エピローグ

エピローグ

「忘れ物はないか? 千晴」

「大丈夫です。ちゃんと確認しましたから」

 いつもと変わらない穏やかな朝。今日からまた俺は、紗々良さんと一緒に学校に行く。


 九尾の狐が倒され、気を失った俺は紗々良さんに家まで運ばれた。そして、意識が回復するまで俺に気を送り続けてくれていた。

 目を覚ました俺を見て安心した紗々良さんは流石に力を使いすぎたのか、俺の隣でパッタリと倒れ、寝てしまった。

 その後、数日ほど部屋で休養していたが、その間も新たな妖狐がからんだ事件は発生せず、普段と変わらぬ日常を取り戻していた。

 そして、晴れて二人とも体力が回復して、久し振りに学校に行けるようになった。


「兄さん、もう具合はいいんですか?」

 廊下に出た所で、後ろから先に回復した奈緒に声をかけられる。

「もう、大丈夫だよ。奈緒こそ本当にもう平気なんだよな?」

「はい、私はもう全然大丈夫です!」

 ガッツポーズをして元気であることをアピールする奈緒。もう心配はないみたいだ。

「それにしても、今回の事件は謎だらけですね。何か怨念のようなものを感じます」

「いきなり、そういう考えになるのか。お前は……」

「至る所で狐を見たっていう証言がありまして、これは何か関係があるんじゃないかと……」

 俺の知らない間に世間では噂が広まっていたみたいだ。でも、それを証明できる人はいないし、この件に関しても時間が経てば自然と風化していくだろう。

「いつも言ってるけど、変なことに首を突っ込むなよ?」

 奈緒には、いつものように釘を刺しておいた。



 学校へ着き自分のクラスの教室に入ると、俺に気が付いた仁科が側に寄ってきた。

「杉原君、もう身体は良くなったの?」

「ああ、もう大丈夫だよ」

 俺は自分の席にカバン代わりのリュックを置き、答えた。学校には体調不良と報告しておいていたため、仁科も俺の詳しい状態は知らない。

 それでも、数日間は休んでいたので、仁科は安心した笑顔を見せた。しかし、すぐに表情を曇らせると金森の席を見た。

「彼女はもうずっと休んでるんだよね……」

 何の連絡も無いと仁科は言っていた。クラスのみんなも心配しているようだ。

「あいつがここに来ることは、もうない」

 俺の横で紗々良さんがポツリと呟いた。

 九尾の狐と戦ったあの日のことを知っているのは俺と紗々良さんだけ。金森はもういないことをクラスメイトは知らない。人気のあった彼女だから、しばらくの間は話題から消えることはないだろう。

