第2話「非正規のお仕事」
さて、非正規の死神が何をしているかと言うと――、
「お前、自分の事、どう思ってる?」
喫煙のために隔離されたスペースで、
「いいから。どう思ってる?」
上司の声が
「……劣等だと、思っています……」
消え入りそうな小声を震わせた八頭に対し、「何?」と聞き返さなかった事が、
しかし、この無人の喫煙所に呼び出したのは、その一言をいわせるためだった。
自分は劣等です――決していわせてはならない一言を。
それをいわせた男に上司である資格があるのかどうかは、
「そうだな」
フンッと強く鼻を鳴らした上司は……、
「休む事ばっかり考えずに必死になれ! 携帯を見る暇があるんなら仕事を少しは探せ!」
最後の怒鳴り声は、八頭も相当、
――見ないと、死神の仕事が入ってきたのを確認できないんだよ……。
スマートフォンに送られてきたメッセージを確認した事が、この上司の逆鱗に触れたのだった。普段から、非正規の死神である事を優先して有給休暇を取っているのも、上司に嫌われる遠因ではあるが。
この職場がブラックかホワイトかといわれれば、判断に困るところだろう。自由に有休が取れるのはホワイトであるが、この上司の存在はブラックだ。
幸運といえば、八頭はそういう事を考え続けなくてもいいという所か。
――行かなきゃな。
そして幸いといえばもう一つ、今日は有給休暇を使う必要はない事。
***
「ただいま」
八頭がアパートの玄関を開けると、居室から飛び跳ねながらウサギが出てくる。立派な
だが眼前に出て来た者に関していえば、ウサギではない。
「おかえりー!」
言葉を発していた。
ぴょんぴょんと八頭の周りを飛び跳ねる彼の頭へ、八頭は買い物袋を持っていない方の手を伸ばした。
「ただいま、アズマ」
頭を撫でる手に軽くパチッと静電気が走ったのは、アズマが雷獣と言う存在だからだ。
「いい匂いがするな。何か食べた?」
居室であるLDKに入ると、テーブルの上に焼き芋が乗った皿がある。
皿へと視線を向けた八頭に対し、アズマは胸を張るように背を反らせて見せる。
「隣のおばちゃんにもらった。ウサちゃん、お留守番して偉いねって」
八頭の部屋はペット可の物件の一階で、庭へ出入りは自由な物件だった。植え込みの向こうは生活道路で、時々、アズマにおやつをくれる老婦人が散歩しているのが見える。
その人からもらったのだなと想像がつく八頭は、もう一度、アズマの頭に手を伸ばす。
「お礼をいわないとな」
八頭も顔見知りの相手だった。子供も独立し、安アパートではあるものの悠々自適の生活だよと、よく笑う女性で、老婦人というよりも「おばあちゃん」と言う言葉がよく似合う人である。
アズマが胸を張るのは、皿に載っている焼きイモが一人分にしては多いから。
「半分こしよう。八頭さんの分ね」
その一言に気分を良くする八頭であるが、鞄の中で鳴動したスマートフォンによって現実に引き戻されてしまう。
「おっと、晩ご飯、早くしようか。来客があるんだ」
買い物袋をキッチンに置き、冷蔵庫から茶を出したところで、インターフォンが鳴らされた。
来客だ。
カメラ付きのインターフォンを見ると、外には老婦人と同じく顔を思い出せる程度の知り合いがいる。
昼間、
「はい」
一言、告げた八頭は、返事を待たずに玄関へ急ぐ。
「帰宅したばかりで、散らかっていますけど」
八頭は気を遣ったつもりだったが、嫌みになっていたとLDKへ案内しながら思った。2LDKは独り身の八頭には十分すぎる程、広いが、物が多い。整理しなければすぐに散らかる上に、生来の
ただ八頭は嫌味になったかと思っていても、女死神に嫌な顔はない。
「私も急ぎましたから、大丈夫ですよ」
愛想笑いも同様だが。
無表情のままダイニングチェアに腰掛けた死神へ、冷蔵庫から出したばかりの茶を入れたグラスを「どうぞ」と差し出す八頭であったが、死神は片手を上げて謝辞を示す。
「いや、結構です」
用件を早く済ませたいのだ。
その理由は――、
「今日の昼過ぎ、宣告に向かった死神が消えました」
「昼過ぎ……?」
慌てて周囲を見回す八頭だったが、死神がスッと探し物を差し出した。
毎日の満潮と干潮の時刻を記しているものであり、これが意外と死神には必携の物となっている。
「今日の干潮は12時57分でした。次は翌日の午前2時44分」
干潮時刻を重要視するのは、その時刻こそが死を告げるタイミングだからだ。
その12時57分が丁度、宣告に向かったまま消息を絶ってしまった者がいる、と連絡を受けた時刻である。
「撃退された可能性があります」
「いたんですね、そういう人」
八頭はウンザリした顔をした。死神さえ来なければ死ぬ事はない――理屈としては正しいのかも知れないが、それを実行できる者は希だ。
金持ちか、それに類する特殊な者しか、講じられない特別な手段だ。希有な事態だと八頭は苦笑いしてみせる。
――希な事態だから、対応は非正規か。
自嘲しつつ八頭が見遣る女は、流石に無手で行けとはいわない。
「隠れ
死神が肩に掛けていた鞄を押しやった。
中身は今日、見送った老爺にかけていた、限りなく透明に近い布であるが、性質は異なる。
隠れ蓑の名の通り、羽織る者の姿を隠してしまうものだ。
「無茶はしないで下さい。万能ではないですよ」
死神を撃退できる存在なのだから、隠れていても見つけられる。
「では」
そして正規職員である死神は、用件を話しただけで席を立つ。友達の部屋に来た訳ではない。
ただし玄関を出て行く寸前に、一言、付け加える。
「仕事は時間厳守。そして、この任務中、あなたの身に何があろうと、冥府は何も関知しません」
非正規職に、身分の保障などはない。
「はい」
八頭も言葉短く死神を見送った。
そして玄関のドアがアパート特有の重い音を立てると同時に吐いた深い溜息は、アズマに心配そうな顔を上げさせる。
「気が重い?」
曲がり形にも神と呼ばれる存在を撃退できるのだから、それ相応の能力を持っている。非正規の八頭は、あくまでも人間だ。
死神から支給される道具も、渡された鞄の中身が全てである。
今回も武器はない。
八頭の溜息はいよいよ深くなる。
「うん、まぁ……辞めていいなら、辞めるけどな」
八頭の答えは中途半端だ。辞めるに辞められない理由がある。ただし
――午前3時前か。
それまでに対象者の眼前に立たなければ宣告ができない。
パンッと一度、両頬を叩く八頭は、腹を
クローゼットに納めてある自前の武器は、アズマが首を傾げるくらいには心許ない。
「大丈夫?」
模造刀とすら呼べない、樹脂製の刀身を持つおもちゃだ。
ただ八頭は笑い飛ばす。
「何とかなる」
いつもの事だ。樹脂製の刀は人を殴るには向かないが、それだけだ、と。
「新しい樹脂に変えた」
「インターネットで、法具とか刀も売ってるよ?」
ちゃんとしたものを持つ方が良いのではないか、とアズマにいわれても、八頭の答えはいつも同じ。
「金がねェよ」
いつもの事と八頭が繰り返すのも、《いつもの事》。
「晩ご飯は……このおイモにしよう。出かけてくる」
死神から支給された隠れ蓑とおもちゃの刀は片手に纏めて持つ八頭は、アズマがもらってきた焼きイモだけは丁寧に持ち、部屋を出た。
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