雷神の隣人は、非正規の死神

玉椿 沢

第1話「蒼天に葬列」

 きょじつ


 せい


 いんよう


 全て対比される字を続けたものであるが、この中で唯一、「虚」だけがだ。


 負の数、正の数は存在するが、虚数は概念しか存在しない。


 虚偽きょぎとは、うそ


 そもそも「きょ」を「うつろ」と読めば、何もない事を意味する。



 うつろとは即ち、「存在しないもの」――。



 故に、この世に存在する事を許されない存在も、うつろでなければならない。



***



 蒼天に、長い葬列そうれつ


 初夏へと向かうある日、葬儀場に集まる黒一色の人々が。


 親戚一同が整列する中で、出棺しゅっかんの時間である。


「……」


 そんな列から離れたところに、喪服ではない白いスーツの女と老爺ろうやが立っていた。老爺の姿は白装束であるから、彼は明らかにこの世の者ではない。当然、女も。


 女は並んで立っている老爺の顔と、葬列とに視線を往復させ、


「よろしいですか? 未練はありませんか?」


 霊柩車の発車に合わせ、女が老爺に声をかけた。


「そうだね。でも、ちょっと待ってくれ」


 老爺は女に一礼すると、ゆっくりと国道へ出て行く霊柩車を見守る子供に近寄る。


 小学校の制服を着た男の子は、ぎゅっと牛のぬいぐるみを抱きしめながら、真っ赤になった目を霊柩車へと向けていた。


 孫へと老爺は呼びかける。


「たぁくん」


 その声は、孫には聞こえない。しかし精一杯、優しい声――孫が大好きだった祖父の声――で呼びかけた。


「お祖父ちゃん、行くからね。たぁくんは賢いし優しい。きっと偉くなる。うんと勉強しなよ。元気でね」


 触れられない手を伸ばして頭を撫でるように動かしながら、届かない言葉を口にする老爺。


 孫にどんな顔を向けたかは、女からも分からない。


 ただ牛のぬいぐるみを抱えた男の子は祖父に背を向けると、すくっと立ち上がって母親らしき女の方へ歩いてきた。


 声は届かずとも気持ちは伝わったのかも知れないと思うからこそ、女の表情も柔和になる。


「もういいですか?」


 柔らかくなった女の声に老爺が振り向く。


「はい。いいよ、もう」


 とはいえ、老爺の意識が向けられているのは家族の方であり、だから女はもう一言、付け足す。


「未練はありませんか?」


 かけられた言葉は同じ事ような事であったが、老爺は女と顔を向けると、


「あるよ」


 老爺は否定しない。


「孫の成長を見たいと思う。これから中学、高校、大学、就職、結婚……見られるなら見たい」


 断ち切りがたい未練だ。


「でも、だからってこの世に留まりたいとは思わない。あの子は優しくて、賢い。わしの死をいつまでも悲しんでいるはずがない。乗り越えて、もっと強くなる。絶対、偉くなるよ。確信してるから、儂はこの世に残る理由がない」


 未練はあっても悔いはないのだという言葉が、女に笑みを浮かべさせる。


「そうですか」


 これ以上にない回答を得たと、女の笑顔が告げていた。


「神も仏も命の摂理を曲げない理由の一つが、人は親しい者の死を乗り越えて強くなれるからです。しっかり育てられたのですね」


「うん、うん」


 満足そうに頷く老爺へ、女はスッと手を伸ばす。


「では、よき旅立ちでありますように」


 そしてテーブルクロスでも引き抜くようなジェスチャーをすると、手の中に限りなく透明に近い布が握られていた。


 その布が引きがされると、老爺の姿は風に溶けてしまったかのように消えてしまう。


 遺族の車が次々と発車していく中で、女はスーツのポケットから携帯電話を取り出す。


「……予定通りです」


 布を折り畳んで持ち直しながら、女は携帯電話に向かった事務的な口調で続けた。


「はい、予定通り、そちらへ旅立ちました。はい」


 老爺と並んで立ち、見えない姿を見て、聞こえない声を聞いていた女と、この女の仲間たちを指して、我々はこう言う。



 ――と。



 電話の先に繋がっているのは彼女の上司だ。


 その内容は、女の顔を曇らせた。


「では、今夜。いつもの通り、派遣を」


 深刻な顔をしつつ電話を切った女は、深く溜息を吐きながら駐車場に停めてあった軽自動車を発車させた。



***



 死神とは冥府に属する


 今日、女が出向いたような、ちゃんとした葬儀に出される者を冥府へと導くのは楽な仕事である。



 厄介なのは、死を告げに行く事。



 どのような状況であれ、死を素直に受け入れられる者は少数派だ。


 故に希ではあるが、起きる。



 死神が撃退されてしまう事態だ。



 阻止する方法は様々であるが、一つ言えるのは、この世に生きる人間が、何らかの方法を講じたと言う事。そこらを漂っている霊は、戯れに手を貸したりしない。


 ――この世で起こった事は、この世で解決する事が摂理。怪力乱神かいりょくらんしんは、この世に相応しくない。


 死神と言う存在は怪力乱神に当たるのだが、だからこそこの世で力を自在に振るえない。


 本当に霊が戯れに助けたというのならば、死神も自らの力を行使するのだが、今はそうではない事態だ。



 故に、このような場合のみ、人間がの死神として派遣される。



 この世で起こった事ならば、この世に生きている人間が解決しなければならないからだ。


 軽自動車を走らせつつ、女は今夜、呼び出せる人員を思い出していた。

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