「それで……リイちゃんは見つかった?」

 もう一人の行方不明者の話を仁科は遠慮がちに聞いてきた。だけど、本当のことは仁科には言えない。

「まだ、見つかってないよ。近々また探すよ」

「その時は私にも言ってね。協力するから」

 本当はリイを探す必要も、もうない。いつまで誤魔化せるのだろうか。

「狐に食べられちゃうなんてないよね?」

「ぶふっ?」

 ピンポイントに話の確信を突いてきたので流石に驚いてしまう。

「いきなり何を言って……」

「何かここ最近狐の目撃談の話が多くて……狐って一応肉食なんでしょ? だから……」

「あいつは普段実体は無いんだよ?」

「あ……そっか」

 それで仁科は納得をしていたが、普通じゃない狐の場合は話は別なんだよね……。

 町中で好き勝手やっている時に妖狐の姿は、瞬間でも至る所で目撃されていたようだ。でも、その話も今だけで徐々に忘れられていくだろう。



 学校も終わり、家に帰ると既に奈緒が帰宅していて、俺の姿を見つけるとトコトコと近づいて来た。

「兄さん、兄さん、知ってますか?」

「何かまた怪しい情報でも仕入れてきたか?」

「別に怪しくありません」

 素っ気ない俺の反応に頬を膨らませる奈緒。だいたい、いつも持ってくる話が怪しくないことがない。だが、この時の情報は驚くべき内容だった。

「あの火事になった廃神社。お稲荷さんになるそうです!」



 その話を聞いた俺は部屋にリュックを置き、紗々良さんと一緒に廃神社へと向かった。

 鳥居をくぐり、参道を進み、階段の手前まで来るとフェンスが張られ、工事中の看板が立てられていた。

 それより先には入れないので紗々良さんだけが境内まで行って様子を見て来た。だか、まだ工事は始まってはいなくて、以前のままだったらしい。

 奈緒の話によると、例の事件が頻発していたころは狐の姿がよく確認されていたみたいだが、事件が起こらなくなった途端狐も見なくなったことから、今回の事件は狐が起こしたものではないかと噂されるようになった。もちろん、まともに信じている人は殆どいないだろうが、事件が余りにも不可解だったため、町の町内会長さんが廃神社の後にお稲荷さんを祭ろうと言い出したのだという。

「これで、ここも完全に私の手から離れるな……」

 紗々良さんが感慨深げに境内のある上を見て言った。

 そんな紗々良さんにかける言葉も無く、ただ見ているだけしか出来ないでいると、突然聞きなれた声が耳に入ってきた。

「だから、神社なんてあっさり出来るかもって言ったじゃない」

 何処から現れたのか、上から九尾の狐が降ってきた。姿は以前と同じ、元々の金森の姿に金色の耳と九本の尻尾が生えて……あれ、何故か八本しかない?

「お前……どういうことだ! 確かに私はお前をあの世へ送って……」

 動揺しつつ警戒も怠らない紗々良さん。しかし、九尾……いや八尾の狐に敵意は無かった。

「杉原君もここがお稲荷さんになるって聞いてるでしょ? それで私がここの神使に任命されちゃったのよ……」

「なにーっ! それはどういう……まさか、お前最初からこれを狙って……」

 紗々良さんが一層八尾の狐を睨む。しかし、八尾の狐はすぐさまこれを否定する。

「そんなわけないよ、面倒くさいし……地上で修行だって、神様に押し付けられたんだよ」

 心底八尾の狐は嫌そうな顔をする。

「それに、私としてはこうやって精気を吸っていたほうが……」

 そう言って八尾の狐は俺の肩に手をかけた。

 紗々良さんはすぐに反応して攻撃態勢をとるが、八尾の狐は首に手を当てるとその場で苦しそうにのたうち回った。

「う……あっ……ごめんなさい、ごめんなさい……冗談なんですぅ……」

 四つん這いになって息を切らす八尾の狐を俺と紗々良さんは呆然と見ていた。すると、この狐には珍しく、うんざりとした表情で説明をした。

「悪いこと考えると、これが絞まるんだよ。今度もし、この前みたいに消えたら本当に私の存在無くなっちゃうみたい……本当迷惑だよね……」

 八尾の狐の首には銀色の首輪がはめられていた。

 自業自得というか、チャンスをくれた神様が寛大という気がする。でも、あともう一つ気になることがある。

「何で尻尾が八本なの?」

「あ、それはね……」

 八尾の狐が視線を参道の脇の木へと移す。そこに何かいるようだが出てくる気配がない。

「いつまでも隠れてないで出てきなよー」

 呼ばれて観念したのか隠れていたそれが姿を現した。

「え……リイ?」

 そう呼ぶとリイは恥ずかしそうにまた木の陰に隠れてしまう。だけど、その姿は妖精ではなく確かに狐の耳と尻尾があった気がするのだか。

 俺と紗々良さんが再び呆然となって、八尾の狐を見る。

「神様がね、私の尻尾を一本取って、あの子にあげて復活させてあげたのよ。姿形は変わってるけど中身は同じはずだよ」

 お陰で私は弱体化しちゃったよ、とガックリしている八尾の狐。そうか、神様が妖狐の能力ちからの象徴である尻尾を使ってリイを助けてくれたんだ。

「ハッハッハッ、神も中々洒落たことをやるな」

 紗々良さんが楽しそうに笑っていた。

 参道脇の木に目を移すと、おずおずとリイが陰から恥ずかしそうに姿を現した。改めて見てみると、人間の姿になったリイに髪の色と同じ、薄いピンク色の狐の耳と尻尾がついている。

