居候が鬱陶しいけど可愛いから困る

なむなむ

第1話 実家からやって来た居候

「ただいま~」


仕事でくたくたの体をふらふらさせながら一人の男が帰ってきた。

ドアが閉まる前に共有廊下の灯りから部屋のスイッチを素早く探し、透かさず押す。

パッと室内が明るくなると、体だけでなく身に纏っているスーツもくたくたの男は、リビングと玄関とを仕切る第二のドアに向かって声を掛けた。


雪姫ゆきひめ~」


「にゃあ」



第二のドアの向こうから、小さく可愛らしい返事があった。


「うにゃあ」


まただ。

このくたくたでふらふらの男でなければ、帰ってきた鳴き声に「お待たせ~」とデレデレしながらまた声を掛けるか、客であれば「猫飼ってるんですねえ」と言うことだろう。



しかしこの男は違った。


「俺の方が腹へったわ。いいよな、お前はいつも据え膳で」



男は確かにこの猫を飼っている。

正確にいうと、実家の猫を預かっている。

決していやいや飼っているわけではなく、愛想が尽きたという訳でもない。



この男、耳善みみよしつなぐは、動物の声が人語に聞こえるという特殊能力という名の唯一の特徴があった。何もかも平凡で、人混みに紛れたら見失ってしまうような、あるいはあちらこちらでこの男と遭遇した気になるような顔と姿を持つそんな男にとっては、活かせば取り柄とも言えよう。



二回の鳴き声は、つなぐにはこう聴こえていた。


「やっとか」「早う飯を」である。



もっと可愛い言い方ならデレデレしたかもしれない。


『待ってたあ★』『はやくごはんっ』など。



しかし現実は怪奇である。

猫の性格なのかは全く分からないが、言葉のチョイスがちょっとアレなのだ。






第二のドアを開けると、するりとよってくるふわっとした、まさに雪のような白いボディに、耳や脚先、顔の真ん中で焦げ茶の毛のアクセントが効いたターコイズブルーの美しい瞳を持つ猫、ラグドールが寄ってきた。


そしてまた一鳴き。




「下僕よ、我は待った。さあ早う飯を!」


「へいへい、少々お待ちを。」



最早つなぐも慣れたものである。

人間様を下僕扱いし、媚びるでもなく飯を要求するさまは女王様。


正面から見ると顔の大部分が焦げ茶の毛なので、『おこげ』と以前呼んだことがあったが、強烈な猫パンチが飛んできたため、それ以来ちゃんと雪姫と呼んでいる。その時点で既に、上下関係が構築されていたのだろう。



ネクタイに手を掛け、鞄をソファに置くと、キッチンへ向かう。

猫は餌の在処を知っている。

しかし、在処を知ったその日に戸を開けてフードの入った袋を破ってぶちまけたので、戸の取っ手に鍵を掛けた。自転車のタイヤにつけるワイヤーロックだ。

それからというもの、暫くはカリカリ引っ掻いていたが、やがて諦めて餌が出てくるのを待つようになった。いや、諦めた風の態度だ。

雪姫は女王様なので媚びない。

『下僕、腹が減った。早く用意しなさい』とのたもうた。

意地悪して自分の飯を先に用意したところ、敵意剥き出しの鳴き声を出しながらゆっくりと寄ってきて、また強烈な猫パンチである。むしろ何をしたら媚びるのか教えてほしい。


「たまには柔らか~いご飯が食べたいものよのう」

「………」

「下僕、まだか、遅いぞ」

「あー犬飼いたいな」



取っ手のロックを解除して戸を開くと、いつものお決まりのドライフードがそこにある。一応実家の母親指定の餌ではあるが、実家で買っているものよりは安物らしい。そして猫の話から、実家ではたまにウエットフードを与えていることが伺える。この家にそんなものはない。残念だったな。ついでにおやつもない。


容器に餌を注いでいる間にも食べようとすり寄ってくる。まだスーツを脱いでいないので、後でコロコロをかけなくてと思いながら、女王様なのに食い意地の張った行儀の悪い猫を鼻で笑った。

