エピローグ 冬はつとめて 共に凍える

「感覚ってものがよくわからないの。外気温がどうなっていても私には全く関係ない。何かを言われても、傷つくこともない。それをおかしいと思う余地もない。だから、私はここにきた」

 尻が冷たくなってくる。袖を通した上着はきゅっとファスナーを一番上まであげた。

「でもそれは」

 生きてるって、いうのだろうか。

 不意に影を感じたときには、頭上の氷のシャンデリアが重力にしたがって近づいてきていた。スローモーションみたいに見えた。

 これは、怪我をするか、もしかしたら死ぬ。

 寒さで鈍った身体は、動いてくれなかった。


 想像していた痛みは、なかった。

 なんだ、死ぬのは、ここまで、簡単。

 どろりとした液体が頬についていた。

 身体の上には、メル・アイヴィー。砕けたシャンデリアは、彼女に直撃している。

「……メル!」

 シャンデリアをどける。

 思わず目を背けたくなるほどに、ワンピースは血に染まっていた。

 むき出しの肩は打ち身で青くなっている。

「……無事?」

「僕のことより、メルは 」

「大丈夫」

 震えながらも立ち上がると、自嘲じみたように口角をあげる。

「痛みは感じない」

 見ているそばから傷が塞がっていく。

 さすがに服の汚れはとれないけれど、それでも普通じゃない。

「どうして……」

 吐く息は白くなる。

 限界が近いことは分かってる。

「どうして凍えたくなったの」

 凍死を選択したから?

 無意識に暑さを感じていたから?

「……氷の世界を見て、身体がひゅっとした感じになった。はじめてだった。

 ここなら、何かを感じることが、できる気がした」

「……なにか、変わった?」

「ユイを、条件反射で助けられるくらいには」

 僕は思わず、自分の身体を確認した。

 傷はひとつもない。

「きっとユイは、痛みを感じる。傷もつく。生きているから」

 まるで自分は死んでいるから、みたいな言い方。

 お願いだから、しないでほしい。

「メルだって生きてる。ただ感じかたが誓うだけ」

 手を両手で包み込むと、冷えきった自分の手の温度がわかる。

 メルには、触れられる。

 身体は、暖かい。

「いつか、一緒に寒い地方に行こう。それで、一緒に凍えよう」

「……死にたいんじゃ、なかったんですか?だから凍えたいって、言ったんですけど」

「気が変わった。帰ろ」

「……ユイにはついていけません」

 メルはソファーから立ち上がり、ワンピースのシワをのばす。

「これからよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 氷の空間には、壊れたシャンデリアだけが、残された。


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君と一緒に凍えるために 香枝ゆき @yukan-yuki

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