。
「待って!」
アズマが止めなければ、八頭は飛び込んでいただろう。
「!?」
シェフと助手に向けてフラッシュが焚かれた。
パパラッチだ。
八頭の隠れ蓑は写真に弱い。心霊写真のように映ってしまう事がある。
――命拾いした!
思わず出そうになった声を噛み殺した八頭の眼前で、トラックの窓から大柄な男が怒鳴り声をあげた。
「何だ、お前は!」
シェフが怒鳴って退散させたパパラッチは、いつもの事だ。ここに入院する患者は、皆、
「全く……。ハイエナが」
そしていつもの事であるから、警備員もシェフも退散した者など気に止めない。そもそも警備は万全だ。ホテルに食材が運び込まれる程度の事ならば激写といえまい。
――ああ、心臓に悪い……。
カートを押す二人に交じってエレベータに乗った八頭は、早鐘を打つ心臓に手を当てていた。面倒ごとはご免だ。
――到着まで我慢だ。
最上階と地下しか結んでいない専用エレベータは、浮遊感を楽しめるくらい高速である。
到着音は普通と変わらなかった。
だが扉が開いた先で見たものは、八頭とシェフとで違っていたはずだ。
シェフと助手は平気で出て行くが、八頭は息を呑まされる。
「ッ!?」
八頭に見えて、他の二人に見えなかったのは、拳を振り上げた血だらけの大男だった。
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