「あ、あの……変じゃないですか?」

「大丈夫! 変じゃないよ」

 自信を持って答えてあげた。むしろ、この手の趣味のありそうな人が見たらヤバイのではないかと思うくらい可愛い。

 俺の言葉にリイは安心したのか笑顔で走りながら俺のそばに寄って来た。

「リイは連れて帰っていいのか?」

 俺は八尾の狐を見る。一応神様の息がかかっているようなので勝手なことをしてもいいのか不安になる。

「大丈夫よ。その子は神使じゃないから」

「そうか、じゃあ家に帰ろうか。リイ」

 リイは満面の笑みで首を縦に何回も振った。きっとずっと不安で早く帰りたかったのだろう。

「え……もう帰っちゃうの?」

 八尾の狐はつまらなそうな顔をした。そんな狐に紗々良さんは、さも楽しそうに言った。

「ここの管理は今後お前に任せた。私達は自分の住む家に帰る」

「え? 協力してくれないの?」

「もうここはお前の場所だ。私は手を出せないからな」

 そんなあ、と八尾の狐は困った様子を見せる。薄情な気もするが、これが彼女の任務だったり修行だったりするのならば、それも仕方がないのかもしれない。

 後ろから八尾の狐の情けない声があがる中、俺達は神社の敷地内から出て、帰路についた。



 帰り道。紗々良さんやリイを見て思う。少なくとも俺の周りの存在や、敵であった八尾の狐でさえ、結果的に言えばみんな無事で、全て丸く収まったように見える。

 しかし、失ってしまったものもある。

 本人は不本意みたいだが、廃神社はお稲荷さんに変わり、神使も八尾の狐となった。もう、元のように復活させることは出来ない。

「結局、俺は何も出来なかったな……」

「何がだ?」

 俺の独り言に不思議そうな表情で紗々良さんはこちらを見た。

「今回の件も紗々良さんが全部解決したわけですし、俺はただ振り回されていただけですから」

「そんなことはない。お前があの時、御守りに私の名を呼んだから、私は九尾の狐の身体なかから出られたんだぞ?」

「それだけです。他に何も出来ませんでした」

 やれやれというポーズで紗々良さんは苦笑した。まだ何か気付いてないことでも、あるのだろうか。

「自分のしたことが、どれだけ大きなことかわからないとはな」

「え?」

 ぼそっと呟いた紗々良さんの言葉の意味がよくわからなかった。

「千晴もまたまだってことだ」

 紗々良さんは俺の前で舞うようにくるくると楽しげに回った。今の会話の中に嬉しいことでもあったのだろうか。疑問だ。

 でも、もう一つ、楽しくない話もしなくちゃならない。

「それに、紗々良さんが本来帰るべき神社が本当に無くなってしまいました……」

 この場の雰囲気に水を差すような言葉。一瞬、時が止まったように感じた。

 紗々良さんは回転をやめ、俺のほうを見る。しかし、その顔は悲壮感など微塵も感じさせない穏やかな笑顔だった。

「別にいいんじゃないか? むしろ私はさっぱりしたぞ」

「でも、ずっと紗々良さんが守ってきた場所ですよ?」

 無理をしている様子はないが、余りにも気にかけていないので逆に気になってしまう。

「今回の件で、自分にとって何が一番大事なのか、よくわかった。終わった箱物など私にはもう必要ないんだ」

「あの神社よりもっと大事なものですか?」

「そうだ。それに今は帰る場所だってある」

 紗々良さんは今まで見たことがないくらいの輝く笑顔で俺を見た。

「さあ、早く家に帰るぞ。千晴!」

 そう言って、紗々良さんは足取り軽く歩き出した。

 紗々良さんが言った大事な場所、大事なもの。今度こそ、それを守っていけるように俺はなりたい。紗々良さんに認めてもらえるように。


 ────千晴。もっと立派に人間になれ。そして、その時が来たら私のあるじとなってくれ。いつまでも、お前の横が私の居場所であるように。


 前を行く紗々良さんが小さい声で何かを呟いていたがよく聞こえなかった。

「何か言いましたか? 紗々良さん」

「いや、何も」

 紗々良さんは空を見ていた。だけどその目は遥か先の遠くを見ているみたいだった。そして視線を下に移すと、また俺には聞こえないぐらいの小さい声で呟いた。


 ────今はまだこれでいい。もう少しだけ、私に世話を焼かせてくれ。千晴。

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おおかみ少女は頼られたい 小桜 天那 @y_amasaki

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