猫は餌に夢中でつなぐの意地の悪い笑いに気付かない。


「お前は餌の前だけ俺の下僕だよなあ。馬鹿にしたお返しに後で肉球いっぱい触ってやる。」


そう言って容器を床に置いた。待て、を知らない猫はがっつくように餌を貪る。その顔はちょっと狂暴で、でも無駄口を叩かず静かに食べるのでよしとしよう。


ふらっと立ち上がって隣の部屋にスーツを脱ぎに行く。部屋着に着替えてワイシャツを脱衣所に持っていく間も、ひたすら猫は食べている。


脱衣所から戻り、自分の分の晩飯を用意して、というより大体がレンジでチンで出来上がりなのだが、それをテーブルに持っていき、冷蔵庫へ飲み物を取りに向かった。



猫は容器をぺろぺろしている。あのちょっと狂暴そうな顔を引っ込めて、ひたすらにぺろぺろしている。



軽く忘れていた空腹が呼び覚まされた。


「めしー」


意味もなく声にしながらソファにどかっと座って、いつもお世話になっているレンチンご飯シリーズ『おふくろの優しい味』の肉じゃがと鮭セットを食べ始める。

空腹が紛れたところで、テレビのリモコンに手を出す。丁度良くバラエティ番組が映し出されたので、そのままとりあえずつけておくと、つなぐよりも番組に興味を示した猫が軽やかにテレビの前までやってくる。


前足をテレビに向かって伸ばす様は招き猫。


晩飯を全て食べ終わる頃、猫は声をあげた。


「こやつ、早すぎる!我の力では…」

「ん?」


映像は、メインで映し出された人物が素早く動いているところだった。ちょっとしゅんとしている。どうやらその人物の動きに対応しきれなかったようだ。……テレビ番組に敗北したらしい。


人間的にはくだらないと感じることも、猫にとってはそこそこ真剣で意味があったことだと考えると、なんだかしゅんとした猫が可愛く感じられる。


項垂れたまま方向転換をし、つなぐに寄ってきたかと思いきや、






「下僕、何か楽しいことしなさい」

「…………。」

「どうせ暇だろう?」
















前言撤回。

生意気だ。




つなぐは無視してテーブルの上を片付け始める。立ち上がってキッチンへ向かい、流しで箸など使ったものを洗い始めた。



「のう、のう、下僕~」


脚の間でうろうろスリスリしてくる。

作業が終わらないので、そのまま無視してみた。


「まだか~暇じゃ~」



洗剤泡を流して全て水切りかごに置くと、次にテーブルの上のゴミを片付ける。

猫は声を掛ける瞬間を探しているような目で見ている。



そして仕上げにテーブルを拭く頃、



「ちょっとだけなら…おなか…触ってもよいぞ…」











「………それで手を打ちましょう!」





つなぐは言質をとった。

ソファに座って招くと、猫はジャンプして膝の上にやってきた。こっちを見ている。つなぐは手を両脇に通して腹が上になるように引き寄せた。最後の最後に言ってしまった雪姫は、微妙そうな顔で、しかし大人しくしている。



完全にごろんとさせると、後はこっちのもの。

思う存分お腹を撫でて肉球を触ってやる。













あー毛のもふもふ具合が堪らない!!!

のどもゴロゴロ言わせて、もう片方の手で肉球を押す。

もうなんて最高なんだ!!どうせ俺より美容室行ってるんだろ!俺より高い金額でシャンプーしてんだろ!!俺より定期的に病院行きやがって!でも全て俺の金ではない!!!!すーはーすーはーあー最高!!!!!!雪姫マジ可愛い!!!!!









……つなぐはなんだかんだ言って幸せだった。たとえ下僕認定であろうとも。

そして犬より猫派である。



狂ったように触りまくるつなぐ。

堪える顔をしながら、構ってもらえることがちょっと嬉しそうな雪姫。





しかしこの至福の時間は短い。

雪姫が嫌がれば強制終了である。



「いでっ」

「…我の毛並みが乱れたわ……ふぅ」



じたばた暴れられて引っ掻かれ、つなぐは手を離す。

素早く立ち上がって体をぶるぶると振ったかと思うと、ソファから飛び降りて距離を置かれた。

これで終了である。



ちらちらとつなぐを肩越しに見ているが、とりあえず満足したつなぐは、


「ゲーム進めよう」


現在進行中のゲームさらに進めるべく、腰をあげてテレビの前へ移動し、セッティングを始めた。

その間、ふらりとつなぐの周りを歩く猫。


正直なところ、雪姫は下僕と思ってはいるが、つなぐを嫌っているわけではない。

好意はある。ゲーム機に注目しているわけではなく、つなぐが何か始めたことに気が向いているのだ。



やがて番組は変えられ、軽快な音楽と効果音が流れる。コントローラを片手に画面に釘付けになったつなぐは側にいる猫に構わない。

雪姫はそれが詰まらない。

さっきまでじゃれていたのを強制終了させた本人なのだが、それとこれとは別。

もう触らないで欲しいけど、遊びを終了させた訳ではないと言いたげだ。


「おい、我がそばにいるんだぞ」

「……やべ、強いのと遭遇した」

「これ、我はここじゃ」

「………うしっ、ラッキー」



焦れた猫は握るコントローラーとつなぐの腹の間に入ってくる。胡座をかいた足の上に乗り上げ、コントローラーに手を伸ばしてくるが、腕の位置をあげることで妨害を回避し、とりあえず一旦セーブする。



「なんじゃそれは~」

「雪姫ちょっと邪魔」

「我に構え~」




コントローラーには一応興味があるようなので、もうひとつの仕舞っていたコントローラーを出して、猫の目につくように床に置いた。それを押してみせる。ゲーム機に線は繋がっていないので、プレイ中のゲームに被害はない。




「ほらほら~楽しいぞ~」


猫の興味をそちらへ移すと、プレイを続行した。

もう少しでボス戦なので気が抜けないつなぐである。

猫はボタンを押しまくっている。その表情は必死で、楽しそうには見えない。




~♪

「破!破!」

「………。」

「とどめだ!!」

「ちょっ…雪姫!」




攻撃を声にしていたのは雪姫である。

闘争心剥き出しの猫は狩人のように勇ましかった。本能が露呈したのであろうか。


そしてとどめとして最後に全身でコントローラーにタックルをした猫はそのままゲーム機本体に追突した。

その事に驚いて一瞬集中力を切らせてしまったつなぐは、操作を誤ってしまう。

どんどん取り返しのつかない局面に陥り、やがて巻き戻せないと判断すると、ゲーム機の電源を切った。




猫のせいである。


だが、その怒りを猫にぶつけるほど短気な人間ではない。


じろっと猫を見つめて、そこら辺に落ちていた猫じゃらしを手にとる。

素早く慣れた手つきで、まるで猫じゃらし使いのように、猫の意識をコントローラーから奪った。一瞬である。

狙いを定めて飛びかかり、失敗してはまた狙いを定める。



まあ、明日の夜にはお別れだしな。

精一杯遊んでやろう。


雪姫が猫じゃらしに飽きるまで、それは続けられた。









目覚ましは時間通りに鳴った。

のろのろと起き出して、布団をめくるといる………わけではなく、顔を洗うべく洗面所に向かう。猫の餌をセットする以外は比較的普段と変わらない。

遊び疲れたのか、静かな夜だった。それも普段と同じ。


家を出る時はお見送りしてくれて、つなぐをじっと見つめる姿はやっぱり可愛らしい。

そこだけはつなぐ的には普段と違った。なんだか心がほっこりするのだ。


よくよく考えてみれば、猫が家にいるとベランダにカラスが止まらない。鳩も雀も寄ってこない。

「昨日は怖かったわねえ、今日はいないみたいで安心だわ」なんて声がベランダから聞こえたことがあったので、猫を怖がっているのだと思われる。



出勤ラッシュでも帰宅ラッシュでもこの日のつなぐはイライラしない。いや、普段からそこまでイライラしない性格ではあるが、心なしか仕事も捗り、ノー残業で退社した。



「ただいまー」



昨日のくたくた感は見えず、しっかりした足取りで第二のドアを目指す。




「飯じゃ飯ー」

「………」

「下僕ー」



猫の第一声になんとも言えない気持ちになる。

飯と遊びしか頭にないんじゃないかとがっかりして、第二のドアを開くのを躊躇った。



そして猫の声が聞こえなくなった、かと思いきや、



「下僕…まだか…?」



ドアがなかなか開かないために戸惑い伺うような一声。その声を聞いてドアを開いた。



「待ってたぞ!さあ飯じゃ!」



途端に喜び出した猫に、つなぐは満足する。

寂しくても寂しいとは言わないこの猫が結局は可愛くて仕方ない。

鞄を置くとまたキッチンへ向かいワイヤーロックを解除する。餌が待ちきれない猫はするりと寄ってきて行儀悪く手を伸ばす。


すりすりしてくる仕草も、もうさよならかと思うとただただ可愛い。

餌にがっつくとその間つなぐの存在を忘れてしまうのも仕方ないと思うくらいに。


そして自分の晩ご飯を用意する。

レンジに入れる際、初めて買った新商品のコンビニパスタをちらりと見る。

お店では頼むことのない味だが、見映えが良かった。

温め時間を確認し、ターンテーブルへ置いてドアを閉めて時間を入力する。スタートボタンを押すと回り始め、スーツを脱ぐべく寝室に向かう。コロコロをかけてスーツをハンガーへ掛け、消臭スプレーを振り撒く。

無心でゆっくりその作業をしていると、あっという間に5分程経っていたらしく、キッチンからチンッと音がした。

美味しそうなにおいに誘われるようにキッチンへ向かい、コンビニパスタと、ついでにフォークを引き出しから取りだし、まだ餌に夢中の猫を蹴らないように注意しながら今度はテーブルへ向かう。


プラスチックの蓋をはずすと香りが一層広がった。そして急いでフォークに麺を巻き付ける。




何口か食べていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。


「はい」

「あ、つなぐ?まいかだよ」

「今開ける」



姉である。

母親が来ると聞いていたが、予定が変更になったのだろう。


玄関に向かう前に、毛繕いをしている猫のそばにキャリーを置いた。猫はつなぐを見上げる。つなぐは大人しく入ってくれと念じる。

さっと立ち上がって居間から玄関に続くドアを開け、猫がついてこないのを確認すると閉めて姉を迎え入れた。



「ごめん、遅くなっちゃったね」

「いや、大丈夫」

「来て早々で悪いんだけど、彼、下で待たせててさ、すぐ戻らないといけないんだよね」

「おう、分かった」




実家暮らしの姉は今年で30を迎えた。

お付き合いがなかなか長く続かないタイプで、母親が呆れているのを知っている。何人分の男の話を聞いただろうか。しかしつなぐには姉の事情は正直どうでもよかった。

お互い親の敷いたレールというものがないお陰で、自由に生きている。その事を両親がどう思っているかは分からないが。



素早くキッチンに戻ると念力が届いたのか、猫はキャリーにおさまっていた。

蓋を閉める前にもう一度肉球を触ろうと手をキャリーに入れたら…噛まれた。


「な、なんじゃ!無礼者!」

「餌与えただろ…」

「下僕の癖に許可なく触るとは、まったく」




つなぐは内心で悪態をついた。

ここでこの仕打ち。

猫の気が変わらないうちに閉め、キャリーを持ち上げる。



「な、なんじゃなんじゃ」

「お帰りのお時間です~」




持ち上げた時の揺れに警戒したが、大人しくなった。女王様でも病院に行く機会があるからなのか、キャリーに関しては調教されているようだ。



「あ~雪姫~久しぶりだね~」

「じゃあ宜しく」

「うん、ありがとね」




無事に引き渡しは完了し、姉はヒールを鳴らして帰っていく。

つなぐはパスタが残っているのを思い出し、玄関ドアを閉めた。




女王様はいなくなった。

またこの部屋は、つなぐだけの国となった。

自由だ。




またフォークに巻き付けてパスタを食べる。

香りはよかったが、味はちょっと好みではなかった。多分もう買わないだろう。






食べ終わって片付けて、ゲームを取り出そうとしたその時、つなぐは見てしまった。






壁の爪とぎの跡を。








ふっと絶望と怒りが込み上げる。

ここは賃貸である。







「あー犬飼いたい」


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居候が鬱陶しいけど可愛いから困る なむなむ @nam81

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